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ワンモアアクセル!  作者: アメカワ・リーチ
ワンモアアクセル! 1 ~トゥーランドットと練習王子~
12/42

2-05

 練習初日。時刻は朝の七時。リンクが開館する時間だ。

 君崎凛は、大荷物を引きずってリンクにやってきた。どうやら、本当にホテル生活を始めるらしい。

 とりあえず荷物はロッカーにおき、氷上で神埼コーチが表れるのを待つ。その間、会話は皆無だった。

 おはよう。交わしたのはそれだけ。会話ですらない。テレビなどのメディアで語られるイメージ通り、かなり寡黙なようだ。

 まぁ、ある程度は覚悟してたけど。

「それじゃぁ始めようか」

 リンクに現れたのは、俺のコーチ、そして今日からたちのコーチとなる、神崎義男コーチだった。

 年は三十代後半だが、数多くの一流選手を育て上げている名コーチである。風貌は和製ジェントルマンといったところか。女子選手のあいだで密かに人気だったりする。

 現役時代は、ペアでオリンピックにも出場している。そのときの順位は十五位。これは日本人カップルとしては歴代最高位である。

「よろしくお願いします」

 初対面の凛はリンクに着くと丁寧にお辞儀をした。かなり態度がきつい凛だが、決して傲慢なわけではない。

 俺も、一応区切りなのできっちりと挨拶することにした。

「これから、またよろしくお願いします」

「うん、よろしく──さて、じゃぁ時間もそんなにないし、練習始めようか」

 同じフィギュアスケートといっても、ペアとシングルとでは、求められるものまったくが違う。

 確かに共通する技も多い。たとえばジャンプやスピン、ステップ・スパイラルなんかは、基本的にはシングルと同じだ。

 しかし一方でシングルにはない技がそれ以上にたくさんある。リフト、ツイスト、ペアスピン、デススパイラルそしてスロージャンプ。

 これらの技の中で、特にリフトやスロージャンプはペアを象徴する技だろう。基本的に危険度が高く、ダイナミックでアクロバティック。

 だが、それらはペアのほんの一面にすぎない。シングルとの最大の違い。それは、すべての技を《パートナーと同調して》行わなければならないことだ。パートナーと息が合っていなければ、どんなにすごい技を行っても無意味だし、そもそもペア技にいたっては行うことさえできない。

 息が合っていることを《ユニゾン》というが、ペア競技においてはこのユニゾンがなによりも大事になる。そこがペアの難しいところだ。

 シングルにおいては《世界一》の凛だが、ペアに転向しても即一流、というわけにはもちろんいかない。大事なのは俺と彼女がどれだけ同調できるかだが……。

「まずは手を繋いで滑るところから始めよう」

 ペアでは男女が手を繋いで滑るシーンが多い。もちろん、抱き合うのも日常茶飯事だし、キスの真似だってする。もちろん。そういうことをやる覚悟はしていた。

 だが……。俺は身体から嫌な汗が出てくるのを感じた。こういうとき、男がリードしなければいけないのは十分わかっている。だが、身体が動かない。

「ほら、ぐずぐずしない」

 コーチが二人をせかす。俺は覚悟も決まらぬまま、コーチに言われるままに、凛に手を差し出した。ちょっとの間をおいて、彼女の手が差し出される。次の瞬間、自分の手から女の子のやわらかさがダイレクトに伝わってきた。美人ですらっとしたイメージに強い彼女だが、その手は細いながらにやっぱり丸みを帯びていて、明らかに女の子のものだった。

「最初は滑るだけだ。スネークとスリーターンあたりから始めてみるか」

 そんな簡単な練習? そんなふうに思えたのは本当に最初のうちだけだった。実際、本当にただ滑るだけなら、あまり難しくはない。だけど、シングルみたいにスピードを出すのは不可能だった。ただ右に左にと蛇のように滑るだけの、小学生にだってできるスネークでさえもどこかぎこちない。ましてターンでもしようものなら、

「イタッ」

 二人の足が絡み合って転倒してしまう。かれこれ一時間。転倒すること数十回。

 スケートの練習なのだから、転倒は日常茶飯事だ。特に難しいジャンプや、複雑なステップの練習をするなら、それは当然のこと。スケーターは、初めてスケート靴を履く初心者よりも、転び慣れているといっても過言ではない。練習でいっぱい転んで、本番で転ばないようにする。

 しかし、今俺たちは何ら難しい技には挑んでいない。この一時間、何をしていたかというと、ただ滑るだけ<・・・・・・>。俺たちは初めてスケートをする初心者のように、簡単なステップやターン一つでこけてしまう。

「よし、午前の練習はこれで終わりにしようか」

 神崎コーチはそう提案した。まだ学校が始まるまで三十分はある。だから本当はもうちょっと練習できるのだが、無駄な動きの連続で疲れきっている俺たちは、素直にそれに従うことにした。

「ま、絶望することはないぞ。最初はそんなもんさ。ちょっとずつちょっとずつ、二人の滑りをひとつにしていくんだ」

 まったくかみ合わない二人のスケート。息が合わないから、簡単ターンやステップでもこけてしまう。

「……お疲れさま」

 凛は相変わらず無表情のまま、一言だけ言って、リンクを後にした。その背中を俺は黙って見つめる。

 ただ単に不慣れというのもある。だがそれ以上に、スケートを邪魔しているものがある。

「なぁ俺、おまえ女の子とつきあったことないだろ」

 神崎コーチの一言が、俺の胸にぐさっと突き刺さった。

 ようは、照れなのだ。恥ずかしいのだ。女の子と手を繋ぐのが。腰に手を回して滑るのが。

 別にスケートに命を捧げてきたから、といういいわけをする気はない。

「ま、安心しろって。男慣れしてないのは、あっちも同じだろうから」

 コーチはそういっているが、俺にはそうは思えなかった。何せ、あの容姿。男慣れしてない、そんなことありえるだろうか。それは、アイドルが彼氏なんてできたことありません、ってファンに向かって言っているのを信じるくらい、馬鹿げてるように思えた。

 わかっている。俳優にならなきゃいけない。こんなことで照れてる場合じゃない。こんなんじゃロミオとジュリエットもドンキホーテもできない。男女の愛を描くなんて夢のまた夢だ。ペアの難しさ……それ以前の問題だ。


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