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第73話 フェリシアさんは、考えていた。

 馬車が石畳の道を進んでいく。

 道の凸凹を越えるたびに、小さな揺れが座席に伝わってきた。窓の外では夕暮れの景色が流れていく。

 街灯に火が灯り始め、通りを行く人々の影が長く伸びていた。


「…………」

「…………」


 向かい合わせに座った僕とフェリシアの間に、重い沈黙が落ちている。

 いつもなら静かにしている彼女と同じ部屋にいても、なんら気まずさなど感じないのだが。

 今日ばかりは、僕の依頼で、そうしてもらっていることを考えると、どうにも落ち着かない。


(うおお、なんだ、この沈黙はっ! 新手の精神攻撃かっ!?)


 フェリシアはドレス姿だ。

 深い青色の生地に、銀糸の刺繍が星屑のように散りばめられている。いつものメイド服とは違う、彼女の貴重な姿。

 長い銀髪は優雅に結い上げられ、白い首筋から胸元にかけて肌があらわになっていた。細いネックレスは、母のものを着けてもらっている。

 実は目のやり場に困っている。


「……ご主人様」

「は、はいっ!」


 声が裏返った。


「いくつか、お訊きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 フェリシアの声は、いつも通り抑揚のないもので、それがせめてもの救いに聞こえた。


「どうぞ、僕が答えられることでしたらいくつでもっ!」


 今度は声が上ずった。


「ありがとうございます。では、まず、今回の夜会で気をつけるべきことはありますか?」

「ええと、悪いけど、できるだけ僕の傍から離れないようにして」


 視線をできるだけ、彼女の顔だけを見るようにして答える。


「人目のある場所で襲撃をしてくるとは思わないけど、僕の連れ相手に、ちょっとした嫌がらせくらいなら仕掛けてくる可能性はあるから」

「多少の嫌がらせ程度、私がご主人様にしていることに比べれば些細なことだと……」

「いや、同意したくないけどね!」


 思わずツッコんでしまった。口元がわずかに緩んだように見えたのは、うん、まあ、期待通りだったのだろう。


「今回のパートナーに、何故リラ様を選ばなかったのでしょうか?」


 気を緩めたところに、ド直球の質問が飛んできた。


「あー、夜会にはオルディス・アスター公爵も呼ばれているみたいだから、多分、リラはそのパートナーになると思うんだ」


 リラの父親であるアスター公爵。王国東方の大領地を治める実力者だ。そして、娘大好きのパパでもある。


「公爵の奥様が、夜会のためにわざわざ領地から出てくるのも大変だからね」


 愛妻家でもあるため、表向きの理由はそれだが。リラ本人がうっとうしがる位には娘を構いたがる人だ。


「それを聞いて安心しました」


 フェリシアの声に、かすかな感情が混じった気がした。

 なにに安心したのだろう。よくわからないが、追及せずに、話題を変えよう。


「…………他には?」

「私の身分ですが、どのようになっていますか?」


 フェリシアが真顔で訊いてきた。


「まさか、使用人の娘です、と紹介するわけにはいかないでしょう」


 ああ。そういえばそうだ。

 夜会でパートナーとして連れていく以上、それなりの身分が必要になる。ただの使用人を夜会に連れてくるなど、社交界では非常識の極みだ。


「ご主人様、どうして"やばっ、忘れてた"という顔をなさってるのでしょうか?」


 見透かされた。

 顔に出やすいのは自覚しているが、ここまで的確に読まれるとか。


「えーあー、そこは、あれでー……」

「では、私は"棘の氏族"の氏族長の末の妹で、ご主人様に国家交流の一環でお世話になっている、と言うことにしてください」


 フェリシアが淡々と告げた。こんなこともあろうかと用意していたかのように滑らかだ。


「え、それって身分の詐称になるんじゃ……」

「大丈夫です。氏族長の末の妹とは、親しい仲ですので、後で知らせておきます」


 白い手が、ドレスの(すそ)を軽く整えた。本当に大丈夫なのだろうか。エルフの社会事情はよくわからないが、フェリシアが言うなら信じるしかない。


「まぁ、フェリシアさんの言うことだから、信頼するけど」

「それと、最後に……」


 声の響きが、少しだけ変わった。どこか期待を含んでいるような。


「ご主人様、まだ私に言うべきことを言っていないと思うのですが?」


 言うべきこと。

 馬車の揺れが、沈黙を埋めるように響いた。窓の外では、夜会場へ向かう他の馬車が行き交っている。

 フェリシアの視線が、じっとこちらに注がれていた。その無表情の奥に、なにかを待っている気配がある。


「えーと……」


 深い青色のドレス。銀糸の刺繍。結い上げられた銀髪。白い首筋。綺麗(きれい)な胸元と……

 いつものメイド服姿とは違うフェリシアが、期待していること……。


「そのドレス、とっても似合っている……よ?」


 思わず語尾が疑問形になってしまった。なれないことを言ったせいだ。


「まぁ、及第点、というところですね」


 銀髪の隙間から覗く長い耳が、ほんのわずかに上を向いた。

 満足しているのかどうか、表情からは読み取れない。けれど、耳を見る限り不機嫌ではなさそうだ。


 馬車が速度を落とし始める。どうやらそろそろ到着するらしい。大公家の宴だ。門の外にはずらりと馬車が並んでいるのだろう。

 気軽なおしゃべりはここまでかな。僕は深呼吸をして、気持ちを引き締めた。

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