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主人公になりたい

 神を楽しませるために行われる御津多市の祭楽神祭は盛大だ。

 神がいるという事実があるので、感謝を込めてお祭り盛り上げようというものも多いし、何より超常者たちには、この地でしか思いっきり騒げないというのもあるので、祭り好きが多いのだ。更には、観光客も意外に多い。

 町の外に出てしまえば超常者の記憶を失ってしまうのだけれど、とても珍しいものが見られたという記憶は残るのだろう。

 なので、馬鹿みたいに高い櫓が建てられ、いくつもの大きな御輿が町中を練り歩く。比較的大きな道には屋台がずらりと並び、観光客だけでなく、町中の全ての人たちが外に出ている為、大賑わいだ。

「そろそろ神楽走破なのだよ。今年は佐次殿も出るのだろう?」

 円と勇也、そして姫路さんの四人で屋台を回っていると、円が時間に気付いて、そんな事を言ってくる。

「まぁ! 今年は佐次さんも出るのですね。佐次さんも、叶えたい願いがあるのですか?」

 姫路さんも何故か嬉しそうに聞いてきた。

「……いや。別に優勝できるなんて思っていないよ。むしろ、完走した時に貰える参加賞狙いかな」

 神楽走破は優勝しなくても、着順によっては豪華景品を貰える。勇也は一昨年、十数万はするであろうロードバイクを貰っていた。正直、自転車に乗れない僕でも、あそこまで高額商品だと、羨ましく思えたくらいだ。

 けれど僕は今、嘘を吐いた。今回、狙うのは優勝だ。あの眠れる獅子の一件。祭楽神祭が始まっても、マルコが来ることは結局なかった。

 僕は自分の力の無さを実感する。……いや、実感と言うよりも、欲しいと思ったのだ。マルコやデウスを説得するような力が。それは単純な力ではない。どんな力があれば可能にするのかもわからない。けれど、優勝し、聖櫃に願えば、答えは出るのかもしれない。

 今年は、魔女である沙月がくれた、身体能力が上がるという薬もある。試したことはないので、どれだけ上がるのかは見当もつかないけれど、それでも、優勝の可能性はグッと上がることだろう。それだけで優勝できるかはわからない。けれど、できないと決めつけて、何もしないのは嫌だった。

「まぁ、佐次がどんなに頑張っても、優勝できないのは仕方ないさ。何せ、優勝はこの俺が貰って行くからな」

 勇也がそんな事を言ってくる。彼はとても恵まれているというのに、

「あれ? 勇也は前回、途中リタイアだったのに?」

 僕がからかい交じりに指摘すると、勇也は図星を指されたように呻く。

「……そ、それは魔王が邪魔して来たからだ」

「あはは。由良も同じこと言っていると思うよ」

「ちぇ。……だが、今日はそうはいかないな。ちゃんと優勝してみせる」

「ニュフフ。甘いのだよ、二人とも」

 円が不敵に笑い、そんなことを言ってくる。

「なんだと、円。俺の何が甘いっていうんだ」

「というか僕なんて、優勝できないって最初から割り切っている当たり、そんなに甘いことなんて考えてないよ」

 僕の指摘はやっぱり無視され、円は不敵な笑みを崩しもしない。もう少しくらい、僕の意見を聞いてくれても良い気がする。

「ニュフフ。今年も優勝は、うちのジェニーがもらうのだよ。つまり、ジェニーは絶対王者なのだよ」

「別に、円が走るわけじゃないだろ」

「……というかそろそろジェニーに、円と対等にしてくださいとか願われて、愛想尽かされるんじゃないの?」

「そ、そんな事ないのだよ。私とジェニーの主従の絆は完璧だ。……そ、それこそ、相手が聖櫃だったとしても、その願いは無効化されるはずなのだよ」

「いや。ジェニーが聖櫃にそう願っているという時点で、その絆はまやかしだと気付こうね」

「うぅ、確かに。……でも、ジェニーがそう願うって事自体が、佐次殿の妄想じゃないか。そんな事自体があり得ないのだよ。絶対、きっと、……たぶん」

 円の自信がだんだんと無くなっていく。そんな彼女を励ますように、姫路さんが背中を優しく叩く。

「大丈夫ですよ、円さん。もしもジェニーさんが主従関係をどうにかしたいと思っていたとしても、それはきっと、円さんと対等な友達になりたいという願いだと思います」

「……そうかな。……というか、やっぱりジェニーが解放されたがっているのが前提なのだね」

「まぁ、安心しろ、円。今年は俺が優勝するから、ジェニーの願いが叶う事はない」

「……勇也殿」

「まぁ、なるようにしかならないさ円。僕は優勝できないから、ジェニーを止めることもできないしね」

「……佐次殿まで。皆。励ましてくれてありがとう」

 円は感動した面持ちで言うけれど、姫路さんは首を傾げる。

「というか、今の佐次さんの言葉は、励ましなのでしょうか?」

「励ましだよ。世の中にはどうしようもないことがある。そう思って諦めていれば、たいていことは受け入れられるものさ」

「凄く後ろ向きのような気がします」

「ニュフフ。しかし、それでこそ佐次殿なのだよ。でも、そんな佐次殿が、いつもは出ない神楽走破に出るという。つまり、いつもと違う事があるのではないかな、佐次殿。それは何なのかな?」

 円が興味を引かれたのか、まじまじと見つめてくる。僕は肩を竦めた。

「沙月に身体能力が上がるって、薬を貰ったんだよ。それを使えば優勝は無理でも、上位に食い込めるかもしれないって思ったのさ。そうすれば、数万円相当の景品も。……ふふふ」

「佐次殿がお金の亡者になっているのだよ」

「……というか、沙月の薬って、そんなの飲んで、大丈夫なのか?」

 勇也が疑わしげな顔をした。それが沙月の日ごろの行いの悪さを物語っている。さすが円に匹敵する迷惑者だ。

「まぁ、一応試してあるって言ってたし、大丈夫じゃないかな? とりあえず、飲んでみればわかるよ。というわけで、そろそろ飲んでみる」

「ここら辺、佐次は怖いもの知らずだよな」

「マドちゃんとしては、そこが佐次殿の良いところだと思っているのだよ」

「そうですね。佐次さんは、それだけ人を疑わないという事ですからね」

「飲みにくい。とっても飲みにくいよ」

 僕はそう言いながらも、ポケットから薬を取り出して飲んでみる。すると飲み終わった胃を中心に、何か熱のようなものが体中に広がっていくのを感じた。それはまるで、体中が活性化していくようだ。

