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十二月二十三日。フィギュアスケート全日本選手権、ペアショートプログラム当日。
ペアのエントリーは二組のみだ。井上夢&井上優組。そして君崎凛&王寺大輔組。
例年国内におけるペアの注目度はかなり低い。なんといってもスケートの花形は女子シングルだし、そもそもペアにおいて真の意味で〝真剣勝負〟が行われたのはもう何十年も前のことだろう。なにせ出場するカップルがゼロ、ないしはひと組という状態が長く続いていたのだ。競技者ゼロは言うまでもなく、ひと組でも〝勝負〟とは言えない。仮に二組いても、世界選手権の出場枠がないので勝負する意味もない時だってあった。
しかし今年は違う。前全日本チャンピオン、そして前世界女王の君崎凛と井上ペアとの五輪代表を巡った一騎打ち。長い歴史を持つ全日本選手権だが、ペア競技において、会場がこれほどの緊張感に包まれたのは初めてだろう。
事前に行われたクジで、一番滑走を引いたのは俺たちだった。
滑走順は勝敗を決する重要な要素だ。例えば、後になればなるほどリンクは削れて行く上に、六分間練習から間隔があいてしまうというデメリットがある。しかしその分、他の選手の演技を見てから演技をするので、攻めるのか守るのかと、作戦的に戦うことも出来る。それぞれメリット・デメリットがあり、それを踏まえたうえで冷静に自分の演技が出来るかどうか、それが勝敗の分かれ目になることもある。
だが、二人しか滑走者がいないこの全日本において、氷の削れ具合などあまり大きな要素ではないし、そもそも俺たちに〝攻めるか、守るか〟などという選択権はない。
実力差は歴然、普通に戦えば井上ペアが勝つ。ゆえに勝つために俺たちに求められるのは捨て身の作戦。すなわちハイリスク・ハイリターンの大技――トリプルアクセル。ペア競技においては前人未到のエレメンツ。
二人の〝練習における〟トリプルアクセルの成功率は七割。トリプルアクセルがペアでは成功例のない大技であることを考えると、一見成功率が高いように見える。
だが練習と本番はまったく違うものだ。殊スケートにおいては想像以上に違うのだ。練習で目を瞑ってもできるというレベルに達して初めて、本番での成功が見えてくるのである。五輪代表がかかった大舞台。そこで《練習において成功率七割》の技が成功する確率は限りなくゼロに近いといえる。
ましてカップルの片割れが〝練習王子〟。客観的に見れば、状況は絶望的といえる。
『六分間練習を開始してください』
演技前、最後の調整の場である六分間練習。まず氷上に躍り出たのは俺たちだ。その後一歩送れて井上組。見れば、井上姉弟は、二人共落ち着いた様子で、調子もかなり良いように見える。三年という長い時間で積み上げられた実力と実績に裏打ちされた自信が、五輪代表選考という人生をかけた舞台を前にした二人の力になっているのだ。
井上ペアがソロジャンプ・トリプルトウループを決めた。会場からは拍手。比較的ソロジャンプを苦手としている二人だったが、それでも今日は高いシンクロを見せつけていた。
一方の俺たちはというと…………。
凛のほうはいつもどおりのポーカーフェイス。焦りは微塵も感じられない。ペアこそ今季初挑戦だが、スケート選手としての確かな実績と、途方もなく積み上げられた努力から来る自信が彼女に強さを与えている。
だが 俺の方はそうもいかない。努力は重ねたが、本番に弱いという意識の積み重ねが、背中に重くのしかかっている。おそらく他人から見れば一見して緊張しているのがわかるくらいだろうと、自分でも自覚していた。俺の〝平均的な緊張度〟からすると比較的マシに思えるが、それでもベストな演技ができる状態とは程遠い。
確認のために跳んだダブルアクセル。だが俺がステップアウトしてしまう。トリプルアクセルとは比べ物にならないほど難易度の低いダブルアクセルでさえこれなのだから、このままいけば、勝負の行方は明らかだった。
冷静さを取り戻そうと試みるが、今までの経験から無駄なのは分かっている。身体に倦怠感がまとわりつき、それは動けば動くほど増していく。
それからもう一度ダブルに挑戦、なんとか成功させると、二人は一度だけトリプルに挑むだ――会場から小さな悲鳴が上がった。俺の転倒。すぐに立ち上がり、滑り始めるが、焦りは一層増していく。
滑走順一番は、六分間練習直後に演技が始まるので、二番滑走よりも一分早く練習を切り上げなければならない。こうして不安だけを残して二人の六分間練習は終わった。
試合を見るまでもない、一騎打ちの結果はわかりきっている――観客は皆そう思っているに違いない。残るのは井上ペアに対する純粋な期待だけだろう。
『選手は六分間練習を終了してください』
そのアナウンスで井上ペアはリンクの外に引き上げた。リンクの端で俺たちはコーチの最後のアドバイスを聞く。
「やりきれば、勝てる。そう信じてやるしかない」
今の状況をいみじくも言い当てている。そうだ。今の俺たちに出来ることは信じることだけ――
試合開始が宣言される。
『一番滑走────』
俺たちは観客の声援に答えながらリンク中央に向かった。落ち着くためか少しゆっくりめに滑る。
これから一分後演技が始まる。リンクの中央にたどり着く。
その時、会場が息を飲んだのがわかった。
凛が俺の肩に手を載せて話しかけた。
そして――




