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ワンモアアクセル!  作者: アメカワ・リーチ
ワンモアアクセル! 1 ~トゥーランドットと練習王子~
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2-01


 リンクメイトたちがざわめいている。

 理由は明確だ。いまやスケート関係者のみならず日本中が注目する少女が、特に大会があるわけでもないのに地方の大したことないリンクに突然現れた。

 もちろん、その少女の名前は君崎凛。若干十六歳にしてクイーンになった少女だ。

 身長は女子にしては高め、手足もすらりと長い。モデル顔負けの体型。それでいて、顔自体は日本人が好きそうな幼げなものだった(ただし、氷のような険しい表情のせいで可愛いという印象は皆無だけど)。

 彼女がクイーンになった時、日本のメディアはそれを大々的に取り上げた。

 現在の日本において、フィギュアスケートはもっとも人気のある競技の一つであり、注目度も高い。だが、それはユリカ=ホワイトや白石裕樹、三木楓といったアイドル顔負けの美貌と、世界トップレベルの実力とを兼ね備えた選手たちの活躍によるものであった。

 なのに、前回のオリンピックが終わったあと彼女たち人気選手が軒並み引退してしまったのだ。スケートはサッカーや野球と違って、自分でちょっとやってみようと思っても簡単には出来ない。サッカー部や野球はどこの学校でもあるだろうが、スケート部がある学校がどれだけあるだろうか?

 スケートは、その性質上スター選手を必要としているのである。スター選手がいなければ、競技そのものの人気も落ちてしまう。その傾向がスケートは他の競技よりも著しい。アメリカなどその最たるものだ。かつてはスケート大国と証されたが、スター不在の今、その人気は下火。グランプリシリーズのアメリカ大会など、一番人気の女子シングルフリーでさえ空席が目立つ。

 とにもかくにもスケートにはスターが必要なのだ。だから、世間は、特にテレビ局は新しいスターを求めた。そこに現れたのが、君崎凛だったのだ。

 華のある容姿、そして高い実力、そこに実績が加わって、彼女は瞬く間に国民的ヒロインとして祭り上げられることになった。いまや君崎凛の名前を知らない日本人はいない。

 そんな超有名人が、突然目の前に現れたのだ。騒ぐなというのは無理な話だ。

 彼女はリンクに現れたのは、一般開放の時間が終わって製氷が済んだ頃だった。もし一般人がいたら騒ぎはこの程度じゃ済まなかっただろう。

 黒いジャージにスウェット、要は練習着のままで現れた彼女は、その地味な服装にも関わらず、それでも目立っていた。むしろシンプルな薄着がそのしなやかで均整の取れた肢体を強調させた。

「ねぇお兄ちゃん、ほんと、何しにきたのかな?」

 妹の未央が俺の服の裾を摘んで聞いてきた。

 まだ昨日の出来事は誰にも、妹にすら話していない。なにしろ、あまりにも突拍子ないことで、信じてもらえないとさえ思ったのだ。例えるなら、ただの一般人が国民的アイドルに突然告白された、といったところか。とにかくそれくらい現実味のない話なのだ。

 それになんて説明したら良いのか、俺の混乱した頭では分からなかった。だから言い出せずにいたのだが、

「王寺君おはよう」

 当然説明しなきゃいけない時が来る。リンクに現れたヒロイン<君崎凛>が、急にごく普通の選手である俺に話しかけてくる。

「え、お兄ちゃん、君崎凛と知り合いなの!?」

 未央が今リンクにいる全員の疑問を代弁した。

「まぁ……ね」

 俺は助けを求めるように凛の顔をうかがった。だが、彼女は相変わらず無表情。その端正な唇は閉じられたままだった。彼女には、周囲に対して自分がここにいる理由を説明するつもりはないようだ。

「込み入った話になるし、ちょっと場所を変えましょうか?」それどころか、生徒たちを邪魔だとさえ思っているようである。「近くに喫茶店があったよね? そこでどう?」

「あ、ええっと、うん。もちろん」 俺が返事をすると、彼女は何も言わずに踵を返した。「えっと……事情は帰ってきたら説明する」

 ぽかんとする未央それからリンクメイトにそれだけ言い残して、俺は君崎凛についていった。

 三秒ほどして、

「え、ええぇ────!!」

 未央があげた驚きの叫び声がリンクにとどろいたが、俺には無視することしかできなかった。

 ゲートをくぐってリンクから出て、休憩室を通り靴置き場でスケート靴の脱ぎ外に出る。その五分ほどの時間、俺に無数の視線が向けられた。

 演技で注目されるのとはまた違う。まだそっちの方がマシかもしれない。圧倒的に優れた人の隣に自分というつまらない存在がいて、それを誰かに見られるという、劣等感と罪悪感の入り混じったどんよりとした感情。

 半歩前を行く凛の後を黙ってついていく。俺たちは凛の提案どおり、リンク近くのカフェに腰を落ち着けた。

「じゃぁ私はアイスコーヒーで」

 俺の向かい側に座る君崎凛は、背筋をピンとのばしていた。鏡張りの部屋で練習することで常に完璧な姿勢を身につける練習があるらしいが、彼女の場合鏡がない場所でも、まるでそれを意識しているように、美しい姿勢を保っている。俺も自然とそれにつられて姿勢を良くしてしまった。

 平日の夕方ということで、客はほとんどいなかった。

 君崎凛。日本で一番注目されるアスリート。そんな超有名人だ、目立たないはずがない。幸い、リンクからここに来るまで五分もかからなかったので、誰かに声をかけられたりはしなかった。だが、当然店に入れば店員には見られる。そして気づかれる。さすがに声をかけたりはされなかったが、有名人は常にこんな風に注目されているのだから大変だな。

