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超常の町の人々

 超常の存在が集まる地、御津多市。

 この地に住む人なら、朝に必ず見なければならないテレビがある。御津多市にだけ流れるローカルテレビ。吸血鬼の少女メルちゃんとラミアのシルビアさんのローカルアイドルユニット『血を吸い隊』による災害予報だ。

 ファンならば絶対チェックだぜ! って気持ちもあるけれど、超常予報はこの町で、平穏無事に生きて行くには重要なテレビだったりする。

 災害予報とは、超常の力によって災害があるかもしれないと、未来を占うものだ。

 吸血鬼のメルちゃんには未来視の力があり、その未来は必ず当たるものではないけれど、それでもかなりの確率で超常による災害を予見してくれる。それはこの町に住む者にとっては、頼りになるものだ。御津多市では、雨と同じくらいの確率でどこかしらが爆発しているのだから。

 超常の存在は協定によって、力を持たない人々には手を出さず、巻き込まれそうになったら守ろうとしてくれる。けれど、守られるよりもまず、巻き込まれないことが一番だ。

 だから僕も、彼女らの愛らしい姿を絶対見ているであろう他の市民と同じように、超常予報を見る。血を吸い隊の二人も可愛いし、寝覚めに見る美少女は良いものです。

『今日の災害地区はここなんだよ』

 メルちゃんの明るい声と共に、御津多市の地図の一部に赤いハートマークが印される。災害なのだから不謹慎だという声もあったらしいけれど、可愛いは正義だから許されるはずだ。

『時間帯は何時かしら、メル』

 シルビアさんはいつ見てもクールだ。そんな彼女も素敵だと思います。

『んっと、一時から三時ってところかな。マークの付いているところに住んでいる人は、その時間は避難しておいた方が良いよぉ』

『そうね。それが懸命』

「うっわ。災害範囲に、うちも入っているじゃん。母さん。避難していた方が良いって」

 台所で朝食の準備をしている母さんに声を掛ける。すると母さんは、慌てることもなく気軽に頷いた。

「そう。まぁ、いつもの事ね」

「いつもの事だね」

 今日も御津多市はいつも通りだった。


 超天才科学者、円城円は変人だ。天才と変人は紙一重というけれど、円に関しては紙一重どころか、両方に踏み出している。

 天才であり変人でもある。

 それが円城円にふさわしい評価だと僕は思う。

 彼女は小柄で、幼さの残ったとても愛らしい顔立ちをしている。けれどその顔にはいつも、人を小馬鹿にしたような皮肉気な笑みを浮かべていて、本来の見た目通り、彼女を可愛いと評価する人は少ない。

 円は科学者のお約束だと言って、いつも学校の制服の上から白衣を羽織っているので、彼女の姿は良く目立つ。悪目立ちも良いところだ。そして学校へと向かう途中、いつもの白衣がひらひらと揺れているのが見えた。更に、大きなリュックのおまけつき。いつも通りの彼女がそこにはいた。

「おはよう、円」

「ニュフフ。やぁ、佐次殿。突然だが、マドちゃんは機嫌が悪いのだよ。つまり、不機嫌なのだよ」

「笑っているのに?」

「マドちゃんの笑いなんて、愛想笑いのようなものなのだよ。つまり、社交辞令。皆の為の笑いなのだよ」

「……誰も得してないけどね。んで、円は何で不機嫌なの?」

「ニュフフ。昨日の事なのだが、マドちゃんは討論番組を見ていたのだよ」

「へぇ。政治家に憤りでも感じた?」

「何を言っているんだい? マドちゃんの見たものは、そんな俗っぽいものではないよ。マドちゃんが見たものは、幽霊は存在するかという、霊能者と科学者の討論番組さ」

「そっちの方が俗っぽくない!?」

「その番組で、科学者が科学者としてはあるまじきことを言ったんだよ」

 フンスカと彼女は鼻息荒く言った。

「……僕のツッコミは無視なのか。……んで、なんて言ったんだ、その科学者は」

「そいつは、今の科学では証明されていないから、幽霊はいないと言ったんだ」

「……へぇ」

 正直、今のどこに怒る要素があるのかはわからなかった。

 まぁ、ここは超常の集まる町なので、幽霊の友人がいたりする。けれど、この町の外の人間は一般的に、超常の存在は信じない。この御津多市を治める神々の情報操作は半端ない。流石神様たちだ。でも、もしかしたら円は、幽霊の友人がいないと言われたことに、腹を立てたのかもしれない。中々友達思いだ。

「まぁ、そんなに怒ることないじゃんか。そいつらがどんなにいないって言ったところで、僕たちは、織部さんが居ることを知っているんだから」

「そんなのはどうでも良いのだよ!」

「良いのかよ! しかも織部さんをどうでも良いって、失礼だよ! 友達想いだって思った僕の関心を返せ!」

「ニュフフ。触れぬ巨乳に、何の価値があるというのだい。正に虚乳なのだよ」

 なんと言うか、どんな当て字を使ったのか、なんとなくわかってしまった自分が悲しい。

「……じゃあ、円は何で怒っているんだい?」

「決まっているじゃないか! 科学者たる者、今の科学で証明できないものがあるのなら、そんなものはないと決めつけるよりも、証明してみせようと研究するべきなのだよ! そうすれば、今まで見つけられなかった未知の力や物質が見つかるかもしれないじゃないか! ……なのに彼らは今の科学を最上だと信じ、調べもせずに、新たな発見を見逃そうとしている。そんな奴らを、マドちゃんは科学者として認めない!」

「……そう」

 どうやら同じ科学者として、腹を立てただけのようだ。

 正直、僕としては腹を立てられた科学者に同情してしまう。こんな、何も証明しない超天才科学者に、そんな憤りを向けられても困るだろうに。

「ニュフフ。そう言うわけで、マドちゃんはこの憤りを形にしようと、こういう道具を作ってみたよ」

 そう言って、大きなリュックからガサゴソと取り出したのは、ハンドクリーナーのような機械。円の作った発明品だろう。あまり良い予感はしない。

「それは?」

「ニュフフ。これぞ、魂吸引機だよ。人は臨死体験をする時、幽体離脱をするというのだよ。これは、それを強制的に行う機械なのさ。これを使って臨死体験をさせれば、あの頭の固い科学者たちも、幽霊の存在を頭から否定することは無くなるはずさ。つまり、幽霊の存在を肯定するようになるのだよ」

「……まぁ、自分で体験すれば、そう思うかもね。でも、そんな面倒なことせずに、普通に織部さんを合わせた方が早いと思うけど」

「ふん。奴らはそれでも信じないだろう。全ては幻覚だ、とか言って。……それに、もしも信じたとしたら、織部殿が実験体にされてしまうのだよ。……佐次殿は、友人を科学の為の実験体にしろと? マドちゃんも流石に、そんなマッドサイエンティストにはなれないよ。佐次殿にはドン引きだ」

「……いや、ごめん。確かにそれはダメだ。……ところで、その魂吸引機は、どんな原理になっているの?」

「ニュフフ。マドちゃんがそれを知っているとでも?」

 何故か不敵に笑う円に、僕は呆れるしかない。

 とんでもなく頭の良い人の中には、数学の問題の公式など使わなくても、なんとなくで答えを導き出せてしまう人が居るという。だから、他の人にその数式の解き方を聞かれても、公式が頭に浮かんでいるわけではないので、説明できなかったりする。

 そして、円城円はそれと同じタイプの発展形だ。

 彼女は思い描いたものを作り出す。しかし、それがどのような力が加わり、どのような働きをして、そんな効果を発揮するのか、彼女はわかっていないのだ。

 つまり彼女は、なんとなくで解いた数学の問題が正解しているように、なんとなくで作ったものが、思い描いた効果を発揮させているだけなのだ。

 正直、作ったものを解析した人も居たのだけれど、彼女の作った道具には、今の科学では証明できないような部分が多く、真似て作ることもできないらしい。

 故に円城円は、何も証明はしない、そして、誰にも理解されない。正に、超天才科学者なのだ。彼女が唯一証明しているものは、そういう装置が創れるかもしれないという可能性だけだろう。


 僕らの住まう御津多市には、二つの高校がある。

 一つは、力を持たない生徒のみが通う普道高校。そして、超常の力を持った者と力を持たない者が一緒に通う全友学園だ。

 如何に御津多市が超常者の集まる地であり、それを受け入れている日常があるとはいえ、敵対的な意思まではなくとも、結局のところ、あまり関わりたくないと思う者も多いのは事実なのだ。

 しかし、勘違いしてはいけないのは、普道高校の人間すべてが、超常の存在と関わりたくないという思いを持っているわけでもない。

 全友学園は超常者を受け入れているだけあって、特殊な学業カリキュラムを組んでいる。その為、いつか御津多市を出て、外の大学に行こうと考える者にとっては、普道高校の方が学びの場として優れてもいる。

 例えば全友学園では、超常者たちが御津多市の社会に溶け込み、生きる為の知識を学ぶ、学業機関という側面が強い。だから、大学受験には必要のないことも学ばされることが多い。

 それに、人間関係を作るのも、かなり大変だったりする。

 超常者の学業の場として解放している為、入学する者の年齢に差があることも多い。更には、留年を何度でもできるというシステムの為、いつまでも学生として、学校に居座る超常者もいるくらいだ。

 つまり、力を持たない高校生にとって、全友学園は面倒が多いだけで自分の身になることが少ない高校となる。その為、一般人にとっては、普通に学校としての人気が少ない。なので、普道高校に通う人全てが、必ずしも、超常の存在を敬遠しているわけではないのだ。

 そう僕だって、何度普道高校にしておけば良かったかと、後悔したことか。

 特に超常者が少しくらい暴れても良いようにと造られたこの学園は、山を一つ切り崩して、やたらでかく造られている。なので、正門に行くまでの登り坂と、更には正門から校舎までの歩く気を無くしかねない距離に、いつも後悔に襲われる。

「ニュフフ。ならば、自転車通学にすればいいではないか」

 円が僕のうんざり顔を見て、そんな提案をしてくる。というか、そんな提案、何千回とされたと思う、円から。だから、僕はいつものように返す。

「自転車競技部くらいしか、あんな坂登れないよ」

「ならば、電動自転車だ。事実、そういう生徒はとても多い」

「……ふっ。僕を甘く見ないでもらおうか。電動自転車を買うような金もないし、そもそも、僕は自転車に乗れない」

「……まぁ、知っていたけれどね」

「だよね」

「ならば、転ばない自転車を作ってあげようか?」

「断る!」

 ここまでがいつものやりとりだ。

 どうも、円の周りで自転車に乗れないのは僕だけのようだ。だから彼女としては、自転車の乗れない僕に、彼女の作った転ばない自転車を試して欲しいようで、この話題になるごとに聞いてくる。

