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13:アングレナ初夏の名物

 気が付いたらヴァースに来て一ヶ月がたった。

 カリーナさんにしっかりと読み書きを教わったお蔭でギルドに掲示されている依頼書ぐらいは問題無く読める様になった。

 歴史や算術の勉強も少しずつ取り掛かっているが、こちらは少し苦戦中である。

 覚える事も多く、特に算術の応用は難しい。

 学校への道程はまだまだ遠い。

 リリィの方は鍛錬の成果が徐々に出始めていてFランクの魔物は何とか倒せる様になってきた。

 数がいると危ないのでEランクになるにはまだ鍛錬が必要だ。

 あれから特に絡まれる事も無く平穏だ。

 私の方はカリーナさんからの薬草採取がメインだから討伐系の依頼はあんまり受けていないが、ついでに狩る魔物のお蔭でDランクに昇格出来た。

 殆どホーンベアと少し大きい猪のランドボアだけど。

 どっちも食料としての需要も高いし、ホーンベアは角と胆嚢と肝臓、ランドボアは牙が良い金額で買い取りして貰えるので少しお金には余裕が出て来た。

 余裕が出て来たと言っても散財が出来る程の余裕がある訳では無いので、ほぼ貯蓄に回している。

 余裕があるのはカリーナさんの家に居候しているのもあるんだけど……。


 今日は薬草採取の仕事が無いのでギルドに何か良い仕事が無いか探しにきたのだ。

 薬草採取に関しては在庫が多くなってきたから暫くは採取に行く必要が無くなってしまった。

 私とリリィで一生懸命にやっていたら採り過ぎただけだが。

 そんな訳で依頼書を眺めていると気になる依頼を発見した。


「リリィ、この依頼なんですが……」


 気になった依頼書をリリィに見せる。


「モーラスロッククラブの捕獲の依頼?」


「はい。ランク指定も人数制限とかも無いみたいなので不思議だな、と」


「この依頼は人数がいるからねー。そう言えばそろそろ産卵期で旬だねー」


 私は首を傾げる。


「そっかー、ジャンヌはここに来たばかりだから知らないよね。モーラスロッククラブは街の東にあるモーラス川に棲息するこの地方にしかいない蟹なんだよー。調度、春が終わる時期に産卵期に入って大量発生するの。大人なら普通に獲れるんだけど、数が多いからギルドにも依頼が出ているんだよねー」


 街の西側はあんまり行った事が無いかも。


「時期になると街道の橋がモーラスロッククラブで埋め尽くされるから」


「ちょっと想像したくないですね」


「でもモーラスロッククラブは美味しいから小さいのはよく拾って食べたよー。大きいのは危ないから冒険者に捕獲を依頼するんだけど、大きいのは更に美味しいから高値で買い取ってくれるんだよねー」


 蟹は食べた事が無い。

 川にいる蟹は小さくて食べると思っていなかったから。


「この街の名物みたいな物だし依頼、受けてみる?小さいのでも籠に一杯にすれば大丈夫だし」


 蟹が美味しいなら依頼を受けても良いかな。

 色んな美味しい物を食べたいし。


「そうですね。折角なので受けましょう」


 蟹の捕獲の依頼書を持って受付へ向かう。


「依頼の受注をお願いします」


 受付のミアータさんに蟹の依頼書とカードを提出する。


「はい。お預かりしますね。ジャンヌさん、モーラスロッククラブの捕獲の依頼を受けるんですね」


「旬で美味しいみたいなので受けてみようと思いまして」


「あー、モーラスロッククラブは美味しいですからね。私も毎年食べますよ。旬の物は旬に食べるのが一番ですから。やはりキング狙いですか?」


「キングとは?」


 種類が幾つかあるのだろうか?

 もしかしてリリィが言っていた大きい蟹の事かな?


「モーラスロッククラブの特に大きいのをキングと呼んで、魔物では無いのですがCランク扱いになり、味は絶品で一匹で金貨十枚ぐらいになります」


 金貨十枚!?

 食べ歩きし放題!?


「キングは森の奥で川の上流にある巣にいます。ただキングと呼ばれるだけはあって人より一回り大きく、かなり危険です」


 人より大きい蟹とかハサミに挟まれたら真っ二つになるんじゃないか、と思う。


「キングは巣に近付かない限り危険は無いので討伐対象では無いので、無理に討伐する必要はありません。この依頼は川の周辺に溢れるモーラスロッククラブの数を減らして、街への影響を少なくするのが目的なので、大きさに関わらず籠に一杯に捕獲すれば大丈夫ですよ」


「籠に一杯にならなかったら失敗になるんですか?」


「監視の予測では三日後に産卵が始まるのですが、普通に捕まえれば十分も経たず一杯になりますから大丈夫です」


 どれだけ蟹がいるんだろう?