「さっそく本題に入りましょう」  

 彼女は鋭い目つきでこちらを見た。というか睨んでるようにしか見えない。今何を言われても、恐喝にしか聞こえないだろう。〝氷上の女王表情無し〟という新聞の見出しを思い出す。

「改めて聞くわ。私とペアを組んで、五輪を目指さない?」

 昨日、いきなり彼の前に現れた彼女は、今のと同じ質問をした。

 あの後、あまりに突然のことで混乱した俺はとりあえず明日また詳しい話を聞く。そう言って逃げ出すようにその場を後にした。我ながら情けない行動だと自覚している。だが、基本的に俺はいつもこうなのだ。突然の出来事に弱い。

 もっとも、今回ばかりは百パーセント俺の責任、というわけではないだろう。なにせ、いきなりあの君崎凛が目の前に現れて、ペアを組もうなどと《告白》してきたのだ。訳が分からなくなっても仕方がない。

「質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「……なんで俺なんですか?」

 俺が驚いてしまったの理由はこれだ。そう、なぜ数多いる選手の中で、何故俺みたいなやつに声をかけてきたのか。俺は決して一流の選手じゃない。全日本に出れるが、世界選手権には出られない、いわば中堅選手だ。

 一方、相手は世界の頂点に立つ一流選手。彼女がペアをやるのなら、組みたいという男は腐るほどいるだろう。俺みたいな選手を選ぶ理由はないはずだ。

 なのに、俺に声をかけた。いったいその真意はなんなのか。一晩考えてもわからなかったその答えを、彼女は口にし始めた。

「去年世界選手権が終わってすぐに、ペアを結成したの」

 ……もちろん知っていることだ。

 彼女は若干十六歳で世界の頂点に立って世間を驚かせた。

 そして、その二ヶ月後、彼女は世間にさらに大きな衝撃を与えた。

 ペア転向。

 ロシアの有力選手とペアを結成、二年後の五輪を目指すという。世界選手権で優勝し、五輪の金メダルにもっとも近い選手がとる行動ではなかった。

 だが世間は、君崎凛がペアで金メダルを取れる可能性は低くはないと思っていた。もし五輪でメダルをとれば、日本スケート界初、ペアでのメダル獲得の快挙だ。誰もやったことがないことにこそ意味がある。ストイックで常に高みを目指す彼女なりの新たな挑戦か。

 少なくとも、世間的には裏切られたという感覚よりも、期待感の方が高かった──シーズンが始まるまでは。

 しかし、彼女は競技会に姿を現さなかった。エントリーしていたグランプリシリーズ、まずはその欠場が伝えられた。理由は調整不足──だが、それ以外に何も情報は与えられなかった。いったい何があったのか、根拠のない記事を伝える週刊誌を除けば、彼女の情報を教えてくれるものは何一つなかった。そして例の全日本──俺が惨めな姿をさらした大会だ──が、彼女が今シーズン復帰するラストチャンスだった。

 だが、やっぱり彼女がそこに表れることはなかった。

 ……そして今日に至る。

 俺は思わずつばを飲み込んだ。今、目の前で、世間が知りたい“彼女の一年”が語られようとしているのだ。

「でもうまくいかなかった。三ヶ月でカップル解消を言い渡されたわ」

 そういう彼女は、まゆひとつ動かさなかった。あくまで無表情で、さらりと、事実だけを告げる。

「彼はね、実力はすごくあった。けど私とは合わなかったの」

 相性。それはペアにおいて何よりも大事な要素だ。

 ユニゾン、つまり二人の調和が何よりも優先されるのがペアとアイスダンス。個々がどんなにすごい選手であっても、二人のユニゾンがなければ、ペアではまったく評価されない。例えばジャンプをするなら、その離氷、回転、着氷のタイミング、そして姿勢まで同じでなければならない。だから、お互いに実力者同士なのにうまくいかなかったとしても、なんら不思議ではない。

「それで、相手を探してたところに、コーチがあなたを勧めてくれたの」

「俺を?」

 信じられない話だ。国内でも決して目立つ選手ではない自分を、世界女王の相方に勧めるなど、正気の沙汰ではない。だが――

「ジャンプの跳び方からスピンの回り方まで、私にそっくりな選手がいるって」 

 それを聞いて、俺は納得してしまった。

 そりゃそうだ。ジャンプの跳び方。スピンの周り方。スケーティング。全部似ていて当然だ。だって、俺は――

「最初は半信半疑だった。でも、試合の映像を見て、この人なら私と合うって確信した」そこで彼女は一息ついた。そして、もう一度言葉を繰り返した。「私と組んで、ソチ五輪を目指して欲しい」

 俺はその黒い瞳に囚われた。

「私とあなたなら、五輪を目指せる」

 その瞳に映るのは強さ。揺らぐことのない決意。どこまでも澄んでいる。その湖に俺は吸い込まれる。

「俺……」

 五輪を目指せる。その言葉には説得力がある。それを裏打ちしているのが、彼女の強さだからだ。もしかしたら、この人についていけば、それが出来るんじゃないか。俺にそう思わせた。

 だけど。

「ごめん、やっぱできない」

 俺の答えはそれだった。

「なんで?」

 彼女は毅然としたままそう言った。

「私じゃ力不足?」

「まさか。そんなわけない」

 そんなことあるはずが無い。君崎凛の力を疑うものなど、世界中探してもいないだろう。シングルに戻れば、今からでも絶対にトップを取れる。確実に。

 でも、だからこそだめだ。

「やっぱり、自信が無い」

 彼女は天下を取れる。だからこそ、俺とは組むべきじゃない。

「一流選手の相方なんて、俺には荷が重過ぎる……君崎さんにはもっといい選手が絶対にいるよ」 

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