 しかし僕はもう、一度それで痛い目に遭っている。それはもう、その一件がトラウマとなって、自転車に乗る練習をしなくなってしまったほどの痛い目に。

 僕はもう、円の作った自転車なんか、乗ってたまるかという気持ちでいっぱいです。


 担任の竜ヶ崎陽菜は、いつも眠そうにしている。

 たぶん、ちゃんと開けばパッチリしているであろうその眼は、いつも眠そうに細められ、正直、ちゃんと開いているところを、少なくとも僕は見たことがない。

 髪もいつもぼさぼさで、朝はちゃんと身支度をしている様にも思えないし、ホームルームであろうと授業中であろうと、彼女は欠伸を毎日のように欠かさない。

 その姿には覇気が感じられず、先生としては尊敬もできない。でも、いつも眠そうにふらふらしている姿はどこか心配で、つい面倒を見てあげたくなる。

 それが竜ヶ崎陽菜という人だ。

 ちなみに、生徒達からはヒナちゃんと呼ばれ、親しまれている。教師としては威厳もへったくれもない呼ばれ方だけれど、ヒナちゃん自身は拒否する気力もないのか、特に注意することなく受け入れている。

「ヒナちゃん、いつも眠そうだね。何時に寝てるの?」

 ホームルームが終わっても、教壇に突っ伏し中々教室から出て行こうとしないヒナちゃんに、僕は苦笑して話しかけると、彼女はだるそうに頭だけを上げてくる。

「んあぁ? ……んっとぉ、昨日は遅かったんだよぉ。布団に入ったのが夜の八時だしねぇ。ふわあぁ。十二時間しか寝てないよぉ」

「十分寝てるな、おい。……っていうかヒナちゃんって、朝八時起きなんだね」

「家が学校の隣だから、ぎりぎりまで寝ていられるんだよぉ」

 ヒナちゃんはニヤリと自慢げな笑みを浮かべてくる。

「ダメな生徒かよ」

「いやいやぁ。遅刻してないんだから、ダメではないよぉ。……あふぅ。……それに、あたしとしては、十二時間じゃ十分じゃないんだよぉ。自然の竜は、ほとんどの時間を寝て過ごすんだよぉ。だから、竜の化身であるあたしとしても、一日中、寝ていたいんだよねぇ。……あぁ。自然に戻りたい」

 ヒナちゃんは冗談なのかよくわからない口調で、そんなことを言ってくる。

 竜といえば、とても偉大で優れた存在だ。この町には多くの幻獣や魔獣が現れるけれど、竜は間違いなく、最強と呼ばれる幻獣であり魔獣。人以上の知能を持ち、神に匹敵する力を持っているとも言われている。

 正直、ヒナちゃんには竜としての凄味を感じたこともないし、人を超えた知能があるとも思えない。けれど、僕はヒナちゃんが嘘を吐いているとも思わない。

 ここは、超常が集まる町だ。

 ヒナちゃんが竜の化身だったとしても、おかしくはない。と言うよりも、僕としては正直どうでも良い。ヒナちゃんが竜の化身だろうとなんだろうと、僕にとって重要なのは、彼女が親しみやすい担任だという事だ。

「寂しくなるから、自然に戻らずに、頑張ってほしいな」

「……んふふ。そう言われると教師としては、悪くない気分なんだよぉ。……ふわぁ。……まぁ。愛すべき生徒たちの為に、頑張ろうかねぇ」

 ヒナちゃんはだらだらと立ち上がり、ふらふらと教室を出て行った。

「……そう言う事は、欠伸をしないで言って欲しかったよ」

「ニュフフ。あれが陽菜殿だから仕方ないのさ」

 ヒナちゃんとのやりとりを見ていた円がそう言って、ニヤニヤと笑みを浮かべてくる。

「……なんだよ」

「断言しても良いけれど、明日ヒナちゃんが居なくなったところで、一週間後の佐次殿は、寂しがりなどしないのだよ」

「……まるでそれだと、僕が血も涙もない人間みたいじゃないか」

「ニュフフ、そうは言わないさ。ただ、マドちゃんは佐次殿と付き合いは、それなりに長いからね。マドちゃんは佐次殿ことを、ある程度わかっているのだよ。まず、佐次殿は決して無感情ではないよ。怒りもするし、悲しみもするのだよ。つまり、感情豊かなのだよ」

「いや、それ当たり前だからね」

 まるで重大な事実のように言ってくる円に、僕としては呆れてしまう。僕は別に、辛い過去があるわけでもないし、父は単身赴任で家にあまりいないけれど、両親も普通に健在で、愛情深く育ててもらった自覚はある。

 僕が無感情に育つ余地など、全くと言っていいほどない。

「でも、佐次殿はドライでもあるのだよ。つまり、かっさかさの乾燥肌ならぬ、乾燥野郎なのだよ」

「ドライ?」

「そうさ。佐次殿はドライだよ。砂漠に降る雨のように、佐次殿の感情は瞬く間に吸収され、その感情を次の日にまで引きずることはほとんどないのさ」

「……まさか」

「佐次殿は先週、沙月殿に怒っていたことがあったのだよ」

 沙月とは隣のクラスの魔女だ。いつも怪しげな薬を作っている。

「……先週? ……ああ、あった。弁当の中におかしな薬を入れてきて、人の体で実験してきたんだ。その日は一日中大変だったからね。なんて言ったって、体の色が緑色になったんだぞ。円なんか、気持ち悪いとか言って爆笑していたじゃんか。……温厚な僕でも、流石にあれは怒ったよ」

「ニュフフ、あれは傑作だったのだよ。しかし、その時の君は、元に戻るかなと不安がっていたし、沙月殿ことを一生許さないとも言っていたのさ。……けれど、次の日の佐次殿は、どうだった?」

 次の日の僕は、怒っていたことも忘れ、沙月と普通に話していた。

「……ちゃうねん」

「何がちゃうねん?」

 円は可愛らしく小首を傾げ、ニヤニヤと僕を追いつめようとしてくる。

「ほ、ほら、僕って大人だからさ。仕方ないから許してあげたんだよ。お、大人だからね。……すっかり忘れてたぞ、ちくしょう」

 誤魔化そうとしたけれど、思い返してみれば似たようなことがたくさんあったので、心が折れた。

 小学生の頃、父さんの単身赴任が決まって、父さんだけ引っ越してしまう事を悲しんだことがある。それはもう、父さんが好きだった僕は、その夜、泣き腫らしたものだ。けれど、次の日には父さんが帰ってこないことに慣れて、ケロッとした顔をしていたものだ。

 僕が認めたことで、円はとても勝ち誇った顔をしてくる、

「佐次殿は、感情が長続きしないのさ。つまり飽きっぽい。だから、ドライに見えるのだよ」

「悪かったね、ドライで」

「ニュフフ。別に悪くないさ。むしろ、ドライは褒め言葉さ」

「そんなの聞いたこともないよ」

「そうかい? でも、マドちゃんはそう思うのだよ。例え、どんなに怒らせても、どんなに怖い思いをさせても、次の日にはケロッとした顔で接してくれるのだ。それがマドちゃんみたいに超常の力を持つ者にとって、どれだけ嬉しい事か、ってね」

 そう言って、円は珍しく照れくさそうに微笑んだ。そういう笑みを浮かべると、本当に可愛く見えるので困る。

「怒らせるのや怖がらせるのは、前提なのかよ」

 僕は誤魔化すようについつい、ぶっきらぼうに皮肉気なことを言ってしまう。

「まぁ、マドちゃんたちが持つ超常の力は強過ぎて、少し間違えば大惨事だからね。怖いことに巻き込ませる可能性は、残念ながらとても高いのさ。……今日見せた魂吸引機にしても、下手をすれば体に戻れなくなる可能性のある代物だし」

 円が最後にボソッと付け足した言葉に、僕はドン引きも良いところだ。

「マジか。ていうかあれ、そんな危険なものだったのかよ」

 魂が抜かれた状態のまま戻れないという事はつまり、死を意味する。あんなハンドクリーナーみたいなちっちゃい機械が、悪用すれば人を殺せるとかマジで怖い。

「まぁ、マドちゃんの発明品は、取扱いに気を付けた方が良いものは多いのだよ。大したものに見えなくても、使い方によっては危険ってものも多いのさ。……それでも佐次殿は、マドちゃんたちに関わってくれる。身を守るような、特別な力もないのにね。……とても貴重な友人だよ、佐次殿は」

「僕としては今、激しく関わりたく無くなったんだけど」

「ニュフフ。そんな心にもないことを」

 僕のげんなりとした言葉は、円には冗談として扱われてしまったようだ。まぁ、確かに本気ではないけれど。……でも、冗談として扱われるのも、僕が本当に何をしても許すような人だと思われそうで、正直否定しておきたい。

 僕が言い返そうとすると、授業を告げるチャイムが鳴った。すぐに先生も来ることだろう。

 タイミングを逃したなと思って大人しく自分の机に戻ろうとすると、円がそんな僕の背中に声を掛けてくる。

「ああ、そうだ佐次殿」

「ん?」

「昼休みに織部殿に会いに行きたいのだけれど、一緒に来て欲しいのだよ」

「織部さんに? ……まぁ、構わないけれど、……彼女に何か、用でもあるのかい?」

 今朝、幽霊の実在を証明するとか、そんな話をしていたこと思い出す。とりあえず一緒に来いと言うのなら、どんな用があるのかを知っておきたい。

「ニュフフ。魂吸引機の実験をしようと考えているのさ」

「使うなよ!」

 今さっき、下手をすると魂が戻らなくなると聞いたばかりのものだ。僕は精一杯拒絶したけれど、円は楽しそうな笑みを浮かべて肩を竦めるだけだった。彼女の中では、使う事はもう、決定事項のようだ。


 永遠の十七歳を自称する幽霊の織部さんは随分と昔に亡くなった女学生だと言われている。彼女がいつも身に纏っている制服は、黒いセーラー服に丈の長いスカートという、正に昔の女学生を彷彿とさせるような恰好をしている。

 けれど、その制服がどの学校の制服かも、彼女がどの時代に居たのかもわからない。

 誰も彼女の生前の姿を知る者はいないのだ。

 それは織部さん自身にしてもだ。

 織部さんには生前の記憶なく、自分の名前すらしっかりと覚えていない。覚えているのは織部と呼ばれていたという事くらいで、果たして織部が苗字だったのか、下の名だったかすらも、彼女はわからない。

