眠れる獅子
眠れる獅子という組織がある。
人に迫害された超常者の集まりで、所属するのは超常者のみ。人を嫌っていて、しばしば、御津多市にも敵対行動を行う。所属する者には、獣人などの亜人種が多い。見た目が人と違うので、だからこそ迫害されやすかったのだろう。
目が覚めると赤絨毯の上に寝かされていた。見ればこの部屋は相当に広い。まるで、ゲームなどの王城にある、謁見の間のような広間だ。
そう思えたのは、部屋の内装以上に、奥に据えられた立派な椅子に、一人の男が足を組んで座っていたからかもしれない
その男は獅子の顔をしていた。その瞳には、野性と知性を兼ね備えたような輝きがある。体は人型ではあるが、丈夫そうな衣服の上からでも、筋骨隆々な体をしていることがわかる。
正直、貫録や威厳が半端ない。王様だと言われても、僕は簡単に信じられる自信があるレベルだ。
「どうやら、目が覚めたようだな」
男は低く澄んだ声そう呼びかけてきた。
「えっと、ここは?」
僕は周囲を見回して言った。
「我が城、異次元城エターニアだ。そして、我はこの城の主であり、眠れる獅子の頭首デウスだ。ようこそ、ただの人間よ」
ただの人間。その言葉だけで、彼が僕の事を蔑んでいるのがわかった。
でも、僕は特に腹を立てることもない。彼に比べれば、僕が大きく劣ることは見ただけでわかる。そんな人に見下されたって、当然だとしか思えないからだ。
「……眠れる獅子の城エターニアか。……まぁ、名前を聞いたところでどこだかわからないよね。……えっと、あなたとは初めましてでいいんですよね? 僕は佐次。菅原佐次。仲良い奴は佐次って呼ぶから、デウスさんもそう呼んでくれて構わないですよ」
「くははははは。おかしなことを言う奴だ。お前はどうしてここに連れて来られたか、理解しておらんのか?」
「え? 僕と友達になりたくて?」
そう言った瞬間、僕の足元が稲妻に撃ち抜かれた。
「……ふむ。馬鹿にしているのか? 我とただの人間に過ぎないお前が、対等だとでも思ったのか?」
「馬鹿にはしていませんよ。ただの、そうだったら良いなって言う願望ですね」
僕は背中で冷や汗ダラダラ流しながらも、あくまで軽い調子で答える。
もちろん、僕は眠れる獅子がどのような組織かを知っている。なので、デウスさんからすれば、ただの人間であり御津多市の人間でもある僕なんて、嫌悪の対象だろう。
それでも、御津多市で多くの超常者と知り合ううち、これだけは絶対しないと決めたことがある。それは、超常者の放つ力を怖がらないという事だ。
怒った人を怖がるのは良い。それは当然だ。でも、怖がるのは超常の力であってはならない。
怖がるという事は、そこには必ず嫌悪と拒絶がどうしても含まれることになる。
超常者たちはそんな感情を今まで向けられてきたのだ。それは想像するに、とても悲しい事だ。だからせめて、彼らを友人だと思っている僕だけは、そんな感情をぶつけたくないと思っている。
僕は稲妻で脅されても、笑って見せる。……まぁ、内心ではめっちゃ怖いんだけれどね。
「ふん。強がっているようだが、足が恐怖に震えているぞ」
言われた通り、僕の足はガタガタ震えていて、全身で恐怖を表していた。
「うぅっ。……た、確かに僕は怖がっていますね。……でも、勘違いしないでもらいましょうか。僕はあなたの稲妻が怖いわけじゃないんです」
「……なんだと?」
デウスさんは眉を不機嫌そうに寄せ、指を鳴らしただけで更に稲妻を放ってきた。それは僕の周囲をいたぶるように焦がしていく。正直めっちゃ怖い。思わず、恐怖から頭を押さえて蹲ってしまうほどに。
「ふん。これでも我が稲妻を恐ろしくないと言うか?」
デウスさんの馬鹿に仕切った声が聞こえたけれど、僕は震える足で何とか立ち上がり、言ってやる。
「え、ええ。僕は別に、デウスさんの稲妻なんて怖くはありません」
「……ほぅ。……ならば、今度はその体で試してみるか?」
デウスさんの言葉に、僕の顔から血の気が引くのがわかった。きっと、真っ青になっているかもしれない。
「嫌ですよ、そんなの。当たったら死んじゃうじゃないですか。僕は普通の人間なんですからね」
「だが、怖くないのだろう?」
「ええ、稲妻は怖くない。けれど、勘違いしないでくださいと言ったはずです」
「勘違い?」
「僕は怖がっています」
「……何が言いたい?」
デウスさんは意味が分からないというように首を傾げる。
「僕は怖がっています。でも、怖がっているのはあくまで、あなたが稲妻を操るからではありません。人を殺すような代物を、人の近くに放ってきていることに怖がっているんだ」
「……それは、我の稲妻を怖いのだろう?」
「違います。……そうですね。……例えば、あなたが何の力も持たない人だったとしても、さっきの稲妻のようにナイフでも投げてくれば、僕は同じように恐怖します。稲妻であろうとナイフであろうと、僕は当たれば死にますからね。だから、僕はあなたの稲妻に恐怖しているのではなく、あなたのやっていることに怖がっているんです」
「……屁理屈だな。お前の話に合せるのなら、お前にとってナイフは恐ろしいのだ。だから、同じように我の稲妻も恐ろしいのだろう?」
「だから、それは正確じゃないんです。例え、ナイフを持っているだけの人が居たとしても、僕は恐れたりなんかしません。だから、稲妻を操れる人が居たところで、僕は恐れたりなんかしない。……じゃあ、何が怖いのかと問われれば、やっぱり凶器となり得る力を、人に向けてきたこと、つまり、それを行っている人が怖いんです」
「……つまり、我の稲妻ではなく、その稲妻をお前に向かって放つ我の心が怖いという事か」
「その通りですね」
「……お前にとって、我の稲妻はあってもなくてもどうでも良いものという事か。ちっぽけなナイフと同じように」
「……凶器という意味でなら同じです」
「くはは、なるほどな。自らの力を恐れることなく接してくれるというのなら、御津多市に居る腑抜けた者たちが、お前のことを気に入るのもわかる。だが一つだけ言っておくが、我は御津多市の者たちとは違う。我は奴らのように自らの力を卑下などしておらん。むしろ、誇りを持っている。そんな我の稲妻を、ナイフなどと同じと言われれば、決して許せるものではないな」
デウスさんがそう言った瞬間、僕の体に稲妻が当たる。強い衝撃と焼けるような痛みに、僕はあっさりと気を失ってしまった。
そして、今度目を覚ましたところは、ごつごつの石畳の上だった。痛む体を何とか引き起こすと、そこは牢屋なんだとわかった。周囲は石の壁で囲まれ、壁の一面は鉄格子となっている。中には簡素なベッドとトイレ、それに水汲みだけがある。
「うぅ。ベッドがあるのなら、そこで寝かせてくれても良いじゃんか。痛い痛い」
体中がピリピリする。死なない程度には手加減してくれたのだろうけれど、何度も受けたいような稲妻ではないね。
