デスゲーム
今日も今日とて、毎朝の日課として超常予報を見る。血を吸い隊のファンとしては、当然のことですよ。
織部さんから自分の体を取り戻すのは何気に大変だったけれど、今は無事に、幽体ではなくいつも通り、普通仕様の僕だった。
あれから何日か経ったけれど、体の不調などは特に発現することもなく、特別な力にも目覚めることもなかったのには、とりあえず一安心だ。
いつも通り、テレビに映る血を吸い隊のメルちゃんは可愛くシルビアさんは綺麗に見えるし、特に問題はない。
『今日も残念ながら、災害地区があるんだよ』
『そう、それは大変』
全然大変そうに聞こえない、シルビアさんの淡々とした相槌。けれど、メルちゃんはそれに調子づいて、大きく頷いた。
『そうなんだよ。しかも、今日のには、ほの暗い悪意もチラ見えるの。だから、この地域の人は気を付けるんだよ』
中々物騒な内容だと思う。
メルちゃんは悪意があると言った。つまり、前の由良と勇也の争いのように偶発的に起こるものではなく、誰かが悪意を持ってこの災害を引き起こそうとしているという事だ。
まぁ、幸い映し出された災害地区は、僕のまったく用事のない場所ばかりだったので、僕には関係なさそうだ。うん、何よりだね。
同じクラスの雨宮姫路さんはお姫様だ。とはいえ、この町にもちろん王国があるわけではない。そして、この世界に彼女の王国があって、そこからの転入生というわけでもない。
それでも何故彼女がお姫様かといえば、彼女は勇也と同じ転生体だからだ。そして、何の転生体かと言えば、勇也と同じ世界のお姫様だったらしい。彼女は魔法使いとしても優秀だったらしく、魔王との闘いでも幻獣を召喚して戦ったという。
正直、僕にはあまり、その姿は想像できない。
姫路さんは長い栗色の髪を後ろに丸く纏めた綺麗な人で、お姫様らしく優しく上品な人だ。虫も殺さないんじゃないかとすら思える。なので、彼女が戦っている姿を想像するのは難しかった。
「ニュフフ。佐次殿に頼みがあるのだよ」
教室に入ると、円が僕の顔を見るなり、そんなことを言ってくる。でも、僕の答えなんて決まっていた。
「断る。絶対に断わってみせるよ。大事なことだから二度言いました」
「それで頼みとは、マドちゃんの作ったゲームを試して欲しいというものなのだ。つまり、ゲームのモニターだね」
「断るって言ってんじゃん」
「マドちゃんは最近、面白いと思えるゲームが減ったと思うのさ。それは、マドちゃんが年を取ったことで感性が衰えた性かもしれないし、企業に十分な予算や時間が無くなった性かもしれない。または時代がオンラインゲームを求めすぎて、オフライン派であるマドちゃんのニーズに答える作品が出難くなっているからかもしれないとも思うわけだ」
「……ダメだ。自分に都合の悪いことを聞き流すスキルが高すぎるよ、こいつ」
「そこでマドちゃんは、自分が面白いと思うゲームを作ってみたのだよ」
「……円は、ゲームも作れたんだね」
僕は諦めて、彼女の話に付き合うことにした。いつもろくな目に遭わないし、毎度、絶対断ってやると思うのだけれど、決まって僕は根負けしている気がする。
僕は主人公ではないので、信念折れまくりだ。僕の言う事は政治家並にぶれている自信があるよ。
「まぁ、作ることくらいはできるのだよ。例のようにね。だから、むしろ難しかったのは、世界設定と物語の方さ。登場キャラは人工知能でどうとでもなるけれど、世界設定と物語に関しては、マドちゃんが考えなければならないからね」
例のように。つまり、自分でもどう作っているのかまでわかっていないのだろう。僕は何かを作っている時の円を見たことがあるけれど、その時の彼女は何かに憑りつかれたように、一心不乱に作りだしている。そして、その作業の途中、一瞬も迷うことはない。
もしかしたらその表現は正しく、何かを作っている時の円には、科学の神様でも憑りついているのかもしれないとも思う。
それはさておき、今回作った円のゲームはどうやら、いつもの超科学力はシステム面にしか使われていないようだ。つまり、ゲームの面白さを決める大部分である物語は全て、円の発想力が肝になるということ。
少なくとも、円が何か物語を創作しているのを見たことはない。つまり、これが初めての創作物語なのかもしれない。
うん、あまり、期待はできそうにないね。
とはいえ、円と僕の関係は、中学からのただの友人関係でしかない。何故だか円に気に入られて、色々なことに巻き込まれているけれど、僕自身は、円の全てを知っているという自信はない。今まで僕に明かしていなかっただけで、物語の創作活動は趣味で続けていた可能性もあるだろう。
それに、創作というのは長くやっているからと言って必ずしも面白いというわけでもないのが、残念ながら事実だ。
努力したから報われる。そんなことは決してない。
創作とは残念ながら、技量も必要だけれどそれ以上に才能の方が必要とされるものだ。それこそ、初めて書いた小説が、面白くて賞を取ったなんて話だってよく聞く話だ。……まぁ、本当に初めてなのかは知らないけれど、僕は嫉妬の嵐を禁じ得ない。何であれ、才能のある奴、マジで羨ましい。
そして、円は才能の神様に祝福されまくっている気もするので、もしかしたら面白い可能性だってある。超科学の力だけでなく、話の創作力まであるなんて羨ましい限りだ。……面白かったらどうしてくれようか。
つまらないゲームはやりたくないけれど、面白いゲームだったなら嫉妬してしまうだろうね。
……うん。なんていうかどちらにしろ、円のゲームをやっても幸せになれる気がしない、
なんとか逃げる手段はないかと、それとなく視線を巡らせる。すると、親友の勇也が、学園一の美少女と名高い姫路さんと、仲良く教室に入ってくるのが見えた、別段、おかしなことではない。二人とも恋人同士なので、一緒に登校するのは当たり前だろう。美男美女のカップルで、お似合いだとは思う。……だが、あまりの充実ぶりにイラッとするのは変わらないのだけれどね。
ここは、積極的に巻き込むべきだと思っても、きっと誰もが許してくれるはず。僕は確信したよ。
「よぉ、勇也」
「おはよう、佐次」
「おはようございます、佐次さん」
「ひ、姫路さんもおはよう」
つい、声が上ずってしまう。
姫路さんはいつも通り柔和な笑みを浮かべて、馬鹿丁寧なお辞儀をしてくるのだ。友達の恋人だとわかっていても、彼女に微笑まれるとどうしたって照れてしまって直視できない。下手をしたら恋に落ちてしまいそうだ。
でも残念ながら、姫路さんがどれだけ勇也の事を大切にしているかを知っている。なので僕としては、確実に失恋するとわかっている恋なんてする気はないね。恋のライバルにすらなれる気はしないし。
「ああ、そうだ。円がゲームを作ったんだ。良かったら二人もどうだい?」
……ちょっとわざとらしかったかな?