 それでも織部さんは、記憶がないからと言って変に暗くなることはなく、むしろ、誰とでも明るく接してくれる。

「……ていうか、何で僕も一緒に行かなくちゃいけないんだろ」

 昼食もそこそこに、円に付き合って織部さんのいる屋上へと向かう途中、僕はついついぼやいてしまう。一緒に昼食を食べていた友人の勇也や姫路さんには、大変だねといった感じの同情的な視線を向けられたものだ。

 先程も述べたように、織部さんは誰とも明るく接してくれる。もちろん彼女にだって好き嫌いはあるけれど、嫌われることさえしなければ――例えば彼女が浮いていることを良いことに、スカートの中を覗こうとしたり、殴られても痛くないことを良いことに、セクハラ発言かましたりしなければ――基本的には簡単に仲良くなれる人だ。

 少なくも円はどちらにも当てはまるような人物じゃない、……たぶん。ならば、僕なんか頼らずとも、自分で交渉できるはずだと思うのだ。

「ニュフフ。わかっていないね、佐次殿は。マドちゃんよりも佐次殿の方が、織部殿とは仲が良い。仲の良い者に頼まれた方が、織部殿としては悪い気はしないのだよ」

「僕が頼むのは決定事項なんだ」

「何を当然なことを。……それに、織部殿が協力してくれるとなったら、すぐにでも実験台は欲しいだろう?」

「ああ、実験台ね。……って、僕が実験台なの!? てっきり、実験台は織部さんなのかと思ってたよ!」

「魂吸引機は、肉体から魂を引き離す道具だというのに、元から肉体を持たない織部殿に試しても仕方がないだろう?」

 円は呆れたように肩を竦めた。確かにその通りだった。円は魂吸引機を、幽体離脱を体験させるものだと言っていた。そんなものを既に幽体離脱状態の織部さんに使ったところで意味は無さ過ぎる。だからと言って、一つ間違えば命を落としかねないようなものの実験台にはなりたくない。

「ていうか、試すなら、円が憤りを感じたっていう、幽霊を信じない科学者に使えば良いじゃないか」

「……そうだね。本当ならそれが一番いいとは思いはするさ。……けれど、その男はこの町の人間ではないのだよ」

 円は少し寂しそうな顔をして微笑んだ。

 僕はそれを見て、自分の失言に罪悪感を覚える。

 別に意識して言ったわけじゃない。それでも、不用意な発言で彼女を傷つけたのは事実だ。

 超常の力を持つ者は、この町から出てはいけない。

 だから、円もこの町からは出られないのだ。平穏無事に生きたいと願うのなら。

 一般的に、この町の人間以外には、超常の存在は知られていない。超常の力は、ものによっては世界の理を壊しかねない。だから、その存在を知る権力者たちは、その存在を秘匿しようとしている。超常の存在を知られるという事は、自分の立場が危うくなるかもしれないからだ。

 そして、表沙汰にしようとする超常者に対する彼らの秘匿の手段は、非人道的でとても苛烈なことが多く、超常者たちは彼らから身を潜めるように生きるしかない。

 もちろん、超常者たちの中には、世界を敵に回すだけの力を持った者もいるし、世界に牙を剥く組織もあると聞く。

 けれど、基本的に超常者たちが表立って、人と戦おうとすることは少ない。それは、超常の力を持つ者たちも結局のところ、今の世界の暮らしを、それなりに大事にしてくれているということだ。

 例え超常者であろうと一人で生きるのは難しいし辛い。なにより、もしも彼らが一度世界を壊してしまえば、今の現代的な暮らしを手放さなければならなくなる。

 彼らはそれをわかっているから、この世界を壊そうとはしないし、むしろ、秘匿しようという動きには協力的で、その中には権力者に取り入り、表沙汰にしようとする組織と戦う者もいるくらいだ。

 そんな中でこの御津多市だけは特殊な環境にあった。その特殊性を強めているのが、この地に住まう神々の存在だ。

『神の方舟』と名付けられた神々の組織が、この地を治め、人と超常者が共存する地を造り出している。

 かつて異世界で、世界中を恐怖に陥れた魔王も、それを倒した勇者でさえ、その『神の方舟』には敵わない。

 そんな『神の方舟』は町全体に結界を張っている。その結界は、超常による現象から、力を持たない人の命を、ギリギリのところで守ってくれている。その効果は絶対ではないけれど、力を持たない人と超常者が、共に暮らす為の最後のラインを守ってくれているのだ。そして最も重要なのは、結界の外に超常の力の情報が漏れることも防いでくれているという事だ。

 力を持たない人が結界の外に出ると、超常の力に関する記憶の一切を無くしてしまう。そして、それだけでなく、ネットや電話などで外の世界に超常の力を伝えたとしても、外に出た者は記憶を失うので、それを信じてこの町に来たとしても、外に出ればやはり忘れてしまう。なので、どんなに外に伝えようとしたところで、最終的には冗談として扱われることになる。

 もちろんそうなると、記憶の齟齬も生まれてくるものだけれど、それを適当な記憶が勝手に埋められるので、その齟齬にも気付く者はほとんどいないらしい。

 そのおかげで、この御津多市では超常の存在が広く認知されて受け入れられているというのに、外の世界にはその情報が広がらずに済んでいられるのだ。

 その情報統制力は相当で、超常者だということを隠さずに住める町として、秘匿したがっている権力者たちにも認めさせることができた。

 つまり、超常者にとってこの地は、身を潜めることなく堂々と生きる事の出来る安寧の町なのだ。だからこそ、この町には超常の存在が集まってくるというわけでもある。

 けれど、この町に住むにあたって、超常者にも守らなければならないルールはもちろんある。その一つが、この町、つまり御津多市を取り囲む結界から、出てはいけないというものだ。

 超常者は結界から出ても、記憶を失うことはない。それは、御津多市がどれだけ奇異な町であるかを、外に明かすことができてしまうという事だ。それ故に、外に出た超常者は、『神の方舟』の考えから外れた者として、権力者たちに狙われることになる。そして、そのルールは残念ながら、超天才科学者である円にも適用される。彼女の力自体は人と変わらないけれど、彼女の作るものはあまりにも常識を外れている。

「ごめん、円」

「ニュフフ、別に良いさ。別に外に出なくても、この町での暮らしは十分に楽しいのだよ。つまり、充実しているって事さ。……でも、そうだね。悪いと思ったのなら、魂吸引機の実験台になってもらおうか」

 円はそう言ってニヤリと笑う。まるで、罠にかかった獲物を見るように。

 僕は自分の失敗を悟ってしまう。

 本来、円はどんな悪口も聞き流すだけの鋼の心臓を持っている。そんな彼女がこの町から出られないことを指摘されただけで、寂しそうな顔をするわけがない。

「……うわぁ。なんかハメられた気がしてきた」

「そんなことないさ」

 先程の寂しそうな顔なんか浮かびそうにない、ケロリとした顔で言ってくる。

 僕は自分の迂闊さにため息を吐き、仕方がないと諦める。

「……はぁ、わかったよ。……でも、命の危険はないんだよな?」

「もちろんさ。その為の織部殿だよ。織部殿には、ちゃんと体に戻る為の導き役として、協力してもらおうと思っているのさ。彼女は長いこと魂として過ごしているからね。魂の扱いには長けているはずだ」

「なるほどね」

 もしも魂吸引機で、魂が体に戻らないという事態に陥ったとしても、織部さんがついていれば、確かに元に戻ることはできそうな気がする。

「ニュフフ。……まぁ、安心すると良いのだよ。マドちゃんにとって、佐次殿は貴重で大切な友人だからね。失ったらとても悲しくて、想像しただけで泣きそうになるくらいさ。きっとその悲しさは、佐次殿とは違って、ずっとずっと、続いてしまうだろうね。だから、佐次殿は絶対に死なせないよ」

 円の冗談めかした言葉。けれど、彼女があまり嘘を吐かないのを僕は知っている。その言葉の熱量がどれだけかはわからないけれど、大切な友達だと思ってくれているのは本当だろう。

「途中の、僕と違って、っていうのがなければ、素直に嬉しかったんだけどな」

 僕は照れ隠しにそんなぶっきらぼうな事を言って、織部さんのいる屋上へと駆け登った。


 王月由良は、異世界の魔王。その転生者だ。

 見た目は小柄で愛らしい少女。白銀色の長い髪が、彼女の存在を目立たせる。そして、綺麗な顔に感情を浮かべることは滅多になく、彼女の血も凍るような冷徹な眼で見られると、心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。

 由良は今、聖櫃と呼ばれる、『神の方舟』が持つ、秘宝を狙っているらしい。

 勇者の転生者である勇也と争う事も多いけれど、今のところはこの町から追い出されない程度に、暴れることは控えてくれている。

 屋上に出ると、そんな彼女が落下防止のフェンスの外に出て、ぼんやりと景色を眺めていた。この学校は、山の中腹を切り崩したところにある。その為、屋上からだと町の様子が一望できる。なので、眺めはかなり良い。

 由良もこの景色を気に入っているのかもしれない。僕も気に入っている。……ただ、僕は高いところがあまり得意ではないので、あんなフェンスの外には立てないけれどね。

 彼女はこの町に多くいる超常者の中でも、トップクラスの実力者。その力は神すら越えているとか。流石に、神々の組織である『神の方舟』には敵わないらしいが、単独ならば、彼女に勝てるものはほとんどいない。その性格は冷徹な魔王ということもあり、恐れられ、一人でいることが多い。けれど、由良には部下も居るのに、彼らと一緒に居ることも少ない。という事は、彼女自身一人でいることが好きなのだろう。

「ああっ! 佐次君にマドちゃんだ」

 由良に気を取られていると、そんな声と共に、一人の黒髪ロングの折り目正しい女生徒が空から降って来た。目的の人物の織部さんだ。

「やぁ、織部さん。こんにちは」

「うん、こんにちは。……佐次君たちは、私と遊びに来てくれたの? それなら、ようこそだよぉ。……さっきから由良ちゃんに話しかけてみたんだけれど、全然相手にしてくれないのよね」

 織部さんはそう言って悲しそうに由良を見る。彼女は僕らが来たことにも気付いているだろうけれど、こちらには全く目もくれない。正に興味ないと言わんばかりだ。

「はっ! もしかして、私は幽霊だから見えていないんじゃ」

 織部さんは驚愕の真実に気付いてしまったと言わんばかりの顔をするけれど、僕はその素っ頓狂な考えに苦笑してしまう。

「それはないよ。由良は魔王の力を持っているからね。彼女の眷属には、死霊たちもいる。だから、織部さんが見えないという事はないでしょ。むしろ、何の力もない僕が見えているわけだし」

