第九話 亀戦車の正体
「そりゃそうだろ? 姿隠して、声も立てずに黙ってたんだ。急にマイクで話しかけてきたときには、マジでびびったぞ。おかげであいつら、一気にお前の方に向かったし、危うく踏みつぶされるかと思ったし……」
『そういうものなんだ……』
最初は呆れ顔で話していた少年。だが会話をしている内に、双方の認識に誤差があることが気づき始める。やがて少年は、呆れから次第に、不審な目を亀戦車に向け始めた。
「そういうものって……自衛隊の兵士なら、このぐらい知ってるはずだろ? ……ていうかお前、さっきから何で中から喋ってんだ? いい加減にこっちに顔見せたらどうだ?」
ここまで近寄り、会話を始めているにも関わらず、何故か一向に外に出てこようとしない、亀戦車の操縦者。
その不審とも言える挙動に対し、少年は催促するようにそう言い放った。
『顔ならもう見せてるよ。この戦車それ自体が私だよ』
「はん? 判るように説明しろよ……」
『ああ……うん。口だけ出って言ってもわかんないよね……じゃあ中見せるわ』
そう言うと亀戦車の砲塔の上面、望遠鏡のような形の銃(?)の脇にある、マンホールの蓋のような円形のハッチが開かれた。
まるで水筒の蓋を開くように、パックリと丸い蓋がひっくり返り、砲塔の上面に内部へ続く穴が出来る。
(……自衛隊の戦車って、蓋が自動式なのか?)
少年はそれに不思議そうな様子だ。実はハッチが開く時に、その蓋を上に上げ押しているような、人の手は見えなかった。まるで上から糸で引っ張られているかのように、勝手にハッチが開いたのである。
『よし、じゃあ中を見ろ!』
「あん? 何でだよ?」
『いいから中を見ろって。そうでないと話が進まないわ!』
「いや、だったらまず、お前が外に出てこいよ。何考えてんだ?」
いきなり戦車の中を見ろと言われて、少年はますます警戒心を強くする。中を見た途端、何をされるか判ったもんじゃない。
『だから外に出れないんだって! 中に人なんかいないのよ!』
「……?」
少年は渋々といった感じで、戦車の車体を木登りのように上がり、砲塔のハッチの方にまで登り詰めた。そしてその内部を、井戸を覗くように見てみる。
『はうっ!? 美少年の顔が、私の中に潜り込んで……はぅああああっ!』
「お前ちょっと黙ってろ。……本当だ、誰もいないな」
確かに言うとおり、その内部は無人であった。中にあるのは一席の機械的な座席。黒い座席の少し長めの二つの肘掛けの先っぽに、自転車のペダルのような操縦桿がついている。
座席の正面には、ワイドテレビのような大きな画面が、操縦者の視界の大部分を覆うぐらいの面積で設置されている。またその大画面の両脇に、小さめの画面が数個設置されている。
現在その操縦席には誰も乗っていない。しかも外の様子を、操縦者に見せるための物と思われる、それらの画面には、電源がついておらず、硯のような四角い黒が見えるだけである。
そして座席の左手には、黒い固定電話らしき機械の受話器が設置されていた。
そしてこの操縦席、何故か戦車の視覚において、重要な潜望鏡がついていない。
……そもそも、戦車の内部に、操縦席が一席分しかないというのが、おかしい話しである。運転手用の座席があるのに、砲手用と車長用の座席が、この戦車に全くないのだ。
まあその辺の話しは、今は置いておくとして……これではっきり判るのは、本人が言うとおり、この戦車は無人であるという事実だけだ。
ではさっきから喋っているこの声の主は、どこにいて何者だというのか?
