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第9話 リラの想像を、超えていた。

「それじゃあ、十日ほど留守にするけど、その間はよろしく頼むね」


 僕は執務室で、ふたりの部下に声をかけた。

 これから、国境付近の視察に向かう。本来ならば、もっと大人数で行くべき任務だが、今回は僕ひとりで十分だろう。


「はい、任せてください! ユキト様もお気をつけて!」


 リラが元気よく答える。彼女は第十一師団の副官として、僕の留守中の判断をすべて任している。


「お土産楽しみにしてまーす」


 ガルムがのんきな声を出した。こちらも相変わらずだ。


「了解、向こうの葡萄酒か何かを買ってくるね。では」


 僕は軽く手を挙げて、執務室を後にした。

 扉が閉まる音が、背後で響く。


 


「…………はぁ」


 ユキト様が出て行った後、リラは大きなため息をついた。

 十日間。短いようで長い。いや、長いようで短い。どちらだろう。


「何も心配する必要はないと思いますけど……それとも、寂しいんですか?」


 ガルムが、ニヤニヤしながら訊いてきた。


「さ、寂しい!? そ、そんなことない……あ、心配しないなんて、ガルムは薄情者ね!!」


 リラは慌てて否定する。顔が熱い。なぜ熱くなるのか、自分でもわからない。いや、わかってはいるけど。


「いやぁ、ユキト様は、それほど心配しなくても……」

「い、いくら、ユキト様が優秀な魔術師だとしても、もし戦いになったら……」


 リラの頭の中には、ユキト様が敵に囲まれて窮地(ピンチ)になった光景が浮かんでいた。

 そして、そこに颯爽(さっそう)と駆けつける自分。「お待たせしました、ユキト様!」と叫びながら剣を振るい、敵を蹴散(けち)らす。

 そして、「リラ、助かった」と微笑むユキト様に、「私はいつでも、ユキト様のそばにいます」と答える自分……


「いやいや、いっそ戦いになった方が楽ですよ。相手の戦意を喪失するまで叩き潰せば良いだけなんですから……」


 ガルムの言葉が、リラの素晴らしい想像(もうそう)を打ち破った。


「多勢に無勢という言葉があって、ユキト様はひとりしかいなければ……ああ、やっぱり私も今から追いかけて……」


 リラは立ち上がろうとした。今からなら、まだ追いつける。馬を飛ばせば……


「むしろ、オレらがいる方が邪魔になりますから……って、そうか、リラさん、もしかして、ユキト様の実力を知らない、とか?」


 ガルムが、不思議そうな顔で訊いてきた。


「実力は知っています!! この国で一番強い魔術師!! それなのに、まったくそんな素振りを見せず、優しくて素敵な方!!」


 リラは力強く断言する。

 ユキト様の魔術の腕前は、王国でも随一(ずいいち)と言われている。それは誰もが認めるところ。しかし、本人はそれを鼻にかけることもなく、いつも穏やかな人だ。


「本人に言ってやれば良いのに……それで、その強さがどのくらいかってことですよ?」

「…………どういうこと?」


 リラは首をかしげる。強さがどのくらいか、と問われても、王国一の魔術師という以上の答えが思いつかない。


「それに、今の言葉は正しくないですね。現時点では大陸一の魔術師と呼ばれていますよ」

「大陸一?」


 大陸一。それは、この国だけでなく、周辺諸国を含めた全ての国の中で一番という意味だ。

 リラは驚いて目を見開いた。


「そもそも、オレらの所属部隊はどこだか知っています?」

「私をバカにしているの!? 栄えある王国軍第十一師団よ!」


 当たり前のことを訊かれて、リラは少し怒った声を出す。自分の所属部隊を知らないわけがない。


「バカになんてしてません。その構成人数は?」

「ユキト様と私と貴方の三人でしょ!」


 それも当然、知っている。第十一師団は、ユキト様を師団長として、副官のリラと、部下のガルムの三名で構成されている。少数精鋭……というには、あまりにも少ない編成だ。


「…………で、違和感に気づきません?」

「今の話のどこが変だというのよ?」


 リラは眉をひそめる。ガルムが何を言いたいのか、さっぱりわからない。


「王国軍の部隊編成規則に従うなら、師団を名乗るには一万以上の兵士の所属が必要なんです。それに、王国軍は数年前まで第十師団までしかなかった。いくら王位継承第一位の王子様直属の部隊だからといって、それだけで師団って言うのは酔狂が過ぎます」


 ガルムは淡々と説明を続ける。


「それがどうかした?」


 リラには、ガルムが言っていることにピンとこない。

 確かに、三人で師団というのは不思議だと思ったことはある。しかし、上が決めたことだから、と深く考えていなかった。


「簡単に言えば、匹敵するんですよ。ユキト様ひとりを戦力へ換算した場合、兵士二万人以上にね」


 ガルムの言葉に、リラは絶句した。

 二万人。それは、小国なら国の全軍隊に匹敵する数だ。

 ユキト様ひとりが、それだけの戦力に相当する。

 リラの頭の中で、さっきまでの妄想が音を立てて崩れていった。

 危地にいたユキト様を助けに行く自分。そんな状況は、そもそもありえないのだ。

 むしろ、邪魔になる。ガルムが言った通りだ。


「…………」


 リラは無言で椅子に座り直した。

 窓の外では、雲が流れていく。ユキト様は、もう王都を出発しただろうか。

 十日後、無事に帰ってきてくれることを祈るしかない。

 いや、祈る必要すらないのかもしれない。


 ぼんやりと、主人のいない机を眺めていた。

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