インタールード 草原軍4
衝撃が腹を襲った。
ぶはらっ、と声にならない声がもれる。反射的に身体を起こすと、小さな影が僕の上から転がり落ちた。
「わわわっ!?」
幼い悲鳴とともに、銀髪がふわりと舞う。少女は慌てて起き上がった。ルネシアだ。
まだ薄暗い天幕の中、毛布がなくなると夜明け前の冷たい空気が肌を刺す。
「……なにやってるの? っていうか、寝ている僕の上に飛び乗ってこなかった?」
腹部をさすりながら問いかける。九歳の少女とはいえ、全身を使った不意打ちの衝撃は侮れない。
「……おはようございます!」
何事もなかったかのように姿勢を正し、ルネシアが朝の挨拶をしてくる。緑の瞳が無垢な輝きを放っていた。
誤魔化そうとしてる? してない?
「いやいや、そうやって誤魔化されてもね」
「あ、まだちょっと暗いから、こんばんは?」
きょとんとした顔で首をかしげる。
この子は天然なのか、それとも確信犯なのか。判断がつかない。
「……いい子だから教えてほしいんだけど、僕に飛び乗った?」
「うんっ!」
元気よく即答された。悪いことをしたという反省もない。
「なんで?」
「寝てたから!」
うん、理解できる理由が返ってこない。だが、九歳の少女にそれ以上の説明を求めても意味がないのか。
しかし、この事件を迷宮入りさせてはいけない。僕の魂がそう告げた。
「寝てる人に飛び乗るのが、エルフ族の習慣だったりするのかな?」
「しゅうかん?」
「えっと、約束みたいなもの。家でもそうやってたの?」
「ううん、違うよ? えっと、ここのしゅうかん?」
「軍にそんな習慣はありませんです」
変な敬語になってしまった。だって、そんな風習は今まで聞いたこともされたこともない。え、僕だけ除け者にされてるとかないよね?
……そんな習慣があっても除け者にされたほうがマシだな、冷静に考えると。
「でも、師団長さんが言ってたよ。魔術師さんがなかなか起きないときは、ジャンプして飛び乗ればいいって。そうすると喜ぶって……その、ダメだったの?」
緑の目が不安げに揺れ、小さな肩がすくんでいる。
ああ、なるほど。原因がわかった。すべての元凶はひとりだった。そんな気がしてた。
「ふっ……ああ、もう、わかってたとも……」
「お、怒ってる?」
「ごめんごめん、ルネシアは全然悪くないよ」
頭をぽんぽんと軽く叩いてやる。ルネシアは安心したように目を細めた。
「むしろ起こしてくれたことは褒めないと。でも、もうちょっと寝かせてくれたら嬉しかったかな。せめて日の出が完全に終わるまで」
「うん。明日からはもうちょっと遅くする」
「あと、飛び乗るのはダメ。僕も危ないけど、ルネシアも危険だから」
「わかった。じゃあ、揺すって起こすね?」
「できれば、今日もそうしてほしかったかな」
ため息をつきながら立ち上がろうとした、そのとき。
ルネシアが突然目を閉じた。その桃色の小さな唇がわずかに突き出されている。
「……なにしてるの?」
「えっと、それで……起こしてもらったら、チューするんでしょ?」
「はいぃっ!?」
想像もしていなかった返事に、声が裏返る。天幕の中に素っ頓狂な叫びが響いた。
「え、だって、男の人と何度も一緒の部屋で寝てたら、朝起こしてあげて、チューするんだって……」
その情報源も容易に想像がつく。額に手を当ててしまう。
九歳の少女に何を吹き込んでいるんだ、あの人は。
「……うん、僕はとっても重要な用事ができたから、もう出かけてくるね? 朝ごはんは先に食べててもらえるかな」
にこやかな笑顔を作りながら、天幕の外へ足を向ける。
朝靄の中、野営地はまだ静まり返っていた。炊事場から漂う煙だけが、新しい一日の始まりを告げている。
師団長殿。今日は朝からじっくり話し合いましょうか。肉体言語の使用も辞さないぞ?