「ふん、自業自得だな」
僕の痛がる姿を、鼻で笑うように声がした。
見れば、鉄格子の向こう側に、獅子顔の少年が居た。同じ獅子顔でも、デウスさんより幼い顔をしており、鬣の量も多くない。デウスさんが若ければ、この少年のようになるのかもしれない。
「自業自得ってどういう事かな?」
「だって、お前。デウス様の稲妻が、ナイフと変わらないって馬鹿にしたんだろ? ったく、命知らずな事をするぜ。お前に人質としての価値がなければ、殺されていたぞ」
「……いや、別に僕にとって、向けられればどっちも怖いのに変わりはないって言っただけで、馬鹿にしたわけじゃないんだけれどな。むしろ、稲妻を操るなんてすごいと思うよ。発電所に勤めれば、きっと重宝されるはず」
「……それ馬鹿にしているだろう。デウス様が人間の為に、家畜の如く電気を作りだせば良いって事だろ?」
少年は剣呑な目で見てくるけれど、僕は恐れることなく首を横に振る。
「別に馬鹿にしていないし、そもそも、家畜のようになんて僕は言っていないよ。普通に仕事の提案さ。自分の得意なことを生かして仕事にするのは普通の事でしょ? それで僕が思い浮かんだのは、発電所ってだけの話さ。……でも、超常者って呼ばれる人たちは、得意なものがわかり易いから、そういう仕事が見つかり易いと思うんだよ。そして、特にデウスさんの力はきっと、多くの人の助けになると思うよ」
「人の助けに……か。……ふん、笑わせるな。何故デウス様が、人の役に立たねばならない? 我ら、眠れる獅子に所属する者たちは、お前たち、力を持たない人によって、恐れられ、迫害されてきたんだ。そんな奴らの為に、何かをしてやろうだなんて、思えるわけがないだろうが。……何不自由なく平和に生きてきたお前なんかに、迫害された者の気持ちがわかるか?」
「……わからないし、知ったところで僕は、それを想像して、同情することしかできないよ」
「……お前らに、同情なんてされたくもない」
「だよね。よく言われたよ」
それが酷い体験であればあるほど、同じ経験をした者同士での同情は共感を生む。けれど逆に、想像だけの同情となると、相手の自尊心を傷付けかねない。安い同情は見下しているように、相手に受け取られてしまうのだ。
御津多市には色んな人が居る。それこそ、眠れる獅子に所属していてもおかしくないような、迫害された過去を持つ人たちも。
そんな人たちに、下手な同情をし、怒られたこともなかったわけじゃない。だから僕は、同情なんてして欲しくないと相手が言うのなら、同情は決してしない。そして、その過去があるからと言って、遠慮もしないと決めている。
痛みを堪えて立ち上がり、鉄格子の向こう側に居る少年へと近づく。
「僕にはここの人たちの過去を知らないし、あえて知りたいとも思わない。人の悪質さに胸糞悪くなるだけだからね。……だけど、これだけは言っておくよ。君らを迫害したような奴らと、僕を一緒にしないで欲しい。僕には、超常の力を持っているとか持っていないとかは関係なく、大切だと思っている人がたくさんいるんだ。だから、君らを迫害したりなんかしない。……それよりも、僕は君らと友達になりたいとすら思っているんだ」
「友達だと?」
「そうさ。僕は菅原佐次。気安く佐次と呼んでくれて構わないよ。僕と友達になってくれないかな」
僕はそう言って、握手を求めるように手を差し伸べるのだけれど、少年は奇異な目を向けてくるだけで、握ってくれる様子はない。
「……お前は本当にふざけた奴だな」
「そうかな? ふざけているつもりはないんだけれどね。で、どうかな?」
「俺がただの人間と、友人になどなるわけがないだろう。お前は余計なことを考えないで、人質らしく大人しくしているんだな」
「ちぇ。……っていうか、人質として大人しくしていろって言うけれど、僕は何で攫われたのか知らないんだけれど」
「ふん。別にお前には関係のない事だ」
「攫われたのは僕なのに!?」
「まぁな。……まぁ、良い。確かに何も知らないと言うのは気の毒だとは思うから、同情してやるよ」
獅子顔の少年は酷く見下したような言い方をして、そんなことを言ってくる。きっと、こっちの自尊心を傷付けようとでも思っているのだろう。しかし、そんなことでへこたれる僕ではないのだよ。
「うん、ありがとう」
僕が素直にお礼を言うと、彼はつまらなそうに舌打ちした。それでも、彼は約束通り、話してくれた。
「お前を攫ったのは、俺らを邪魔する者の動きを阻害するためだ。お前の命を人質にすれば、もしかしたら、その数を減らすこともできるかもしれないだろう? お前は、あの町の勇者や他の有力者の友人らしいからな」
「うわぁ、沙月の予想が当たった」
「沙月?」
「……ん。まぁ、こっちの話」
僕は首を振りながらも、やっぱり僕自身が目的じゃなかったかと思う。自分の身に降りかかっていることだというのに、やっぱり僕を中心にした話ではなく、どこまでも蚊帳の外で、ただ巻き込まれただけの哀れな人。
僕はやっぱり主人公じゃない。
きっとこれも、勇也辺りが主人公で、今頃僕を助け出そうと、主人公っぽく頑張っているはずだ。……たぶん。
主人公じゃない。
それを少しがっかりしながらも、安心もしてしまう。
主人公じゃないという事は、僕が何かをしたところで何も変わらず、何かをしなくとも物語は進んでいってくれるということだ。
それは自主性のない考えだと思われるかもしれないし、事実そうだろう。けれど、流される生き方が楽だと言うのも事実なのだ。特に、囚われて自分ではどうしようもない状況においては。
囚われの身というのは、とても暇だった。見張っていた獅子顔の少年も、別に常に居るわけではなく、偶に様子を見に来るだけだったので、常に話し相手が居るわけでもない。それに、スマートフォンは荷物と一緒に渡されていても、このエターニアには電波が入っていないようで、暇つぶしとしては使えない。……アプリとかあんまり入れてないんだよ、馬鹿野郎め。こういう日に限って本とか持ってきてないし。
スマートフォンに入れた音楽を聴くことで何とか誤魔化していたけれど、限界だ。テレビとかあればぼんやりと見ていられるのに。
……何もないところでジッとしているのが、こんなに苦痛だったなんて初めて知ったよ。
「というわけで、交渉だ」
「何がというわけなんだ?」
やって来た獅子顔の少年は、困惑した表情をしているけれど、そんなこと知ったことか。
「暇なんだ!」
「そうか、良かったな」
獅子顔の少年は気のない返事をした。
「良くないよ! 何もすることがないって、ある意味拷問だと思い始めたくらいさ。というわけで、掃除でも洗濯でも料理でも良いよ。手伝うことがあるのなら手伝うから、何かないかな? こんな勤労意欲に溢れた僕は、未だかつてなかったくらいさ。正に、手伝う気満々だ」
