聖櫃にお願いを
夜になると聖櫃を祀る神社へと呼ばれた。
神楽走破に優勝すると、ここに呼ばれ、社の方で聖櫃に出会うことになるらしい。その前に、僕は皆の前で祈祷やらなんやらを受けてガチガチに緊張していた。幸いその頃には、肌の色は完全に元に戻っていたので、青い人とは思われずに済んだ。というか、本当に戻って良かった。ずっとあのままかもと思って、不安で不安で仕方なかったのだ。本当にほっとした。
その後は体が痛くて歩くどころか、立っていることすらできなかった。
この後に支障が出るという事で、治してもらったけれど、痛みは完全になくなってくれなかった。
それでも何とか、体を動かす。
神主さんに案内されながら、ぎくしゃくとした動きで、聖櫃の社があるという洞窟の中に入って行く。
洞窟は鍾乳洞になっていた。
神聖な場所として、基本的に立ち入りは禁止されている。この奥の社に聖櫃がいるのだろうか?
由良が聖櫃を探して、ここに侵入したことがあると言っていた。その時には、聖櫃はいなかったという。つまり、この祭楽神祭の時にだけ、聖櫃はこの社に現れるのかもしれない。
鍾乳洞の奥には、小さな社があった。人が入れるような扉はあるけれど、二人ほど入ればもう、身動きが取れ無さそうに小さい。
その社は、真新しい気がした。もしかしたら、由良が壊して新しく造り直されたのかもしれない。なんだか、幼馴染として申し訳ない気持ちになる。
神主さんが、社の中に入るよう促してくる。何でも神主さんの説明では、聖櫃は人の姿をしているらしい。つまり、円と由良の推測は当たっていたという事だ。
何だか狭そうな社を見ていると、閉じ込めるんじゃないかと怖くなる。でも、ここでまごついているわけにもいかないだろう。
僕は靴を脱ぎ、意を決して社の中へと入って行く。すると、どうだろう。社の中はとても広くなっていた。外から見るととても狭苦しそうだったのに、社の中はあり得ないほどに広い。
中は畳敷きの部屋となっており、教室くらいの広さを持っていた。
まるで、別空間に飛ばされたみたいだ。いや、事実そうなのかもしれない。
デウスさんが創り出したエターニアという空間と同じように、この空間を聖櫃が創り出しているのだろうか?
やはり、力ある存在なのだ。
物凄く緊張してきた。
超常者と話すことには慣れているつもりだけれど、これから出会うのは、今まで秘密にされていた聖櫃だ。緊張するなという方が無理な話。
心臓なんか、張り裂けそうだ。
失礼なことをしたらどうしようか?
優しい人だったら良いなと、心から思う。
部屋の襖の向こう側から、歩いてくる足音が聞こえてきた。そしてこの部屋の前で止まると襖が開いた。
そして、姿を現す聖櫃。
この町の誰もが知っていながら、ほとんどの人がその姿を知らない。
そんな彼女の姿を目にして、僕は驚いた。
小柄で愛らしい顔に、皮肉気な笑み。いつもとは違う着物姿。
そこにいたのは、円だったのだ。
「ニュフフ。驚いたかい? 佐次殿」
「えっと、まぁ。……つまり、えっと、円が聖櫃って事?」
「その通りだよ」
円は頷いて、ニヤリと笑った。まるで、悪戯を成功させた子供のようだ。
でも、円が聖櫃だと聞いて、僕はすんなりと受け入れている自分を感じた。思ってみれば、円の超科学力も、科学というよりも、神様の持つ自然的法則を超えた創造力だと思えば納得もできる。それに、今まで優勝していたのはジェニーだ。彼女の記憶から聖櫃の情報を引き出せなかったというけれど、単に円が口止めしていたという方が現実的だった。
「いやぁ、びっくりした。まさか円が聖櫃とはね。……あれ? でも前に、聖櫃は、力のない人間として振る舞っているはず、みたいなこといっていなかったっけ? せっかく超常者じゃないことを誤魔化しているんだから、そっちの方が面白いって」
「ふふん。馬鹿を言ってはいけないのだよ。せっかく超常者が、好き勝手やっても良い町を造ったんだ。ならば、超常者の方が面白いに決まっているだろう?」
「……確かに」
この御津多市では、外の世界とは違って、超常者が大手を振って歩けるのだ。ならば、ただの人間として振る舞うよりも、超常者として振る舞った方が、御津多市の特色を満喫していると言える。
「ああ、騙された」
