3-01
トウループ。サルコウ。ループ。フリップ。ルッツ。そして──
俺と凛は全ての種類の三回転ジャンプを簡単な順番に跳んだ。結果は全て成功。
シングルで言うところの≪ジャンプ≫という要素は、ペアでは《ソロジャンプ》と呼ばれる。男女が同じタイミングで、並んでジャンプをする技だ。
《ソロ》という名前がついているが、一人で勝手に跳ぶわけではない。ペアのエレメンツ《技・要素》の原則は、二人で息を合わせて行うことであり、《ソロ》ジャンプ、《ソロ》スピンも例外ではない。
ソロジャンプやソロスピンの《ソロ》という単語は、単にお互いには触れずに行うということを表している。ソロジャンプなら、お互いに触れずに少し離れたところで、《同じ種類のジャンプ》を《同じ形》《同じタイミング》で跳ぶ必要がある。
普通、選手によってジャンプの跳び方は違うし、得手不得手もある。もっと言えば、選手によって跳べない種類だってある。
入るときに体を傾ける人もいれば、あまり傾けない人もいる。跳距離を出すタイプの人もいれば、高さを出すタイプの人もいる。そんななかで、ペアにおいては《同じ種類》《同じ形》《同じタイミング》が求められる。ここがペアにおけるソロジャンプの難しさだ。
君崎凛&王寺俺組、カップル結成から十ヶ月。俺たちはペア特有の技を含めて、なんとか一通りプログラムをこなせるまでにいたっていた。
とはいえ、二人ともゼロからのスタートだったため、リフトやツイストといった危険度の高い技はまだまだ国際的レベル――オリンピックに出れるレベルには達していない。
だが、俺たちはある技においては、一流のペアにさえ勝てるものを持っていた。それがソロジャンプだ。
俺たちは元々シングルの選手で、二人とも全ての三回転をマスターしている。加えて、俺たちのジャンプの跳び方はもともとほとんど一緒だった。つまり、ソロジャンプにおける《同じ種類を》《同じ形で》《同じタイミングで》という三つの条件のうち、もっとも先天的な部分二つを最初からクリアしているのだ。
ゆえに、後はタイミング、つまりユニゾンさえあってくれば、他のペアには不可能な難易度の高いソロジャンプが可能になる。
ジャンプを中心とした、シングル競技と共通のエレメンツで井上組を圧倒する──これしか五輪代表の座を手にする方法はない。
そして俺たちのユニゾンは少しずつだが着実に合ってきている。
だが井上組に勝てる見込みはまだまだ薄い。それは紛れも無い事実だ。
「一回休憩」
凛は頬を伝う汗を脱ぐって、リンクを出た。俺はそれを追いかけず、出口とは逆の方向に向かった。出入り口とは逆のところに陣取っている同級生に気がついていたからだ。
「天野、どうかしたの?」
そこには私服姿の天野の姿があった。さっきジャンプの時に気がついてはいたのだが、そのときは練習中だったので声をかけなかったのだ。
制服姿の彼女には毎日会っている俺だが、彼女の私服を見るのは初めてだった。
さっきはちらっと見ただけだから気がつかなかったが、彼女の私服はすごく可愛くて、それがまたやたら似合っている。ゴシック調のワンピースで、不思議の国のアリスを思わせる。普段とにかく快活なので、そのギャップがなおいっそう可愛さを際立たせている。
「一般客としてきたんだよ?」
天野は手にもった入場チケットをひらひらと揺らしてこちらに見せた。
「それにしては滑ってるようには見えないけど?」
「別に滑りに来たわけじゃないから」
おかしなことを言うやつだ。ここはスケートリンクだ、スケートをする以外にやることなどないではないか。
「じゃぁなにしにきたのさ」
「大輔の様子を見に来たの」
何気ない一言に俺は戸惑った。面と向かって自分を見に来たといわれたとき、どんな風に返答すればいいのか俺にはわからない。実は高校で天野と出会う前まで、女の子と仲良くなったこともなかった。だからこういう状況に不慣れなのだ。頭の中では適当になにか言ってさらっと流せばいいのだと分かっていたが、いざその段になると口が開かない。
さらにそこに天野が追撃を加えた。
「私、世界一の大輔ファンだから」