「円がゲームを?」
勇也は眉を寄せる。彼には鋭い部分があるし、何より円が傍迷惑なことも理解している。なので、あまり良い予感はしないのだろう。
しかし僕だって、彼がそう思う事は察している。だからこそ僕は、攻めるべき相手をちゃんとわかっていた。
「まぁ! 円さんはゲームも作れるのですね」
姫路さんは感心したように言った。
そう。狙うべきは姫路さんだ。彼女は好奇心も強いし、何よりお人好し。敵対関係の人間には厳しいのかもしれないが、仲間にはとことん甘い。友人である円が作った物を、無下に扱ったりはしないだろう。
「ああ、そうなんだ。円の初めて作ったゲームらしくて、誰かに試して欲しいって、僕も誘われたんだけど、やっぱこういうのって、試す人は多い方が良いだろ?」
円はオフライン派だと言っていた。そして、登場キャラは人工知能だとも。つまり、一人でやるゲームなのだろう。RPG系、もしくはアクション系だと思う。
上手くすれば、勇也と姫路さんがやることで、僕はやらずに済む可能性もある。
「円さん。私たちも一緒に、あなたの作ったゲームをしてもよろしいのですか?」
姫路さんが食いついてくれた。これで勇也も巻き込んだも同然だ。
昔の大和撫子のように、一見、彼女の方が勇也の後を付いて行くように見える関係だが、二人の関係は実際のところ違うのだ。
転生前の異世界では、勇也は勇者だったとはいえ、その地位は一国の王女である姫路さんより下だ。そして、例え恋人関係で転生前の地位であろうと、二人はそれを、無意識のうちに引きずっている。つまり、勇也は姫路さんの行いを、できうる限り尊重するのだ。
勇也は姫路さんに見えないように、恨めし気な視線を僕に向けてくる。
僕はそんな彼に、友達だろ! というように、親指を立てて笑いかけてみせた。すると彼は、頭痛がするというように頭を押さえる。
後の問題は、円の答えだ。
彼女は僕にゲームをやらせたがっていた。もしも一人用のゲームならば、断ってしまう可能性があるのだ。
「構わないのだよ。むしろ、佐次殿の言う通り、色んな人に試してもらえるのは嬉しい限りだ。……まぁ、初めてのゲームなので、少し気恥ずかしくもあるのだけれどね。複数人プレイもできるゲームだから、問題ない」
珍しく気恥ずかしそうに言う円。そうしていると可愛くもある。やはり、いつものトランス状態で創り出す、とんでも発明品と、自分の趣味嗜好の出やすい創作物では、発表する気恥ずかしさは違うのだろう。
しかし、彼女は聞き捨てならないことを言った。
「ちょっと待て、円。複数人プレイができるのか?」
てっきり一人用だと考えていたので、かなりの誤算だ。
「できるよ。オープンワールドのアクションRPGなのだけれど、他のプレイヤーと協力することもできるし、NPCを仲間にして、競い合うこともできるのさ」
「いや。それって完全にオンラインゲームみたいじゃないか」
「そうだね」
「でも、円はオフライン派なんじゃないのか?」
「そうだよ。マドちゃんは人見知りの遠慮深い人間だからね。知らない人と関わらなければ楽しむことのできないゲームなんて、負担でしかないのだよ。迷惑をかけたらどうしようと思いながらゲームをやるなんて、何が楽しいのさ。つまり、面白くないのだよ」
ツッコミどころ満載で、何からツッコんでいいのかわからない。
「とりあえず、遠慮深いってのは嘘だろ」
「そんなことないさ。マドちゃんは知らない人には遠慮するよ。その代わり、親しい人には全く遠慮しないけれどね」
「親しい人にも少しは遠慮してくれよ!」
魂の叫びです。
しかし、円はあっさりと無視した。
「まぁ、そんなわけで、マドちゃんはあくまでオフラインで、友達同士とやるゲームならば、むしろ大歓迎さ」
「友達なら、遠慮しなくていいんだもんな!」
僕は半ばやけくそで言ったのだけれど、遠慮をしない円は特に気にした様子もなく、説明を続ける。
「でも、マドちゃんの作ったゲームは一人でやっても面白いをコンセプトにしているからね。オンラインゲームのように、協力しなくちゃできないイベントや、取れないアイテム。はたまた、倒すことのできない敵なんていうのはいないのさ。そして、一人でやっても、ちゃんと人工知能を持ったNPCが仲間になってくれるから、仲間と冒険をしているって気分を味わえるはずだよ」
「……へぇ」
円の説明を聞きながら、面白そうかもと思っている自分が居た。
実のところ、僕も円と同じ理由で、オンラインゲームはあまり好きではなかった。僕は基本的に人見知りではない。相手がよっぽどおかしな人や怖そうな人じゃない限りは、普通に話しかける自信はある。しかし、顔が見えない状態だと、途端にダメになるのだ。
顔を合わせて話している時は、その表情から、相手がどんなことを思っているのかを想像できる。もしも相手の機嫌を損ねるようなことを言いかけても、表情を見てすぐさまフォローだってできるだろう。……まぁ、確実にフォローできるとも言えないけれど。
しかし、例えば電話やメール、SNSなどでは相手の顔が見えないから、どんなことを思っているのかを上手く想像できなくなる。むしろ、自分は主人公にはなれないだなんてことを常に思っているような、根っこの所がネガティブな僕としては、悪い受け取られ方をしている様をどうしても想像してしまう。なので、顔が見えない状態だと、上手く話せなくなってしまうのだ。
だから僕もまた、相手の顔が見えないオンラインゲームには苦手意識がある。……面白そうだと思うゲームは色々とあるんだけれど、やっぱり手が出せないんだよね。
なので、円の言っていることは、不本意ながらわからないでもない。
「ニュフフ。佐次殿も興味が出てきたみたいだね。つまり、興味津々だね」
僕の感情の変化を目敏く感じ取ったようで、円はニヤニヤと笑う。
「興味津々じゃないよ。……でも、まぁ、少しはあるかな、……興味。……それにゲームってことは、危険はないだろうし」
「マドちゃんの作る物には、危険な物なんてないのだよ。つまり、安心安全のマドちゃんブランドさ。だよねぇ、姫路殿」
「そうですね」
人の良い姫路さんは、同意を求めてくる円に、微笑みながらあっさりと頷いてしまう。
「いや、それは嘘だろ。確か前に、自分の作る物は使い方によっては、とても危険だって言ってたじゃん。現に、円の作った魂吸引機で死にかけたんだからね、僕は」
「ニュフフ、あれはきっと、織部殿と由良殿の性だね。まぁ、そんなことはどうでも良いのだよ」
「そんなこと!? 僕の命がそんなこと!?」
「うるさいのだよ、佐次殿。とにかく、放課後は皆でゲームだよ、ゲーム。マドちゃんが、かつてない時間に連れて行ってあげよう」
円はそう言って、不敵に笑った。
「悪い」
「ごめんなさい」
昼休みになると、何故か勇也と姫路さんが頭を下げて謝って来た。僕は謝られる理由が思い当たらず、不思議そうに首を傾げた。
「どったの?」
「ああ。……実は、ちょっと用事ができてな。放課後のゲームは、一緒にできなくなったんだ。だから、すまない。……本当は円にも謝ろうと思っていたんだけれど、彼女は休み時間になると同時にどこかに行ってしまって、謝れなかった。……彼女にも謝っておいてくれないか?」
勇也は申し訳なさそうな顔をする。円に謝るというのなら、彼女が戻って来てから謝ればいいとも思う。でも、それをしないという事は……。
「……すぐに行くのか?」
「ああ、そうなんだ」
「すみません。円さんのゲームは是非やってみたかったのですけれど……」
姫路さんからは、申し訳なさだけでなく残念そうな雰囲気も感じた。本当に楽しみにしていたのかもしれない。奇特な考えだと思ってしまう。そんな良いものじゃないよ、きっと。
「はは。そんな面白いもんだとも思わないけれどね。……まぁ、伝えておくよ。その代わり、お土産をよろしく」