 けれど、勇也たちは心配そうに僕の方を見てきた。

「なんか、佐次。お前、青くなっているぞ」

「青い? 顔が蒼白になっているって事?」

「ううん、佐次殿。そんな自然な青さじゃないのだよ。その色は、この青さはまるで、昔見たアニメの宇宙人みたいだよ。つまり、めっちゃ青い」

「……いや。昔、円がどんなアニメを見ていたかは知らんけど……。えぇ? マジで青いの?」

 そう言いながら、僕は自分の手を見ると、……確かに青くなっていた。そして、同時に思い出した。この薬を飲むと体が青くなるって、沙月が言っていたことを。その時は冗談だと言っていたけれど、冗談ではなかったという事だろう。

「……沙月! マジでぶっ飛ばす!」

 僕は思わず叫んでいた。


 神楽走破が始まろうとしている。そのコースは、御津多市で最も広い道路を封鎖して使われている。スタートラインの場所だけは狭くなっており、そこでは超常者だけでなく、力のない一般人の参加者も、思い思いに準備運動をしている。

 更にはコースの端にも、多くの観客が集まっていた。

 見物している人たちの中には、町の人だけでなく観光客も多い。この神楽走破では超常者は自らの力を使うので、常識では考えられないことが起こる。

 けれど観光客は、町で起こしているパレードのようなアトラクションだと思っているようだ。神楽走破に参加しようと、スタートラインで並んでいる巨人族のガウィンさんや、撮影係として跳び回っている妖精のシリカちゃんにしても、作り物だとでも思っているのだろう。

 正直、本当に作り物だとしたら、どこかの世界的な遊園地よりも技術力がありそうだ。普通、ただの町の一つがそれだけの技術力を持っているわけもない。それでも、観光客が疑っていないのは、『神の方舟』によって、何がしかの力が働いているのかもしれない。

 まぁ、そんなことはどうでもよく、僕にとって今最も大事なことは、今までにないほどの注目を浴びていることだ。注目と言っても、別に僕自身を見ているのではない。神楽走破の参加者の一人として、観客の視線が集まっているというだけだ。自分を見ていると思うだなんて、自意識過剰も良いところ。

 でも、多くの人の視線にさらされるなんて、主人公じゃないと自称する僕としては、ただでさえ緊張してしまう状況だ。

 しかし今は、それだけでもない。

 何せ、僕の肌は青くなっているのだ。

 悪目立ちも良いところ。

 普段の僕は青くないんだからねと、弁明して回りたいレベル。会う人皆に、なんだその色って笑われるし。

 ああ、沙月の事が恨めしくて仕方ない。

 青くなるのは冗談だって言っていたのに、冗談じゃないよ、全く。

 とはいえ、身体能力が飛躍的に上がっているようなので、全て嘘だったわけじゃないみたいだ。……でも、体中が青くなる副作用があるのなら、僕は使わなかったかもしれないのだから、ちゃんと話して欲しかったね。

 お詫びとしてもらった薬で、何で腹を立てなければならないのだろう。

 ……というか、元に戻るよね?

 不安でお腹が痛くなってきた。

 そんなことを考えていたら、スタート時間が近づいてくる。それに合わせて、実況の人が盛り上げている。

『さぁ。この御津多市最大のイベント、皆大好きな、神楽走破がそろそろ始まるぜ。前年、前前年と、優勝は絶対王者である円城ジェニーが独占してきた。だが、皆が皆、それをただ、指をくわえて許してきたわけじゃない。虎視眈々と優勝を狙う実力者たちが、去年の雪辱を果たそうとしているはずだ。しかし、円城ジェニーにしても、絶対王者という立場を譲る気はないはず! 今年の優勝者は誰だ!? 絶対王者ジェニーか!? この町の実力者たちか!? はたまた、俺らの知らないダークホースが控えているのか!? 自らの願いを賭けて、今、神楽走破が始まるぜ! さぁ、皆! 参加者も観客も、神様の為に、盛り上がって行こうぜ!』

 実況の声に合わせて皆が歓声を上げる。そして、参加者たちが幾分か真剣な表情になっていく。死者は出ないようにしているけれど、怪我人続出の神楽走破だ。

 まぁ、怪我をするような争いのほとんどが、超常者によるものだけれど、彼らの争いに巻き込まれて怪我をする一般人も多い。なので、参加者としては、軽いお遊び気分だけではいられないだろう。

 しかも、スタート開始直後は、他のライバルに仕掛けやすいタイミングで知られているので、誰もが警戒する。

 歓声が途切れると、スタートのカウントダウンが始まる。

 僕はそれを聞きながら、ゼロと告げられたと同時には走り出さずに、少し後ろに回って周囲の様子を探る。

 まず、最初に飛び出したのは巨人のガウィンさん。

 大きな体からは想像し難い素早い動きで、一息で後ろを突き離す。まぁ、一歩の歩幅が誰よりも大きいので、飛び出しやすいのだろう。そして、彼は予め魔法を練っていたようで、何か呪文めいたことを叫びながら地面に触れると、レースコースを塞ぐように、巨大な土の壁が地面から立ち上がった。

 その勢いに、すぐ後ろを追っていた人たちの何人かが吹き飛ばされ、コースアウトをする。ジェニーなんかは、地面が隆起した勢いを上手く使って、前方に特大のジャンプしていたけれど、他のコースアウトをした人たちは、これで失格だ。

 この神楽走破。殺さなければ、どんな妨害も自由だけれど、ルールは存在する。あからさまに空を飛ぶのはダメ。コースから外れてもダメ。瞬間移動も、イベントにならないから認めない。だから、コースから出てしまった彼らは、やっぱり失格となる。

 いきなりの波乱に、観客は盛り上がる。

「というか、きっちりコースを塞いだね、ガウィンさん」

 身体能力に自慢のある超常者たちは、ヒルクライミングのように、二十メートル近くの土の壁を物凄い勢いで登っていく。勇也なんかは、手を使わずに、壁を蹴って垂直に登って行っている。……忍者か、あいつ。

 僕も身体能力を上げてはいるのだけれど、こんな壁を登ったことはないので、正直、迷ってしまう。途中で力尽きて落ちたら洒落では済まない。

 というか、僕は軽くとも高所恐怖症なのだ。安全が確保されてないのに高いとか、本当に無理。

 でも、ここで手をこまねいていても、他の一般人同様、途中リタイアになってしまう。いくら主人公ではないと言っても、スタート初っ端でギブアップは、カッコ悪すぎる。あくまでも優勝を狙っているだけに。