「そっか。由良ちゃんの眷属には死霊もいるのね。……ということは、私は由良ちゃんの眷属なの?」

「いや。由良の眷属の死霊は、消えようとしている魂に自分の魔力を分け与えることで、この世に繋ぎ止めている存在らしいよ。だから、由良がこの町に現れる前からいる織部さんは、由良に魔力を分け与えられたわけではないから違うと思う」

「そっかぁ。私のことが知れると思ったんだけれど残念。でも確かに、魂に魔力を分けるなんてことができるのなら、私が見えないってことはないね。……つまり、無視か。無視なのかしら!? いくら幽霊だからって、いじめは良くないよ。傷つく心はあるのです」

「幽霊じゃなくても、由良は誰に対してもあんな感じだよ。……まぁ、悪い奴じゃないから、許してやってよ」

「……佐次君がそう言うのなら。……無視されるのは寂しいけれど、酷いことをされたわけじゃないしね」

「ニュフフ。織部殿は寛大だね。……しかし、魔王相手に悪い奴じゃないと言うのも、不思議な話だね、……佐次殿。……彼女がこの町にとって、厄介者であることに変わりはないのだよ。つまり、決して良い奴と言うわけでもないのさ」

「……まぁ、そうなんだけれどね」

 僕は円の指摘に、残念ながら苦笑して頷くことしかできない。

 由良がこの町に迷惑をかけていないと言えば嘘になるし、その嘘はこの町の住人にならば誰にでもわかってしまう類の物だ。彼女が聖櫃を探して、町中の社を壊しまわった社破壊事件――そのまんまのネーミングはどうかと思う――は有名だし、勇也との諍いによって巻き込まれた周囲の被害も、相当の数にのぼる。

 それでも由良が、なんとかこの町を追い出されずに済んでいるのは、力を持たない一般人には手を出さないからだ。彼女がこの町に迷惑をかけているのはどうしようもない事実かもしれない。でも僕は、由良を嫌いにはなれなかった。

 僕と由良との付き合いは長い。由良は超常の力――魔王としての意識――に目覚めてからこの町に来たわけじゃない。彼女は僕と同じようにこの町で生まれ、普通の少女として育ってきた。

 その頃の由良は、明るくて少しお節介な少女だった。

 けれど、彼女が変わってしまったのは、中学に上がろうとしていた頃だ。その頃に、魔王としての記憶を取り戻してしまったのだろう。そして、由良の性格は一変し、明るくお節介で人に関わることを好んでいた彼女は、冷淡で人を遠ざけるような性格へと変わってしまった。

 それでも僕は思うのだ。

 彼女の根っこの所は変わっていないのだと。だから、どんなに暴れようとも一般人を巻き込まないようにしているのだと思う。……僕がそう、信じたいだけなのかもしれないけれど。

「それはそうと織部さん。今日来たのは、円が織部さんに用があるからなんだ」

「なんだ。遊びに来てくれたと思ったのになぁ。ちぇ~」

 織部さんは背を向けて、空中に浮かびながらも、拗ねたように地面を蹴るフリまでしてくる。けれど、すぐに笑顔になってこちらに向きなおる。

「それで、何かな何かな? 用事って。私でお手伝いできることなら、犯罪にならない範囲でなら手伝うよ」

「……犯罪に。……織部さんでも、警察とか怖いの?」

 幽霊なのだから、法律なんか関係ないのではと思う。

 もちろんやり過ぎれば、この町を追い出されることになり兼ねないけれど、由良が建物を壊しても追い出さないのだから、たいていのことは大丈夫な気がする。

「んぅ? 別に警察が怖いわけじゃないよぉ。でも、犯罪の片棒を担いで、人に嫌われるのが怖いの。……私は皆と違って心を守る体はないからね。剥き出しの魂には、人の悪意が本当に怖く感じられるんだよ」

「つまり、敏感肌ならぬ、敏感魂という奴なのだよ。ニュフフ。卑猥に感じるのはマドちゃんだけだろうか?」

「円だけだよ」

「馬鹿な! あの大きな胸を見て敏感だなんて言われたら、卑猥な妄想をしてしまうのが、男の本能のようなものだろうが」

「胸の大きさは言わないでよぉ」

 織部さんは顔を真っ赤にして胸のあたりを隠そうする。

「……とりあえず僕は、そんな妄想はしなかった」

 一応、自分の名誉の為に否定はしておく。……まぁ、円の指摘の性で、うっかり妄想しそうになっている自分が居ないではないが。

 この話題はこれ以上続くと墓穴を掘りそうな気がする。なので、僕は話を元に戻すことにした。

「……というよりも、魂吸引機の件は良いのかよ」

「魂吸引機? なんだったかな、それは」

「円の発明じゃん! ていうか、それが目的でここに来たんだから忘れないでよ」

「ニュフフ。冗談だよ、佐次殿。もちろん覚えているのさ。私が来た目的はこれなのだよ。たましい~きゅ~いんき~」

 円は何故か、ネコ型ロボットのような声を出して、ハンドクリーナーをカバンから取り出した。

「なぁに、それは?」

「ニュフフ。これはマドちゃんの新たな発明なのだよ。効果は人の魂を吸い出すこと。つまり、こうやって使うのさ」

 円はそう言うと、電源――実際に動力が電気なのかはわからない――を入れた魂吸引機を織部さんへと向ける。

「きゃぁああああああああっ!」

 なんと、全ての物理的なものを無効化するはずの織部さんの幽体は、魂吸引機の影響を受けて、ハンドクリーナーの中へと吸い込まれていく。その現象を見ただけで、そのハンドクリーナーには、物理法則以上の、何がしかの力が宿っているのだとわかってしまう。

「……思わず感心しそうになったけれど、織部さんは大丈夫なのか? そんなハンドクリーナーになんか吸い込まれて」

「……たぶん大丈夫。ネズミの実験では、問題などなかったのだよ」

「たぶんかよ! しかも、比較対象がネズミって。新薬の実験とかなら、もっと段階踏むよz! ……例えば、人に近い猿とか」

「この町に猿はいないし」

 円は自分で捕まえる気満々だった。とはいえ、僕も猿の入手経路なんて知らないから、強くも言えない。……確か、ニホンザルって天然記念物だった気がする。なら、外国の猿をペットショップで買うべきなのかな?

 そんな事より心配なのは、織部さんだ。吸い込まれた彼女はどこへ行ったのだろうか?

 魂吸引機の行く末を見守っていると、本来ごみを溜めておくような場所には穴が開いているだけで、溜めておくような袋はない。そしてその穴から白くて丸い塊が出てきた。

 その塊は落ちることなく宙に浮いており、もこもこと蠢いて大きくなっていくと、やがて、織部さんの形に戻る。

「うわぁ。びっくりしたぁ」

 織部さんは呑気な声を上げた。

「見ていたこっちもびっくりだよ! ……というか、大丈夫なの、織部さん」

「んぅ。丸められた時は少し苦しかったけれど、今は大丈夫だと思うよ」

 織部さんはクルクルと回って自分の体を確かめている。彼女自身気付いていないという事は、どうやら大事はないようだ。僕は安堵しながら、円を睨みつける。流石に友人が危ない目に合されるのは許せない。そう思ったのだけれど、円は既に申し訳なさそうな顔をしていた。

「……少し苦しかったのか。それはごめんなさい。ネズミからはそういった意見は聞けなかったのだよ」

「ネズミは喋れないからね!」

 円が本当に反省しているのか、いまいちわかり難い。

「ふふふ。別に私は怒っていないよ。苦しさも少しだけだったし、むしろ、苦しいなんて感覚、久しぶりに感じてちょっと面白かったし」

 織部さんはそう言って、僕の怒りを治めようとしてくれる。なのに、円は不思議そうな顔をして彼女を見て、こう言った。

「……織部殿はマゾなのだろうか?」

「違うよ!」

「……巨乳でマゾって、なんかエロいと思うのだよ」

「思わないで!」

 織部さんの悲痛な声を上げた。

 そんなやりとりを見ていたら、なんだか呆れてしまって怒る気力が萎えてしまった。


『神の方舟』の秘宝である聖櫃には、ある噂がある。聖櫃は普段、この町のどこかに隠されている。そして、聖櫃にはあらゆる願いを叶えてくれる力が宿っているので、見つけた者の願いを叶えてくれるのだとか。

 ただそんな噂があるだけだったのなら、荒唐無稽だと誰もが思うだろう。しかし、その噂が信じられるのには理由がある。

 年に一度、この町にはある祭りがあるのだ。

 祭楽神祭。

 祭りを楽しむ神の為の祭だ。

 祭楽神祭は御津多市最大の祭りであり、その中では、この町の住人達が注目する神楽走破と呼ばれる行事がある。

 その行事の内容は至極簡単。妨害、協力、殺し以外何でもありの、ただの障害物競走だ。しかし、参加者の大半は超常の力を持った人たちなので、その妨害行為はとんでもなく派手なものとなる。そして、これが重要なのだが、神楽走破の優勝者の前には聖櫃が現れ、その願いを叶えてくれる。

 この御津多市を取り囲む結界にしても、この祭りの優勝者が、「超常者でも人と一緒に暮らせる場所が欲しい」と願ったことが発端だったと言われているくらいだ。

 もちろん、聖櫃の叶えられる願いには限度があるだろう。それでも、目の当たりにしている力から考えるに、ほとんどの願いは叶えてくれそうでもある。

 だから神楽走破は、この町の住人にとって目玉行事でもあるし、聖櫃を見つけ出せば願いが叶うなんていう噂まで立つのだ。

「魂吸引機を使えば、聖櫃を見つけられるかもしれないのだよ。つまり、犯人はお前だ的な感じなのさ」

 円がいきなりそんなことを言った。

 とりあえず、織部さんに協力を求める為に魂吸引機の機能を説明していたのだけれど、どうしてその装置を使う必要があるのかと織部さんに問われての、円の言葉がそれだった。

「あれ? 幽霊を信じない科学者を、見返す為じゃなかったっけ?」

「ニュフフ。佐次殿はいつの話をしているのだい? 化学いつだって進歩しているのだよ。そんなのは、作るきっかけでしかない。つまり、発端はそれだったかもしれないけれど、行きつく先は違うのさ」

「そんなんでいいのか、科学!?」

「そんなものさ。……残念ながら、科学ではよくあることなのだよ。宇宙に行くためのロケットを造ろうとしたら、その技術がミサイルとして利用されたり、鉱山採掘の為のダイナマイトが戦争に利用されたとか、とても有名だ。だから、マドちゃんの技術が、他の事に利用されてもおかしくはないのだよ」

