第66話 フェリシアさんは、少し警戒していた。
新しいメイドを屋敷に迎えた日の午後。
僕は屋敷の廊下を歩いていた。昼食を終えて書斎に戻る途中、リビングルームの近くを通りかかったときのことだ。
扉の向こうから、低い声が漏れ聞こえてきた。
フェリシアとベラシアがふたりで話している。
どうやら、僕に紹介する前に同郷の再会を果たしたらしい。ふたりきりの方が話しやすいこともあるだろうし、僕は足音を殺してその場を離れようとした。
けど、たまたま耳に入ってきた会話の内容が気になって、つい立ち止まってしまう。
「さて、久しぶりだな、長ミミ」
ベラシアの声には、どこか懐かしむような響きがあった。
昨晩、寝室に忍び込んできたときとは違う、柔らかな声音だ。
「……お久しぶりです。ここに来たのはグレシア様の命令ですか?」
対してフェリシアの声は、いつもより硬い。抑揚のない口調はそのままだけれど、単純に再会を喜んでいないだろう気持ちが混じっている。
普段の彼女とは違う。なにか警戒しているのだろうか。
「ああ、グレシア様からの任務だ」
グレシア。確か、エルフの言葉で『偉大なミミ』を意味する名前だったはず。フェリシアの一族の有力者にあたる人物だったはず。
廊下の窓から、午後の日差しが差し込んでいる。埃が光の中で舞っていた。
「私の様子を見に来た……ということでしたら、ベラシアさんでなくても良いはずですし、そもそもこの家に雇われる必要はありませんね」
「一応、フェリシアの様子見ってのも指令にはあるけどな。この家にいるのは想定外だった。オマエは、王子付きの侍女をやっているんじゃなかったのか?」
「となると、狙いはご主人様でしょうか?」
フェリシアはベラシアの問いを華麗に無視した。
さすがの切り返しだ。うちのメイドさんは、都合の悪い質問はサラッと流すぞ!
「アッサリと流すなよ」
ベラシアが呆れたような声を上げる。
僕は壁に背を預けたまま、息を殺して聞き耳を立てていた。盗み聞きなんて褒められた行為ではないけれど、自分と無関係ではなさそうなので仕方がない。
「しかし、『ご主人様』という呼び方が堂に入ってるじゃないか」
「ええ、今の私はメイドですから、ご主人様のことはご主人様と呼んでいます。それで、ご主人様へ害を与えるつもりはないのですね?」
平坦な声音のまま、フェリシアは核心を突く質問を投げかけた。
僕への害意の有無。それが彼女にとって最も重要な確認事項らしい。
……なんだか、嬉しいような、くすぐったいような気分になる。
「大雑把に言うなら、アタシは"救森の魔術師"の動向を探ってくるように言われているだけだ」
「それはつまり、ご主人様を今回の戦争において、自軍の持ち駒として扱おうという魂胆ですか?」
戦争。
その言葉に、僕は思わず足を止めてしまった。
確かに、隣国との関係は良好とは言えない。けれど、まさか。
胸の奥が、ざわりと波立つ。七年前の記憶が、一瞬だけ蘇りかけた。
「さてな、細かい点ではいくつか指令は受けているが、そこまでは言われていない。あと、いくら身内とはいえ、これ以上は話さないぜ。もっとも、ほとんどがアタシの独断での裁量に任されているんだが」
「…………」
重い空気が流れた。
僕はあらためて気配が悟られないように呼吸を殺す。リビングルームの扉越しに、緊張した空気が伝わってくるようだ。
「|にらむなよ。ああ、昔のフェリシアは可愛かったのになぁ。"お姉ーちゃん"とアタシのことを呼んでくれた頃が懐かしい」
どこかからかうような柔らかな声。
フェリシアにも、そんな時代があったのか。想像しようとして……なんか、聞いてはいけないようなことを聞いてしまったような。
「確かに、ベラシアさんからは"お姉ーちゃん"と呼ぶように言われていましたが、実際には"ベラシア姉さん"と呼んでいたと記憶しています」
「年下のクセに相変わらず、可愛くない性格してるな」
「年下と言われても、ベラシアさんから見れば、人間族は例外を除いて全員が年下でしょう」
淡々とした反論に、僕は思わず口元が緩みそうになる。
エルフは長命だ。ベラシアがいくつなのかは知らないけれど、例外を除いて人間の大半より年上の可能性は高い。
「人の歳についてアレコレ言うなよ」
「先に歳の話をしたのはベラシアさんでしょう。私が少しばかり生意気な性格だとしても、それと年齢は関係ないと思います」
「……まぁ、いいや。この家でしばらく世話になるんだ。よろしく頼むぜ」
ベラシアが折れたらしい。
フェリシアの声も途中から明るくなった気がした。それを意図して、さっきの昔話をしたなら、ベラシアもなかなかの交渉が上手だ。年の功……いや、なんでもない。
「はい。それでは、まず、この服に着替えてください」
「……は?」
「ご主人様から伺っておりませんか? メイドとして雇われたのですよね?」
廊下の向こうから、ベラシアの絶句する気配が伝わってくる。
僕は苦笑を噛み殺しながら、そっとその場を離れた。どうやら、しばらくは騒がしくなりそうだ。
戦争については考えないことにした。今はまだ。