「……仕方ない」

 僕は怖いのを我慢して、土の壁を登ろうとした時、由良が割り込むように前に立つ。

「……登らなくても大丈夫よ。開けるから」

「開ける? もしかして、この土の壁をどかしてくれるの?」

「……昔と同じで、高所恐怖症なんでしょう? それとも、前の幽体の時みたいに、大丈夫になった?」

「なってないよ。今、足がくがくだよ」

 前の幽体の時は、特別だ。あれは高い所にいるというよりも、高いところの映像を見ているといった感じだったので、恐怖はあまり感じなかった。さながら、テレビで見ているのと大差はない。けれど、実際に自分の体でとなると、やっぱり怖い。

「……そう。変わらないのね」

 由良は少し嬉しそうに言うと、土の壁に触れる。けれど、すぐには壊さずに、何かのタイミングを待っているようだ。

「……今ね」

 彼女はボソッと言いながら、手の平より衝撃を一点に集中した爆発を起こす。すると、見事に、ぽっかりと穴が開いていた。

「おぉ、すげぇ。ありがとう、由良」

 これで登らずに済む。僕はそう思って由良にお礼を言うけれど、彼女は忌々しげな顔をして、トンネルの向こう側を見て舌打ちをした。

「……ちっ、外したわ」

 何だか物騒なことを言っている。穴の向こうを良く見れば、勇也が驚いた表情で振り返っている。タイミングを計っていたのは、土の壁諸共、勇也を吹き飛ばす為だったのだろう。

「あっぶねぇ。今完全に、当てようとしただろ魔王。今日はジェニーに勝つため、干渉しあわないっていう協定じゃなかったのか!?」

「……別に狙っていないわ。偶々よ。言いがかりはやめてほしいわね」

 彼女は軽く肩を竦めると、勇也を無視してタッタカ走っていく。勇也はそんな彼女を睨んでいたけれど、わざとだという証拠もないのだろう。怒りを発散するようにため息を吐いて彼は走り出す。

 僕はそんな二人の後を追いかける。先程の二人のやりとりには、余計な口出しはしないでおいた。由良は間違いなく、勇也を狙っていたけれど、僕はそれを黙っておくことにしたのだ。言ってしまえば二人はまた、争い出してしまう。

 二人の友人としては、それは避けておきたい。争うのを見ているのはつらいし、今争われたら、巻き込まれる可能性が高すぎる。それで失格になったら意味がない。

 けれど、二人が協定を結んでいるのには驚いた。

 道理で勇也が自信満々だったわけだ。魔王の妨害さえなければ勝てる。そんなことを思っていたのだと思う。たぶん、この協定交渉をしたのは姫路さんなのかもしれない。

 勇也自身が由良と話すと、最初っから喧嘩口調になるので交渉にならないし。それに、由良と手を組むような真似――僕個人としては仲良くして欲しいところだけれど――したいとは思わないはずだ。

 それでもこうして協定を結んだという事は、勇也が絶対服従している人から頼まれたという事だ。つまり、姫路さんしかいない。

 姫路さんは、勇也を優勝させたいと考えている。彼女だって嫌っているはずの魔王と交渉してまでも。……そういえば、勇也は聖櫃に何を願う気でいるのだろう?

 きっと、勇也というよりも、姫路さんの願いなのかもしれない。もしくは、二人とも同じ願いを持っているとか。

 でも、そんな二人が何を願っているのか、わからなかった。二人は超常者として、かなりの力を持っている。だから、二人が力を合わせれば、たいていの事はできるはずだ。そんな二人が、聖櫃に願おうとしている。

 ……結婚とか?

 いや、そんなのは、もう数年経ってから、自分たちで勝手にやればいいだけの事だ。わざわざ聖櫃に願う必要はない。

 ならばなんだろうか? 今まで気にもしなかったけれど、姫路さんの本気度を知った性か、どうにも気になってきた。


 土の壁を抜けた後、勇也はさっさと先に行ってしまった。身体能力を強化していても、全力の勇也と同等の走りは、流石に無理なようだ。勇者としてのスペックの高さには、目を見張るものがある。けれど、そんな勇也と同等か、むしろそれ以上のスペック力を持つ由良は、何故か先には行かず、ちらちらと僕の方を窺ってくる。

 今日の彼女はいつもの学校指定の制服ではなく、体操服だ。長い髪を後ろでくくっていて、動きやすさを重視しているのだろう。

「そう言えば、由良が体操服着ているのって、久しぶりに見たな」

「……そうね」

 基本的に男女の体育は別れているし、彼女は良く授業をさぼるので、こうやって一緒に何かに参加するというのが、普通に嬉しかった。

「というか、いつもと違う髪型とか見ると、いつもと違う一面を見た気がしてドキッとするよね。そのポニーテール、似合っているよ」

「……佐次は簡単に、女に騙されそうね」

「かもね」

「……私は、いつもと違う青い佐次を見ても、ドキッとはしないわ」

「だろうね!」

 せっかく自分が青い事を忘れかけていたのに、思い出してしまった。

「……むしろ、何その病気。まさかうつるの? って意味でならドキッとしたわ」

「病原菌扱い!? っていうか、病気じゃないから、大丈夫だよ」

「……そう。ちょっと安心したわ。……でも、自分の体を青く塗るなんて、……変な趣味ね。……正気?」

 由良はそう言って、眉根を寄せ、本当に心配するような視線を向けてくる。ちなみに心配しているのは僕の頭だろう。

「趣味でもないからね! ……沙月だよ。彼女の薬を飲んだら、ご覧の有様さ」

「……ああ。……確か、前にも緑色になっていたわね。……次は何色になるの?」

「ならないからね! まるで、僕が好きこのんで色付きになっているみたいな言い方はやめて!」

「……ふふ。今度は色の深みが増して、紫色かしら?」

 由良はからかうような笑みを浮かべ、そんな事を言ってくる。

「だからならないって」

 僕は非難するようにそう言いながらも、由良の笑みにつられて笑ってしまう。彼女がこうして普通に笑っているのを見るのはいつ以来だろうか?