「……いや。別に遠出するわけじゃないんだけれど」
「はい。お任せください」
「姫!?」
勇也が驚いたように姫路さんを見る。すると、彼女はクスクスと笑った。
「冗談です」
「もちろん、僕も冗談に決まっているじゃないか、勇也」
「……いつ示し合わせたんだよ、二人は」
勇也は疑わしそうに見てくる。
実際のところ、別に示し合わせたわけではない。けれど、彼をからかう時限定で、姫路さんは僕の意図を汲み取ってくれることがある。もしかしたら、姫路さんは本来、人をからかう事が好きな性格なのかもしれない。だから、最も気が許せる勇也をからかう瞬間を虎視眈々と狙っているのかも。
……からかう瞬間を虎視眈々と狙う姫。
大丈夫か、その王国。
クスクスと楽しそうに笑う姫路さんを見ていると、少しばかり不安になってしまった。けれど、彼女は僕よりも遥かに優秀なので、余計なお世話だろう。
それよりも、呆れながらも楽しそうに笑う姫路さんと、優しく微笑んで見詰める勇也を見ていると、温かい気持ちになる。正直、美男美女のカップルに羨ましさを禁じ得ないけれど、それでもやっぱり、二人には幸せになって欲しいと思う。
親友だしね。
「……まぁ、無事に帰って来いよ」
僕は頬杖付きながら、何気なく言ったつもりだったのだけれど、勇也は驚いた顔をした。
「気付いていたのか?」
「まぁ、予想は付くさ」
僕はそう言って肩を竦めた。
勇也も姫路さんも真面目な人だ。学校に何年も居座るような一部の不真面目超常者とは違い、二人は普通にこの学校を卒業しようとしている。そんな二人が午後の授業も受けずにどこかに行くということは、かなり大事な用事なのだろう。
そして、思い浮かぶのは今朝の超常予報。
災害地区には悪意があるとメルちゃんは言っていた。つまり、何者かがこの町に、悪意を振りまこうとしているのだろう。
残念ながら、この御津多市をよく思わない者もいる。敵対組織にしても、僕の知っているだけで四つ。
人類戦線。眠れる獅子。エクソダス。深き森。
彼らは敵対組織だけあって、御津多市を襲撃してくる。そしてそんな時、この町を守る為に勇也たちが戦力として借り出されることはよくあることなのだ。超常者とはいえ、学生が戦いに借り出される。この現状はどうしようもなく、胸糞悪い。
「心配させたくないと思っていたんだけれどな」
「なら、もっと上手い誤魔化しをしなよ。……例えば、姫路さんに急にデートがしたいってねだられたとか」
「……それって、上手い言い訳か?」
「勇也。私、勇也とデートに行きたいのです」
「……姫。佐次に乗らなくて良いですから」
「あら? 勇也とデートに行きたいというのは本当ですよ」
「うっ」
勇也は照れたように顔を赤くした。まぁ、仕方ないだろう。頬を赤く染め、悪戯っぽく微笑む姫路さんは、傍から見ていても反則だと思えるほどに可愛らしい。
「ったく、羨ましいな、ちくしょう。もう、さっさと行けよ。お前ら二人を見ていると、気分が悪い」
「……酷いな、おい」
「ふふふ、ごめんなさい、佐次さん。では、円さんにはどうぞ、謝っておいてくださいね」
「ああ、わかっているよ」
僕はそう言って、ひらひらと手を振ると二人は微笑み、次の瞬間、文字通り、戦いの前の戦士のように顔を引き締めさせ、教室から出て行った。
きっと、これから彼らは危険な目に遭うのだろう。けれど、僕には彼らを手助けするような力はない。
僕は主人公にはなれないし、なりたいとも思わない。今は特別な力が欲しいとも思っていない。けれどこういう時だけはどうしても、自分の無力さが嫌になる。
「本当に、無事に帰って来いよ」
僕は呟かずにはいられなかった。
円城ジェニーは特殊である。
青い髪に、柔らかそうな白い肌。人形のような淡白で整い過ぎた美貌。けれどジェニーは人ではない。更に言えば、生物ですらない。
けれど、彼女は人のように話すし、感情だってあると思われる。その感情が、人と全く同じかと問われれば、わからないとしか答えられない。けれど少なくとも、彼女――女性のような体をしているから女性と仮定しているに過ぎない――は無機物でありながら、意思のある存在だ。
つまりジェニーは、円城円の作った人工知能を持つロボットだ。
昼休みの終わり頃、戻って来た円に勇也と姫路のことを言うと、円は少し残念な顔をしただけで、特に文句を言う事もなく、あっさり納得した。
円も一応、超常の力を持つ一人だ。ある程度、予想していたのかもしれない。
……それでも彼女は、僕にゲームをやらせようという思いに、変化はないようだ。
僕は放課後、円の占拠する科学部の部室へと連れて来られた。
そこにはマッサージチェアのように座り心地の良さそうな、電気椅子が並んでいた。……いや、まぁ、死刑用の電気椅子ではないのだろう。ただ、椅子の上に、コードで吊るされたヘルメットのような被り物が付いていると、どうしても電気椅子に見えてしまうから不思議だ。
科学部に居たもう一人の人影、ジェニーが電気椅子の一つを指差して、単語を区切るように言った。
「そこに、座って、ください。死刑囚の、気持ちで」
「僕の不安を掻き立てないで!」
「冗談、です」
「嫌な冗談だな、もう」
なんというか、とても座りたく無くなった。
「ニュフフ。安心したまえ。別に、ちゃんと使えば死にはしない」
「安全じゃないのかよ!」
「安全だよ?」
「なんで疑問形なのさ」
「ニュフフ、冗談さ」
「だから、そういう冗談はやめて。とても試したく無くなるから」
本当に、座るのが怖くなってきた。……まぁ、円は傍迷惑ではあるけれど、本当に取り返しのつかないことにならないよう、最善を尽くすことを知っている。魂吸引機の時は、織部さんに頼ろうとしたのが裏目に出たけれど、最悪の事態にはならないようにはするはずだ。
とりあえず、意地悪な二人に不満そうな視線を向けながらも、僕は諦めて椅子に座る。
「それで? テレビ画面やコントローラーもないけれど、どういうゲームなの?」
「ん、そうだね。これは、前に作った魂吸引機を応用した装置なのだよ。ゲームの中の仮想肉体に、佐次殿の魂を込めることで、まるで自分の体を操るみたいにゲームキャラを操ることができるのさ」
「……また、幽体になるのかよ」
「ニュフフ。今度は別に、体から魂を離すわけではないよ。むしろ、ゲームキャラを佐次殿につなげるだけさ。だから、幽体になることはないし、体が無防備になって織部さんに奪われることもない」
「……そうなんだ」
「ご主人様は、同じ、過ちを、繰り返さない、のです」
「それは嘘だろ」
僕はそう言うのだけれど、ジェニーは首を傾げる。彼女としては、本気だったようだ。
まぁ、確かに円は、同じ失敗を繰り返さないこともできるのかもしれない。でも、あえて同じ失敗をするのも、円なのだ。本当に傍迷惑な性格だと思う。
「まぁ、いいや。とりあえず、やるんならちゃっちゃとやっちゃおう」
「むぅ。その、面倒なことはさっさと済ましちゃおうって感じが気に入らないのだよ。つまり、マドちゃんご立腹」
円は不満そうに頬を膨らませた。彼女なりに頑張って作った物だから、しっかりとやって欲しいという思いもあるのだろう。僕は、少し言い過ぎたかなと、ちょっと反省する。
「……まぁ、不満だって思うんなら、このゲームで面白いと言わせれば良いのさ。そうしたら、僕も謝るよ」
「ニュフフ。言ったね。ならば、謝ってもらおうじゃないか。早速、ゲームを始めよう」
円は自信ありげにそう言うと、彼女も椅子に座り、椅子の上に付いているヘルメットを引っ張って被った。僕も同じように被ってみると、ヘルメットによって、聴覚と視覚が塞がれた。てっきり、大きな家電量販店などで見る、眼鏡型のディスプレイかとも思っていたのだけれど、そうではないようだ。
どうなっているんだろう?
