3-10
ドアを開けた凛は驚いただろう。親同然の恩師がやってきたと思ったら、そこに喧嘩別れした元パートナーがついてきたのだから。
凛はコーチの顔を凝視するが、彼女からは何の説明もされなかった。
「じゃぁ私は外で待ってるから」
そういってコーチはすぐに部屋を出てしまう。行き場を失った驚きは心中を回っているようで、彼女は三十秒ほど動かなかった。
どうしていいのかわからないのは俺も同じだった。
ようやく、彼女から
「……入っていいよ」
部屋の中はカオスだった。言われなければ、まさか女子高生の自室だとは思うまい。
まずゴミがそこら中にある。元から物が少ないからか足の踏み場も無いというわけではないが、お世辞にも綺麗とはいえない。
とりあえず部屋に入ったものの、その後どうして良いかわからず凛の指示を待った。
凛は扉を丁寧に閉めて俺に向き直った。
一瞬の沈黙。
そして凛は
「ごめんなさい」
俺に頭を下げた。あの気高い凛が腰を折り曲げて頭を下げているのを、あっけにとられて見つめた。
何か言わないと、そう思うんだけど、なにをいって良いかわからない。とにかく突然の出来事に弱いのだ。
「私、焦ってた。だから大輔の気持ちも考えないで突っ走ってた」
頭を下げたまま、彼女は言い続けた。
「私には本当にスケートしかなかった」
その告白。もう知ってるよ。彼女の口からこれ以上説明させる必要なんて無い。そう思ったのに、言葉が出てこなかった。
凜が弱みを見せるとき。それは本当に追い詰められたとき。
「だから、ずっと、隣にいてくれる人を求めてたんだ。それがペアをはじめた理由」
彼女がこんな風に長く喋るのは、一年前に出会って以来初めてだった。今思えば、彼女とはこの一年毎日一緒だったのに、ほとんど会話が無かったのだ。
「もう五輪なんていけなくてもいい。だからせめて一緒に滑ってください。お願いします」
気がつけば彼女は涙を流していた。
気高い君崎凛という少女。どんなに惨めな演技をした後でも涙ひとつ流さなかったあの少女。いったいその涙にはどれだけの重みがあるのだろうか。
「大輔が必要だから」
その一言は、いったいどれだけ俺が望んでいた言葉なんだろう。
「……もう全日本まで時間がない。また今日から一緒に頑張ろう」
正直、拍子抜けだった。
一体この数日、悩み続けたのはなんだったんだろう。あれだけ身体にまとわりついていたものが、いっぺんに消えてなくなってしまった。
でも実は、仲直りなんて大抵そんなもんなんだろう。
「……俺も告白する」
凛は涙を拭きながら、
「俺がスケートをやる理由は、凛に憧れてるからなんだ」
俺の告白を聞いて、彼女は眼を見開いた。
「俺たちの滑りが似ているのは偶然じゃない。俺が凛の真似をしたからなんだ。凛の演技を何度も何度も見て、少しでも近づこうとした。ジャンプの跳び方、スピンの種類、選曲。全部真似した。それくらい憧れだったんだ」
俺にとって、凛はスケートそのものなのだ。
この歳まで、つらい練習を続けれこれた理由。ただたた近づきたかった。凛としたあの演技に、少しでも近づきたかった。それが俺の人生の原動力だった。
女の子として好きとか、そういうのを超えて、俺は凛に一人のスケーターとして尊敬し続けてきた。
俺にとって、大げさかもしれないが、スケーター君崎凛は《神》なのだ。
「俺は断言できる。お前の世界一のファンだ。それで、応援するだけでは飽き足らず、一から十まで真似することにいそしんできたストーカー野郎だよ」
俺の言葉を聞いて、凜がふふと笑いを漏らした。
「だから今幸せだよ。ずっと憧れてた凛と、一緒にスケートが出来るんだから」
俺は、その辺においてあった空のペットボトルを手に取る。
「それにしても汚いなぁ……」
「部屋が汚くても別に困らないでしょ。家にはほとんどいないし」
「いや、そういうわけにはいかないでしょ。ってか君掃除器具のコマーシャル出てなかったっけ? これマスコミにバレたらイメージダウンだよ」
なんかおかしな話だけれど、部屋一面のゴミを見て安心した。
確かに、ひとたびリンクに立てば、凛は世界最高の選手だ。けれど、リンクの外では、普通の、ううん、普通どころか、むしろ守ってあげないといけない女の子なんだ。
本当に、全てをスケートだけに向けてきた少女。だから他に足りてないものがあるんだ。
たぶん俺にだって彼女にしてあげ荒れることがあるんだ。




