瓶底眼鏡の令嬢は外面王太子に溺愛される
周囲に求められる人間像を貫くだけの人生だった。
努力する姿を見せず、人前では何でもない風に振る舞い、完璧な微笑みを顔に貼り付ける。
王太子である自分に寄せられるのは羨望か、嫉妬、策略のいずれかのみ。
……そのはずだった。
「何をしているんですか」
しかし。彼女は違った。
放課後。生徒会室に残り、生徒会長としての仕事を片付けた俺が人気のない廊下を歩いていた時の事だった。
殆どの生徒が帰宅した校舎の中を何故か歩いていた女子生徒に私は呼び止められる。
「……え?」
瓶底のように分厚い眼鏡をかけた、地味な少女。
顔に覚えはない。完璧を求められる立場である都合から、俺は一度でも顔を合わせた事がある人物は覚えるようにしている。
という事は彼女は社交の場に顔を出していないのだろう。
しかし、ここは王立学園。この生徒は貴族の血を引いている者しか通えない。
彼女の問いにも、そして彼女の存在そのものにも俺が驚いていると……そんな俺の隙を衝くように彼女は俺に手を伸ばした。
その細い指が俺の目の下をなぞる。
「ッ、な――」
俺の後ろに控えていた護衛も突然の事に反応が遅れる。
咄嗟に剣に手を掛けた彼を右手で制してから、俺は静かに数歩後退した。
護衛を止めたのは、彼女のこの行いが害意のあるものではないと理解したからだ。
「王太子である俺に無暗に手を伸ばせば、それだけで咎められる事もある。気を付けた方がいい」
「王太子……」
少女が驚いたように目を見開く。
そして後ろの護衛を見てから納得したように頷き、後退。それから深々と頭を下げた。
「大変失礼いたしました。慈悲深きご対応、感謝いたします」
「いいえ」
「……しかし」
彼女は俺に触れた手に視線を落とし、目を細める。
「ならば余計に、貴方の不調を見逃すわけにはいきません」
俺は彼女の行動の意図を理解していた。
どうやら見逃してはもらえないらしい事を悟り、小さく息を吐いた。
「な……っ、不調……?」
俺の隣では護衛が驚いたように息を呑んでいる。
「ええ。王太子殿下はお心当たりがありますね?」
少女はそう言いながら、俺に触れた手を突き付ける。
その指先には白い粉が付いている。
「これは女性が化粧に使う白粉でしょう? これを使っていたという事は、顔色を誤魔化さなければならない理由をお持ちだったという事では?」
「な……殿下」
「現に、白粉が取れた箇所には深い隈が見て取れます。医務室でお休みになっては?」
「お気遣いどうもありがとう」
彼女の言葉を適当に聞き流し、馬車へ向かおうとすれば鋭い声が飛ぶ。
「医務室はそちらではありませんが?」
「……帰ってから休むよ」
「休まない、もしくは休めないからそのように体調を隠しているのでしょう? これまではどうだったのか知りませんが、今後貴方様の身に何かがあれば……真っ先に責任を問われるのはそちらの護衛の方でしょうね」
正論ではあった。
これまでは不調を誰にも悟られていなかったし、悟らせようともしていなかった。
だが今後、俺が倒れでもすれば、俺の不調を知っても止められなかった護衛が罰せられる。
「今お休みになられる事で不都合があるというのであれば私のせいにしてくださって構いません。ですから医務室へ。……護衛の方もそれでよろしいですね?」
「……殿下」
護衛に決定権はない。
だが、俺を心から労わる確かな視線が向けられていた。
厄介な人物に捕まってしまったと、俺は深く息を吐く。
「……分かったよ。従おう」
医務室のベッドで一時間だけ仮眠をとる約束をし、俺は横になる。
「……君は帰らないのか」
「帰りません。殿下がさっさと帰ってしまうかもしれませんから」
「疑われている訳だ」
何故かベッドの横から動かない少女の様子に俺は苦く笑う。
「……何故そこまでして俺に休息を勧めるんだ?」
「殿下の不調を見過ごすわけにはいかないでしょう」
「俺の身分を知ったのは呼び止めた後だろう」
俺の言葉に息を呑んだのは護衛だ。
俺の正体を知らない貴族などいるのか、という気持ちだろう。
「……気付いていらっしゃいましたか」
「生憎、一度挨拶を交わした者の顔は覚えるようにしていてね」
「私は最近まで市井で生きてきた身でして。母の死後、隠し子として伯爵家に迎え入れられたのです。編入したのも数日前でしたから、殿下のお姿も本日初めて拝見した次第で……大変なご無礼を働きました」
「いいや。それについては気にしていないが」
そう言いながら無言で話の続きを促す。
少女は小さく肩を竦める。
「母の死因である病は日々体に鞭を打って働いていた事による過労によって患ったと言われています。毎日ほとんど寝ず、明らかに弱っている母を私は力づくでも止めるべきだったと……母が亡くなってから思いました。ですからお節介でも無礼でも、自分の目が届く範囲の人の不調には口を挟む事にしています。ただの他人であったとしても、救えたかもしれない命の存在を後から知るのはきっと……あまりに寝覚めが悪い話ですから」
俺は彼女の吐露を静かに聞いていた。
当の本人は既に割り切った話なのか淡々と話していたので、こちらが変に気遣うのも逆にやりにくいだろうと思い、俺は何でもない風に接する事にする。
「まさか、面識もない相手にバレるとはね」
「私が他者の不調に過敏になっているというのもあるとは思いますが……逆に何故誰も気付かなかったのですか」