僕が困惑していると、後頭部に何かを差し込まれたような感覚がした。
痛くはなかった。ただ感じたのは、違和感だけ。
しかし、そんなものを気にしていられないくらいすぐに、僕の目の前が変化した。
そして今、僕の意識は科学部の部室にはなかった。
僕が立っているのはどこかの町。それも、日本の町ではない。石造りの家が建ち並び、まるで、中世の欧州辺りの街並みだった。……まぁ、欧州どころか、中世がどのくらいの文明力があるのかも僕にはわからないので、あくまでイメージでしかないのだけれど。
とりあえず、自分の体を良く見てみれば、慣れ親しんだ自分の体とは似ているけれど、違うのだとわかる。手の平の皺などは簡略化されており、小さな皺などは描かれていない。改めて、ここがゲームの中の世界なんだなと思った。
それにしても、どうして良いのか僕にはわからないので、円の姿を探す。だけれど、残念ながらここはゲームの世界だ。円が現実世界と同じ姿をしているのかもわからない。それでも、僕は円の姿を探すしかなかった。
町の中には様々な服装の人たちが歩いている。村人っぽいのや冒険者っぽいの、更には大道芸人や騎士みたいなの、魔術師っぽいのまで本当に様々だ。流石ゲームの中の世界だね。きっと彼らはNPCなのだろう。よく見れば、服装こそ違うが、男性ならば男性で、女性ならば女性で、少しは変えてはいても似たような顔をしている。キャラクター作った時の基本的な顔は一緒なのだろう。
けれど、凡庸な見た目の僕よりも遥かに、全員特殊なキャラっぽく見える。つまり美形。ゲームの中ですら、目立つことのできない自分に笑えた。まぁ、自嘲的にだけれど。
その内、一人が近づいてきた。
「もしかして円か?」
「いえ、村人Aです。名前を付けても良いですよ。できれば可愛いの希望です」
「……えっらい図々しい村人Aだな」
「まぁ、ここのNPCキャラの思考全ては、ジェニーですので」
「そうなのか? っていうか、そうか。円は、キャラクターは人工知能で補うって言っていたし、……つまり、ここにいるNPCは全部、ジェニーが演じているってことか?」
「少し違いますね。演じているのではなく、意図的にキャラクターの設定に合った人格を作りだしているのです。ですので、その行動はジェニーにも予測は難しいものです。ですが、全てを管理し、統括しているのはジェニーですので、このようにキャラクターとしての人格を押しのけて、会話を試みることもできます」
「へぇ。……つぅか、話し方がスムーズだな。このゲームのキャラは、言うなれば下位人格なんだろう? 何で上位人格のジェニーの方が、たどたどしい話し方をしてんのさ」
「やろうと思えば、ジェニーでも流暢に話すことは可能です。ただ、それだとあまりに人間っぽいので、わざと人型ロボットだとわかるように振る舞っているのが、あのしゃべり方なのです。……私は、ロボットであることに誇りを持っているので」
「……ロボットとしての誇り」
なんというか、驚いた。
よく漫画やアニメで出てくる人型ロボットが、人と仲良くし過ぎて、人とは違う自分に悩むという話はある。けれど、まさかわざわざ、ロボットの方へと寄せていくとは思わなかった。やっぱり、円が作っただけあって、変わり者なのかもしれない。……それとも、本当のロボットとしてはそっちの方が正常なのだろうか?