「お前の事情など知らないな。それに、お前は人質なんだ。外に出すわけないだろうが」
まぁ、当然の答えではある。けれど、僕はそれを鼻で笑う。
「ふふん。それは何かい? 僕を牢屋に入れておかないと、逃げ出されてしまうと不安なのかな? 僕は何の力もないと言うのに」
さぁ、どう反応するかなと、僕は獅子顔の少年の顔をこっそりと窺い見る。
怒ったり苛立つのを期待したのだけれど、そんな様子は全くなく、呆れたような視線を向けてくるだけだった。
「……挑発して、外に出させようという魂胆か」
「うわっ、あっさりバレた」
「バレバレだ。それに俺は、お前に逃げられることを心配して、牢屋に入れているわけじゃないぞ。お前がどんなに逃げ出そうとしたところで、お前はこの城から出ることはできない。このエターニアは別次元に存在しているのだからな。この城の主、デウス様の許可がなければ、元の世界への出入りはできないのだ。そしてそれは、お前の仲間にしても同じだ。だから、助けを期待しても無駄だ」
別の世界。
とても強い力を持つ超常者の中には、自分の為の空間を創り出すことができる者もいるという。おそらく、この眠れる獅子の頭首であるデウスさんにしても、それだけの力があるのだろう。つまり、ここはデウスさんの為の異空間なのだ。確かに、僕にはその空間から出て行くような方法はないので、どんなに足掻いたところで逃げ出すことなんてできない。
まぁ、元から逃げ出す気なんてなかったから、別にどうでも良いことだ。
それに、この獅子顔の少年は助けには来られないと言っていたけれど、あの町に居る人たちは、本当に常識の通じない人がたくさんいる。そんな人たちなら、きっと獅子顔の少年が無理だと言うような常識さえ、覆すような事だってできるはずだとも思うのだ。
なので、特に助けは来ないとショックを受けることもなかった。
「ふぅん。だったら何で、僕を牢屋に閉じ込めているの?」
「この城の中で下手に迷えば、それこそ死にかねないからな」
「そうなんだ。……もしかして、友達である僕の身を案じて?」
僕は少し感動した面持ちで言ってみるのだけれど、彼は半眼になってうんざりとした顔をしている。少し、わざとらしかったかもしれない。
「……誰が友達だ。お前は一応人質だからな。死なれたら少し困るんだ」
「……まぁ、そうだよね。……なら、行っちゃいけないって言うところには行かないから頼むよ」
「……本当だろうな」
「僕は嘘つかないよ。……たぶん」
「嘘くさっ!」
「酷いな。言いきらないところが本当っぽいじゃないか」
「なら、嘘は吐くんだろう?」
「まぁ、否定はしない。……でも、今回は本当に本当だよ。それに、わかり易い嘘を吐いて何が楽しいのさ。むしろ、嘘っぽい本当のことを話した方が楽しいじゃん」
「……お前。ひょっとして達悪いな」
「良く言われる」
「……胸を張って答えることじゃないからな」
「ふふん、まぁね。でも、僕は今、眠れる達の悪さが目覚めているのさ。……眠れる獅子のアジトだけに」
「上手くないからな」
獅子顔の少年はそう言って、頭痛を堪えるように頭を抑えた。
ふふん、呆れるならば呆れれば良い。けれど、全ては僕みたいな奴を連れてきた、眠れる獅子の偉い奴が悪いのさ。嫌だと思うのなら、僕を御津多市に戻すんだな。
……まぁ、つまり、呆れても良いけれど、恨みは偉い人に向けて欲しい。
そう願ってやまないのだけれど、獅子顔の少年はため息を吐いて、僕を見た時、その眼は一瞬悪辣に笑ったように見えた。
残念ながら、良からぬことを考えついてしまったのかもしれない。
「まぁ、わかった。お前をこの牢から出してやるよ。食堂の皿洗いとかならできるだろう? ……確か人手が足りないって言っていたはずだ」
「うわぁ、ありがとう。……でも、どうして急に?」
「ふん、別に気が変わっただけだ。……だが、気を付けるんだな。ここはお前のいた町とは違い、ほとんどの者がただの人間を嫌っている。そして、誰もがお前に、優しくしてくれるわけではない。……俺たちは、お前に死なれては困るが、絶対に死んで欲しくはないというわけでもない。……だから精々、自分の身は、自分で守ることだな」
酷薄な笑みを浮かべて獅子顔の少年がそんなことを言ってくる。
どうやら、僕を牢屋から出して、怖い目に遭わせようと考えたようだ。
ふむ、少し機嫌を損ねさせ過ぎてしまった気がする。できれば牢屋を出た後、守って欲しかったんだけれど、あまり期待できなくなってしまった。
……でも、流石に危険過ぎる時は、助けてくれるよね?
僕は期待するような視線を向けるのだけれど、彼は僕に目もくれず、さっさと歩き去ってしまう。きっと、僕を牢屋から出す手続きをしに行くのだろう。そうは思っても、なんか物凄く見捨てられた気がしたのは何故だろう?
とりあえず、主人公じゃないなんてうそぶいていないで、身を守る為に少しは頑張らないとダメかもしれない。
こうなったら、僕の隠れた力を見せつけてやる!
なんてことを思えるわけもなかった。
僕が食堂で働き始めて数日が経った。
このエターニアは、共同食堂という形を取っているようだ。食事時になると、とても多くの人が食堂に現れる。体育館よりも広そうな食堂には、石造りの長テーブルが所狭しと並んでいるけれど、そこには、そのテーブルを埋め尽くさん限りの、多くの人でごった返している。そのすべてが超常者だというのだから、中々壮観だ。
そこで働き始めた僕はせっせと給仕し、洗い物を頑張っている。それが終わると今度は自分の食事が貰える。
なかなかの重労働で、正直とんでもなく疲れるのだけれど、牢屋の中で暇を持て余すよりも全然良い。ちゃんと働けば褒めてくれるし、何より、僕は給仕しながら人と話すのが結構好きだった。
「今日のスープどうですか?」
僕はおかわりのスープをよそいながら、スープの味を聞いてみた。
「あん? なんか違うのか?」
「僕が野菜を切ったんですよ」
「へぇ。……って、味変わんねぇだろ」
「何言っているんですか。野菜の切り方で味が変わるんだ、小童。と、料理長が口を酸っぱくなるくらいに言ってましたよ」
「そんなもんか?」
「そんなものですよ。で、どうです? スープ」
「変わっているように思えねぇ。……なぁ、お前はどうよ?」
「いや、俺も変わったように思えないけど」
「つまり、僕の野菜切りの能力は、料理長に並んだってことですね!」
僕が食べている人たちに勝ち誇っていると、料理長の怒鳴り声がする。
「つまんねぇこと言ってねぇで、さっさと戻って来い!」
中々の地獄耳だ。由良と良い勝負かもしれない。このでっかい食堂の中では色々な人たちが話しているので随分と騒がしい。なのに、僕の会話が聞こえたようだ。
……まぁ、僕の声がでかかったという説もある。料理長の耳は大きいので、見るからに耳は良さそうだし。
失敗したぜ、てへっ!