その一言には絶句するしかなかった。赤面する俺を、しばらくのあいだ天野は小悪魔的な笑みを浮かべて観察した。わざと大げさに言っているのだろう、とはわかってはいるが、うまく対応できなかった。
彼女は俺の反応を楽しみ終えたようで、最後に少しだけ笑みを漏らしてから、少しまじめな顔になった。
「でも今の大輔のスケート、私は好きじゃないな」
「……どういうこと?」
「前の方が、シングルをやってるときの方が、私は好きだったな。今は、なんか自分を押し殺してるみたいに見えるよ」
天野はスケートに関しては初心者だ。観戦者としては、それなりの知識は持っているようだが、自分でスケートをやったことはない。
しかし、彼女の言うことは見事に図星だった。
「それは……ペアはシングルとは違うから。ペアは相手に合わせなきゃいけないし」
それでも、それを認めてしまうのは、なんとなく負けた気がして……自分のふがいなさを認めるようで嫌だった。だから俺はそう弁明した。
それに対して彼女は、「まぁ、プロのスケーターがそういうんだから、そうなのかもしれないけど……」と一度ささやかな譲歩をしたが、「でもさ。これは、あくまでスケート初心者の疑問なんだけどさ」
そう言って天野は、核心を突いた。
「ペアって、男女が、お互いの魅力を引き出しあう競技じゃないの?」
その言葉が、俺が今まで心の中に少しずつ積み上げてきたものが崩れていくのを感じた。
遙か遠くにいる君崎凛という少女に少しでも近づこうと、必死に努力を重ねてきた。そして最近は二人のユニゾンも生まれてきて、なんとなく、少しだけだけど、彼女に近づいた気がしていたのだ。だがそんな幻想を、彼女は柔らかな口調で一刀両断した。
俺は彼女の魅力を引き出しているか?
その自問の答えは否だった。ペアは間違っても、片方がもう片方に黙ってついていくような競技ではない。1×1が10にも100にもなっていく──それが理想なのだ。
だが、現実は、1+1が2どころか、1+1が1だった。
「まぁ、あくまで初心者の意見だから、あんまり気にしないでね?」
とってつけたような天野のフォローには何の意味もなかった。
「大輔」
休憩を終えた凛がやってきて、黙り込んでいた俺に声をかけた。その声色はどこかとげとげしい。俺が振り返って凛を見ると、彼女の目線の先にあったのは自分ではなく天野だということに気がついた。
「あなた、何してるの?」
普段感情を表に見せない彼女が、今は天野に対して敵意むき出しだった。
「何って、お友達とちょっとお話してただけですけど?」
天野は困惑した様子で答えた。当然だが、凛と天野は初対面だ。普段テレビに向こうにいる相手が、目の前にいて、しかもなぜか自分を鋭くにらみつけてくる。戸惑って当然の状況だ。
「そう。じゃぁ練習中だから」
凛は俺の腕を力強く握って、引っ張った。凛は有無を言わさないというオーラを放っていた。
「おい凛?」
「早く。練習」
凛の態度に強い違和感がした。明らかに怒っている。しかし、なにが原因なのか、皆目見当がつかない。
俺は、顔だけ振り返り、天野に頭を下げた。それを見て天野が苦笑いしたのを確認し、意識を凛に戻した。
「本当にどうかしの?」
確かに凛は普段から冷たい印象がある。けれど、それは感情を表に出さないことに起因しており、決して常に怒っているのではない。自分の夢に集中しきっているがゆえに、他人に目が向かない、つまり良い意味でも悪い意味でも他人をかまっている暇がないのだ。
なのに、今の彼女は明らかに何かに怒っていた。それが俺になのか、天野になのかはわからないが、とにかく怒っているのは明らかだった。
凛はブレーキをかけ、俺に向き直った――というよりにらみつけた。
「あの子はガールフレンド?」
俺はその言葉に俺は面を食らった。
「いや、違うよ」
俺は一瞬冷静さを失って、強く否定してしまった。それは客観的に見ればまるで図星だったかのような反応だったろう。
それに対して、凛は「全日本は遠くないの。もちろんオリンピックもね。だから集中して」そんな風に断罪した。
俺はそれに対して何も言わなかった。理不尽だと言葉にすれば角が立つから遠慮したのか。それとも主張するだけの度胸がないだけなのか。
結局俺がしたのは、顔で不快感、納得はしていないという意思を示すだけだった。