残念ながら、本当の人工知能はジェニーしか見たことがないので、比較対象がなくて判断しようがない。
「……まぁ、良くわからないけれど、ジェニーが自分を誇りに思っているのは良い事じゃないかな」
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しかったので、これをあげましょう」
そう言って、何かを渡す仕草をしてきた。その手には何かを持っているようには見えなかったけれど、視界の隅に『因果の剣を手に入れた』と表示される。
「えっと、これは?」
「チート武器です。ご主人様がこのゲームの物語を作る時に読んでいた多くのライトノベルの中には、チート能力で俺様最強的な話も多かったので、……皆様お好きなんでしょ? チート」
「……いや、僕は一週目のゲームは普通にプレイして、攻略本とかも見ない派なんだけれど。強くてニューゲームは二週目からが良い」
「そうなのですか? でも、あげてしまったものは仕方ありませんね。では、せいぜい、チートの魅力に抗ってくださいまし」
「はぁ。……まぁ、良いけど。それより村人Aではなく、ジェニーで話しかけたってことは、何か用があるんだろう?」
「察しが良いですね。察しの良い人は嫌いではないですよ。まぁ、悪い人も嫌いではないですけれど」
「どうでもいいってことか」
「はい。そして、話を戻しますが、話しかけた理由は簡単です。このままだとゲームが進行しなさそうなので、仕方なく話しかけたのです。普通のゲームならば、プレイヤーは村人に話しかけて情報を集めるというのに、全く話しかけようとしないじゃないですか。……全く、愚図ですね。愚図は好きではないですよ。まぁ、賢い人も好きではないですが」
「……やっぱりどうでも良いってことか」
「はい」
とりあえず、今のはジェニーなりの冗談だと思っておこう。人に全く関心がないってことじゃないよね? それだとちょっと寂しい。
「……でも、仕方ないじゃないか。ここまで人がリアルだと、普通のゲームのキャラみたく、気安く話しかけられないって」
「ですが今、全てが私だとわかったはずです。……これからは積極的に話しかけてくださいね」
上目遣いで言ってくるジェニー。
「わかったよ。ちなみに今のは、デレっぽくて良かったよ」
「そうですか。それは良かったです。ちょろいですね、佐次さん」
「うぅ。そう言われるのは心外。別に、心まで開いたわけじゃないんだからね」
ちょっとツンデレっぽく言ってみた。けれど、ジェニーは特に反応せず、説明をさっさと続けて行く。
「とりあえず、ご主人様は教会にいますのでそこに行ってください。そうしたら、ゲームも本格的に始まりますので。……ちなみに、先程差しあげた因果の剣は、たいていのキャラを一撃で倒せる最強の剣です。つまり、イベント的には倒せない敵も、倒せるかも」
「僕の言葉はスルーされたよ。恥ずかしい。……って、それに、チートは使わないって。つぅか、使わせる気満々だな。ゲームバランスが壊れるんだろ?」
「そうですね。私としては、自分の身可愛さに、佐次さんが自分の信念を曲げるかが見ものだと思っていますので。……一週目は、使わないんですよね? チート」
ジェニーはまるで、僕を試すように聞いてくる。というかこの子、意地悪なんですけれど。もしかして、ドSなんでしょうか、ジェニーさんは。
「……まぁ、やりがいのあるゲームならな」
「あ。逃げ道を作りましたよ、この人」
「……もしかして、ジェニーは僕の事嫌い?」
「いえ。嫌いなのではなく、可愛い嫉妬です。佐次さんはご主人様といつも一緒にいますので」
「……そっか」
可愛いかどうかは普通、嫉妬を受けた方が判断するものなんだけれどね。
まぁ、そんなことはともかく、ジェニーは円が好きなようだ。一応、円はジェニーの創造主というわけだし、もしかしたら、小さい子供が親を好きなように、彼女も円の事が好きなのだろう。
小さな子供がお母さんを取らないで、と怒っている姿を想像し、それをジェニーに当てはめてみると、確かに可愛い嫉妬かもしれないと思ってしまった。僕としては好きで円と一緒に居るわけではないので、嫉妬されても困るのだけれども。
「じゃあ、僕は円と一緒に居ない方が良いかな? なんだったら、もっと頑張って、円の事を避けても良いけど?」
「いえ。それだとご主人様が悲しむのでダメです」
「じゃあ、どうしようもないじゃん」
「ええ。ですので、佐次さんが私の憂さ晴らしに遭うのも仕方のない事です」
「納得いかないなぁ」
僕は不満そうに言うのだけれど、ジェニーは聞き入れてくれることはなかった。
とりあえず、ジェニーに言われた通り、石造りの教会に行く。するとそこでは、修道服を着た少女が、神様を祀った像に向かって祈りを捧げていた。ステンドグラスから差し込む光も相まって、とても絵になっていて綺麗だ。
けれど、良く見ればその修道女は円だった。
元々、円は黙っていればとても可愛くあるのだけれど、ゲーム世界の為か更に美化されており、不覚にも可愛いというよりも綺麗だと思ってしまったね。
「……何しているんだ? 円」
僕がそう声を掛けると、彼女は驚いたようにこちらを振り向いて、嬉しそうに涙を潤ませる。
「おお、よく来てくださいました、勇者様。私は聖女マードカ。勇者様を支える者です。この世を支配する魔王を倒せるあなた様を待っていました。つまり、待ちくたびれました」
聖女っぽく振る舞おうとしているのだろうけれど、残念ながら最後に、円らしさが出てしまった。
「っていうか、マードカって、すげぇ適当につけたな」
「ええっ!? 最初のツッコミがそこ? っていうか、適当ではないのだよ。結構真面目だよ。もっと、こだわった名前も最初は考えていたのさ。聖女フィロソフィーとか、それっぽい感じの。しかし、マドちゃんは気付いてしまったのさ。こういうのは、後で振り返ると恥ずかしいと」
「……そうだな」
人はそれを、黒歴史という。
正直、心当たりがあり過ぎた。
周りに特殊な力を持った人が多かったので、僕もいずれ特殊な力が目覚めるはずだと思っていた。そんな僕が、中二病っぽいことを考えていなかったわけではない。そして、カッコいい二つ名だって考えていたさ。
「だからマドちゃんは、名前を付けるの面倒だし、自分の名前をちょっと変えてみただけだよ、的なていで行こうと考えたのさ」
「うん。……確かにそれは良いかもしれないけれど、その誤魔化しが既に痛々しい」
「……気の性なのだよ。……あ、ちなみに佐次殿のキャラメイクは、こっちで勝手にやっといたから。ちなみにマドちゃんは、勇者を支えるサポートキャラってことで、聖女。回復魔法や補助魔法だけでなく、光の攻撃魔法も使えるのだよ。近距離は苦手だけれど、防御にも攻撃にも支援にも使える、意外と万能キャラなのさ」
「……それで、僕のキャラは?」
「佐次殿は道化師サージだよ。得意なのはボケとツッコミ」
円は良い笑顔で言い切った。
「勇者じゃねぇ!」
『スキル・ツッコミが発動した』
「やだなぁ。今は、ただの学生が勇者になるような時代だよ。ならば、道化師が勇者になったっておかしくないじゃないか」