護衛が「ウッ」と呻いている。
俺の不調に気付けなかった自分を恥じているのだろう。
それに申し訳なさを感じつつ、彼の名誉の為にも少しばかりのフォローを入れておく。
「こういうのを隠すのばかり上手くなってしまってね。如何せん、完璧を求められる立場故に」
「なんですか、それ」
少女が怪訝そうな顔をする。
「完璧な人なんて、いるはずがないでしょう」
純粋な感想だったのだろう。
彼女にとっては何てことのない些細な発言。
けれどそれが……俺は、嬉しかったのだと思う。
「人は寝なければ倒れます。休まなければ病に罹ります。簡単に傷は出来るし血も流れます。そういうものです」
「…………ああ。本当に、その通りだ」
「お仕事が忙しいのであれば一度減らしていただくよう進言いただくのがよろしいかと。もしくは執務を手伝っていただける存在か……殿下のお体に気を配れる存在をお傍に置くか」
「そうだな。提言どうもありがとう」
「いいえ。……さあ、そろそろ目を閉じてください」
俺は彼女に促され、瞼を閉じる。
「もう一つだけ良いかい?」
「何でしょう」
「君の名前を聞いても?」
目を開けると叱られそうだと思ったので、そのままの状態で俺は問う。
「アメリア・フォン・メーベルトです」
「メーベルト……ああ、彼の子か」
その家名には覚えがあった。
「俺はエリーアスだ」
「流石にお名前は存じ上げています」
「そうかい」
可愛げのない、抑揚のない返答がなんだかおかしくて俺はくつくつと笑う。
その後、話が続く前に、俺の意識が遠ざかっていく。
余程疲れていたのだろう。俺はすぐに眠りに落ちるのだった。
一時間後。護衛に声を掛けられて目を覚ましたが、その頃にはアメリアの姿はない。
護衛から話を聞くと、きっかり一時間が経った頃に彼女はさっさと帰っていってしまったらしい。
王太子である俺に恩を売るでもなく、興味がないとでもいうような彼女の振る舞いは寧ろ好感が持てた。
その後、俺は体調面と仕事量の兼ね合いを父である国王陛下に相談し、あっさりと仕事を減らしてもらう。
俺が何でも簡単そうに熟していたせいで学業の両立を可能とする仕事量を見誤ってしまっていたらしい。
お陰で一週間が経つ頃には長年抱えていた倦怠感や頭痛なども殆どなくなった。
同じ学園に通っているので、時折アメリアとすれ違う事もあった。
ただ、俺と目が合っても彼女はさっさと目的地へ向かって消えてしまう。
彼女が反応しないという事は寧ろ、彼女の目から見ても俺の体の不調が消えたという事なのだろうが。それでも何だか少し面白くないと思ってしまった。
ある日の放課後。生徒会の集まりもない日に、俺は図書館へ足を運ぶ。
他の生徒から、編入生であるアメリアが放課後は図書館にこもっているという話を聞いたのだ。
そしてその噂通り、彼女はいた。
図書館の隅で何冊もの学術書に囲まれて。
「やぁ」
随分集中している彼女に俺は声を掛ける。
眼鏡の奥にある鋭い目が俺へ向けられ……すぐに見開かれる。
それから彼女が慌てて席を立とうとしたので、俺はそれを制した。
「ああ、いい、いい。邪魔をしているのは俺なんだから」
「ご機嫌好う、殿下。……何か御用でしょうか」
「用……うん、なくはないんだが。その前に……何故すれ違っても反応してくれないんだい?」
「はぁ」
アメリアは相変わらず淡泊な返しばかりだ。
こんな令嬢は彼女くらいだろう。やはり面白い。
「特に用がありませんでしたから。それに、殿下は人気者の様ですから、ぽっと出の私のような者が関われば周りが面白い顔はしないでしょう。面倒な事は嫌いなので」
「素直だなぁ!」
俺が声を上げて笑えば、アメリアが怪訝そうに顔を顰める。
「それで? 何の御用ですか」
「ああ。君に婚約を申し出ようと思ったのだけれど」
「…………はい!?」
アメリアが飛び上がる。
目を見開く彼女を見てこんな顔もするのかと、もっといろんな表情を見てみたいと思う。
「俺の体に気を配れる存在を傍に置いた方が良いと言っただろう? なら君が適任かと思ってね」
「そういう意図で言ったものではありません!」
「まあ、何となく、あまり喜ばれなさそうだとは思ったけれど……」
だが、既に俺の心は決まっている。
俺をただの一個人として見てくれるアメリア。
彼女という存在が欲しいと、心の底から思った。
「まぁ、出会って間もないからな。まずは友人からでも」
「友人からでも……って」
「何故躊躇するんだ? デメリットは君の面倒臭そうという私情くらいだろう?」
「そうですが悪いですか……!?」
「今後貴族として生活していくうえでも、王太子の後ろ盾はあって損はないだろう? メーベルト伯爵だって喜ぶと思うが」
「……っ、わかっているから、困っているのですが……? そもそもこちらに決定権はあってないようなものでしょう」
こうもはっきりとものを言う彼女だからこそ、本当に面白いと思う。
「では、交渉成立でいいかな? これからよろしく頼むよ。俺の友人?」
俺はそう言いながら彼女の髪をすくい、そこに口づけをする。
「な……な……っ」
――これからの学園生活が楽しみだな。
色恋には疎いのだろう。
普段の澄ました顔はどこへやら。口をはくはくと動かす彼女をみて、俺はほくそ笑むのだった。
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