「すみませんでした、料理長」
僕は調理場に戻ると、料理長に頭を下げる。
「全くだぜ。野菜切りのスキルが、俺に並んだだと? 調子に乗ってんじゃねぇ。てめぇの下手くそな切り方に合わせて、俺が味を調えてんだよ、アホが」
「マジッスか!?」
「マジだよ、タコが。お前の切った野菜は、形は良くなってきているが、野菜を切るのに時間をかけすぎなんだ。だから、お前の手の体温が、野菜の鮮度を落としてんだよ。クソが」
「ウッス、気を付けます」
「ああ、気を付けな。……まぁ、俺はてめぇに、期待してんだからな」
料理長はとても口が悪いけれど、最後にはそうやって気遣ってくれる。ツンデレっぽいけれど、とてもいい人だ。まぁ、人と言って良いのかちょっと迷う見た目をしているのだが。しかしその見た目のおかげで、どんなに怒られても腹が立つこともない。
料理長はウサギ人間だ。とはいえ、二足歩行をしているというだけで、その見た目はほとんどウサギであり、とても可愛い。どんなに口汚いことを言われても、正直、その見た目を見ただけで頬が緩むほどだ。
可愛いは正義だと思う。
たぶん、言った人と方向性は違う気がするけれど。
「……随分と楽しそうだな」
仕事も一段落し、料理長に貰った賄いを、人の少なくなった食堂で食べていると、獅子顔の少年が話しかけてきた。名前はマルコだ。何でもデウスさんの息子なんだとか。
牢屋から僕を出す決断を一人でしたことから、地位のある人に話の通じる立場なんだろうとは思っていた。つまり、頭首の息子だったのだ。
どうりでデウスさんに似ているわけだと思ったよ。
「結構、楽しいよ。まぁ、皿洗いはきついけれど」
「……そうか」
マルコは頷きながらも釈然としないといったような表情をしている。彼としては、僕が周囲の人たちに嫌がらせを受ける姿でも想像していたのだろう。
実際に、ここに居る人の中には、ただの人間を嫌悪している者が多い。御津多市の中にも、そういった人はいたけれど、エターニアではほとんどの人がそれなのだ。
それこそ、僕が働き始めた時には、本当に嫌がらせを受けもした。
けれど、僕には御津多市で培われた超常者とのコミュニケーション技術がある。それをうまく活かせば、ここでだって何とか居場所を作ることができる。
超常者と仲良くなる時、最も大事なのが相手の力を恐れないことだと前に述べたけれども、正直、その応用だ。
まず、相手に何とか力を見せてもらう。
これは簡単にできた。むしろ向こうから、僕をビビらせようと見せつけてくるので、あんまり頼む必要はなかったくらいだ。そして見せてもらったら、今度はその力を褒めて褒めて褒めまくる。すると超常者は、自分の力をあんまり褒めてもらったことがないので、戸惑いながらも嬉しそうにするのだ。
そうなれば、後はそっちの方向で話を広げていけば、たいていの人は次第に、心を開いてくれるようになる。
超常者がただの人間を嫌悪している理由は、人間に対する怒りというよりも、迫害された恐怖の方が大きいという事を理解すべきだ。彼らは迫害された過去を持つだけあって、人間を恐れてもいる。
だから、彼らが嫌っている人間は、彼らの超常の力を嫌悪している人たちということだ。なので、こちらか超常の力を受け入れてしまえば、彼らは僕と、彼らの嫌悪する人間とを、同じ存在として考えることができなくなる。
そして後は、ひたすら自分は怖くない人間だと思わせれば良い。
人間だけれど、俺たちの事をわかってくれる変わり者。
今、彼らが僕に抱いている感想は、そんなところだと思う。
もちろん、そんな簡単にいかない人もいる。けれど、受け入れてくれる人がどんどん増えていけば、少しくらい気に入らなくても嫌がらせはしなくなり、結局のところ、渋々ではあっても受け入れてくれるものだ。
その為にはもっと時間が必要だろうけれど、それでも、嫌がらせは無くなるくらいには、受け入れてくれる人を増やせてはいると思う。
「……お前は本当に、俺たち超常者と、友人であろうとしているんだな」
「何? マルコも僕と友達になってくれる?」
僕が嬉しそうに言うと、彼は顔を顰めてそっぽを向く。
「誰がお前なんかと。……俺は、お前が嫌いだ」
「そうかい? 僕はマルコの事好きだよ」
「お前に俺の何がわかる」
「わからないねぇ。だから、わかるように友達になろう」
「……お前はそればっかだな」
「まぁね。僕は君ら超常者たちと友達になりたくてなりたくて、仕方のない人だからね」
「……俺たちの力を利用するためか?」
「ははは、違うよ。……償う為さ」
「償う為? 誰にだ?」
「……んぅ。まぁ、あんまり話したい話ではないんだけれど、僕の友達になってくれるのなら、ここだけの秘密で教えてあげよう」
僕はニヤリと笑ってそう言うと、マルコはとてもうんざりしたような顔をする。
「物凄く嘘くさいな」
「言ったでしょ。僕は嘘っぽく本当のことを言うのが好きなんだ」
「それも本当かわからないがな」
「ははは、確かに。……まぁ、理由の一つは簡単な話さ。僕は誰にも嫌われたくない。むしろ、敵を作りたくない。そして、必要とされたくもある。だから友達は多ければ多いほど良いと思っているよ」
「勝手に話し始めやがった」
「大丈夫、大丈夫。これは別に秘密にしているわけじゃないし」
「そうか。……しかしなんだな。敵を作りたくないって、随分とヘタレた考えだな。人の生き方なんて、戦って奪っていくものだろう。少しでも、良い暮らしをしたいと思うのならな」
「マルコはワイルドだねぇ。でも、それだけだといつかは、手に負えない敵を作って、大切な人を傷つけることになるよ」
「それなら、もっと強くなればいい」
彼はそう言って剣呑に笑う。彼は頭首の息子だけあって、自分の力に絶対の自信があるのだろう。正直、自分の力にはまったく自信のない僕には、理解のできないものだ。
自分の力だけで何とかできる。
そんな自信、由良を止めることができなかった時に、粉々に砕けて無くなってしまっている。
「……眠れる獅子は、何で御津多市を襲うんだい?」
突然話が変わったように思ったのか、マルコは戸惑ったような顔をする。
「んあ? 何でって、あいつらはただの人間に力を貸している。つまり、俺たち、最大の邪魔者だ。……知っているか? 世界中に居る超常者がただの人間に手を出さないようにと取り締まっている、超常者だけで結成された組織があるって。言うなれば、俺たちと同じでありながら、ただの人間に従う裏切り者だ。そして、その組織の出身者の大半が、この御津多市の出身者なんだ。つまり俺たちにとって御津多市は、裏切り者の町であり、潰しておくべき町なのさ」
眠れる獅子の目的は、超常者だけの国を創ること。でも、彼らの中にはただの人間との共存という考え方がない。それではいつまで経ってもそんな国を創ることは許可されないし、もしも力づくで創ったとしても、結局、敵視され続けるという事だ。
そんな敵の多い国で、幸せになれるとは思えない。
「やっぱり、マルコたち、眠れる獅子の考え方は間違っているよ。自分たち、超常者以外の者を敵にし続けたところで、君たちの望んだ国はできない」
「はん。嫌われるのが嫌いとか言いながら、敵地で批判的なことを言うじゃねぇか」
「友達になるには、時に腹を割って話さなければいけない時があるのさ。そして、マルコと友達になるには、そうやってちゃんと話さなければダメだと思ったからね」
「……あくまで、友達になりたいって言うのか」