「毎年、川が蟹で埋め尽くされますから」


 ちょっと見るのが怖くなってきたかも。


「因みに大きさによって買取価格は違うのですか?」


「はい。手の平サイズだと標準サイズの籠一杯で銀貨一枚、膝までの大きさが一匹で銀貨二枚、腰までの大きさだと銀貨五枚になります。それ以上は大きさに合わせて変わります。巣に近付く程、大きい個体が多く、街に近い所は小さい個体が多いです」


 大物を狙いだと必然的に巣に近付かないと駄目なのか。


「川の周辺にはモーラスロッククラブを狙って魔物や野生の獣も現れるで注意して下さい」


 思いの外、大変かもしれない。

 大物の方が美味しいみたいだけど、魔物と大量発生する蟹はリスクが大きい。

 昔、沢蟹に指を挟まれた事があるけど結構、痛かった。

 腰ぐらいの大きさでも充分、危険な気がする。


「因みに西門にギルドの臨時出張所を設営してますので、小さいの狙いで川とギルドを往復される方もいらっしゃいます。気を張らずお祭りに参加する様な気楽な気持ちでやって下さい」


「はい」


「もし腰ぐらいの大きさモーラスロッククラブが獲れたら個人的に銀貨一枚上乗せで買い取らせて下さいね」


 ミアータさんが小声で私だけに聞こえる様に言った。


「そんな事をしても良いのですか?」


 私も小声で返す。

 職権濫用では?


「普通の素材なら不味いですが産卵期のモーラスロッククラブなら大丈夫です。私も美味しいのを食べたいのと、店に並ぶともっと高いので……」


 美味しい物を食べたいのは皆一緒と言う事かな。


「私達が食べる分より多く獲れたら良いですよ」


 貯蓄は少しあるから問題無いだろう。


「宜しくお願いします。依頼の受注が終わったのでカードをお返ししますね」


 ミアータさんからカードを受け取って懐に仕舞う。


「依頼が終わったら、また来ますね」


 蟹料理に思いを馳せながらギルドを後にする。

 依頼も受けたし、今日は他にやる事は無いのでどうしようか?


「リリィはこの後はどうしますか?」


「うーん……今日は帰ろうかなー。少し剣の手入れもしたいし」


 それなら私は家で勉強しようかな。

 槍も剣も手入れいらずだから。


「それなら今日はここで解散ですね」 


「分かった。明日は昼前ぐらいにお店に行くよー。じゃあねー」


 東通りに消えて行くリリィを見送り、お店に足を向ける。

 帰り路の街並みがふと目に入り、祖国のフランスが唐突に頭に過った。

 宮殿があるパリは行った事が無いから分からないがランスは大きな街だ。

 この街にノートルダム大聖堂の様な荘厳な建築物は無いが、街の中心の建物はランスの街と似ていて何処か郷愁を誘う。

 やはり心の何処かで前の世界に対する想いが燻っている。

 こちらの世界に来てしまった私にはどうしようも無いが。

 お店のショーウィンドウの硝子に写る自分の姿を見て変わってしまった自分と、心に残る変わらない自分。

 まだその二つは上手く重ならずに違和感がある。

 ヴァースに来たのが実は夢ではないかと思ってしまう時がある。

 現実を受け止めきれていない自分がいる。

 それは間違い無いだろう。

 それに反して今の現実に対して期待に胸を膨らませているのも事実だ。

 カリーナさんやリリィ、この街の人と過ごす日常に安息を得始めている。

 自分の現状を考えながら歩いていると何処からとなく漂ってくる香ばしい香りを鼻が捉えた。


「お腹が空く良い匂いですね」


 匂いの元を探し、辺りを見回す。

 この辺りは飲食店が余り無い場所だ。

 少し先にある移動式の屋台が目に留まる。

 どうやら串物の屋台の様だ。

 気になったので屋台を覗いてみる。


「いらっしゃい!」


 並んでいる串には小さい蟹が三匹刺さっている。


「モーラスロッククラブの唐揚げだよ。香ばしくて甘くて美味しいよ」


 これがモーラスロッククラブの様だ。

 どうやらこれは串に刺して油で揚げてタレに絡めて食べるみたいだ。

 漂ってきた香ばしい香りは油で揚げたモーラスロッククラブの香りだった。


「これは殻はどうするのですか?」


「小さいヤツは殻が柔らかいから油で揚げて丸ごと食べるんだよ」


 殻ごと食べるとはまた大胆な食べ方だ。

 旬で美味しいなら折角なので頂いてみよう。


「一本お願いします」


 自分で獲って食べる予定だけどフライングで買い食いも有りだ。


「銅貨二枚だ」


 屋台のおじさんに銅貨二枚を渡し、串を受け取る。


「ありがとうな」


 屋台の近くにあるベンチに腰を下ろす。


「それでは頂きます」


 丸揚げとは中々大胆で今迄その様な料理は余り食べた事は無かった。

 蟹をそのまま揚げた姿に抵抗感が無い訳では無いが、周りの人達が美味しいと言う話は無視出来ない。

 串に刺さった蟹一匹を口の中に放り込む。

 蟹の殻は硬くなく、程良いサクサクした食感で非常に香ばしい。

 噛んでいく内に殻の中の身、味噌の甘みが口に広がる。

 みんな美味しいと言うのが良く分かる。

 殻の食感と身等の甘みに加え、タレの塩っ気とスパイスの香りが合わさる事により、更なる旨みを感じる事が出来る。


「これは美味しいですね」


 この味はエールと合いそうだ。

 個人的にはエールより飲みやすい白ワインの方が好きだ。

 どうもエールの苦味は好きになれない。

 モーラスロッククラブの小さいのでこれだけ美味しいのだから、大きいのはどのぐらい美味しいのだろうか?

 依頼は少し大物狙いでも良いかもしれない。

 そんな事を思っている内に三匹の蟹は私の胃に収まった。

 串は捨てる場所が無いので指輪の収納に放り込む。

 美味しいおやつも食べたからお店に戻って勉強しよう。



 


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