「ニュフフ。本当は一生騙し続けるつもりだったのだけれど、……まさか、佐次殿が優勝するとは思わなかったのだよ。つまり、マドちゃんもびっくりなのさ」
「かなり、漁夫の利みたいな感じだったけれどね。僕、妨害を全く受けなかったし」
「ニュフフ、確かに。でもそれは、超常者に愛されていたからさ。佐次殿を攻撃したくはなかったんだろうね」
「そうなのかな? そうだったら嬉しいな」
「……それで佐次殿。佐次殿の願いは何かな? 佐次殿は超常の力が欲しいかい? これで君の望む主人公になれるかもしれないのだよ?」
「ん? ……いや、いらないよ」
「ふむん? 良いのかい? 超常の力に憧れていたのだろう?」
円は意外そうな顔をして見てくる。僕はそんな彼女に苦笑する。
「……まぁね。でも、僕が超常の力を持ったって、持て余すだけさ。……それにきっと、超常の力を持ったら、皆とは今みたいな関係を築けないと思うんだ。前に、円が言っていただろう? 僕は特別な力を持たないのが、特別なんだって。由良にも言われて、確かにその通りだって思っちゃった」
「……ニュフフ。そうだったね。……じゃあ、佐次殿の願いは何だい?」
「ん~、そうだな。結局、思っていた願いは、間違っていたことに気付いちゃったわけだし、……何かな。お金とか?」
「そういう俗物的なのは却下だよ。せっかくの神様へのお願いなのだから。つまらないし」
「だよねぇ」
円の性格的に断られるとは思っていた。
じゃあ、どうしようか?
図書カード五千円分とか言ったら、流石に怒られそうだし。……ふと、勇也の願いを思い出した。
「この願いを、誰かに譲るってのはあり? 勇也が、自分の元いた世界がどうなっているのか知りたいらしくて」
「……ふむん。残念だが、それはなしだよ。それをしてしまえば、神楽走破はお金儲けの手段になってしまうかもしれない」
「……確かに」
もしも譲ることができたら、願いを叶える為、強そうな人をお金で雇おうという動きができてしまうだろう。そうなってしまえば、神楽走破は欲に塗れた競技になってしまう。
「まぁ、それに、勇也殿に関してなら、聖櫃としてではなくても、マドちゃんとして解決できるかもしれない。そんなものにわざわざ、佐次殿の願いを消費する必要もないのだよ」
「そういうの有りなの?」
円の言葉は聖櫃経由ではなく、円経由ならば聖櫃の力は使いたい放題と言っているようなものだ。僕が驚いて尋ねると、彼女は悪戯っぽく笑う。
「ニュフフ。友達だから特別なのだよ。……でも、まぁ、マドちゃん仕様だから、困った問題も一緒に起こるかもしれない。そこは目を瞑ってもらう必要があるのだよ」
僕は円の物言いに笑ってしまう。
円経由の場合、聖櫃の力を使えるけれど、それに見合うだけの問題を起こすと脅してきているのだ。
「はは。まぁ、それは勇也にでも頑張ってもらうさ。何せ、あいつの願いを叶える為だからな。……しかし、うぅん。譲渡もダメか。……じゃあ、そうだな」
僕は自分の願いを考える。いざ、願い事と言われても思い浮かばない。
「決まったかい? 佐次殿の願いは」
円が聞いてくる。けれど、答えは出ない。
「正直、全然浮かばないんだけれど。皆仲良くとか、抽象的なものでも大丈夫?」
「それは、皆を洗脳するようなものだよ?」
「……だよねぇ。……まぁ、つまり、僕の願いなんてそんなものなんだろうね。唯一あるとすれば、この御津多市が、今のまま続いて欲しいと思っているってことくらいかな? ……だから、今まで通り、御津多市を守り続けてよ聖櫃様」
たぶん、これが僕の本当の願いなのだろう。
由良の事にしても、これから先、僕が頑張っていくことで、誰かに願う事じゃない。それは、眠れる獅子にしても同じ。そっちは規模が大きいから、僕だけが頑張るんじゃなく、皆で話し合って頑張ることだ。だから、僕を含め、皆が頑張る為の場所として、御津多市は必要で、この素晴らしい町を守り続けて欲しいというのが僕の願い。
僕の願いを聞いた円は、今まで見たことないほど優しく笑って頷いた。その姿はなんていうか女神様っぽくて、円は聖櫃なんだとやっと思えた気がした。
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