第79話 ユキトは、勝負を賭けていた。
御者に声をかけて馬車を止めさせる。
このまま自宅に急いでも事態は解決しないと判断した。今は少しでもフェリシアを安静にさせたかった。
「……はぁ、はぁ…………」
腕の中のフェリシアは、苦しげな呼吸を繰り返している。
額に浮かんだ汗が、銀色の髪に張り付いていた。
(だいぶ熱が上がってる、それに保有魔力の乱れ……間違いなく〈火蠍の毒〉による中毒症状だ)
頭の中で、知識を整理する。
火蠍の毒が体内に入ると、対象が持つ魔力の流れを阻害する。その結果、魔力が暴走し、体温の異常な上昇などの症状を引き起こす。
最悪の場合、魔力の流れがボロボロになり、そこまで進んでしまうとどんな治療も間に合わない。
(フェリシアが魔術の使い手だったのも問題だ……普通よりも保有魔力が多いために、症状の進行が早い)
下手な魔術は効果がない。
むしろフェリシアに、これ以上の魔術を掛けるのは危険が伴う……。
(くうっ、もっと簡単な毒だったら、僕でも解毒できるのに……自分が毒や病気に侵されないからと、治療系の魔術を積極的に習得しなかったツケかっ!)
悔やんでも仕方がない。
今は、目の前の問題に集中するんだ。フェリシアを助ける手段、毒に対抗するなにかを……
ん? 今、なにか引っかかったぞ。
(僕は毒が効かない……これは生まれ持った体質で、原因は過剰な保有魔力による恒常性維持の副作用。保有魔力は、ヒトの体液の流れに沿って体内で循環している)
血液が身体中を巡るように、魔力もまた体内を循環し、流れ続けている。
(エルフ族と人間族の間に、肉体的な相違はほぼない。血液の仕組みも、魔力の循環経路も、基本的には同じ……ということは……)
ひとつの可能性が、頭の中で形を成していく。
理論上は可能だ。だが、試したことはない。失敗すれば……いや、考えるな。
(まずは、血液の種類を確認しないと……)
腰の短剣を引き抜く。
月光を受けて、刃が冷たく光った。
「……んっ」
自分の左の掌を、ためらわずに切る。
赤い血が溢れ出た。
「フェリシア、ちょっと痛いけど我慢して……」
返事を待たず、フェリシアの右の掌にも浅く刃を走らせる。
彼女の白い肌に、赤い線が引かれた。
「いつっ!」
小さな悲鳴。
だが、今は時間がない。傷口から流れ出る互いの血液を確認する。僕の血とフェリシアの血が触れ合っても、凝固反応が起きない。
「…………凝固作用が起こらない、僕とフェリシアの血液は同種……よっし!」
可能性が見えた。
フェリシアの意識が残っているうちに、やるしかない。
「フェリシア、僕の声がわかるかっ!?」
彼女の瞳が、うっすらと開く。
苦しげに歪んだ緑の目が、僕を捉えていた。
「今から、お互いの傷口と流れる血液を仲介して魔力を同調させ、ふたりでひとつの魔力の循環を作る。呼吸を整えて、力を抜いて、僕に全部魔力を委ねてくれるか?」
「わ、かりまし、た……ご、主人様を、信じ……ています……」
途切れ途切れの言葉。
それでも、フェリシアの目には信頼の色が宿っていた。その視線が、僕の背中を押してくれる。
傷口同士を合わせ、血液を通じて魔力を流し始める。
「うぐっ……」
(くっ……仲介箇所がひとつだけだと、循環が上手くいかない…………僕からの魔力の流れとフェリシアからの流れが衝突しあう……)
魔力の流れが、不安定に揺れる。
押し寄せる波と引く波がぶつかり合うように、ふたりの魔力が反発していた。このままでは、循環となりえない。
理論上の可能性。
だが、実践したことはない。まして、相手は毒で弱った状態。失敗すれば、取り返しがつかない。
(…………ああ、これは非常事態ってことで!!)
腹を括った。
僕は、フェリシアの唇に、自分の唇を重ねた。
「んんっ!?」
フェリシアの身体が、毒とは違う理由で強張る。
だが、今は構っていられない。唇を通じて、もうひとつの魔力を仲介する流れを作る。手の傷口からの流れと、唇からの流れ。ふたつの経路を使って、魔力を循環させる。
(ぐっ、この流れを保て、ばっ…………!!)
ふたりの魔力が、ひとつの循環を形成していく。
僕の過剰な保有魔力が、フェリシアの体内に流れ込み、毒で阻害された流れを押し広げる。彼女の乱れた魔力を安定させることだけを考える。
意識のすべてが遠くなっていく。
時間が遅くなり、極限までに引き伸ばされていくような感覚。
ただひたすらに溶け合うような魔力の流れだけに集中していた。