「まぁ、それが僕のやり方だから。そして、僕は友達になれるとも思っているよ。……少なくとも食堂で働いた感想として、ここに居る超常者たちは、御津多市の人たちと、そう変わらないと思ったからね。つまりここの人たちだって、御津多市の人たちと同じようにできるはずなんだ」
「……ただの人間と仲良くできるとでも?」
「うん、なれるさ。今の僕とマルコのように」
「別に、お前と仲が良いつもりはないぞ」
マルコはとても嫌そうな顔をする。それでも僕は、そんな彼に笑いかける。
「それでもこうやって、僕の事を無視なんかせずに一緒に話をしてくれている。人の仲なんていうのは、こうやって話すことで築き上げていくものさ。だから、僕はマルコとも仲良くなれると思っているよ」
「……ふん。俺はお前と仲良くなんか……」
何故か、マルコの言葉が途中で止まった。
僕は不思議に思うのだけれど、彼の視線が僕の後ろを見ていることに気付く。とりあえず、振り返ってみると、何もない空間に、穴が開いていた。そして、そこから恐る恐るといった様子で覗き込んでいる見慣れた顔が見える。
……まず間違いなく、円だった。
円は穴からひょっこり出した顔を気まずげな表情を浮かべる。
「えっと、ごめん。なんか、真面目な話しをしていたよね。ニュフフ。マドちゃんは空気を読める人。だから、話が終わるまで待っているのだよ」
「いや、もう、十分に真面目な空気をぶち壊しているからね!」
僕がそう言っても、彼女は頑なに認めない。
「そんなことないさ。まだ挽回は効くのだよ。ファイトだ、佐次殿。とりあえず、マドちゃんは引っ込んでいるから」
円はそう言って穴の中に顔を戻すけれど、その穴の中から会話が聞こえてくる。
「……何で戻ってきたのかしら?」
「なんていうか、佐次殿が真面目な話をしていたのさ。説得みたいなことをね。あんなところに乱入して行くなんて、空気を読まないことこの上ないと思うのだよ」
「……そう。でも、空気を読むようでは魔王なんてやっていられないわ。さっさと行きなさい」
「ぶぉぅ」
そんな変な声がしたかと思ったら、蹴り飛ばされたように円が穴から飛び出してきた。そして、続いて澄ました表情で現れたのは由良だ。彼女が円を蹴り飛ばしたのかもしれない。由良なら本当にやりかねない。
その後にもぞろぞろと、穴の中から出てくるのは御津多市の人たちだ。
ジェニーや勇也、そして姫路さん。僕の倍以上の背をした巨人族のガウィンさんが、爆睡しているヒナちゃんを肩に乗せていた。他には手の平大くらいの空飛ぶ妖精であるシリカちゃんや、魔法の銃を操る金髪の勝気そうな女性であるジェーンさん。そして、妖刀を持つ初老の男性である陣野さんもいる。
御津多市で武闘派として知られる人たちだ。
「侵入者だ!」
一瞬呆気にとられていたマルコだったけれど、自分が何をすべきかにすぐに気付いたようだ。叫んで周囲に敵の侵入を知らせながら、僕の首根っこを掴んで逃がすまいと引き寄せてきた。
……というか、すぐに円たちに合流しようとしなかった僕の失敗だね。
「おい、タイミング悪くねぇか。完全に佐次の坊主が人質に取られているぞ」
マルコに捕まった僕を見て、ガウィンさんが少し困った様な顔をした。
「……そうね。全ては円の性ね」
「いやいや、それは酷いのだよ、由良殿。佐次殿の近くに次元トンネルを作ることはできたけれど、その向こう側がどんな状況になっているかはわからないのだから。むしろ、ちゃんと佐次殿の所にまでトンネルを開いた、マドちゃんを褒め称えるべき」
「スゴイネ、スゴイネ、マドちゃんは」
妖精のシリカちゃんは円の周囲を飛びまわりながら、子供のように無邪気に褒め称える。
「ニュフフ。ありがとうシリカちゃん。そうやって褒めてくれるのは、シリカちゃんだけなのだよ」
「そのような事はなかろう。円城殿がその面妖な機械を作ってくれたからこそ、このようにして敵の本拠地までやってくることができたのでござる。だから、円城殿の働きは大きかろう」
「あれ? 陣野殿もマドちゃんの事を褒めてくれている?」
「ああ。タイミングが悪かったかもしれぬが、そこに、円城殿の非などないでござる」
「ニュフフ。ここに来て、マドちゃんの株価が大高騰。これがいわゆる、モテ気?」
そんなことを言う円に、僕は突っ込まずにはいられない。
「ちがうよ!? ……というか、今も着々と包囲されて行っているのに、何でそんな呑気に話をしてんのさ」
「アッハッハ、ソンナの決マテいるネ。これからノ戦いを、モト楽しむタメヨ!」
イントネーションの怪しい外国人のジェーンさんが、そう言って笑った。
彼女の戦い好きは有名だ。幸い、人を傷つけることに喜びを抱くようなタイプではないので、むやみやたらに人を傷つけたりはしない。けれど、それなりに強い奴だと思えば、むやみやたらに戦いを挑んでいくので困りもの。弱い者を傷つけたり、悪事を働いたり、そう言ったことはしないけれど、達の悪い人であることに変わりはない。
余裕のある円たちの態度が気に入らなかったのだろう。僕を掴んで離さないマルコが、舌打ちしたのが聞こえた。
「……おい。お前ら勘違いしていないか? 人質はこっちの手にあるんだ。そして俺たちは、こいつが死のうと構わないと思っているんだぞ。だから、お前らが逆らった場合、こいつを殺すことだってできるんだ」
マルコの手に稲妻が生まれたかと思ったら、それは槍になった。彼はそれで、地面に向かって軽く切り払う。すると、石畳の床が裂けていた。その行為は、簡単に僕の事を殺せるという証明なのだろう。事実、マルコはその槍の穂先を、僕の喉元に向けてきたし。
「わかったか? 俺はいつでもこいつを殺せる。わかったのなら、大人しく捕まってもらおうか」
マルコの言葉に、円たちは迷いを見せる。
その様子を見て、こんな状況になってしまった事が、申し訳なくて仕方ない。
もしかしたら自意識過剰だと思われかねないけれど、こうやって助けに来てくれたという事は、この人たちの中には、僕が死んだら悲しんでくれる人もいるのだろう。つまり、僕を殺されたくないと思ってくれているはずだ。
そんな彼らにとって、今のように僕が人質に取られてしまうのは、とても難しい状況だと思われる。
人質である僕の身の安全を考えるべきか。それとも、助けに来た自分たちの安全を守るべきか。
良く、アニメやドラマ、映画などに出てくる正義の味方ならば、ここは降伏して、絶好のチャンスを活かして救出に成功することだろう。
けれど、そんな絶好のチャンスなんて、そうそうやってくるものじゃない。
別にこれは、正義が必ず勝つ物語じゃないのだ。そして、マルコたちも別に悪者というわけでもない。むしろ、彼らには彼らなりの正義がある。そして、それがただの人間とわかり合えないだけの事でしかない。むしろ、ここに住む超常者たちにとって、マルコたちこそ正義の味方であろう。
残念ながら、見方を変えれば、正義なんてどちらにでもなってしまうものだ。
だけれども、この状況で正義とは関係ない者が居た。いや、彼女には彼女なりの正義があるのかもしれないけれど。
「……殺すのなら、殺せばいいわ」
由良が淡々と言い切った。
「……魔王の転生者か。……お前は、こいつがどうなっても良いと言うのか?」
マルコは由良がどういった存在かを知っているようだ。彼女の存在の危険さは、誰からも注目されているのかもしれない。
「私は別に、佐次を助けに来たわけじゃないもの」
「そうなの!?」