「いや、まぁ、そうだけれど、普通ここは戦士とかだろ。……っていうか、ボケとツッコミってなんだよ」
「それは佐次殿っぽいかな、と」
「……百歩譲って、僕がツッコミ要員だとしよう。でも、円の方がボケだろう」
ちなみに僕はボケないわけじゃない。ただ、円が一緒だとツッコミに回ってしまうだけだ。つまり、円の方が道化師に近い気がする。
「佐次殿のボケも見てみたいという願望。っていか、佐次殿はマドちゃん以外には、結構ボケるじゃん」
「円がボケ倒しだから、その暇がないんだよ」
「じゃあ、今ボケてみるのだよ」
「無茶ぶりかっ!」
『スキル・ツッコミが発動した』
「目の端の文字がうぜぇ!」
『スキル・ツッコミが発動した』
なんというか、自分がツッコミを入れたことを指摘されているようで、とてもイラッとする。
「ニュフフ。ちなみにツッコミをすると、一時的に攻撃力が上がるのだよ」
「うるせぇよ!」
『スキル・ツッコミが(以下略)』
とりあえず、僕はその後の短い時間で悟った。このツッコミスキルは、本当のツッコミというよりも、当たりの強い、つまりは、怒鳴るような言葉に反応しているようだ。
ならば、対処は簡単だ。
冷静になって怒鳴らなければ良いだけなのだから。
僕には主人公のような知恵も勇気もない。けれど、僕は冷静さならばそれなりに自信があった。円的に言わせればドライという事なのだろう。
とりあえず、落ち着け僕。
そう自分に言い聞かせ、強い心を持って円に向きなおる。
「それで、これからどうなるんだ? ジェニーの話だと、ここからゲームが本格的に始まるって話だけれど」
「ああ。ジェニーが教えたのだね。えっと、ここでは勇者の洗礼を行うのだよ。そうすると、勇者として認められ、イベントが発生するのさ。その前に、メニューの開き方を教えるね」
円はそう言って、中指と薬指を親指と擦り合わせるような仕草をする。すると、彼女の目の前に、画面が浮かび上がる。
「この動作が、このゲームでのメニュー画面の開き方。後は、この画面をタッチパネルのように押せば、アイテムを使ったり装備を変えたりと、普通のゲームみたいなことができるのだよ」
「ふぅん」
僕も試しに同じような動作をしてみると、確かにメニュー画面が開いた。アイテム欄を開いてみれば、ジェニーに渡された因果の剣も入っている。スキルには、……ボケとツッコミ。……冗談だと信じたかったことが、真実だと突きつけられた気分だ。
「……まぁ、いいや」
円の作ったゲームだし、多くを期待し過ぎるのは良くない。
「それで、洗礼ってどうやるの?」
「ニュフフ。この地下には試練の洞窟があるのさ。そこを乗り越えて、奥にあるイグニス神像に祈れば、洗礼は終了。まぁ、良くゲームであるチュートリアルって奴だね。つまり、練習だよ。……ちなみに、イグニス神って言うのは、この世界を守る光の六神の一柱で、今は体を失って、直接世界に干渉することはできないのだよ。これから私たちは、魔王を倒すために、光の六神から力を授かる為に、魔王の妨害を乗り越えて、旅をするってわけだね」
円の説明を聞いて、王道ファンタジーっぽいなと感じた。まぁ、初めてのゲーム制作だって言うし、変に凝って理解のできない物語よりも、わかり易い物語の方が良いだろう。円にしてはナイスチョイスだ。
「でもね。最終的には光の六神最後の一柱は見つからないのさ」
「……いや。自分が作ったゲームを語りたいのはわかるけれど、ネタバレは良くないよ」
「ニュフフ、おっと、いけない。マドちゃんから、ゲームの情報を聞き出そうとするなんて、やるじゃないか」
「自分で勝手に、語り出しただけだろうが!」
『スキル・ツッコミが発動した』
僕は思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
とりあえず、僕らは洗礼を行うことにした。教会の地下には洞窟があり、何故か岩が発光していて――円の言うには、イグニス神の漏れ出た力のおかげだとか――少し薄暗くとも、不自由なく周囲が見える。
試練の洞窟というだけあって、モンスターが現れる。出現するモンスターは岩の化け物。けれど、チュートリアルと言っていたのは本当のようで、岩の化け物の動きは遅い上に、攻撃をしてみれば思ったよりも硬くはない。どうやら、このゲーム内では、スキル以外は普通に、自分の体を使って戦うようだ。そして、戦っていると気付くこともあった。
ゲームの中のキャラクターの動きはとても身軽で、現実世界の僕なんかよりも、よっぽど動きやすい。
「もしかしてこれって、レベルが上がれば、もっと動けるようになれるのか?」
「ニュフフ、もちろんだよ。最終的には、勇也みたいに動けるようになるから、期待すると良いよ」
「へぇ」
それはとても楽しそうだ。精霊の力で身体能力が強化できる勇也のように動くことは、現実世界では絶対に不可能だ。けれど、このゲームの中では、それが体験できるかもしれない。それは是非とも味わってみたいね。
程なくして、イグニス神の像が見えてくる。洗礼はとても簡単で、祈りを捧げる恰好をして円に言われた通りに祈りを捧げると、イグニス神の像から光が放たれ、僕と円の体へと吸い込まれた。
「これでいいのかな?」
「ニュフフ。問題ないよ」
円がそう答えた時、洞窟全体が揺れる。
「大変だ! 洞窟が崩れようとしている。急いで脱出しなくては」
円が物凄く台詞っぽいことを言った。
「……そういう設定なんだね」
「そういう設定だよ。本当ならNPCがやる予定なのだけれど、今回は連れて来てなかったから、マドちゃんがやりました。というわけで、崩れる前に脱出だよ」
彼女はあっさりそう言うと、僕の手を掴んで走り出した。
円は性格がアレだけれど、見た目は可愛い女の子だ。そんな彼女に手を握られたら、ときめいたとしてもおかしくない。けれど残念ながら、ゲーム内の僕の手からは、円の手の感触は感じられなかった。
崩れ落ちてくる岩を避けながら――当たるとちゃんとダメージを受けてしまう――僕は地上へと戻る。そこは本来教会の一室のはずだった。しかし、辿り着いたのは燃え盛る瓦礫の山だ。
「……なんだ、……これ」
僕は思わず呆然としてしまった。
見れば教会だけでなく、町全体が燃えているのだ。いくら作り物の世界だとしても、思わず衝撃を受けてしまう。それだけその光景がリアルで、逃げ惑う人たちの声が、切羽詰っているように聞こえたという事だ。
「お前たちが新たなる勇者か」
どこからかそんな声がした。すると、地面の一か所が闇色に染まり、そこから巨大な人影が現れた。おどろおどろしい鎧を全身に包み、その体は僕の何倍もある。
物凄く強そうで、正直、勝てる気がまったくしない。まぁ、見た目だけのこけおどしという可能性もなくはないけれど。なんせ、最初のボスっぽいし。
「我はこの世界の新たなる支配者だ。異界より呼ばれし勇者よ。ひとまず、我が世界にようこそと言っておこう。だが光の六神も、その力を借りる勇者もまた、我の支配する世界には必要のない存在だ。故に、お前たちには二つの道を用意しよう」
禍々しき巨人の言葉に、こいつがラスボスである魔王なんだと僕は悟った。いきなりラスボスって、急展開過ぎやしないか?