 幽体離脱をした時以来、由良はこうして普通に話してくれるようになった。まだ、昔に比べれば距離感はあるけれど、こうやって話し続ければ、昔のようにまた笑い合えるのかもしれない。

 そんなことを期待してしまう。

 少なくとも由良は、魔王となっても、友達想いであることに変わりはない。

 今こうして、一緒に走ってくれているのだって、僕の体が青くなっているのを心配してくれたからだろう。……うん。青い事は忘れたい。


 神楽走破には途中、チェックポイントがある。そこでは様々な障害物がある。ただ、足が速いだけでは勝てない所以だ。まぁ、その障害物はしょうもないものが多いのだけれど。

 最初のチェックポイントは綱渡りだった。幾本もある綱の下には、幅二十メートルの川が流れており、綱から落ちたら元の岸に戻って、挑戦し直さなければならない。僕は何度も落ちてしまった。もう、ずぶ濡れも良いところだ。由良が落ちていれば体操着のシャツが透けて、下着が見えるなんていうラッキーイベントがあったかもしれないのに、由良は落ちることなくあっさり渡っている。

 渡り終えた由良は、流石に僕を待っていてくれるようなことはなく、さっさと先にも行ってしまった。つまり、置いてけぼり状態。

 彼女としても優勝を狙っているのだ。いつまでも僕に構っていてはくれない。むしろ、先程まで一緒に居てくれただけで十分だと喜ぶべきことだろう。

 後はとりあえず、追い付けるよう頑張るだけだ。

「……というか、おかしいぞ」

「何ガネ?」

 スタッフとして働くジェーンさん――水鉄砲で綱を渡る人を落としている――が、僕の言葉に首を傾げる。

「いや。先にガウィンさんが通って行ったはずだよね? でも、流石にガウィンさんじゃ渡れないでしょ。綱の上」

 巨人のガウィンさんでは、綱に乗った瞬間、重みに耐えかねて切れてしまいそうだ。

「オウ! その通りダタヨ。タから、ガウィンはジャンプして、跳んテイタヨ」

「……跳んで行った? それじゃあ、綱渡りじゃないじゃん!」

「ソウネ。ガウィン。楽シタ」

「ズルいなぁ」

「フフン。テモ、次の競技は、ズルテキナイ」

 そう言って、ジェーンさんは不敵に笑った。


 次の障害物へ行くと、ガウィンさんの姿があった。彼はしゃがみこんで、何かをしている。たぶん、次の障害物の競技なのだろう。

 僕もそこに行くと、スタッフをしている陣内さんに、お箸と小豆の入ったお椀、そして紙皿を渡される。

「えっと、……これは?」

「お椀の中の小豆を二十個、箸でつまんで紙皿に移すという競技ござる。拙者が考案した」

「うっわ、地味!」

「確かに。……されど、箸の扱いは、この国の大事な文化でござる。それを使いこなしてこそ、神楽走破の優勝者にふさわしいと、拙者は考えるでござるよ」

「……そうですね」

 物凄い真面目に返されてしまった。とりあえず僕も、この作業に取り掛かる。箸は滑り易い物が使われているのか、さっきから掴もうとするたびに滑って、苛々してくる。でも、箸の扱いは別に下手でもないので、少し苦戦しながらも普通にクリアした。

 けれど、僕が終わった後も、ガウィンさんが終わりそうな気配はなかった。

 まぁ、そうだろう。人間の僕から見ても小さいのだ。それが巨人族の目から見たら、更に小さい事だろう。箸も豆も。

 さながら、爪楊枝でビービ―弾より小さな物を挟むような感じかもしれない。……うん。クリアできる気がしない。確かにジェーンさんの言う通り、今回は巨体を活かしたズルはできないだろう。むしろ、それが邪魔をしている始末だ。

 僕はガウィンさんに同情しつつ、先へと進む。


 次のチェックポイントは巨大な迷路だった。ガウィンさんでも余裕で入れそうなほど巨大で、見えるのは通路と壁。正直、どう進んでいいのか全くわからない。これは完全に運と記憶と、空間認識力の勝負。

「で、勇也は迷っているわけか」

「……まぁな」

 偶然出会った勇也は、バツが悪そうな顔をして答えた。彼は右手を壁に当てながら進んでいる。迷路とは通常、どちらかの壁に沿って歩き続ければゴールまで辿り着けるものだ。けれど、やはりその分、時間はかかる。

 それでも勇也が、その時間のかかる方法を使っているという事は、自力での迷路脱出を諦めたという何よりもの証拠だった。とりあえず僕としては、ここで勇也に出会えたのは丁度いい。さっきの疑問をぶつけてみよう。僕はそう思って、勇也に付いて行きながら尋ねてみることにした。

「勇也。一つ聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと? 何だ?」

「うん。まぁ、たいしたことじゃないよ。……ただ、なんか、勇也たちは本当に、優勝したいんだな、っと思ってさ。つまり、聖櫃にどうしてもお願いしたいことがあるんだよね? だから、勇也はどんな願いを叶えたいんだろうって、ちょっと気になったのさ。……僕から見れば、勇也は何でも持っている気がするし、そんな勇也が望むものって何だろうってね。……つぅか、まだ欲しがるのかこの野郎、的な気分」

「別に、何でもは持ってないだろ?」

「そんなことないよ。強いし、カッコいい。更には、綺麗な彼女もいる。もう、十分にリア充じゃんか。……まぁ、あえてないとすれば、頭の良さ?」

「……その言い方だと、俺が馬鹿みたいじゃないか?」

「でも、良くはないよね?」

 僕が首を傾げながら尋ねると、勇也は目線を逸らした。

「……まぁ、……確かに、な。……って言っても、普通だからな、普通。この前の期末、英語と古文は俺の方が勝ってたんだからな。お前だって、良くはないだろ」

「……ふっ。僕は自分を、ミスター普通だと自覚しているから、頭良くないと言われた所で、傷付きもしないさ」

「開き直りやがったな」

「ふふん。開き直りは、僕の得意技さ。それで話は戻すけれど、勇也は何をお願いしようとしているんだ? このままじゃきっと、気になって昼も眠れない」

「いや。昼は寝るなよ」

「ええ!? でもヒナちゃんは、完全爆睡しているよ」

「……いや。あの人を見本にしちゃダメだろ。人として」

「はは、確かに。竜の化身だか知らないけれど、あれはダメ人間だ」

「はは、だろ?」

 ヒナちゃんは担任の先生ではあるけれど、むしろ、反面教師にすべき人だ。なんせ、一日中寝ているような人なのだから。一緒になって笑っていた勇也だけれど、彼は少し真面目な面持ちになる。