「作った本人が違う使い方をしようとしているのが、おかしいと思うんだけど」

「ニュフフ。作った本人がどう使おうと、勝手なのだよ」

「……まぁ、そう言われてしまえば、そうなのかもしれないけれど、なんか素直に認めたくないのは何でだろう? ……まぁ、いいや。それで? 魂吸引機でどうやって聖櫃を見つけるんだ?」

「それはもう、……地道に」

「地道なんだ!?」

 それじゃあ、普通の探索と変わらない気がする。けれど、円は余裕の笑みを浮かべ、鷹揚に手を向けてくる。

「まぁ、待ってくれたまえ。まず聞きたいが、この長い間、どうして聖櫃が見つかっていないと思っている? ニュフフ。織部殿も長いことこの地に居るのだろう? 聖櫃を見つけたという者を、今まで聞いたことはあるかい?」

 円はそう言って、織部さんに尋ねた。

「んっと、無い……かなぁ。……まぁ、長いって言っても、十七歳だから、もっと昔のことはちょっと……」

「そんなキャラ作りはいらない」

「えぇ」

 織部さんは不満そうな顔をするけれど、円は無視した。懸命だと僕は思ってしまう。織部さんとの十七歳談義は、不毛でしかない。

「それで、話を戻すのだよ。長年、聖櫃が何故見つからなかったか。それは、聖櫃が隠されているからだよ!」

「いや。そんな重大な事実みたいに言われても、誰もがそう思っているよ」

「そうかな? では佐次殿は、聖櫃をどこに隠していると思う?」

「え? ……うん、そうだな」

 最初に思いついたのは、『神の方舟』の施設で、厳重にしまわれている光景。けれど、それは違うと思う。それならば、由良が探し出していそうなものだ。この町で、『神の方舟』の施設は、そんなに多くはない。高層ビル一つと、各地に点在する社くらいだ。

 それに、『神の方舟』に所属する神々は、遊びが好きだったりもする。それこそ、何でもかんでも楽しみたいと思っているに違いない。だからこそ、祭楽神祭なんて祭りの名前を付けられたわけだし。

 ならば、聖櫃を隠している理由も、宝探しの主催者気取りなのかもしれない。聖櫃を見つければ願いが叶うという噂の出所は、『神の方舟』だと言われているので、信憑性は高い。今まで、『神の方舟』は、その噂を否定もしてこなかった。むしろ、真実だと言っても良い。そして、宝探しと言うのなら、自分たちの施設の中に、厳重に保管しているわけでもないだろう。

「……『神の方舟』の施設の中ではないとは思う。でも、どこだかは見当もつかないな」

「ニュフフ。想像力がないね、佐次殿。聖櫃は、とても強い力を持った神の秘宝だ。そして、強い力があるという事は、人と同じような意思を持ってもおかしくないと、マドちゃんは思うのだよ」

「……人と同じような意思?」

 その説明を聞いて、僕はある事を思い付いた。かなり荒唐無稽だ。けれども、絶対にあり得ないわけでもない。

「……もしかして、人の姿をしているって言うのか?」

「マドちゃんもその可能性が最も高いと思っている。聖櫃なんて言うくらいだから、普通は物を想像する。けれど、それが正に、ミスリードなんじゃないかってね。……しかしそうなると、どんなに相手を疑ったとしても、その者が聖櫃であることを証明する手段がない」

「……そう。それが難しいわ」

「うわぁ! びっくりした。……って、なんだ、由良か」

 いつの間にか背後に近づいてきていた由良が、いきなり話に加わったので驚いてしまった。けれど、彼女は僕の反応など気にも留めず、円に続きを促す。

 由良も聖櫃を探している。なので、円の言った聖櫃を捕まえられるかもしれないという可能性に、興味を持ったのだろう。

「……由良殿も、人に化けていると考えているみたいだね」

「……ええ。……でも、聖櫃かもしれないとどんなに予想をつけても、証明することができないわ。……社を壊してみて、何か反応はないかと試してみたけれど、残念ながら外れだった」

 淡々と語る由良。彼女が社を壊したのには、そんな意味があったのか。

「……それで、円城。あなたの、相手を聖櫃だと確信する方法はなんなの?」

「ニュフフ。魔王の転生者に尋ねられるなんて、光栄なのだよ」

「……もったいぶっていると、殺しはしなくても、とても、そう、とても酷い目に合せるわよ」

 由良は冷淡だった顔に、温かさのまったくない凄味のある笑みを浮かべた。

 正直、物凄く怖い。

 直接その笑みを向けられた円なんか、恐怖に脂汗をダラダラと流している。円は超天才科学者かもしれないけれど、その体はただの少女と変わらないのだ。由良が本格的に彼女を襲ったら、抵抗することはできないだろう。

「……由良。そんなに脅さないであげてよ」

 僕が何とか声を絞り出してそう言うと、彼女は半眼でこちらをチラリと見て、不機嫌そうに鼻を鳴らした。けれど、瞳の険を少しだけ弱めてくれた。

「……それで、どうなのかしら?」

「あ、う、うん。マドちゃんの作った魂吸引機は、人から魂を抜き取るものなのだよ。そして、抜き取った魂の形は、本来の姿であると思うのさ。……たぶん、由良殿なら魔王の姿に。勇也殿なら前世の勇者の姿になるんじゃないかと、マドちゃんは予想している。……そして、それを人に化けた聖櫃に使えば」

「……聖櫃の姿になるというわけね」

「……たぶん」

 円は頷いて、じりじりと由良から離れていく。彼女は由良の狙いに気付いて警戒しているようだ。

「……そう」

 由良は頷きながらも、その視線はジッと、円の持つ魂吸引機に向けられていた。

 次の瞬間、彼女がどんな行動に出るのかをわかっていたはずだ。けれど、誰も反応することはできなかった。物質に触れることのできない織部さんまでも。

 魔王として覚醒してから赤く染まった彼女の瞳が、きらりと一瞬輝いた瞬間、まるで、時が止まったかのように、由良以外、その場にいた全員の体が動かなくなる。

 悠々とした足取りで由良が円に近づくが、円も体が動かなくなっているようで、逃げ出すことができない。そして呆気なく魂吸引機は盗られてしまった。けれど、由良は立ち去ることなく、僕の方へと魂吸引機を向けてくる。

 どうやら僕で試してみようという事らしい。円にしろ由良にしろ、周りの奴らはどうして僕で実験しようとしてくるのだろうか?

「……確か、使い方はこうだったわね」

 そう言いながら円が電源を入れると、魂吸引機が動き出す。

 何かを引っ張り出されるような感覚がした。けれど、わかるのは何かに引っ張り出されているということだけで、後は今まで感じたことのないような感覚だ。

 自分の体と意識がずれていっている。そんな風に感じたかと思ったら、次に目の前が真っ暗となり、押し込められるような息苦しさを味わい、意識が朦朧とし始める。

 そして、次に意識がはっきりした時、目の前には僕の体が倒れていた。

「……聖櫃ではなかったわね」

「本当だ。てっきり、佐次殿が聖櫃かもって思っていたのに」

 何故か二人とも、僕の魂を見て驚いたような顔をしていた。どうやら二人ともが、僕が聖櫃かもしれないと思っていたようだ。

 いやいや。僕が聖櫃のわけないじゃん。というか、何で二人がそろって僕を聖櫃だなんて思ったのさ。

 そう言おうとしたのだけれど、声が出ることはなかった。当然だ。幽体は物質に触れることができない。ならば、空気を揺らして音にすることもできない。それは当然のことだった。

「佐次君。声を出すことを強く意識しないと、声にはならないよ。私たち幽霊は、物質に触れられないわけじゃないの。でも、触れるには強い意志が必要なのよ」

 織部さんが幽霊の先輩として、話し方を教えてくれる。正直、そんな知識が必要にはなりたくはなかった。

 えっと、強く意識する。強く意識する。

「……二人は、……聖櫃。……何で僕?」

 やばい。物凄く難しい。何とか言葉を捻りだそうとしたら、片言みたいに単語しか言えないし。こんなことを普通にこなしている織部さん、マジで凄いと思う。リスペクトですよ。

 とりあえず、僕の言葉はちゃんとした文にはなっていなかったけれど、円と由良には、意味が通じたようだ。

「ニュフフ。そんなの決まっているのだよ。聖櫃が人に化けて身を隠していると考えるならば、目立たない為に、化けた相手は超常者ではないはずだと私は思うのさ」

 円の予想に、声をわざわざ出すのは億劫だったので、僕は頷いて答える。確かに、彼女の予想は納得できるものだった。

 わざわざ聖櫃だとばれないように身を隠し、自分を偽って生きているのだ。それならば、力のない人間だと思わせた方が、隠れやすいだろう。

 由良もそう考えているようで、円の考えに口出しすることはなかった。

「そして、佐次殿は普通の人だ。何の力も持たないしね。……でも、佐次殿は異質でもあるのさ」

 僕は首を傾げる。

 自分が普通であることには疑いようがない。何の特別な力もないし、周りに超常の力を持った知り合いはいても、僕の中に何か特別なものがあるわけではないはずだ。そして、特別な力が目覚めずに眠っているとも思えない。超常の力を持った友達に、そう断言され続けてきたからね。

 こうやって幽体状態を体験している今、特別な存在だと勘違いされてしまうかもしれない。けれど、この状態にしても、僕の力で起こしたわけでなく、円の作ったとんでも道具の被害者だというだけ。これで自分が特別な力が備わったんだと思えるほど、僕は馬鹿でも自信家でもない。

 僕は特別な体験をしてはいるだろう。しかし、それが特別な存在だということの証明ではないと思う。

 それに、幽体になったからと言って、僕の何かが変わったわけではない。幽体の状態も、なんだか体がない分、心許ない――本当に心である魂の置場がないわけだし――気持ちになるだけで、大した驚きもない。……そこが、僕がドライと言われてしまう要因なのかもしれないけれど、僕はどうしようもなく自分を特別だとは思えない。

「ニュフフ。不思議そうな顔をしているね。でもね。佐次殿は普通の人でありながら、どの超常者ともそれなりに友好関係を築けている。それはもう、普通ではないのだよ。むしろ、普通の人でありながら、特別な立場に居ると言える。それは、なんとも楽しそうだと思わないかい? むしろ、楽しいこと好きの神ならば、その立場になってみたいとも思うだろう。そんな神々の影響を受ける聖櫃にしても、同じように思うのではないかな?」

 そこまで言われれば、どうして二人が僕を聖櫃だと疑ったのか、わかった気がした。

 僕はただ、コウモリ野郎の如く、誰からも嫌われたくないと思って行動して来ただけに過ぎない。けれど、そのおかげで超常者の友人も、確かに多い。

「……まぁ、理解、した」

 僕は何とか言葉にして頷く。

 心持ち一つでどうにでもできるような事なので、自分では特別だとは思っていなかった。でも確かに僕の立場は、聖櫃だと疑うのには十分なものなのかもしれないとも思える。

 僕の立ち位置が楽しいかはともかく、飽きないことは間違いないのだから。そうして、同じような理由で疑った由良が、僕の魂を抜き取ってみた結果、僕はやっぱりただの人だという事もわかった。今回の出来事は、ただそれだけの事だったというわけだ。……完全に、僕が普通の人だと思い知らされただけの、悲しい結果なんだけど。

「ニュフフ。しかし意外だね。由良殿も佐次殿の事を聖櫃かもしれないと思っていたとはね。……由良殿と佐次殿は、付き合いが長いのだろう? いつからそうかもしれないと、考えていたんだい?」

「……あなたには関係ないわ」

 由良はそれ以上答える気はないと言わんばかりに、そっぽを向いてしまう。

 正直、僕としても少し気になった。彼女が僕を聖櫃だと疑っていたのなら、僕が彼女に対して行っていたことも、変に深読みされていたのかもしれない。それさえなければ、もう少し、以前のような仲の良いままでいられたのだろうか?