「このまま、何もせずに一生を過ごすか、もしくは、我に逆らい殺されるかだ。一つ言っておくが、お前たちはこの世界から逃れることもできぬし、この世界でお前たちが死ねば、現実世界でのお前たちの体にしても、死を迎える。故に、軽々に答えぬことだ」
「……え?」
僕は思わず面食らった顔をしてしまう。魔王の言葉が真実なのかと円を見ると、彼女は何故か嬉しそうに頷いた。
「ニュフフ。いわゆる、デスゲームって奴だね。ライトノベルでは、結構流行っているみたいだよ。ちなみに、このゲームから脱出する方法は、ゲームクリアだけさ」
「デスゲームなんて、実際に体験はしたくないぞ!」
『スキル・ツッコミが発動した』
うざい。マジでうざい。
僕は何とか気持ちを落ち着かせて、魔王を見る。まだ光の六神全ての力を得ていないので、きっと戦いを挑んだところで勝てはしないだろう。
……いや、待てよ。
僕はジェニーに渡された因果の剣の存在を思い出した。
確かこの剣は、イベント的に倒せない敵でも倒せるんだとか。つまり、このゲームの基本ルールである、因果律とも言えるものすら切ることができる剣なのだろう。
僕はメニュー画面を開き、アイテムリストから因果の剣を取り出す。
「……ふむ、あくまで我に刃向う道を選ぶか、異界の勇者よ」
魔王がそう言うと、彼の周りの闇が深くなった気がした。もしかしたら、戦闘態勢を取ったのかもしれない。正直、こちらの攻撃を当てる前にこちらが殺されそうだ。
あまりにも無理があり過ぎるだろ、このゲーム。初っ端から殺される確率が高過ぎる。
円は危険な物を作ったとしても、人が死ぬ可能性だけは、極力減らそうとしていると思っていたのに、まさかこんな危険なゲームを作ってくるとは思わなかった。
もっと、強く断っておくべきだった。
僕はそんな後悔をしていたけれど、魔王に敵視されても余裕を崩さない円の姿に、自分は思い違いをしているんじゃないかと思えた。
この後のイベントで、絶対に助かるようなことがあるのだろうか?
「……いや、違うか」
僕は首を横に振って笑った。
思い出したのだ。
円はわかり難い冗談も言ってくる事を。
だから僕は、因果の剣を自分に突き立てた。
そして、僕は闇に呑まれた。
というか、目が覚めると真っ暗だった。
「あれ?」
声が出たという事は死んだのではないのだろう。というか思い出した。目を覆うようにヘルメットをしていたことを。
ヘルメットを外すと、見慣れた科学部の部室が目に入ってくる。ジェニーがこちらに視線を向けてきている。
「お帰り、なさい、佐次、さん。まさか、自分から、死ぬとは、思い、ません、でした。怖くは、なかった、のですか? 死ぬ、のは」
あの世界のNPCが全てジェニーなだけあって、僕が何をしたのかを知っているようだ。まぁ、やったことなんて、ただの自殺だけれどね。
「死ぬのは怖いさ。でも、僕は信じているんだよ。円が、ゲームの中で死んだら現実でも死ぬような、そんなデスゲームを作ったりはしないってね」
「なる、ほど」
「ニュフフ。……まぁ、確かにそんなものは、どんなに頼まれても作りはしないけどね」
いつの間にか戻って来ていた円がそう言いながら、不満そうに僕を見てくる。
「でも、デスゲームだと思っていた方が、その人の人生観もわかるし、緊迫感があって面白いと思ったのだよ。それなのに、一か八か魔王と対峙するどころか、自殺するってどういう事さ。命知らずも良いところだよ。つまり、クレイジー野郎だよ」
「いやいや。命知らずじゃないから。死ぬのは怖いし、基本、自己犠牲だってできないよ、ぼくは。……でも、円が人を殺すようなシステムを、容認することはないって信じているって言ったろ?」
「うぅっ」
円は何故か動揺したようにたじろぎ俯いた。
「……なんというか、時たま、佐次殿は卑怯な気がする」
「卑怯? まぁ、コウモリ野郎だとはよく言われるけれどね」
「……ニュフフ、確かに。佐次殿は誰の味方にもなるからね。……でもそれは、誰も嫌いにならないという事だ。……そしてそれは、……怖がられ、嫌われ、ありのままの自分をさらけ出すことを恐れ、孤独であることを強いられてきた超常者たちにとっては、……涙が出るほど嬉しい事なのだよ。卑怯だと思うほどにね。……佐次殿は、それがわかっていないのだよ」
そう言って微笑んだ円の顔は、いつもよりも大人っぽく見えた。
霧島沙月は魔女だ。とはいえ、魔法が使えるから魔女というわけでもない。
由良にしても勇也や姫路さん、はたまたウルズさんのような神々だって、魔法のようなものが使える。というか、僕なんかは面倒だから、全てひっくるめて魔法と呼んでいるくらいだし。呼び方は異能力でも良い。
なので、沙月が今更ちょっとくらい魔法が使えたからと言って、魔女としてのアイデンティティーはかなり薄い。それでも沙月が、魔女と呼ばれる所以は、魔法を駆使して薬を作りだすことができるからだ。
昔の宗教家たちによる魔女狩りなどの時代を経たことによって、魔女という存在は誤解されがちだと言える。昔の人たちは、悪魔を信仰している邪教の輩と、魔女を同一視したのだ。同じように、怪しげなことをしていると言って。
しかし元来、魔女とは村外れに住まい、怪しげではあっても、病を治すような薬を作り、人々の役に立とうとする存在だった。そして、霧島沙月は、そんな古き良き魔女の役割を、しっかりと受け継いでいる女性なのだ。故に、彼女は魔女だと言える。
……まぁ、傍迷惑な薬も作るので、正直僕としては、円と同じくらいに曲者だと思っているのだけれど。
その為、昇降口で沙月と出会った時、僕は嫌そうな顔をしてしまった。
「いきなり嫌そうな顔って、失礼じゃないかしら?」
「僕は、体が緑色になったことを忘れない」
「あはは。あれはちょっとした失敗よ。本当は、人の体で光合成ができるようになるって薬だったんだけれど、体が緑色になるだけで終わっちゃったのよね」
「だけって、緑色になることは確定じゃんか」
「あはは、バレちゃった。まぁ、体の中に葉緑体を作る実験だったから仕方なかったのよ。なのに、葉緑体は働かない上に定着もしなかったからね。あれは本当に、失敗だったわ」
「失敗して良かったよ! 何人を、植物人間にしようとしているの!?」
「あはは、別に脳死状態にしようとしているわけじゃないわよ?」
「その植物人間じゃないし。……とりあえず、僕が沙月を見て、嫌な顔になるのは仕方ないと思う」
「ええ!? まさか、佐次君は私の事が嫌いなの?」
「え?」
まさかって、あれだけのことをしておいて、嫌われていないとでも思っているのだろうか? まぁ、実際のところとしては、そこまで嫌っているわけでもないのだけれど。
「……嫌いではないけれど、正直、迷惑な奴だとは思っている。円と同じくらいに」
「円と同じ!? ……そ、そっかな? 私としてはもうちょっと、大人しいつもりなんだけれど」
「確かに円の方が周囲を巻き込むけれど、僕個人としては、人で人体実験してくるのは同じなんだよ。だから、円と同じくらい迷惑な奴であることに変わりはないよ」
「そっかぁ。……まぁ、嫌われていないんなら別にいいや。それより、今日は帰りが遅いわね。何かあったのかしら?」
沙月は無駄にポジティブだった。
