第74話 リラは、話を合わせてくれていた。
夜会の広間に入った瞬間、五感のすべてに華やかさが押し寄せてきた。
煌くシャンデリアの光、さざめく会話、ほのかに漂う香水と葡萄酒の香り。着飾った貴族たちが談笑し、給仕たちがグラスを載せた盆を優雅に運んでいく。
「あっ……」
小さな声が聞こえた。
リラが、こちらに気づいたらしい。深い赤のドレスに身を包んだ姿は、いつもの軍服とは別人のようだ。
「こんばんは」
「…………」
フェリシアは言葉を発さず、ただ静かに一礼した。
その所作は完璧で、使用人とは思えず、どこか高貴な生まれ淑女であると錯覚させるだろう。
(ええ~~!? えっと、隣にいるのは、確かフェリシアさんでしたっけ? あううう、そんな腕を組んで入場するような仲にご進展をぉ!?)
リラが何度も口を開きかけては閉じている。
顔に出やすいのは相変わらずだ。きっと僕の隣りにいるフェリシアにあれこれ想像しているんだろうな。
「リラは、さすがにドレスが似合っているね。そういう格好も可愛いよ」
「か、かわかわ…………」
真っ赤になって言葉にならない声を漏らしている。
褒めたつもりだったのだが、なにかまずいことを言っただろうか?
(ご主人様……鈍いと言うか、天然と言うか……馬鹿ではないのですが……)
隣から、なにか複雑な気配を感じた。
視界の端で、銀髪がふわりと揺れた気がした。こっち側を見て呆れているような? 後ろに誰かいる?
「ところで、リラ、オルディス様は?」
「お父様は……入場して、しばらくの間は挨拶回りで一緒だったのですが、込み入った話があるとかで個室の方へ行かれました」
「そうか、挨拶をしたかったんだけど……大切なお嬢様を預かっているわけだし」
「そんな大事な人だなんて……」
リラがもじもじと身体を揺らしている。
肩が内側に入り、両手が胸の前で組まれた。
今なにか、言葉の食い違いが発生したような?
「……少しニュアンスが違うようですが……」
「はっ! ところで、ユキト様、その、そちらの女性は……」
フェリシアの声が、淡々と横から割り込んできた。
どういう意味かはわからないが、リラが我に返ったようだ。
「ああ、そうだった、紹介が遅れた」
僕は少しわざとらしく声を張った。
周囲の耳に届くように。大げさに演技だ。
「今、我が家に逗留なさっているフェリシアさんだ。隣国の氏族長の血筋に連なる方でね」
ザワッ……
周りの貴族たちがどよめいた。
視線がこちらに集まる。好奇と警戒が入り混じった空気が肌を刺した。
「初めまして、護りを司りし『棘の氏族』に、その名を連ねます森の子、フェリシアと申します。この出会いを嬉しく思います」
フェリシアも、少しわざとらしい口調で名乗った。
エルフらしい畏まった言い回し。声の調子も普段とは違う。
「……オルディス・アスター公爵が第一子、リラです。初めまして、私もお会いできて嬉しいですわ」
リラは一瞬だけ戸惑いの色を見せたが、すぐに話を合わせてくれた。
さすがは公爵令嬢、社交界での立ち回りは心得ている。
二人は以前会っているから、初対面ではないが、そういうこととして対応してくれたのだ。
「東の所領は、広き『海』というモノに面しているとか? 恥ずかしながら、私はまだ『海』と呼ばれるモノを見たことがありません。聞くところによれば、国にある最も大きな湖を何十倍も大きくしたモノだとか?」
「ふふっ、『海』は湖と比べることもできないほど、広く、また深いモノですわ」
「まぁ、一度見てみたいものです」
ふたりの会話は驚くほど滑らかだった。
まるで本当に初対面の令嬢同士が交流しているかのように、自然な流れで言葉が紡がれていく。
「東の所領にいらっしゃる際には、ぜひ私の実家をお訪ね下さい。ささやかながら、両国の友好の証に歓待させていただきますわ」
「それは素敵なお誘いですね。それに、リラ様のお話をもっと聞かせていただけないでしょうか?」
「こちらこそ、フェリシア様の色々なお話をお聞きしたいですわ」
リラがこちらに視線を向けた。
微笑みの奥に、僕への問いかけが滲んでいる。
「ユキト様、よろしければ主宰の挨拶が始まる前に少しノドを潤しませんか?」
誘いに乗る形で、三人は広間の端へと移動した。
周囲の視線から少しだけ距離を置いて、ようやく肩の力が抜ける。
リラが話を合わせてくれたおかげで、第一関門は突破できた。
とはいえ、夜会はまだ始まったばかりだ。気を抜くわけにはいかない。