 ……まぁ、今更だ。

 僕はもしもの考えを振り払う。

「それより、聖櫃、じゃなかったし。そろそろ、戻して」

 なんというか、この幽体での話し方に慣れてきた。声に出すことを意識するよりも、伝えたいという思いを強くする方が重要なようだ。

 もしも僕に、誇れるところがあるとするのなら、この順応性の高さではないだろうか? 普通の人なら驚き戸惑い、何もできずになるところでも、僕は慣れようと頑張れる。それが超常者と付き合うための秘訣だと思うから。

 たいていの事には物怖じしない心に、どんなことにも慣れようとする順応性の高さ。なんていうかそれだけ聞くと、めちゃくちゃサバイバルのできる人みたいだ。……まぁ、知識はないので極限状態に放り出されたら、生き残れる自信はないけれどね。

 とりあえず元に戻る為、自分の体に触れてみようとする。けれど、触れようとした直前に、僕の幽体は後ろに引っ張られた。

 見れば背中に紐のようなものがくっついていて、その先を由良が引っ張っていた。物理的な影響を受けない幽体を引っ張っているという事は、ただの紐ではないのだろう。

「……えっと、由良?」

「……少し、話があるから、あなたの魂を連れていくわ」

 由良はそう言って、僕を問答無用で引っ張って行こうとしてくる。しかし、織部さんと円が止めようと、校舎へと入る扉の前に回り込んだ。

「ダメだよ、由良ちゃん。魂を長時間体から離すと、私みたいに慣れていない魂は、存在を維持できなくなって消えちゃうんだから」

「それに、魂の抜けた体にしても長い間離れれば、自発呼吸もしなくなり、死に向うだろう」

 織部さんと円が、かなり物騒なことを言う。そんなことを言われたら、僕としても体に是非戻りたい。何とか紐から逃れられないかと引っ張るけれど、ビクともしない。というか今は幽体だから、引っ張っているように見えても、本当に引っ張れているのかも怪しい。

「……私の魔力で、佐次の魂は保たせるから問題ないわ。それに、体の方はあなたが預かってればいい」

 そう言って由良が、幽体のはずの織部さんを掴んで投げ飛ばす。

「わきゃぁあああああああああああっ!」

 悲鳴を上げて投げ飛ばされた先には僕の体があり、織部さんは僕の体の中に吸い込まれていった。すると、魂が抜けて身動き一つしなかった僕の体が、突如動き出した。

「うっわぁ。なんか体が重い。って、私に体がある。え? あれ? これ佐次君の体?」

 どうやら僕の中に入った織部さんが、僕に憑りついてしまったようだ。彼女というべきか、彼というべきか、織部さんは体の中に入ったことを戸惑うように、僕の体を見下ろしている。

「わぁ、物に触れる。それにちゃんと痛い。体だ。本物の体があるよ」

 中に織部さんが入っているとはいえ、嬉しそうに頬を抓りながら床を摩る自分の姿に、僕は軽い絶望感を覚えた。変な行動をしないで欲しい。……まぁ、生前の記憶はないのだし、彼女にとって初めて味わう肉体の感覚に、喜びを感じるのは仕方のない事なのかもしれないけどさ。

「というか、ちゃんと返してね、僕の体」

「……えっ!?」

「え!? じゃないよっ!」

「あ、あはは。じょ、冗談よぉ。や、やだなぁ」

 そう言いながら明らかに目が泳いでいる僕の体。

「返す気ないっ! あの人絶対、返す気ないっ!」

「……その時は、私が無理矢理取り戻すから、問題ないわ」

 由良は興味なさそうに軽く肩を竦めて、僕を更に引っ張って行こうとする。けれど、円はその前に立ち塞がったままだった。

「……佐次は、すぐに死ぬことはない。それがわかったのだから、どいてくれないかしら? それとも、他に理由があるの?」

「あるに決まっているのだよ」

「へぇ。それは何?」

「マドちゃんが佐次殿を好きだからだよ! 好きな相手を、恋のライバルである由良殿に、むざむざと連れていかれるわけにはいかないのだよ!」

「「……」」

 僕と由良は、真顔でお互いの顔を見合ってしまった。

「……えっと、色々ツッコミどころ満載だけど、……とりあえず、円は僕のこと、好きなのか」

「もちのろんだよ! もう、佐次殿の事を考えただけで、ドッキドキのハッラハラなのさ」

 あまりにもわざとらしい身振り手振りも加わっている。要するに答えは一つだ。

「ああ、冗談か」

「……みたいね」

「何故にっ!?」

 円は驚いたように言ったけれど、どうしてあれで信じてもらえると思ったのだろうか? そっちの方が気になるよ。

 由良は面倒だと思ったのか、呆れたようにため息を吐くと、校舎へ入る扉を諦める。そして、屋上のフェンスを駆け上って空へと飛び出した。


 志聖勇也は勇者の転生者だ。

 その前世は、由良の前世である魔王を殺した英雄だという。つまり、由良の天敵でもあり、因縁も深い。顔を合わせればまるで災害のような喧嘩もする。今はお互いに、この世界に合わせて人を殺すようなことをしないので、どちらかがどちらかを殺すというようなことは避けられているけれど、二人の和睦は不可能に近いだろう。

 学校に通う普段の彼は、正義感に熱いが、甘いマスクをした爽やかな男だ。女子からの人気は絶大で、正にアイドル並の扱いを受けているけれど、彼には雨宮姫路という恋人がいて、彼女を一途に愛している。

 悪い奴などではもちろんなくて、本当に良い奴だ。なんせ、友人のピンチには命を賭けてでも助けてくれるような奴なのだから。そして、正義感が強すぎるが故に、余計な苦労までしょい込もうとする馬鹿だとも思う。

 正直、完璧過ぎだとも思うけれど、それ以上の苦労をしているとも思う。だから、あんまり妬ましい気持ちも浮かばない。絶対に浮かばないとも言わないけれど。

 とりあえず、志聖勇也はそんな奴だ。 

「うわぁ、すげぇ。今僕、空飛んでいるよ」

 僕は空の上で、興奮したように声を上げる。

 肉体を離れて幽体になってから、ずっと浮いてはいた。けれど、幽体には感覚がなく、体が持ち上がっているという浮遊感すら覚えなかった。だから、浮いてはいるなとわかっていても、飛んでいるという感覚はなかった。そして、感覚がないのは今も変わらない。それでも、視界に移る風景が、自分が空に居るのだと否応なしに感じさせる。けれど、感覚がないせいか、高いところは苦手なはずなのに、恐怖はあまり感じない。落ちても大丈夫と、理解できているからかもしれない。

 こんな気分で、こんな風景を見られる機会は、二度とないかもしれない。僕はそう思いながら、御津多市を上空から見下ろす。

「見て見て、由良。人があんなに小さく見える」

「……ええ。人が蟻みたいに見えるわ。踏みつぶしたくなる」

「眼科行ったら?」

「……別に目が悪くて、本当に蟻に見えているわけではなく、蟻程度の大きさに見えると言っているだけよ。……そうやって、人の言葉にくだらない茶々を入れるのは、相変わらずなのね」

 由良の表情は冷淡なので、呆れたような言葉は突き放されているような印象を受けてしまう。でも、僕はへこたれない。その程度でへこんでいたら、由良と関わることはできなくなってしまうから。少しくらいウザったいと思われようと、僕は前向きに考える。

「ああ、相変わらずさ。僕は変わらないよ。年は取ったかもしれないけれど、僕は、由良と遊んでいたあの頃から、変わりはしないよ。ちゃんと由良の事を、大切な幼馴染だと思っている僕のままさ」

「……そう」

「何か今僕、カッコいいこと言わなかった?」

「……さぁ? でも、佐次はモテるみたいだし、カッコいいこと言ったんじゃないかしら?」

「え? 僕、モテるの? マジで? 誰に?」

「……さっき、円城に好きだと言われていたわ」

「あれ、完全に冗談じゃん」

「……それに、私も佐次が好きよ」

 物凄いどうでも良さそうに言われた。

「何、その見え透いた冗談」

「そうね」

 そう言って、由良は少し微笑んだ。人を脅すような笑みではなく、昔からの付き合いである、魔王ではない彼女自身の笑みだ。

 それを見て、僕は少し驚きながらも、嬉しくなった。彼女がこうして笑ってくれたのは、いつ以来だろうか?

「……ごめん、佐次」

「ん? 何が?」

 僕は由良の突然の謝罪の意味が分からなくて首を傾げる。

「……私はあなたを聖櫃だと疑っていた」

「ああ、そんな事か。まぁ、仕方ないんじゃないかな? 言われてみれば、僕は確かに怪しい立場に居た気がするけれど、僕としてはそれで何か嫌な思いをしたわけじゃないし」

「……嫌な思いをしていない。……つまり、私に疑われ、避けられていても特に嫌なことではなかったという事なのね」

 とてつもなく、冷たい空気が流れた気がした。

「いや、本当に違うんだよ。あれは魔王になったから避けられていたんだと思っていたんだ。だから、聖櫃だって疑われていた性で、避けられていたんだとは思ってなかったのさ」

「……ふぅん」

 必死で言い訳したのだけれど、由良の反応は相変わらず冷たい。

「でも、聖櫃だっていう疑いが晴れたのなら、由良は昔のように仲良くしてくれるってことかな?」

「……昔のようには無理ね。……私は昔のままの私ではないもの。………私があなたの魂を連れてきた理由は二つあるわ」

 由良は突然話を変えてそんなことを言う。僕は追及せず、話を合わせる。正直、昔のことをあんまり話しすぎると、墓穴を掘りかねない。僕の方でも、本当は謝らなければと思う事があるのだから。……今の僕に、彼女に謝るだけの資格はあるだろうか?