「……円が作ったっていうゲームをやっていたんだよ」
「そう、円の。佐次君はいつも、円と居るわね。……付き合っているの? ……って、物凄く嫌そうな顔をするわね」
「まぁ、そりゃ、ね。円は確かに可愛いとは思うけれど、……正直、そう思われたくはない。というか、あんなの彼女にしたら、毎日が大変じゃん」
「あはは、確かに」
「……言っておくけれど、沙月も変わらないからな」
「あぐぅ。……って、別に良いもん。きっといつか、こんな私でも愛してくれる人が居るはずだしね」
「すげぇ、ポジティブ」
「ポジティブじゃないわ、事実よ。とはいえ、肌を緑色にしてしまったのは悪かったわ。というわけで、お詫びの為にこれをあげるわ」
そう言って、沙月が渡してきたのは瓶詰された錠剤。
「なにこれ?」
「それは、肌が青くなる――」
「いるか!」
「冗談よ。まぁ、本当ところは、身体能力を強化できる薬よ。ちゃんと実験済みだから、効果は立証済み。ただ、次の日には筋肉痛でバキバキになるから気を付けてね」
「……身体能力の強化。それって、どれくらい?」
「そこは人それぞれよ。世の中には、薬の効き易い人と、効き難い人がいるからね。でも、今までにない動きができるようになるのは確かよ」
「ふぅん」
僕は気のない返事をしながらも面白そうだと思った。
今までにない動きができる。その経験を、先程までゲームで得ることができた。それはとても楽しかった。由良や勇也は、自分の意思でもっと自由に動けるのだろうと思うと羨ましい。
それにゲームでは視覚と聴覚の情報しかなかったけれど、自分の体ならば、もっと風を切るような感覚を覚えることもできただろう。つまり、もっとスピード感があって面白いかもしれない。
「……ちなみに、筋肉痛ってどれだけ痛い?」
「あ、使ってみたいと思ったんでしょ?」
「……まぁ、ちょっとは」
調子に乗せそうなので、あんまり認めたくないのだけれど、副作用を聞いたという事は、使っても良いと認めたようなものだ。だから、僕は嫌そうな顔をしながらも認めるしかなかった。
「安心して。二、三日痛みで動けなくなるだけだから」
「ああ、その程度か。……って十分に嫌だよ!」
「あはは、そりゃ、そっか。でも、それを使えば、きっと神楽走破では、良いところまで行けると思うよ。誰も佐次君が活躍するなんて思っていないから妨害もないだろうし、意外なダークホースの誕生ね。ダークホースとかカッコいい」
茶化すような沙月の言葉に僕は呆れたような顔をしてしまう。
……神楽走破か。
優勝すれば聖櫃に、できる限りの願いを叶えて貰えるという。沙月はダークホースだと言ったけれど、正直身体能力を上げたからといって優勝できる気がしない。
ちなみに、毎年の優勝者は決まっている。
円城ジェニーだ。
彼女の最初の願いは、人と同じ権利が欲しいというもので、その願いは叶えられ、役所に行けば彼女の戸籍がある。次の願いが科学部の部室。その次が、……なんだっけ?
まぁ、ジェニーはあんまり欲がないようで、毎年叶える願いがちっちゃいものになっていた気がする。因みに、円はジェニーから聖櫃の記憶を取り出そうとしたこともあるらしいが、失敗に終わっているのだとか。
「……まぁ、冗談はともかく、もしもの時にはその薬を使いなさいよ。最近、物騒みたいだからさ」
急に真面目なテンションになった沙月がそんなことを言って来た。
「物騒?」
「うん。気付いていたでしょ? 勇也と姫路が、昼休み頃から出かけていたの」
「……やっぱり、誰かの襲撃なのか」
「そうよ。まぁ、私は特に戦いは苦手だし、戦いの得意なヒナちゃんは怠惰だから、迎撃に行ったのはあの二人と王月さんだけってわけ」
「由良も迎撃に出ているのか?」
僕は少し驚いた。由良が町の為に何かをしているとは思わなかったのだ。魔王としての記憶を取り戻してからの彼女は、聖櫃を探ししながら、町の敵となっていた。
そんな彼女が町の為に戦っているというのは、あまり想像できなかった。
「王月さんは、外からの襲撃にだけは、力を貸してくれるみたいよ。まぁ、その理由はわかんないんだけれどね。……私の推測としては、自分が襲おうとしているものを横から掻っ攫うだなんて気に食わない、って言う、敵の敵は敵って奴だと思う」
「なるほど。確かにありそうな考えだね」
魔王である由良は自尊心が高い。ならば、誰かに横取りされるようなことは嫌うかもしれない。ならば、邪魔者を排除しようと手を貸してくれるのもわかる。
でも、僕は違う推測も立てていた。
由良にとって、この町は生まれ故郷でもある。だから、どんなに敵対的な行動を取っていたとしても、彼女にとって大切な場所であることに変わりはない。
だから、由良はこの町を守ってくれているんだと思う。
そんな風に考え、僕は少し嬉しかった。
由良がこの町を守ってくれている。それは、彼女と断たれてしまった関係が、辛うじて繋がってくれているような気がしたからだ。
「ともかく、佐次は気を付けなさいね。あなたも狙われる可能性があるんだから」
「え? 何で?」
僕は意味が分からず首を傾げる。
何度も繰り返すように述べているけれど、僕には特別な力なんてない。眠っている予定だってない。それは、前の魂吸引機の性で、決定的になってしまったわけだ。つまり、どうしたところで僕はただの一般人。そんな僕を狙う理由なんてあるわけがない。
「はぁ。本当に気付いていないのね」
心底呆れたように沙月がため息を吐くけれど、まったく理由がわからない僕は、首を捻るしかない。
「佐次はこの町では、多くの有力者と知り合いなわけよ。勇也も姫路も、この学校の学生とはいえ、力が全ての超常者たちの中では、正に注目株よ。そして、由良や円にしてもそれは同じ。更に言えば、あんた、時の三姉妹とも知り合いでしょ」
「知り合いって言っても、町で会えば世間話をするくらいの、その程度の仲だよ」
「……その程度でも十分よ。そして、そういう仲の超常者は、他にもたくさんいるでしょ?」
「……まぁ」
僕が腑に落ちない表情で頷くと、沙月はますます呆れた表情をする。
「本当にわかってないのかしら? ……つまり、あなたはね。この町の有力者ほとんどと知り合いってことなのよ。だから、あなたを誘拐でもすれば、この町にいる多くの超常者の人質として、通用するということなのよ。……もしも、私がこの町を狙う側で、この町の事情を少しでも知っているのなら、私は間違いなく佐次を攫うわよ」
「えぇ? それは僕の事を過大評価し過ぎじゃない?」
「逆に、あなたは自分の事を過小評価し過ぎていると思うけれどね。……まぁ、用心だけはしておきなさいよ」
「まぁ、……良いけれど」
そう頷きながらも、やっぱり、自分がそんな重要な役回りだとは思えなかった。正直なところ、僕は沙月の言葉をあまり信じてはいなかったのだ。
だって、何の力もない自分が狙われるだなんて、おかし過ぎるじゃないか。僕と同じような人なんて、いくらでも学校内にはいるのだから。
沙月の言葉を素直に受け入れられるわけがない。
ぶっちゃけ、彼女の考え過ぎで、誰も僕なんかに注目しているわけがない。
少なくとも僕は、そう考えていた。
だから、沙月と別れたその帰り道、男たちに攫われようとした瞬間、僕は嘘だろ!? と信じられない気持ちでいっぱいだった。