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第71話 ユキトは、意外な特技を持っていた。

 それは、屋敷の奥側にある一室に、その黒い塊がひっそりとしまわれていた。

 使い込まれた木製の脚、艶を失いつつある黒い蓋。ホコリ除けの布がかけられたまま、長いこと誰にも触れられていない。


「あれ? これ、なんだろ?」


 ミーナが首をかしげながら近づいていく。猫耳がぴょこぴょこと興味深げに動いていた。


「猫ちゃん、どうした?」


 ベラシアが厨房から顔を出した。手にはまだ布巾を持ったままだ。

 彼女もすっかりメイドとしての仕事が板についてきたようだ。


「あ、ベラシアさん、この黒い変な形の……棚かな?」

「ああ、これは……ピアノだな」

「ぴあの?」


 ミーナが目を丸くする。彼女のまだ短い人生の中で、聞いた覚えのない言葉だった。


「並んだ板を叩いて音を出す楽器だ。けど、カギが掛かってるな」


 ベラシアが蓋を軽く押してみるが、びくともしない。近くにいた僕を手招きする。


「あ、主、ちょうどよいとこに。このピアノは開かないのか?」

「ん? ああ、カギはあるけど……ベラシアが弾くの?」

「自慢じゃないが、こういった芸術的なもんは全然わからん」


 腕を組んで堂々と宣言するベラシア。その潔さは清々しい。


「猫ちゃんが気になっているから、音を出してやりたいだけだ」

「確かに自慢じゃないね……カギは、確かここに……あった」


 僕は苦笑しながら、飾り棚の引き出しを探った。奥の方に押し込まれた小さな金属の感触。

 錆びかけた小さなカギを手に、ピアノの前に立つ。カチャカチャと音を立てて解除させると、久しぶりにピアノの蓋が持ち上がった。


「久しぶりに開くから、音が狂ってそうだけど」


 白と黒の鍵盤を指先で軽く叩いてみる。


 パーン、ポーン。


 いくつかの音が微妙にずれているが、まあ許容範囲かな。

 長年放置していたにしては、状態は悪くない。しかし、きちんと音を直そうと思ったら、一度専門家に依頼したほうが早そうだ。


「わぁ……あたしも触っていい?」


 ミーナの琥珀色の目がキラキラと輝いている。両手をぎゅっと胸の前で握りしめていた。


「どうぞ。叩く時は、弱すぎず強すぎずね」


 小さな指が恐る恐る鍵盤に触れた。


 パーン、パーン、ポポーン。


 不揃いな音が部屋に響く。ミーナは自分の出した音に驚いたように目を見開き、それからにっこりと笑った。


「このピアノは、家族の忘れ形見ではないのか?」


 ベラシアが訊いてきた。長い耳がわずかに傾いている。


「そんな大したモノじゃないよ。家族の中でピアノが弾けたのは僕だけだしね」

「は?」


 ベラシアの耳がピクリと跳ねた。


「すまんが、主はピアノが弾けるのか?」

「何かな? その(まぼろし)のカーバンクルを見るような眼は……」


 珍しいものを発見したかのような眼差しだ。正直ちょっと失礼である。


「ミーナちゃん、ちょっとどいて」


 ミーナが素直に場所を空けてくれた。僕は椅子に腰を下ろし、久しぶりに鍵盤に指を置く。

 どの曲にしようか。昔、妹にせがまれてよく弾いていた曲にするか。それほど難しい曲ではないが、まだ指は覚えているだろうか。


 ポロン、ポポポロポロォン……


 旋律が流れ出す。部屋の中を音が踊るように広がっていった。

 指が勝手に動く。身体が覚えている。何年も触れていなかったのに、不思議と迷わない。


「わぁ……すごい、キレイな曲だね」


 両手を胸の前で組んで聴き入っている。身体と尻尾がゆったりと左右に揺れていた。


「い、意外な特技だな…………」


 ベラシアが腕を組んだまま、どこか複雑そうな声を出す。

 褒めているのか呆れているのか、判断に困る反応だった。


「お粗末様でした」


 一曲を弾き終えた僕の報酬は、ミーナちゃんの盛大な拍手とベラシアのお気持ちばかりの拍手だった。

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