僕はてっきり、大切な幼馴染として助けに来てくれたのかと思っていた。……僕が死んだら悲しんでくれるかもしれない人リストに入っていたのに。
ちょっと、泣きたくなった。
しかし、僕の気持ちなんかとは関係なく、話はどんどん進んでいく。主人公じゃないから、蚊帳の外感が半端ないです。
「なら、お前は何をしにここに来た?」
「報復よ」
由良はマルコの問いに、淡々と答えた。報復という事は、眠れる獅子が御津多市を襲った際に、彼女に何かしたのかもしれない。けれど、その時の何が、彼女の怒りを買ったのかを、マルコとしても思い当たらなかったようだ。
「……報復か。だが、なんの報復だ?」
「私の幼馴染を攫ったわ」
「……幼馴染?」
「あっ。それって僕の事だね」
僕が嬉しそうに言うと、由良は苦笑する。
「そうよ」
「やっぱり助けに来たんだろうが!」
マルコはそう怒鳴りつける。けれど、由良がそんなことでたじろぐこともなく、首を横に振った。
「……違うわ。これは、あくまで報復。その時に、佐次が生きていようと死んでいようとどっちでも構わないわ。死んでいたのなら、死霊にして、眷属にすれば良いだけだもの」
「ああ。それなら死んでも安心だね……って安心できるか! 助けてマルコ。僕はまだ死にたくないよ」
「こっちに助けを求めるのかよ!」
マルコはツッコミながらも、どうするべきか迷っている。果たして由良が言っていることは、本気なのかがわからないのだ。
佐次が人質としての効果がない。彼女はそう思わせることで、マルコに僕を解放させようとしているのかもしれない。そういう考えをマルコも抱いているのだろう。
けれど、由良が本気で攻撃してきた場合、僕を拘束したままでは、マルコは対抗することもできなくなる。僕という荷物を抱えている分、動きは制約され、片腕しか使えない。
マルコがどれだけの実力者かは知らないけれど、普通に戦ったとしても、由良は勝てないほどの強敵であることは、間違いないと思う。
眠れる獅子がまともに戦っても、御津多市に決定的な損害を与えられていない。そう考えて、僕を攫うなんていう策を弄してきた。つまり彼らとしても、その町で、トップレベルの実力者である由良は、簡単に勝てる相手ではないはずだ。
今、そんな彼女の周囲が歪んでいる。きっと、魔力を高めているのだろう。
「……覚悟は良いかしら」
由良の試すような言葉が、マルコの選択を急かしてくる。しかし彼は、僕を手放したり、殺したりすることもできないだろう。少なくとも僕という人質は、由良以外には効いているのだ。僕を手放したり殺したりすれば、間違いなく彼らまで動き出してしまう。
だからマルコは、周囲に呼び掛けた。
「そ、その女を殺せ!」
周囲に集まっていた超常者たちが、マルコの声に反応して襲い掛かる。けれど、由良はそれを予想していたようだ。
「……邪魔よ」
由良が躍るようにその場でくるりと回ると、同時に黒い墨で書かれたような線が手から放たれ、それが円状に広がって行く。由良に襲い掛かろうとした何人かが、その黒い墨のようなものに触れた途端に、その墨が全身に広がり、体を拘束した。墨は靄のように実体が薄く柔らかそうなのに、捕らえた者の動きを完全に封じている。
それでも、その黒い墨から逃れた者が由良を襲おうとしたけれど、彼女の行動はそれすら織り込んでいた。彼女を守る結界が近づいた者を弾き飛ばし、後ろで漂い待ち構えていた黒い墨が捕らえる。
「……黒雲の呪いか」
勇也が忌々しそうな顔をして呟いたのが聞こえた。彼は由良と何度となく戦っているのだ。彼女の見せた力についても見たことはあるのだろう。けれど、眠れる獅子たちにとっては彼女の力は初めて見るものだ。だからこそ、あっと言う間に捕らえられた仲間たちを見て、踏み込めずにいる。
「……くそ、マジか」
あっさり捕らえられた仲間を見て、マルコは歯噛みする。
「由良ちゃんはスゴイよねぇ。でもでも、アタシも頑張るよぉ」
そんな声が近くで聞こえた。僕もマルコもどこからその声が聞こえたのかわからなかった。
「ぐあっ!」
突如、マルコがそんな悲鳴を上げて吹き飛んだ。
「へへ~ん、だ。由良ちゃんばっか見ているから、そういう事になるんだよぉ」
パタパタと蝶々のような羽をはためかせた妖精のシリカちゃんが、いつの間にか目の前に居た。彼女の力は、触れたものにだけ働く念動力。その力を持って、マルコを吹き飛ばしたのだろう。
彼女は小さく虫のように動きが速い。だから、注目をしていないと見逃してしまう事が良くある。今回、シリカちゃんはそれを活かして、由良に注目が集まった隙をついて、助けに来てくれたのだろう。流石、虫っぽいだけある。
「……今、佐次くん、アタシの事、虫っぽいって思わなかった?」
シリカちゃんは鋭かった。彼女は自分を虫呼ばわりされるのが嫌いなのだ。
「……まさか」
「本当にぃ?」
「ほ、本当さ。……それより、助けてくれてありがとう」
「イシシ。どういたしまして」
彼女は子供のように笑った。
見れば、僕とマルコが離れたことに気付いた円たちが、眠れる獅子と戦い始めている。
円は基本的には戦いに向いていない。けれど、ジェニーが一緒に居るとそれは一変する。ジェニーの中の戦闘モードが発動し、その強さは正直、勇也ですら手を焼くほどだ。もちろん円自身の戦闘力が上がるわけではないのだけれど、それでも、彼女には自分の身を守る発明品は他にもあるし、ジェニーという壁を潜り抜けて、円へ攻撃するのは至難の業だと言える。
そして、勇也をはじめ、他の人たちにしても、その実力は疑いようもない。……ヒナちゃんだけは争いなど我関せずと言った様子で寝たままだけれど。
眠れる獅子も超常者だ。けれども、まともに奮戦できているのはマルコくらいで、円たちの戦いぶりは危なげのないものだった。正直、集まっているのは必ずしも戦士だけではないのだろう。超常者とは言え、誰しも戦えるわけでもないのだから。
その様子を見ながら、僕は正直、複雑な気持ちになっていた。
家に帰れるのは嬉しい。でも、眠れる獅子の人たちの中には仲良くなった人たちもいるのだ。そんな彼らがバタバタと倒されていく姿は、ちょっと、見ていて気分の良いものじゃなかった。
だからと言って、円たちに負けて欲しいわけでもない。
そもそも、戦いなんてなければいいのに。
「……どうにか、眠れる獅子と御津多市が、仲良くなる方法ってないかな」
自分にどうにかできるとは思わない。けれど、どうにかしたいと思って発した僕の呟きに、答える声がした。
「そんな方法などありはしない」
声と共に床に光の魔法陣が出現し、そこから現れたのは一人の獅子顔の男。
「そもそも、我らにしても、御津多市の奴らにしても、手を取り合うことなど、望んではいないのだからな」
眠れる獅子の頭首であるデウスさんは、僕の望みを真っ向から否定した。
デウスさんが現れたことで、その場の緊迫度が一気に跳ね上がった。
今まで戦っていたのは、円たちの奇襲によって急遽集められた寄せ集めに過ぎない。その中には、戦いを不得手とする者も多くいた。しかし、デウスさん相手ではそうはいかないのだろう。僕には相手の力量を正確に計ることなんてできないけれど、周囲の雰囲気からそのことを察することはできる。
「……父上。申し訳ありません」
マルコが悔しそうに謝った。
僕を取り返されてしまったこと。そして、円たちを抑えることができなかったこと。その事に対しての謝罪であり、自分の力のなさを悔いているのだろう。
