第75話 リラは、少し不満でいた。
広間の端に移動すると、リラの様子が変わった。
令嬢らしい穏やかな微笑みが消え、いつもの執務室で見る堅物な軍人の顔になった。
「…………それで、どういうわけなのですか?」
「お、おお? リラ、な、なんか怒ってないか?」
「怒っていません!」
怒っている。明らかに怒っているじゃん!
声の調子がいつもより強いし、肩をいからしているし。
しかし、それを指摘してはいけないことを、僕は妹とフェリシアで学んでいた。
「ただ、なんでフェリシアさんが、ユキト様のパートナーとして、ここにいるのか理由を教えてください!」
それは質問というより、尋問に近い。
周囲の貴族たちがこちらをちらりと見ているのがわかる。小声だけど、もっと声を抑えて欲しい。
「えっと。今日の夜会は断るわけにはいかなくてね。パートナーが必要だったから、フェリシアに頼んだんだ」
「それでしたら、私に言ってもらっても良かったのに……その……部下として! そう、ユキト様は師団長で、私が副官なんですよ? もっと頼ってください!」
リラの声が、心なしか上ずっている。宴会の熱気にやられたのだろうか?
「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、リラはオルディス様のパートナーの代理という役目があったんだろ?」
「そ、それはそうでしたけど……」
言葉を詰まらせたリラに、フェリシアが静かに歩み寄った。
「リラ様、先ほどはご無礼をいたしました」
深々と頭を下げる。
その動作は、本物の外交使節が謝罪するときのように丁寧だった。
「べ、別に謝るようなことじゃないわ!」
「では、ありがとうございました。とっさにこちらと話を合わせていただけたおかげで、周りにいた方々にも、私の演技がバレずにすみました」
リラはわずかに戸惑った後、ふっと息を吐いた。
「感謝ならば、受け取っておきます。けど、海を見せたいと思ったのは本当よ。いつかミーナちゃんも連れて、私の実家に遊びにいらして……その、良ければユキト様も一緒に」
「そうだね。厄介ごとが一段落したら、それもいいかもしれないね」
僕がそう答えると、リラの肩から力が抜けたのがわかった。
だが、すぐになにかに気づいて視線を逸らす。
「おお、リラ……こんな所にいたのか!」
堂々とした男の声が、背後から響いた。
振り返ると、壮年の男性がこちらに歩いてくる。白髪交じりの髪をきっちりと撫で付け、堂々とした足取りで近付いてくる。
「あ、お父様……」
「おや?」
「オルディス様、ご無沙汰をしております」
リラが居住まいを正し、僕はお辞儀をする。
オルディス・アスター公爵。王国東方の大領地を治める実力者であり、リラの父親だ。
「おお、ユキト殿と一緒だったのかっ。いやいや、お互い忙しいからな。会うのは二ヶ月前の会議振りだな。俺の娘の仕事振りはどうだ?」
両腕を広げながら訊いてきた。
堅苦しい挨拶を好まないのは、この公爵というには合わないが、人としては魅力的な性質だろう。
「お蔭様で、お嬢様がいなくては、僕の仕事は始まらず終わりを迎えられません」
「はっはっは、そうかそうか。リラはちょいと色気が足りないかもしれんが、その分、俺よりもずっと真面目で賢いからな」
リラが恥ずかしそうに顔を伏せた。
父親に褒められるのが照れくさいのだろう。
「そんなご謙遜を。お嬢様はまさに才色兼備、我が軍の麗しい花ですよ。と言っても三人だけの小さな軍ですけどね」
僕がそう言うと、リラが恥ずかしそうにうつむいた。ちょっと楽しい。
オルディスさんーー以前、そう呼ぶように言われたーーは満足げにうなずいている。
「ところで、何故こんな所にいるんだ?」
公爵の声のトーンが、わずかに変わった。
先ほどまでの陽気な雰囲気が消え、鋭い眼光が僕を射抜く。
「さて、僕も招待主に直接問いたい気分です」
正直に答えた。
わざわざ大公からの招待をされたのは、なにかしらの意図があってだろう。
「気を抜くなよ」
低い声で釘を刺された。もちろんだ。
「それと、この夜会が終わったら近いうちに俺の屋敷に来い……」
「ええと……」
「レオンからな、事情は伝えてもらった。水臭いじゃないか、俺にも協力させろや」
オルディスさんは、ニヤリと口の端を上げた。
その笑みには、単なる好意ではなく、腹に一物ありそうなちょい悪オヤジの気配が漂う。
レオン様からどこまでを聞いたのかはわからないが、味方が増えるのは助かる。
「……ありがとうございます」
僕は深く頭を下げ、オルディスさんに敬意を表した。