「……まぁ、俺たちの願いは、あえて誰かに話すようなものでもないし、隠しているわけでもない。だから、今まで話してこなかっただけで、別に知りたいって言うのなら、教えても構わないものさ。……そう。俺たちはただ、知りたいのさ」

「知りたい? 何? 物知り学者にでもなりたかった、とか? やっぱり欲しいのは頭の良さ?」

「あはは、違う違う。そういう知的好奇心とか、そっち系じゃないな。俺が知りたいのは、前世の世界の事さ」

「前世の世界? つまり、勇者として活躍していた世界のこと?」

「ああ。俺も姫も、ここじゃない違う世界から来たわけだ。だから今、俺たちの居た世界はどうなっているのか。俺たちはそれを知りたいのさ」

「……ふぅん。それって、元の世界に戻りたいとか、そういう話?」

 異世界の記憶を持つ人が、自分の居るべき場所はここじゃないと思う事は、良くあることだ。

 勇也や姫路さんがそう思っているのだろうか?

 もしそうなら、少し寂しく思う。

 僕にとってはこの世界が全てだ。他の世界なんて知りもしない。だから、友人だと思っている人たちに、異世界の方が良かったと言われると、やっぱりちょっと悲しい。

 勇也は僕の問いに考える素振りをして、首を横に振る。

「いや。……そういうんじゃないな。正直、今更あの世界に戻ったところで、たぶん知り合いなんてもうほとんど居ないと思う。でもこの世界には、姫も居るし佐次みたいな友達も居るからな。元の世界に戻りたいってのはないな」

 勇也はそう言って、照れ臭そうに笑った。

 何て良い奴なのだろうか勇也は。思わずときめきそうになってしまったよ。こうやって、人への好意をちゃんと口にするのが、モテる秘訣なのかもしれない。……でも、僕も結構、ストレートに言っているつもりなんだけれどな。

「……好きだ、勇也」

「なんだよ、気持ち悪い」

 勇也は本気で引いた顔をしている。

 うん。まぁ、当然か。むしろ、僕としてもホッとした。

 やっぱり、好意をただ伝えるんじゃなく、時と場合が必要なんだろう。

「大丈夫大丈夫。この好きは、あくまで、親友としての好きだから。僕もそっちの趣味はないよ。それより、元の世界に戻りたいんじゃないのなら、何が知りたいの?」

「ん? ああ。……俺と姫は、魔王軍との戦いで最終的に、魔王である由良と相打ちのようになったんだ。だから、魔王がいなくなった後、俺たちの国がどうなったのか。それを知りたいのさ。……俺たちが命を懸けて魔王と戦ったのは、間違っていなかったのかが」

 勇也は元いた世界を救うために、それこそ、命懸けで戦ってきたのだろう。なのに、その戦ってきた結果がわからずにいるのだ。それは確かに、もやもやする。知りたいと思うのは当然だ。

 でも、勇也は不思議な事を言った。間違っていなかったとは、何だろう?

「魔王と戦ったのは、間違いだと思うの?」

「……最近迷っているのさ」

 勇也はそう呟いて、自信なさげに遠くを見た。彼の芯の部分が揺れているようで、とても危うげに見える。彼のこんな様子、僕は初めて見たかもしれない。

「……迷うって?」

「……幼馴染だっていう佐次には悪いけれど、魔王の性で死んでいった人たちを思うと、俺は魔王の事を絶対に許せない。……最後の戦いの時、姫もあいつの手によって殺されたからな。……でも、今の魔王は少し性格が悪いだけで、そんなに悪い奴には見えないんだ。……俺の知っている魔王は、もっとこう、悪逆非道な奴だった。……でも、今の魔王を見ていると苛々するんだ。俺が命懸けで戦っていたのは、間違いだったんじゃないかって思えてくる。他の方法があったんじゃないかって。……だから俺は知りたいんだ。魔王が居なくなった後の世界を見て、自分が本当に正しかったのかを」

 確かに今の由良は、勇也から聞くような冷酷な魔王じゃない。つまりそれは、彼女が前世で冷酷に振る舞っていたのにも、理由があるのではないかと思わせるものだったのだろう。勇也たちには自分が間違っていないという思いがある。けれど、実際のところどうだったのかは、後の世界を見てみなければわからない。

「……そっか。……僕は応援するよ。勇也の願いが叶う事を」

「……佐次。……ははっ。つぅか、悪い。余計なことまで話し過ぎたな」

「ううん。別に良いよ。たぶん、今のはきっと、姫路さんには話し難いでしょ? 僕には聞いてあげることしかできないけれど、まぁ、世の中には、話すことで楽になるって言葉があるくらいだ。いくらでも聞いてあげるよ」

「……ははっ。ありがとうな、佐次」

 勇也はお礼を言ってくるけれど、むしろ、僕も結構嬉しかった。僕には勇也のような壮絶で波乱万丈な人生経験はない。他の人と違う事があるとすれば、変わった友人が多いことくらいだろう。

 そんな僕が、勇也の重過ぎる悩みを解決してあげることなんてできるわけがない。勇也だって、僕が解決できないことをわかっているはずだ。

 それでも彼は、こうして話してくれた。誰にも言う事の出来なかった悩みや迷いを、打ち明けてくれた。

 つまり、それだけの友達だと思ってくれているのだ。

 それが、僕にはとても嬉しかった。


 勇也と一緒に迷路を脱出すると、彼は全力で走って行ってしまった。

 とりあえず、あんな話を聞いてしまったら、勇也に優勝して欲しいとも思う。それで、勇也の迷いが晴れれば良い。

 ……でも、悩ましいところだ。

 もし、勇也が正しかったのなら、それは由良の行いが悪となる。それも、相当な悪だ。そうだとしたら、自分が悲しく思うのは目に見えている。むしろ前世の由良は、実は悪い奴じゃなかったという方が、僕はきっと嬉しいと思うはずだし。

 勇也と由良。どこかに二人が丸く治まる方法はないだろうか?