「構わん。我にしてもよもや、侵入されるとは思ってはいなかったからな。……ようこそと言うべきか、招かれざる客人よ」
「ニュフフ。別に歓迎なんていらないのだよ。もう、用は済んだし、帰るところなのさ」
何故か円が代表して答えた。けれど珍しく、円はまともに答えている。デウスさんの言うもてなしとは、まず間違いなく戦いを意味しているはずだ。正直、僕を取り戻したのなら、戦う意味などないはず。円たちにとって、これ以上の戦いは無意味でしかない。
「ふむ、そう言うな。せっかく、我が城に来たのだ。もてなさねば悪かろう? 我らは眠れる獅子。眠れる獅子を起こしておいて、ただで帰させるわけにもいかないな」
デウスさんの手に、巨大な槍が出現する。マルコも同じようなことをしていたけれど、デウスさんの槍の方が巨大な上に常に帯電していて、遥かに強そうに見えた。
「……ふふ。随分な物言いね。眠れる獅子というけれど、先にちょっかいを出してきたのはお前たちじゃない。眠れる獅子と言うのなら、あそこで眠っているうちの先生くらい、怠惰でありなさい。愚か者が」
由良は挑発的に言った。うちの先生というのはもちろんヒナちゃんの事だ。視線が集まっているというのに、彼女は目を覚ますことなく、気持ちよさそうに寝息を立てている。まぁ、確かにヒナちゃんみたいにひたすらぼんやりして眠っていれば、争いなんか起きなくて平和なままだろう。けれど、ヒナちゃんは流石にだらけ過ぎな気がする。というか、敵地で爆睡って、どんだけ神経図太いんだろう。
「おい、魔王。あまり挑発するなよ。今は佐次が居るんだ。流石にここの連中と本気で戦うようなことになったら、守りきる自信はないぞ」
勇也が注意すると、由良はそれに対して鼻で笑った。
「ふん、言ったはずよ。目の前でなら、佐次が死のうが生きようが構わないと。もしも死んだのなら、眷属にするだけだもの」
「お前な!」
「嫌だと言うのなら、佐次をしっかり守れば良いだけよ。私としても彼には痛い目に遭って欲しいとは思っていないから、できる限りは力を貸すわよ」
からかうような由良の言葉に、勇也は苛立ったような顔をする。なんていうか、仲間内で戦いだしそうな雰囲気だ。まぁ、二人から言わせれば仲間ではないのだろうけれど。
そんな二人を落ち着かせようと、姫路さんが二人の間に入る。
「勇也も落ち着いてください。……王月さん。貴方にしても、死んでは良いとは言っても、できれば佐次さんに、死んでは欲しくないのでしょう? ならば、無用な挑発をするべきではありませんよ。交渉ならば私がしますので」
姫路さんにしても、由良とは前世からの因縁がある。むしろ、彼女の国が襲われていたという事もあるので、勇也よりも彼女の方が、魔王の生まれ変わりである由良に対して、思うところはあるだろう。けれど、姫路さんはかつて王族だっただけあり、憎しみや怒りなどを、由良にぶつけることはない。少し、言葉が冷たくなるくらいだ。
姫路さんはデウスさんに向きなおり、言葉を紡ぐ。
「我が城と仰ったという事は、貴方が眠れる獅子の主、デウス様ですね。私は雨宮姫路と申します。お話は、私がさせていただきます」
「……異界の姫か。話をするというが、今がまだ、話の通じるような状況だとでも?」
「思っています。……いえ、違いますね。話の通じるような状況だとかはどうでも良いのです。私は貴方に、間違いを犯したことを伝えに来ただけですので」
「間違いだと?」
「ええ。貴方は佐次さんを人質として使い、我々に対して優位な状況に出ようとしたようですが、それがそもそも間違いなのです。例え佐次さんを人質に取ろうと、私たちがそれに対して屈することはありません」
「つまり、この男には、それだけの価値がないという事か? これだけの戦力を連れて助けに来ておいて、おかしなことを言うのだな」
「価値がないとは言いませんよ。私たちにとって、佐次さんはとても大切なお友達ですから。……ですが、ここで屈してしまえば、それは周囲に、佐次さんは人質として利用できるという事を証明した事になり、彼の身がこれから危険に晒されてしまうでしょう。だから、私たちは決めているのです。もしも大切な人を人質に取られても、その条件を呑まないと」
「ふん。では、人質は見殺しか」
「いえ。そんなことはありません。できる限り助け出そうとしますよ。それが今の私たちですから。そして、人質を取った者にはこうも言っています。……もしも、人質に何かあった場合、貴方たちには何も容赦しない、と。……つまり、佐次君に何かするようならば、貴方たちは御津多市にいる超常者たちのほとんどを、敵に回すという事です」
姫路さんの剣呑な言葉に、デウスさんは考え込むように押し黙る。彼女の言っていることは明確な脅しだ。人質を取ってきた者に対して、人質に何かしたら酷いことをすると言って脅しているのだ。
その様子を見ていた由良が呆れたように言った。
「……何が無用な挑発をするなよ。十分にあいつも挑発しているじゃない」
「ニュフフ。まぁ、あれが御津多市の明確な意思だから仕方ないのだよ。それに、姫路殿も怒っているのだろうさ」
「それでも、あいつの怒っているのなんて、所詮は友達としてでしょ。私は幼馴染として怒っているのよ。私の方が怒りをぶつけても良くないかしら?」
「ニュフフ。それだと由良殿は、相手を倒すことしかしないのだよ。例え相手が非を認めようともね。……でも、姫路殿はしっかりと、戦わないで済む可能性も考えているのだよ」
「……ふん。気に入らない奴なんて、ぶっ殺せばいいのよ」
「ニュフフ。そうすれば佐次殿に嫌われることがわかっているから、そんなことをしない癖に」
「……あんたも気に入らないわ」
「アダダダダダダダっ!」
アイアンクローのように由良に頭を掴まれた円が痛そうに叫んでいる。まったく、何をしているんだか。
ある程度考えをまとめたのか、デウスさんが姫路さんに尋ねる。
「……超常者たちのほとんどと言ったな。御津多市の管理組織に属する者だけじゃないということか?」
「はい。その点では、あなたは佐次さんを過小評価し過ぎています。佐次さんを大切に思う人は、とても多いのです。御津多市の管理組織とは関係ない方も含めて。そこに居る由良さんもそうですし、そこで寝ている陽菜先生もそうです。そして御津多市には、佐次さんを助けたいと思う方が、もっとたくさん居ます。佐次さんは本当に、色んな方とお友達ですので」
姫路さんが微笑みながらこちらを見てくる。
とても綺麗でドキドキしそうになったけれど、デウスさんまで一緒になって僕に視線を向けるものだから、正直とてもソワソワとする。
話の内容から考えて褒められているのかもしれないけれど、あんまり自分で凄いことをしているという気はないので、自信が持てない。
デウスさんが自嘲的に笑う。
「……ふん。その小僧を連れ去ったことで、余計な敵まで増やしたという事か。……それに、そこの眠っているのは竜ヶ崎だろう? 魔王に勇者、更に竜の化身まで相手をするとなれば、……負ける気はないが我々としてもただでは済むまい。……良いだろう、佐次を解放しよう。……今回の事は我々の落ち度と認めよう。……だが、お前たちと慣れ合う気などありはしない。さっさと出て行くが良い」
デウスさんはそう言い捨てると、背を向けて歩き去る。
「ありがとうございます、デウス様」
姫路さんは、彼の背中にニッコリと笑って頭を下げた。