「この戦車、遠隔操作なのか?」
『……いや違うし……だから私自身がこの戦車なんだって! ああ……なんて説明すれば、判ってもらえるのよ……』
遠隔操作という、普通なら思いつくようなことを、即座に否定して、声の主は随分困っている様子だ。そこで少年は、もう一つ思いついたことを口にしてみた。
「お前は九十九神か? それとも霊体がこの戦車に取り憑いたのか?」
『ああ、その表現使えば良かったわね。そうよ、私はこの戦車に取り憑いてんのよ。前は船に乗ってたはずなのに、いつのまにこんな姿になっててさ……』
この謎の戦車の正体が、ようやく判明した。この戦車は、人の魂が宿った、意思を持つファンタジー的な機械車両であったのだ。
「船に? ……てことはお前は人か? AIとかじゃなくて?」
『ええ、そうよ。どうすれば元に戻れるのかしら?』
「そんなこと俺に聞くなよ……そもそもどうしてこんな事になってるかも知らないのに……」
『そうよね……私も知らないわね。船に乗って……デッキに出た後の記憶が、ぼんやりして思い出せないし……』
しばし沈黙する二人。話をしようにも、いきなり己が何者かという、解けない謎が出たので、話しが詰まってしまったようである。
だがすぐに気を取り直して、亀戦車の方が話題を変えて話しかける。
『私の名前は金山 鉄実よ。あんたの名前は何て言うの?』
「俺の名前はビービだ。チタン・ビービていう」
『名前の最初が苗字なの?』
「……? そうだけど何か変なのか?」
『いや、そういうカタカナの名前だと、大概苗字が後に来るから……ていうかあんた何人? 日本人じゃないわよね?』
このビービ、顔つきや髪・目の色は、日本人に近いが、先述したとおり、肌の色が少々違う。
それに今名乗った名前だと、どうも日本人には思えない。服装は日本人的だが。
「ああ、俺は昔からこの世界の住人だ。お前は名前からして日本人だろ? まさか石人って事もあるまいし」
『ええそうよ。ていうか昔から? 世界? あんた達にとって日本って、どんな国?』
またお互いの認識の誤差が出始めている。ここは日本という国はあるが、どうも別世界のようである。
「お前もしかして、転移する前の日本人か? 日本って言うのは、十年ぐらい前に、東方の海に召喚された国だよ。昔はあそこは、何もない海だったらしいぜ。見たことないけど……。何でも和己ていう、万能召喚士が召喚したんだと」
『召喚? 日本を丸ごと? 随分ダイナミックな話しね……ていうかこの世界、魔法あるんだ?』
確かにとんでもない話しである。普通なら即座に信じらない話しだろうが……
(まあ、人が戦車になるなんていう、非常識な状況に、自分がいるわけだしね。疑っても意味ないか?)
だとするとその和己という人物は、日本列島というとんでもない質量を、丸ごと召喚したことになる。どれだけの力を、その和己は持っているというのか?
『いきなり変な質問してごめん。悪いけど、日本の話しとこの世界のこと、もっと詳しく聞かせてくれない? 私少し前に、こんな姿で目覚めたばかりで、世間のことよく分かんないのよ』
「ああ……まあいいけど? 日本の軍隊……自衛隊って言うらしいが、そいつらがここに来てから、この世界は良くも悪くも変わったよ。昔は一千万いかなかった世界の人口が、急に10倍以上増えたしな。海の向こうから、自衛隊と一緒に、日本人がぞろぞろと渡ってきて、あちこち勝手に開拓してよ……まあ、向こうも食糧自給率とか、エネルギー問題とか、色々厄介な問題を抱えてるみたいだけどさ。まあこっちも色々物貰って、助かったけどな。この服だって、自衛隊の奴らが、支援だとか恩着せがましくくれたもんだし」
目の前の、あまりに異質な存在からの追及に、全く臆することなく、詳しく説明してくれるビービ。相変わらず、肝の据わった男である。
だが彼女には、そういうことを気にかける心理的余裕はなかった。
『そうなんだ……そりゃまあ、そうなるわよね。それでこの世界の奴らと、戦争とかあったの?』
「いやないな……そもそも最初から、この世界の奴らには、日本が召喚されること伝わってたし、そもそもこの世界には人はいたけど、ちゃんとした国はなかったし。少し前にレイン帝国って国があったけど、それも日本が来る五年前に潰れたしな」
この話に少し安心する亀戦車=鉄実。突如異世界に放り込まれた日本が、その後どれほどの混乱が起きたのか、容易に想像できる。
幸運なのはどうやら大きな争いなどなく、日本はこの世界でやっていけてるらしいということ。まあ、惑星一つに人口が一千万以下だから、土地は充分余りまくっていたのだろうが。
そしてもう一つ、鉄実には気にかかることがあった。
『今の日本の西暦って判る? 私が船にいたときから、どのぐらい経ったか知りたいんだけど?』
「いや、しらねえな。お前はいつ頃まで人だったんだ?」
『2022年だけど……まあ、判らないわよね……』
明確な答えは出なかったが、ある程度憶測できる事実に、鉄実はだいぶ暗い感じである。
倉庫の中で、戦車の身体で目覚めて、しばし周囲の様子を観察していた頃から、ある程度判っていたこと。だがここで改めて現実を思い知らされて、鉄実はこれからの希望が見えなくなっている。
(私が見た今の自衛隊は……私が知ってる頃の自衛隊と、あまりに変わりすぎてる。獣人ぽい人がいっぱいいるし、何か人型ロボットが実用化されてるし。たった十年で、ここまで変わるわけないわよね? 私がいた頃から、数百年は経ってる? どのみち、もう私の家は残ってないか……)
おそらくこの世界に、自分の家族は一人も生き残っていない。あのフェリーで交わした、妹との電話が、彼女にとっての最後の家族との会話になってしまった。
突きつけられた、全てを失った事実。もし彼女の人の身体があったならば、嘆息どころか、とてつもなく絶望と虚無感に包まれた顔をしていたことだろう。