 でも、そんな方法はないのだろう。前世の由良は前世の姫路さんをその手にかけて、殺してしまったという。つまり、最愛の人が殺されているのだ。それを勇也が許せるかと聞かれれば、絶対に無理だろうと思う。

 やっぱり、あの二人を仲良くさせることはできないのかもしれない。

「はぁ」

 二人の関係については、もう、ため息しか出ない。

 結局のところ、僕がどんなに悩んだところで、なるようにしかならないのだろう。

 僕はとりあえず、真面目に神楽走破のコースを走っていく。というか、勇也を応援している場合じゃない。僕だって優勝を狙っているんだ。

 周りでは妨害などの小競り合いが行われている。迷路の中でも、超常者同士の戦いは行われていたし。けれど幸い、僕は巻き込まれずに済んでいる。

 皆は僕が超常者じゃないことを知っているので、警戒していないのだろう。いつでも、どうにでもなる。そんな風に考えているのかもしれない。少なくとも、僕自身もそう思っているわけだし。……もしくは、明らかに青い肌の僕と、関わりたくないと思っているとか。

 次のチェックポイントはクイズだった。

 チェックポイントでは、勇也が苦しんでいた。三つ正解すると通れるらしい。けれど、勇也は苦手なのだろう。クイズが。

 正直、そのどれもが、テレビで見たことがあるような問題だったので、僕は簡単に正解できた。きっと、これを考えた人はテレビ好きなんだろう。

 僕もテレビは大好きです。

 とりあえず僕は、勇也を追い越し、次のチェックポイントへと向かう。確か、次のチェックポイントが最後のはずだ。そう思って、チェックポイントのテントに近づくと、何故かジェニーと円が居た。

「あれ? 円も参加していたっけ?」

「ニュフフ。参加はしていないのだよ。ただ、今度のチェックポイントはジェニーにはできないので、特別に代理をさせてもらっているのだよ。つまり、野球で言うピンチヒッターなのだよ」

「なんで野球に例えたの? 好きだったっけ?」

「いや、全然。ルールも知らない。ここでジェニーを待っていたら、運営のおじさんに野球の話をうんざりするほどされただけなのだよ。……そして、むしろ、嫌いになったのだよ。野球が」

 そう言った円の目は死んでいた。何だか気の毒になるくらいに。興味のない話を延々とされるのは確かに苦痛だろう。

「……それはなんていうか、御愁傷様としか。……というかそもそも、代理ってありなんだっけ?」

 僕が首を傾げると、円はやれやれと言うように肩を竦めて首を横に振る。

「最近の若い子は、そういうのを知らないのかね? 良いかい? 野球……じゃなかった、神楽走破とは民が楽しめる競技なのさ。だから、どうしても打てそうにない……じゃなくて、どうしてもそのチェックポイントの課題ができない時は、代打も認められているのさ。わかったかい?」

「うわぁ。何かイラッとする。っていうか、凄く上から目線じゃない?」

「ニュフフ。運営のおじさんの口調を真似てみたのだよ。……何故私が、野球を知らないだけで、こんな目に遭わねばならないのだよ」

「……なんか本当に、御愁傷さまとしか。……というか、もう、野球は良いから、ここのチェックポイントは何なの? ジェニーができないって、凄い難しそう」

「ニュフフ。難しい。確かに難しい。しかし、単純なゲームだよ。かき氷を三杯食べればいいだけなのだからね」

「……かき氷の大食いなんだ」

「急いで食べ過ぎると、頭がキーンとするのだよ。それに、マドちゃんは一杯食べただけで、もう、辛い。……ニュフフ。縁日で、食べ過ぎたのだよ。つまり、頭だけでなく、お腹もきついのだよ」

「いや。あらかじめ出ることを知っていたんなら、制限しときなよ、そこは」

「佐次殿が美味しそうに屋台の食べ物を食べるのがいけないのだよ。マドちゃんは我慢できなかった。だからこれは、佐次殿の責任」

「それは完全に責任転嫁じゃね!? ていうか、円の方が先に食べてたよね?」

「くぅ。気付かれた」

「……ったく。油断も隙もない。……というか、ジェニーは物とか食べられないんだっけ?」

 僕は円に呆れて視線を転じ、ジェニーに尋ねる。その見た目は完全に人と変わらない。正直、食べ物だって普通に食べられそうな気もする。

「はい。食べられ、ません。所詮、機械、ですので」

「ああ、そっか。中は精密機械っぽいもんね」

「はい。最新機種、です」

「……旧機種ってのもあるの?」

「ありま、せん。改良は、されて、いますが」

「そう。なら、食べられるように改良されると良いね」

「いえ、私は、食べることを、望みま、せん。機械としての、アイデンティティーを、なくしてしまい、そうですし」

 そう言えば、ジェニーはロボットであることに誇りを持っているのだ。人間っぽい行動ができても、喜ばないのかもしれない。

 とりあえず、かき氷に苦しむ円を尻目に、僕はかき氷を完食して、チェックポイントを発つ。冷たいのは苦労させられたけれど、ずっと走っていたので、喉は乾いていたのだろう。三杯食べても、そんなに苦しくはなかった。

 しかし、ジェニーがあそこにいたという事は、僕は結構、上位に居るのかもしれない。このままならば、本当に優勝できるかもしれない。できなかったとしても豪華景品。僕としては、テレビとかパソコンが欲しいところ。洗濯機とか掃除機が当たっても、得するのは母さんで、僕じゃないし。

「今、何位だろう? できればそこら辺を知っておきたいな」

 そんなことを思って周囲を見ていると、後ろからジェニーがすごい勢いでやってくる。

「追いつき、ました」

「やっぱり速いね。円も頑張ったんだ」

「はい。勇也さんや、由良さんも、追いついて、来たので、『自分の性で負けさせるわけにはいかない』と、頑張って、くれました」

 物凄く上手い声真似が途中で挟まっていた。録音したのを再生したのかもしれない。そんな機能もあるのか、ジェニーには。

「ていうか、由良は後ろに居たんだ」

 追い越した記憶はない。それでも後ろにいたという事は、迷路で迷っていたのかもしれない。

「では、私は、先に、行かせて、貰います」

「ああ、うん」

 僕が頷くのを見て、ジェニーは僕を突き離そうとする。しかし次の瞬間、彼女に向かって、闇色に輝く網が覆いかぶさる。予想しなかった出来事に、ジェニーはバランスを崩して転んでしまう。

