4-05
会場の興奮が収まりだしたころ、次の選手の名前がコールされる。
『井上夢、井上優組──』
俺たちはキスアンドクライに座したまま、ライバルの演技を見守った。
同世代とは思えないほどに堂々とした入場からは、微塵のプレッシャーも感じられない。
しかし、まったくライバルとも思っていなかった相手が、自分たちのべスト超える演技をした。彼らにしてみれば寝耳に水だったはずだ。だったら、少しくらい揺さぶられていてもおかしくはない。
そして、フィギュアスケートはほんの少しの要素──少しの動揺、少しの不調、少しの不運──が最悪の結果につながってしまうスポーツだ。
特にショートプルグラムは、技の数が少なく、自由度も低い。一つのミスが命取りになる。だからせめて一つくらいミスをしてくれれば……。
俺は心の中でそう願った。もとより、井上組がショート・フリーともに完璧な演技をしてしまえば、俺たちに勝ち目はないのだ。
彼らが失敗するとしたら、ジャンプしかない。
おそらくツイストはダブルで来るだろうし、リフトもショートにおいては簡単なヒップリフトと決められているから、そこでミスすることは無いだろう。まして熟練のペアである二人にスピンやデススパイラルでのミスは望めまい。
鍵を握るのはジャンプだ。
曲はリストの死の舞踏。シンセサイザーやエレキギターを用いて現代風に編曲したナンバーだ。
姉は白色、弟は黒色の衣装に身を包んでいる。事前のインタビューによると、白はガイコツを、黒は黒死病を表しているらしい。
だが、少女めいた雰囲気を持つ弟は病原菌などには見えないし、豊満な肢体を持つ姉もガイコツからは程遠かった。
代わりにロックでクールな印象が強い。現代的なアレンジもそれに一役買っているだろう。
さて──。
まずはステップから入る珍しい構成。ユニゾンは完璧、氷上に描かれた図形も正確だ。この辺りはまったくかなわない。
だが、ややこわばっているようにも思えた。練習で、あるいは以前の試合で見せたそれからすると、どこか動きが小さい気がする。
演技が進むにつれて、その疑惑は確信に変わった。点数にはまったく影響しないレベルなのだが、しかし、明らかに緊張している──。
続く技はツイスト。回転数は俺たちと同じダブル。これは難なく決める。
問題は次のジャンプだ。
トリプルサルコウ。シングルなら決して難しい技ではないが、ペアでは一流選手なら平均レベルの技だ。
俺たちのやったジャンプよりはかなり難易度が下がるが、それでも決して侮れる技ではない。
なんとなく予期していた。
このジャンプは失敗する。
それはいわば試合での失敗経験豊富な《練習王子》だからこそわかる共感。
タイミングはほぼ同じ、だが、二人とも着氷が乱れた。弟のほうは辛うじてオーバーターンで済んだが、姉はステップアウトして態勢を立て直そうとした結果、さらにバランスを崩しひざをついてしまう。これでこのジャンプは転倒に近いマイナス評価を受ける。
俺は自然と拳を握り締めてみていた。彼らの演技にではなく、自分たちが勝てる可能性が見えてきたことに興奮しているのだ。
その後は、特に大きなミス無く演技が続いていった。
そして最後のデススパイラルで演技終了。
会場からは大きな拍手。
明確なミスはジャンプひとつ。全体の密度、完成度は俺たちよりも高い。賞賛に値する演技なのは間違いない。
だが、勝敗を考えるとあのミスは大きすぎる。特にわずかなミスが命取りになるショートプログラムにおいては致命傷だ。
ふと凛の表情を伺うと、彼女はこんなときまで冷静だった。ただ、スクリーンに得点が映し出されるのを凝視する。
「技術点――」
会場がどよめいた。同時に俺たちは立ち上がって叫ぶ。
スクリーンに彼女たちの順位が映し出される。
二位。二点差で、俺たちに敗れて二位。ショートプログラム暫定一位は俺たちだ――
「やったぁ」
俺は凛を思いっきり抱きしめた。彼女もそれに答えて喜びをあらわにする。さらにコーチも加わって喜びを分かち合う。
ショートとはいえ、俺たちが井上組を破ったのだ。
これで明日に繋がった。五輪への道が開けたのだ――