「二つ?」

「……一つは、あなたに謝ること。佐次は私が魔王の転生者とわかっても、変わらずに接してくれたただ一人の人。その理由を聖櫃だからと疑っていたけれど、実際は違った。……だから、あなたの優しさを疑い、踏みにじっていたことを謝りたいと思ったから」

「……優しさ」

 なんだかものすごく背中がムズムズするような気がした。別に僕は、優しさから由良に話かけていたわけじゃない。僕は勇也のように、誰かの為に何かをするような人じゃないのだ。

 僕の行動のほとんどの理由は、人に嫌われたくないという臆病な心からくる。

 自分を主人公だとは思わない僕だけれど、脇役であるのなら、意味のある脇役でありたいと思っている。だって、本当に必要のない存在なんて、そんなの悲し過ぎる上に怖すぎる。生きている意味がないんじゃないかと思うほどに。

 だから、僕は誰かに嫌われることが嫌だし、誰でもいいから必要とされていたいとも思う。例えそれが、善人であろうが悪人であろうが、関係なく。

 うん。我ながら、なんて利己的な考えだろう。だから、優しいと言われるのとは、違うと思うのだ。それに僕は、彼女を傷付けたこともある。

 そう説明しようかとも思ったけれど、とりあえず、僕は言い返すことはなかった。

 由良とは幼馴染だ。

 彼女は僕の考え方なんて、わざわざ言わなくてもわかっているはずだ。そして、わかっていながら、それをあえて優しさと表現した。

 ただ、それだけの話だ。

「……んで、二つ目は何なのさ?」

「……ん。佐次が聖櫃でないとわかった以上、警戒する意味もないとわかったわ。……だから佐次は、私の眷属になる気はないかしら?」

「眷属?」

「……そう。今の佐次は幽体よ。つまり、そこに私の魔力を与えれば、私の眷属としての力を得ることもできるわ。……あなたも、特別な力を持った存在になれるという事よ」

「……特別な力」

 魔王の眷属というと、なんか微妙に悪役の、しかもやられ役っぽい。良い活躍はできそうだけれど、やっぱり主人公ではないだろう。……でも、魔王との契約者だと、とても主人公っぽいのは何でだろう?

「……というか、その力を貰うってことは、僕は死霊になっちゃうってことだよね。物凄いリスクだよ!」

「……そう? 死ぬかもしれないけれど、魔王の力を与えられるのよ。自分の死くらい覚悟しなさい」

「できるか!」

「……佐次は、意気地がないわ」

 失望されたような視線を受けるけれど、人にはできることとできないことがある。そして、僕には自分の死を受け入れるなんてこと、できはしない。

「というか、僕は特別な力もちょっと欲しいなって思っているけれど、比較的、今の暮らしに満足しているんだよ。……それに、言ってはなんだけれど、僕は勇也とも友達だ。由良の眷属になるという事は、勇也とも戦わなければならないんでしょ? でも、僕は勇也と敵対することなんてできないよ」

「……それは、私よりもクソ勇者の方が大切って事かしら?」

 そう言った由良の言葉に、血も凍るような冷たさを感じた。幽体だから、寒さなんて感じないはずなのに。

 そもそも、由良の前で勇也の名前は禁句に近い。それほどまでに、由良と勇也の仲が悪いということだ。そして、その発端となる理由は、僕の知らない前世の因縁だ。どうにかして仲直りをさせたいと思っても、事情の知らない僕は、どうすることもできないでいる。

 それでも、僕は言っておかなければならないと思う。

「僕にとって、勇也は大切な親友だ。でも、由良も大切な幼馴染だ。……つまり、僕にとって、どっちも大切な友人たちだという事に変わりはないんだよ。だから、どちらかに加担して、二人の争いを冗長するような立場になる気はないよ。……僕としては、二人が前世のわだかまりなんか忘れて、仲良」

「無理ね」

「僕はまだ、言い終わってないよ! というか、さっきまでもったいぶった様な話し方をしていたのに、いきなり即答し過ぎだよ!」

「あいつと仲良くとか、虫唾が走るわ。……そもそも、あいつは前世で、私を殺したのよ。……そんな奴と仲良くなれるわけがないじゃない」

「……それは、由良が異世界で悪さをしたからじゃないのか?」

「……ふん。……世界を征服するには、綺麗事だけでは済まないわ。……それを、あいつはわかっていない。だから、あいつは私だけが悪だと思っているような愚か者なのよ。……そして、あいつはその愚かな正義を、相変わらず押し付けてくる。……今のようにね」

 由良はそう言って、向かって来た青い光球を、見えない壁のようなもので防いだ。正直僕が気付いたのは、光球が見えない壁に当たる直前だったけれど。とりあえず飛んできた方を見れば、いつの間にか、巨大な光の鳥に乗った勇也がいた。

 いつもの爽やかで優しげな顔とは違い、今は厳しく、歴戦の戦士の面差しをしている。

「……何か用かしら? クソ勇者」

「佐次の体の中に、違う魂……織部さんが入っていた。問い詰めたら、佐次の魂は君が連れて行ったって言うじゃないか。……どんな悪巧みをしているのかは知らないけれど、佐次は俺の大切な友人なんだ。君の悪巧みに巻き込まないでもらおうか」

「……ふっ。それを言うのなら、佐次は私の幼馴染よ。口出ししないでもらいたいわね」

 由良の口元だけは笑っていながらも、その眼からはどこまでも冷徹な殺意が放たれている。

「な、なんか。一気に僕がモテモテに?」

 とりあえず、場を和ませようと精一杯おどけてみるのだけれど、僕が中心になって始まったこの緊張状態だというのに、二人は僕の方に視線を向けることはない。

 物凄い疎外感。

 さすが脇役だぜ、と僕は自分の立場を改めて理解してしまう。


 この町には時の三姉妹と呼ばれる女神が居る。

 三姉妹と言っても、見た目からは姉妹には見えないだろう。

 長女のウルズは皺くちゃの老婆の姿をし、次女のヴェルザンディは綺麗な大人の女性の姿を、そして、三女のスクルドは幼女の姿をしている。三柱の女神が揃えば、姉妹というよりも親子三代に見えると思う。

 時の三姉妹は時を操る力があり、運命すら変えることができるという。姉妹は『神の方舟』の一員であり、この町を管理する側の存在でもある。

 時の三姉妹の役割はとても重要なもので、この町の中を維持するものだった。

「やれやれ。派手にやっているねぇ」

 いつの間にやって来たのか、ウルズさんが呆れたように言った。

 僕はその言葉に激しく同意できてしまう。

 今、僕の視界の中で、町はとんでもないことになっていた。

 由良が多くの魔獣を召喚し、様々な魔法を勇也に向かって放つ。その威力はどれもとんでもなく強力で、彼女の放つ破壊的な一撃の余波によって、勇也の周りの建物が、次々と崩れていく。そして、それは勇也の攻撃にしても似たようなものだ。彼を加護する精霊たちが形となって、襲い掛かってくる魔獣を撃退し、彼の持つ聖剣から放たれる光の斬撃や、破壊の力を秘めた光球などが、由良によって弾かれ、思わぬ場所にも被害が広がっていく、

 由良と勇也の争いによって、その一帯は爆撃でも受けたような壊滅状態だ。

 もちろん、僕は二人の間に割り込んで、この争いを止めようとは思わない。

 どんなにやめてほしいと思っても、僕には彼らを止める為の力もなければ、知恵も勇気も足りていない。

 というか、下手に二人の間に踏み込もうものなら、僕なんか、簡単に消し飛んでしまうだろう。今は、物体に触れることのない幽体状態だと言っても、あの二人の力は、幽体にすら影響を及ぼすのだ。

 自分の身が少しでも大事ならば、絶対に近づかない方が良い。そして、僕は自分の身なんてどうでも良いと思うような、狂った思考もしていないしね。やっぱ、自分の身は大事だよ。

 由良が苛立ったように、人の体など一飲みにできそうなほど巨大な、黒く帯電するような光る黒球を作りだす。その黒球は、今まで放っていた魔法よりも、明らかに威力が高い気がした。

 ……まぁ、僕は正確に魔法の威力を感じ取ることなんてできないので、見た感じの印象でしかないけれども、とんでもない威力を秘めているのは間違いないはず。何故なら勇也は、流石に受けきれないと判断したのか、その黒球を避けたのだ。

 そして、受け止められなかった魔法は大きく爆発し、町の被害を一気に広げた。

「あっ! 今完全に、僕の家も巻き込まれましたよ。……うわぁ。確かに、超常予報の災害地区に入っていたけど、……まさか、その原因が由良と勇也だったなんて驚きですね」

 何でもないことのように言うけれど、僕は少なからずショックを受けていた。

 もう少し、例えば円が魂吸引機を試そうとするのをちゃんと止めていれば、こんなことにはならなかったんじゃないかと思ってしまう。

 ウルズさんが特に慌てていないという事は、一般人はちゃんと避難もしているだろうし、被害の補償だってしてくれるのだろう。その為のウルズさんだ。それでも、やっぱり愛着のある家が壊れる光景というのは、とても悲しくなる。

「くはは。まぁ、災害地区に入った時点で諦めるんだね。メルの未来視はスクルドの補助も受けているから、相当な確率で的中してしまうものさ。未来を知った上で、それを防ごうと動かない限りは、止められないほどにね」

 ウルズはそう言って、皺くちゃの顔に気にすんなというような笑みを浮かべてくる。

 残念ながら、確かにその通りだった。僕がどんなにもしもの可能性を考えたところで、過去をどうにかすることも、今回の教訓を未来に役立てるだけの予測力も持っていないのだ。気にしたところでしょうがない。

 なんせ、僕は主人公ではないのだ。メルちゃんが見た未来を、変えるなんて芸当ができるとも思えない。もしも変わるとしたらきっと、僕ではない誰かによってだ。

 ふと、僕は疑問に思ったことを聞いてみることにした。

「……ウルズさんたちは、未来がわかるのに、止めようとはしないんですか?」

 時の三姉妹は、この町の管理者側の存在だ。そんな彼女らにとって、今のように町が大きな被害を受けるというのは、できることなら避けるべきことではないだろうか?