「……やっと、追いついたわ」

 声の方を見れば由良が追いついてきていた。どうやら、あの闇の網は、彼女が放ったもののようだ。

「アンチ、マジック、ブレード、起動」

 ジェニーがそう言うと、彼女の爪が伸びて、闇色の網を切り裂いた。

「……流石に、その程度じゃ拘束はできないようね」

「由良さん。私の、妨害を、するの、ですか?」

「……ええ。貴方は邪魔だわ。機械の癖に」

 由良はすぐさま衝撃波を放つ。ジェニーを吹き飛ばし、コースアウトさせる考えなのだろう。けれど、ジェニーは爪の刃でその衝撃派すらも切り裂いた。円の創造の能力だけでなく、ジェニーにしても中々にして万能だ。

「……全く。壊さない程度に手加減しなければいけないのが厄介」

 由良はそう言って、黒雲の呪いを放つ。けれどその効果を、ジェニーはエターニアで見ていたのだろう。今度は受けることなく避けた。そして、今度は一気に距離を詰め、由良へと接近戦を仕掛ける。

 遠距離での戦いは、不利だと判断したのだろう。

 しかし由良は、黒い禍々しい剣をいずこからか召喚し、詰め寄って来たジェニーを弾き飛ばす。そして彼女は闇色の閃光を、二人を尻目に追い越して行こうとする勇也に向かって放った。

 流石魔王だ。遠距離だろうと近距離だろうと、彼女の強さは揺るがない。というか、いつの間に来たんだ勇也は。

 彼は闇色の閃光をギリギリで避けていたようだけれど、地面にぶつかった爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされていた。

 勇也はむっくりと起き上がって、由良に文句を言う。

「おい。協定を結んでいるはずだろうが」

「……こんな最終局面で、そんな協定が生きているとでも?」

 小馬鹿にしたような態度を取りながらも、油断なく、二人の動きを警戒する由良。

 彼女は理解しているのだ。ここで取り逃がせば、もう、追いつけないかもしれないと。そして、勇也もジェニーも同様に思っているようだ。二人も臨戦態勢に入っている。

 これからここで、大きな妨害戦が行われるのだろう。

 とりあえず、僕としては逃げ出して、先を急ぎたいところだけれど、脱出不可能な領域結界を張られて、それも難しそうだ。

 その後の三人の戦いは熾烈を極めた。何の力のない凡庸な僕には、戦いの全てがわかったわけじゃない。けれど、ジェニーと勇也が協力して、由良に仕掛けて行っているのはわかる。きっとお互いに、一人では由良に勝てないことを理解しているのだ。

 それでも由良は、二人と正面から相対していた。

 殺してはいけないという枷がある為、殺傷力の高い攻撃の多い由良は、やり難そうにしながらも、見事に二人の攻撃を凌いでいる。更には強力な反撃だってしている。

 三人は、相手を無力化させるという戦いにおいて、全力で取り組んでいた。

 僕はそんな戦いを見て、良いなと思ってしまう。

 ここに殺意はない。ただ、自分の力を最大限に発揮して、相手と競い合っているだけだ。

 それこそ三人は必死なのかもしれないけれど、楽しんでいるようにも思う。全力で何かに取り組むことは、本当なら楽しい事なのだから。

 凄い戦いを見れば、胸が熱くなり、自分もやってみたいと思う。そんな気持ちを、三人の戦いに抱く。

 眠れる獅子も、こう言う事をやればいいのにと思う。相手を殺すとか、そう言うことを考えるのではなく、単純に力を競い合う。そうすれば、仲良くだってなれるかもしれない。

 そう思うのだ。

 ……ただ、それに参加できない自分自身が、取り残されているような気がして、寂しくて、悲しかった。


 三人の戦いに決着が付いた。均衡が破れたのはジェニーからだった。限界を超えた戦いに、彼女は強制的に冷却状態へと入り、動きを止めてリタイアした。これ以上戦えば、確実に壊れてしまうらしい。そして、勇也と由良の一対一となる。その時点で二人は傷付き、大きく疲弊していた。けれど、地力はやはり、由良の方が勝っていた。

 彼女が力を振り絞るように紡いだ魔法によって、黒い、巨大な狼を召喚する。

「行け、フェンリル」

 フェンリルと呼ばれた狼は、勇也に向かって飛んでいく。その突進を二度、三度と避けるが、すぐさま方向転換をして襲い掛かってくるフェンリル。勇也は足を踏ん張り、光の剣で狼の突進を受ける。だが受けた瞬間に、フェンリルは黒い氷となって、勇也を氷漬けにする。

「勇也!?」

 僕は思わず、勇也の下へと駆けだす。そんな僕に、由良は声を掛ける。

「……安心して。封印をしただけだから、死んではいないわ。この神楽走破が終われば、その封印は解くしね」

 由良は疲れ切った様子で僕の方を見ている。

 その眼はとても冷たい。

 魔王になる前は暖かな笑顔を浮かべる子だったけれど、今ではもう、この冷たげな表情にも見慣れてしまった。

「……佐次は、何を願うつもりなの?」

「知ってどうするの?」

「……気になっただけ。……ただ願いを叶えるのは、私」

「……願い、か。そういえば僕は、由良がどんな願いを持っているのか知らないんだよね。由良は聖櫃に会って、何を願おうとしているんだい?」

「……言う必要はないわ」

「じゃあ、僕も教えられないかな」

 僕は冗談めかして言うと、由良は押し黙る。どうしようか決めてかねているのだろう。

「……佐次の願いはだいたい、予想は付くわ」

「それだと何だか、僕が底の浅い人間みたいじゃないか」

「……そうね。そうかもね。佐次の考えることは、基本的に同じ。誰かの為」

「自分の為だよ」

「それでもどうせ、その力は人の為に振るわれる。あなたはきっと、力を求めている。誰かを助けられる力。争いを止められる力。あなたが欲しいのは、そういう力」

 図星だった。

「でも、それを手に入れてしまったら、あなたは今の佐次じゃなくなってしまう」

「僕が、僕じゃなくなる?」

「……そう。佐次は今、力のない人間だからこそ、得られている信頼がある。力を得れば、それを無くしてしまう。……ただの超常者に成り下がる」

 成り下がる。その表現に、自嘲的なものを感じた。けれど、力を得れば、僕の立場は変わってしまうのかもしれない。ただの人間だからこそ、皆に好かれていた部分も確かに存在する。力を得るという事は、そのアイデンティティーを失ってしまう事になる。

 思ってみれば、力を得た僕がマルコと仲良くなれたとしても、それは超常者同士でしかない彼らの憎む人間としてではなくなってしまう。

 僕の願う人間と超常者の共存という目的から外れてしまっている。

 僕の叶えようとしていた願いは間違っていたのかもしれない。

 ……あれ? じゃあ、何を願えばいいんだろう?