どうやら、交渉は上手く行って、戦わずに済むようだ。戦うことが好きな由良やジェーンさんなどはあからさまにがっかりしたような顔をしたけれど、眠れる獅子の中にも仲の良い人ができ始めていた僕としては、そのことにとてもホッとした。
デウスさんの作った異空間であるこのエターニアに来られたのは、円の作った次元トンネルという機械らしい。トンネルと言っても何かを掘り起こすわけではなく、通常の空間と異空間を繋ぐ通路を創り出すといった代物らしく、……まぁ、正直僕にはよくわからなかったけれど、このトンネルを通れば帰れるらしい。
「マルコ!」
僕はトンネルに入る前に、彼に呼び掛けた。
「……なんだよ」
マルコは不満そうな顔をしながらも応じてくれる。
「ただ呼んだだけ」
「ぶん殴るぞ、てめぇ」
「あはは、冗談だよ。……まぁ、僕はとりあえず帰るよ。皆にはよろしく言っておいて欲しいな」
「……人を使いっぱしりにする気かよ」
「友達の頼みくらい聞いてくれたって良いじゃん」
「誰が友達だ!」
「僕としては友達だって思ってくれたら嬉しいんだけれどね。……まぁ、良かったら、今度はそっちが遊びに来なよ」
「……別に今回、お前と遊ぶために連れてきたわけじゃないぞ」
「だろうね。でも、御津多市に来たら、僕はマルコを歓迎するよ。そうそう、今度祭りだってあるしさ。一緒に遊ぼう」
「誰が行くかよ」
「ちぇ、残念。……まぁ、気が変わったら来てよ。僕は本当に、マルコと友達になりたいからさ」
僕の言葉に、マルコは呆れたような顔をする。
「お前は結局、そればっかりだな。……お前だって見ただろ? お前の町の奴らと俺たちが戦っているのを。……お前が何と言おうと、俺たちは敵同士なんだ」
「そうかもね。でも、今は敵対していても、いつかは仲良くなれるかもしれない。僕はここで過ごしてそう思う事が出来たよ。……まぁ、もちろん、僕が二つの組織を和解させるんだ! なんて主人公みたいなことを言う気はないけれど、その切っ掛けくらいになればって思うのさ。だからマルコ。二人で切っ掛けにならないかな?」
僕が笑顔でそう言い切ると、マルコは一瞬眩しそうに目を細めると、悲しそうな顔をした。初めて見せたマルコの怒り以外の感情の揺れ。僕はそこに期待をするけれども、彼はその感情の揺れを隠すように、そして、僕の言葉を拒絶するように、背を向けてしまう。
「……ふん。俺は、お前みたいには考えられねぇよ」
「……そっか」
僕はそんな彼の背中を見て、悲しく思った。
どんなに僕が言葉を尽くしたところで、彼が僕の言葉を受け入れることはなかった。それは、それだけ御津多市の人たちを嫌っているからだと思っていた。
けれど、違うのかもしれない。
マルコには彼の立場がある。彼は御津多市に敵対している頭首の息子だ。なのにその彼が、敵対組織に属している人間と仲良く話していては、頭首であるデウスさんの顔を潰してしまうことだろう。彼はそれを理解しているのだ。だから僕の言葉を、受け入れることは決してないのかもしれない。
僕にはマルコの立場をどうにかすることなんてできない。
だから、僕は決して、彼と友達になることができないのだ。どんなに親愛の情を注いだところで、僕にはどうすることもできない。なんせ、僕は主人公じゃないから。
……こういう時、本当に思う。
主人公になりたい、と。
でも、こういう時に必要なものは力でもない気がする。どうしたらいいのかわからない。
僕はこれ以上、マルコを説得する言葉がわからなかった。
次元トンネルと言うからSF的なものを想像していたけれど、道路にありそうな普通のトンネルだった。
「落ち込んでいるのかい?」
円が何故か、嬉しそうな顔をして聞いてくる。
「……まぁな。お前は機嫌良さそうだな」
「ニュフフ、それは当然だよ。こうして無事に佐次殿を助けられたし、攫われるなんて怖い思いをしたのに、超常者たちを嫌っている様子もない。マドちゃんとしては一安心だよ。由良殿なんか、心配で心配で仕方ないといった様子で、オロオロしていたほどなのだよ。……って、アダダダダダダダ!」
いつの間にか近づいていた由良が、円の後頭部を握りつぶさんばかりに掴んでいる。僕はそんな彼女に視線を向けて、首を傾げる。
「心配してくれたの?」
「……まぁ、幼馴染だからね。少しは心配したわ」
「ニュフフ。少し? ……って、イダダダダダダダ! このままだと頭が割れて、脳みそドバァってなる」
「是非なりなさい」
「……由良、流石にそれは駄目だよ」
「……ちっ」
由良は舌打ちして円を離した。
「まぁ、でも、少しだけでも心配してくれたんだよね。ありがとう」
「……目の前で死んでくれないと、死霊にしにくいだけよ」
「そんな理由!?」
「ええ、そんな理由よ」
「ニュフフ。けれどそれは、人質として利用されないようにする為の方便なのだよ。もしも、佐次殿を本気で死霊にしたいのなら、由良殿は佐次殿を殺せばいいのだから。佐次殿を殺すことで嫌われるのが怖いとか思うのかもしれないけれど、由良殿ならば気付かれずに殺すことだってできるはずなのだよ。つまり、由良殿はアブブブブブ!」
「……本当に死にたいの?」
由良が円の顔を掴み、底冷えするような声で尋ねた。円は必死で首を横に振ろうとするけれど、由良が掴んでいる性でそうすることはできない。
僕はそんなやりとりに笑ってしまう。
由良はそんな僕の笑っている姿に、円なんてどうでもよくなったのか彼女を放り投げた。
「ぐへぇ」
顔面から落ちた彼女は潰れたような声を上げている。うん、とても痛そうだ。
由良が僕に視線を向けてくる。
「……とりあえず言っておくけれど。……佐次には何の力もないわ」
「……知っているよ」
僕には何の力もない。そんなことはずっと前から知っている。この先目覚めるなんて妄想をしていた頃もあったけれど、既に卒業済みだ。本当に力が欲しいとき、目覚めもしなかったのだから。
「……眠れる獅子と御津多市は、私たちが生まれる遥か以前より争っているわ。その争いの理由は、とても根深いものになっていると思うわ。……最初の、本来の理由なんて忘れてしまうほどの」
「……そうかもね」
「……他の人にもどうにもならなかった問題よ」
「……うん」
「……だから、あなたがどうにかできるだなんて考えること自体がおこがましいわ。……つまり、気にしなくていいのよ」
「由良?」
言葉の真意を確かめる為に彼女を見れば、その顔はいつもの澄ましたような顔だった。けれどいつもと違うのは、そこに冷淡さがなく、そこはかとなく頬が赤い気がする。
眠れる獅子との争いは、確かに長いこと続いている。それこそ、僕の思っている以上にその問題は根深いのかもしれない。組織の利だけでなく、私的な恨みだってないわけではないだろう。そうなると、和解はとても難しい。それこそ、何の力もない主人公でもない僕が、仲良くなる切っ掛けになるなんておこがましいと思うほどに。
僕の性格をある程度知っている由良は、きっとそう思わせる為に、わざとそんな風に言ったのかもしれない。
「……もしかして、励ましてくれているの?」
「……幼馴染だからね」
彼女は否定することなく、そう言って顔を背ける。恥ずかしがっているのだろう。それにしても、あまりにも不器用すぎる励ましだ。
「……ふふ、あははははははは」
僕は堪え切れずに笑い出してしまった。
「……何よ」
「いや。……うん、ありがとう。でも、励ましの言葉がほとんど、僕を貶しているんだけれど」
「当然じゃない」
そう言って、由良は鼻で笑った。