 もちろん、未来がわかっているからこそ、ウルズさんはこんなにも早く、この場へと来ているのだろう。しかし、未来が見えず、更には力のない僕とは違い、時の三姉妹には未来がわかって、なおかつ、力まであるのだ。今回の事態だけでなく、他の事にしても、事前に止めることだってできると思うのだ。なのに、時の三姉妹が未来を変えようと動くことは、ほとんどない。

「……そうさね。確かに、未来を変えることはできるだろう。今回の事にしても、止めることはできたかもしれない。……でもね。未来を変えるというのは、私らにとって、とても怖くもあるのさ」

「怖い、ですか?」

「そう、怖い。未来を変えるということは、私らが予測した未来とは違う事が起こるという事さ。つまり、私たちの知らない未来だ。そして、その未来が変える前の未来よりも素晴らしい未来になると、決まっているわけではないからね」

 ウルズさんはそう言って肩を竦めた。

「……そっか。……つまり、未来を変えたことで、より酷い未来が待っているかもしれないってことですね」

「ああ、その通りさ坊や。……予測した未来が、よっぽど取り返しのつかない未来だというのなら、止めようとはするさ。でも、取り返しのつく未来ならば、私たちは変わってしまった未来が怖いから、放って置くのさ。この世界は超常の力が多過ぎて、少しの変化で取り返しのつかない事態にだってなるかもしれないからね」

「そうですね」

「……まぁ、あそこで戦っている勇者と魔王に関しては、少なくとも、人を殺すことはないから、十分取り返せる未来なのさ」

 ウルズさんは優しく笑った。

 見れば由良と勇也の決着はつきそうだ。負けているのは勇也の方。前世では彼が勝ったとはいえ、それは仲間と力を合わせた結果だ。なので一人で戦うと、勇也は魔王に勝つことができない。

 勇也は魔法を受けて倒れる。それでも何とか立ち上がろうとするのだけれど、由良の魔法によって地面に縫いとめられる。そして、身動きが封じられた。

「くそっ」

 彼は悔しそうに歯噛みする。

 しかし、由良としても無傷でいられたわけでもない。彼女が持っていた魂吸引機にしても、戦いの最中に壊れてしまったようだ。彼女はそれを放り投げて、呆れたようにため息を吐く。

「……つくづくあなたは、私の邪魔をするわね。……正直、殺してしまいたいほど憎いわ」

 そう言いながらも、由良はそれ以上魔法を放とうとはしなかった。むしろ、彼女の苛立ちの誤魔化し方は、とても平和的なものだった。

 彼女はポケットから油性マジックを取り出すと、勇也の顔に落書きし始める。

「や、やめろ」

 額に負け犬と書かれた勇也が叫ぶのを、由良は楽しげに見下す。

「ふふん。私の邪魔をしたことを後悔するのね」

 今までの壊滅的なバトルが嘘のような牧歌的な、むしろ微笑ましい罰ゲームだと思う。きっと、由良もちゃんとわかっているのだ。勇也を殺せばこの町に居られなくなることを。

 それは、聖櫃の力を狙う彼女にとって、とても都合が悪いことだろう。だから、彼女は決して人を殺さない。聖櫃を見つけ出すまでは。

「……聖櫃が見つからなければ良いのに」

 僕は独り言のつもりだったけれど、由良には聞こえていたのか、とても醒めた目を向けられた。

 何て地獄耳。魔王の住まうという魔界と地獄は、同じものなのだろうかと思ってしまうほどの地獄耳。

 とりあえず由良は怒っている気がしたので、ウルズさんの後ろに隠れてみる。そんな僕に、由良はため息を吐いた。

「……佐次は、私の味方には、なってくれないのね」

 彼女の真剣な言葉に、勇也が乱入をしてくる前の話を思い出した。彼女の部下になることを誘われて、断っていたのだ。だから、僕は心持ち真剣にその返答をする。

「……まぁね。由良には由良の望みがあるように、僕には僕の望みがあるんだよ」

「……私なら、たいていの望みは叶えられる」

「無理だよ。僕の望みは変わらない日常だからね。そして、由良の部下になったり、君が聖櫃の力を手に入れたりしたら、間違いなく今の日常は変わってしまうよ。だから僕は、由良に協力することはできない。……由良が魔王になって関係は変わってしまった。それはとても寂しかったからね。……だから僕は、自分の日常が変わらないことを望んでいる。もちろん、昔の関係に戻るだけなら、歓迎だけどね」

「……そう。……佐次は卑怯ね」

「……そっかな? そうかもね」

 正直、由良が僕の何に対して卑怯だと言ったのかはわからない。けれど、自分が卑怯じゃないと言い切る自信もないので、僕は曖昧に頷いておく。これで少なくとも、誰かを騙しているという事はないはずだ。

 ……うん。この中途半端な答えを選択する辺り、やっぱり僕は卑怯な気がする。

「……まぁ、あなたの言いたいことはわかったわ。けれど、私は変化を望む。私は、今の状況が気に入らない。それは、あなたの望みとは正に正反対ね。だからこれ以上、あなたを仲間に誘う事は諦めるわ。……でも、もしも私の邪魔をしたのなら許さないから」

 そう言って微笑む由良の瞳はとんでもなく冷徹で、もしも邪魔をしようものなら、その結末はとても悲惨なものになりそうだ。というかもう、ものっそい怖い。

「じゃ、邪魔はしないよ。そもそも、そんな力もないし」

 僕はガタガタと震えながらウルズさんの背中に隠れると、由良は苦笑してその場を立ち去ろうとする。

「あっ。僕を元に戻してくれないの?」

 今の僕は幽体だ。それを維持させてくれているのは、由良の魔法である。正直このまま立ち去られると、僕としてはとんでもなく都合が悪い。ていうか、本当に死んじゃうしね。

「……それは、そこの顔に落書きなんかしているアホに任せるわ。もう少しすれば、その拘束も外れるだろうし」

 由良はそう言うと、まるで霧のようにその姿を消してしまった。

「……それで? 老人の背中に隠れるって、人としてどうなのさ」

 ウルズさんは由良が居なくなるのを見届けて、呆れたように言ってくる。

「だって、ここで由良を止められそうなのって、ウルズさんだけじゃないですか」

 まぁ、由良がどんなに怒ったとしても、命の危険はないとは思っている。例え魔王であろうとも、彼女は根っこの所では優しい幼馴染のままだと信じているから。でも、きっと、痛い目くらいには遭わされそうだから、できれば守って欲しいと思うのは当然だ。……まぁ、老人に背中に隠れるっていうのは確かに、傍目から見てもどうかと思うけれど。

 ……僕には力がないんだから仕方ないじゃないか。僕は全力で居直ってやるね。

「……言っとくけれど、私じゃ魔王は止められないよ」

「そうなの!?」

 ウルズさんは時の三姉妹の長女だ。その力は三姉妹の中でも一番強いと言われている。それでも止められないとなると、由良の力は思った以上に強いのかもしれない。

「魔王の力はこの町でも特異なのさ。おそらく単純な戦う力だけならば、この町の誰をも上回るかもしれない」

「……そうなんですね。……ってことは、由良が聖櫃に叶えて欲しい願いってなんだろう? てっきり、聖櫃の力が欲しいとか、そういうのだと思っていたんですけれど、……誰よりも強いって言うのなら、この町のルールにわざわざ従う必要だってないですよね?」

 時の三姉妹や聖櫃は、常に一緒に居るわけではない。今もウルズさん一人だし。

 この町に一対一で由良に勝てる者が居ないというのなら、彼女が上手く立ち回れば、この町の支配者になることもできるということだ。そして、僕に思い浮かぶという事は、由良だってわかるはずだ。

 なのに、彼女はそういった動きは見せず、ただただ聖櫃を探すだけだ。

「まぁ、聖櫃の力は戦いに向いてはいないけれど、色々な応用が利くからね。単純な力ではどうにもならないことを、聖櫃にさせようとしているのかもしれないね」

「単純な力ではどうにもならないこと……か」

 まぁ、僕には力がどんな風に働くのかはわからないけれど、そういうものなのかもしれない。例えば、どんなに速く走れる人も、同じように速く自転車を漕げるかというと違うらしい。同じ足を使っていても、力の使い方が違うのだろう。

 それと同じように、由良にどんなに強力な魔法の力があろうとも、聖櫃と同じことはできないのかもしれない。ならば由良は、いったい何を望んでいるのだろうか?

「魔王の望みが何かはわからないけれど、とにかく、まずは町を元に戻しておかなければいけないね。やれやれだ」

 ウルズさんは肩を竦めてそう言うと、彼女の持つ力を解放していく。

 由良や勇也によって町が壊滅状態になっても、超常者たちが受け入れられているのは、ウルズさんの力が大きい。

 過去を司るウルズさんの力は、どんな物をも過去に戻すことができるというものだ。

 死んでしまった者は肉体を修復できても、一度離れた魂までは呼び戻すことができないので、最悪、違う魂が宿り、体は同じでも別人となってしまう。なので、厳密に言えば死んでしまった者を巻き戻して、生き返らせることはできない。けれど、今のように由良や勇也の壊した建物などに関しては、元に戻すことができるというわけだ。

 つまりそれは、壊れた物はちゃんと補修してくれるということでもある。その事実が、超常者との友好関係をなんとか保たせてくれている。

 前にも述べたように聖櫃が外からの干渉を防いでくれる者ならば、時の三姉妹、特にウルズさんは、この町を維持してくれているのだ。

 ウルズさんのやっていることは、この町にとってどこまでも大切な行いだ。僕はわくわくと、その様を見ていた。

 あっという間に直って行く建物は、面白巻き戻し動画を更に大迫力にしたようなもので、何度見てもその様子に感動する。

 とりあえず、修復を終えたウルズさんに、僕は謝っておくことにした。……まぁ、全ては僕の友達が起こした問題だし。友達の代わりに謝るくらいのことはしておくべきかなと、思いもする。勇也ならちゃんと謝りそうだけれど、まだ魔法による拘束で、身動き取れそうにないしね。

「お勤めご苦労様です。いやぁ、お手を煩わせてすみませんでした」

「なんだい、気持ち悪い」

「……気持ち悪いって。……まぁ、一応二人は友達なので、代わりに謝っとこうかと」

「そうかい。……まぁ、そういう事なら受け取っておくよ。あの子ら二人、くだらない事でいつも争っているみたいだから、友達なら、二人が仲良くするようにしてやんなよ」

「……はぁ」

 僕は生返事をしながら、勇也の方に仲良くできそうかとアイコンタクトを送ってみる。しかし額に負け犬と書かれた彼は、全力で首を横に振った。

 由良と勇也はお互いに、完全に敵視し合っている。由良にしても、仲良くして欲しいって言ったら、全力で否定されたし、……無理じゃないかな。

 二人の仲を取り持つなんて、僕には正直、荷が勝ちすぎる。というか、僕にどうしろと?

 とりあえず僕は、無茶ぶりをしてきたウルズさんが帰って行くのを見送りながら、勇也の拘束が外れるのを待った。


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