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第69話 ガルムも、頑張っていた。

 錆びた蝶番の不快な音とともに扉を押し開けると、ホコリっぽい空気が頬に触れた。


「ただいま戻りました。お祖母様」

「ん、街の様子はどうだったかい?」


 部屋の奥で椅子に腰かけていたお祖母様が、手元の書物から顔を上げた。

 皺の刻まれた顔に、疲労の色はない。旅の途中だというのに、この人はいつもの調子だ。

 異国の宿屋。質素な調度品が並ぶ一室で、オレたちは情報収集の報告を行っていた。壁には見慣れない工芸品が置いてあり、異国にいることを否応なく実感させられる。


「どうもこうも、街全体の空気がピリピリしてますね。戦場は、此処より遠いというのに」

「国自体の情勢が不安定なんだろうねぇ」


 お祖母様は杖を壁に立てかけたまま、白い髪を指先でいじっている。

 普段は王都の外に住んでいて、そう簡単には動かない人だ。それがわざわざ隣国まできていることに、今回の旅の重要度、危険さが嫌でも実感できる。


「それと、面白い話をいくつか……どうも、この数ヶ月の間、皇帝が公に姿を見せていないようです」

「ああ、その話ならアタシの方でも聞いてきたよ」


 お祖母様の口調は軽いが、目は笑っていない。

 書物を閉じ、テーブルの上に置いた。

 情報が一致したということは、信憑性が高いということだ。


「そこへ今回の戦争……」

「明らかに要因のひとつだろうねぇ」


 オレは窓辺に歩み寄り、外の様子をうかがった。

 異国の街並み。行き交う人々の足取りは速く、立ち話をする者もほとんどいない。市場の喧騒すら、どこか抑えた響きだった。

 幸いなことに後をつけられたり、特に不審な様子はない。


「次期皇帝の座を狙った、次兄皇子によるデモンストレーションのようなものと?」

「うちの国も似たような物じゃないかい」


 お祖母様の言葉に、オレは口の端を歪めた。

 王子派と王弟派。うちの国もまた、似たような争いから無縁ではない。


「ええ、今回の援軍は、すべて王弟派の息が掛かった軍で決まったそうです」

「ふんっ、まったく、七年前に王子様へ押し付けた戦場で、奴らが想定外の大活躍したことに、そんな簡単なことだったと勘違いしたのかねぇ」


 お祖母様の声に、珍しく苛立ちがにじんでいた。

 七年前の戦争。オレは直接参加していなかったが、その戦いがどれほど過酷なものだったかは、お祖母様から何度も聞かされている。


「元はと言えば、王弟派のごねて……少数の援軍しか派遣させずに『森林と調和の国』からの王子の印象を悪くし、あわよくば戦死をすれば、という策謀でしたっけ」

「罠に仕掛けたエサを取られた猟師ってのは、間抜けな話さねぇ」


 お祖母様は短く息を吐いた。呆れと怒り、諦めと未練とが混じっている。

 オレは腕を組み、お祖母様の方へ体を向けた。


「もっとも、ユキト様という牙を隠し持った猛獣だった、ということですが」


 お祖母様の目がわずかに細くなる。

 あの方の話になると、いつも複雑な表情を浮かべる。弟子を誇りに思う気持ちと、他にもなんらかの気持ちを抱えている。


「さて、ついつい昔のことを話し込んじまうね。今、これからの話をしようか」


 ユキト様の話はしたくないようだ。

 まあ、オレも今は仕事に専念するべきだろう。


「そうですね。もし、皇帝が病気などで、先が長くないとなると……」


 壁に背を預け、腕を組み直した。


「確実に、この国は分裂を起こすねぇ。ただし、長兄皇子か次兄皇子に現皇帝に継ぐだけの力量があれば別だけどさ」

「たとえば今回の戦争で、次兄皇子の軍が多大な戦果を上げたり、とかですか」


 お祖母様は腕を組み、遠くに視線を投げた。その目はもっと先——この国の行く末を見据えているようだった。

 しばらく沈黙が流れる。異国の言葉で交わされる商人たちの声が、かすかに聞こえてきた。


「ただし、戦争ってのは、国力に多大な消耗を起こさせる。普通は二の足を踏むもんだけど……この戦争の発端には、少し裏がありそうだねぇ」

「オレの方は、もう少し皇帝の様子について、情報を集めてみます」


 お祖母様の視線が、オレの顔をじっと捉えた。


「あんまり無理をするんじゃないよ」

「もちろんです」


 その声には、身内への心配が混じっている。

 こういうときだけは、圧倒的な実力者という肩書を外した、普通の老婆に見える。


「ところで……あの娘はどうするつもりだい?」


 不意に話題が変わった。

 喉の奥で声が引っかかる。


「うっ……」

「オマエに懐いているようだし、きちんと面倒を見るんだよ」


 お祖母様の目が、じっとこちらを見据えている。

 逃げ場はない。そういうときのお祖母様は、いつだって容赦がなかった。


「……はぁ、なんかユキト様の気持ちが少しだけわかった気がします」


 ユキト様もこんな風に、周りから押し付けられることが多いのだろうか。

 窓の外では夕暮れが近づいていた。金色のホコリが、ゆっくりと宙を漂っている。異国の地で、オレの任務はまだ続く。


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