 正直、思い浮かばない。というか、超常の力に頼ること自体、間違っているような気がした。

 神楽走破を頑張る理由がなくなっちゃったじゃん。

 ……どうしよう。

「……なら、由良は何を願うの? それが悪い事じゃないのなら、僕は協力するよ」

 僕の言葉に、彼女は少し、苛立ったようにため息を吐いた。そして諦めたように語る。自らの願いを。

「……私の願いは、魔王である私を消す事」

「……魔王を消す?」

「……私は、魔王である自分が嫌い。魔王として覚醒した時、私は魔王の記憶に振り回され、多くを傷つけ、多くを失った。……あの時のあなたの怯えた顔を見て、私はそれを思い知らされた。だから私は、多くのものを失う原因となった魔王である自分を殺す。……そこに、佐次に協力して欲しい事なんてない」

 由良の言葉が、僕の心の傷を抉る。一瞬にして、体が冷え切ってしまったように感じた。

 彼女が魔王へと覚醒した日、彼女はその力を暴走させた。

 幸い、死者は出なかった。

 けれど、多くの人が傷付き、町は火の海と化した。

 僕はそれを行った由良を見て、そして怯えたのだ。

 外の人が超常者に怯えるように、僕は彼女を恐怖し、そして拒絶したのだ。

 その時の彼女の表情は、とても傷付いていたのを覚えている。今も目を閉じれば、彼女の傷付いた顔が浮かぶ。

 あれは何も、由良自身が悪かったわけじゃない。転生者が記憶を取り戻した時、そのことに混乱し、力を暴走させるなんてことは、よくあることなのだ。

 なのに僕は恐怖し、彼女を傷付けた。

 その事に気付いた僕は、彼女に謝りたかった。でも、謝ったからといって、彼女を傷つけたことが、無かったことになるわけじゃない。

 だから僕はそれ以降、どんな能力者の力も、恐怖しないと心に決めた。そうすることで、由良への償いになると信じて。

 でも、そんなのは自己満足だ。

 あれからずっと、傷付いたままの由良が、僕の目の前にいる。

「……殺すって、どうやって?」

 僕は蒼白になりながら尋ねていた。彼女はきっと、殺す方法を考えついている。だから僕は、それを止めなければならない。

「……私は聖櫃に願う。聖櫃ならば、人の記憶を消すことができる。だから私は、魔王としての記憶を消してもらう。そして皆の、魔王だった私の記憶も消してもらう。……そうすれば、私はただの王月由良として、佐次の仲の良かった幼馴染に戻れる」

 彼女は、今の自分を消そうとしていた。そして、魔王になる前の自分に戻ろうとしている。

 ……でもそんなのは、あまりにもあんまりだ。今の由良が可哀想で仕方がない。

「そんなの、……ダメだよ。そんなことしたら、今の由良が消えるってことなんだよ?」

「……そうね。……でも、良いの。昔の自分に戻れるのなら。佐次と仲良かったあの頃に戻れるのなら」

 呟く彼女は、今にも消えてしまいそうで怖かった。

 そう、怖い。

 由良は今の自分を消してしまいたいほど嫌いだと言うが、僕は今の由良だって、失いたくないのだ。例え魔王になった由良でも、僕にとって大切な幼馴染であることに変わりない。

「そんなの良くない! あの頃に戻らなくても、これから、あの頃のように仲良くなっていけば良いんだよ!」

「……佐次は、そう言うと思った。……佐次は優しいから。……でも、私は魔王である自分が嫌い。……佐次も、今の私よりも、昔の私の方が好きでしょ?」

 僕は思わず、彼女の細い肩を掴む。

 ここに居て欲しい。

 その思いが少しでも伝わって欲しいと思って。

「……そんなことない。僕にとって、昔も今も、由良は由良だよ。……それに、違うんだ。僕は優しいんじゃないよ。……むしろ、僕は卑怯なんだ。僕はあの時、由良の力に怯えて、由良を傷つけた。僕はそのことをずっと後悔していて、謝りたかったんだ。そして僕は、二度と由良みたいな力を怖がらないって決めたんだ。また同じようなことがあった時、由良を傷つけない為に。……でも、あの時の経験があって、僕はそう思えたから、僕は今、多くの超常者と友達になれたんだ。僕が今みたいになれたのは、今の由良のおかげなんだよ。今の由良が、僕を、……幸せにしてくれたんだ。由良を傷つけたことを、悪いと思っている。でも、僕は魔王の由良と出会ったことにも、感謝しているんだ。……だから、居なくなんてならないで欲しい。例え魔王であろうと、僕にとって由良は誰よりも大切だから。……だから僕は今の由良に、幸せになって欲しい。」

 僕はそう言いながら、いつの間にか泣いていた。

 自分で言っていて、なんて自分よがりの言葉なんだろうとも思う。……でも、本心から出てきた言葉だ。

 今の、魔王の由良がいるから、今の僕がいる。魔王の由良と出会ったことで、僕は成長できたのだ。

 いなくなんてならないで欲しい。

 魔王であろうと、由良は大切な存在であることに代わりはないのだ。

 それが、彼女に伝われば良いと思う。

 僕は主人公ではないから、彼女を上手く説得することなんてできないのかもしれない。

 でも、今だけは主人公になりたい。

 彼女を救う、彼女にとっての主人公に。

 だから僕は、彼女の願いを叶えない為に、この神楽走破に優勝する。


 僕は由良に戦いを挑んだ。

 もちろん、健全な男の子として、女性を殴れるわけもないので、ゴールまでの文字通り競争だ。

 僕の運動神経は、薬で強化されているとはいえ、由良に劣る。けれど既に彼女は、勇也とジェニーの戦いで疲れ切ってもいただろうし、それ以上、魔法を使う余裕はなさそうだった。領域結界も自然に解かれていた。

 僕は必死で走る。由良が追ってくるけれども、僕の方が辛うじて速い。

 ゴールが見えてきた。

 けれど、全身に激痛を感じた。走る速度が落ちて来た。見れば、体の青色が薄まって来ている気がする。薬の効果が切れてきているのだ。

 痛い、苦しい。体が動かなくなってきている。

 でも、諦めるわけにはいかない。

 今の由良に消えてなんて欲しくないから。

 彼女が魔王になって暴れた時、僕は止めることができなかった。

 だから今度こそ、僕が止めるんだ。

 絶対に。


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