第65話 ユキトは、思い出しそうで困っていた。
翌朝。
窓から差し込む光で目が覚めた。昨晩の出来事が夢だったのではないかと、一瞬だけ自分の記憶を疑う。
だが、窓の鍵が開いたままになっているのを見て、現実だったか、と判断する。
着替えを済ませ、食堂に降りていく。階段を下りるたび、木の床がきしむ音が響いた。
食堂では、フェリシアがいつものように朝食の準備を整えていた。
白いエプロンが、朝の光を受けて眩しく輝いている。
「おはようございます、ご主人様」
「ん、おはよう」
僕はテーブルの席についた。
白いクロスの上に、パンとサラダが並んでいる。ポーチドエッグは割ってあり、トロリとこぼれた黄身をパンにつけたら美味しそうだ。
いつもと変わらない朝の風景。だが、昨晩のことを思い出すと、どうにも落ち着かない。
「本日の朝食はロールパン、サラダ、ポーチドエッグ、オニオンスープです」
フェリシアが淡々と告げる。その無表情は、いつも通りだ。
僕はロールパンを手に取り、ひと口かじった。焼きたての香ばしさが口に広がる。
「あー、そうだ。フェリシアはダークエルフのベラシアって人、知ってる?」
何気なく切り出した。そう、何気なく、今日の天気を尋ねるような気持ちで。
パンをモグモグとしながら、フェリシアの反応をうかがった。
「……知っておりますけど、ベラシアさんが何か?」
フェリシアの長い耳が、ぴくりと動いた。
それは彼女が戸惑ったときに見せる表情だった。……じゃないかな? きっとそう、たぶんそう。
「いや、大したことじゃないんだけど。昨晩、寝込みを襲われそうになってね」
「……それは、普通は大したことと言いませんか?」
彼女の声に、ほんのわずかな棘が混じった気がした。
声のトーンが、いつもよりわずかに低い。怒ってる?
「そうかな? まぁ、それで結局、雇って欲しいって言っていたから、今日から雇うことになると思うんだ。細かい所は任せていいかな?」
「ご主人様……寝ぼけていらっしゃいますか? 私には前後の話がまったくつながっていないように聞こえるのですが?」
フェリシアは淡々と言った。だが、その無表情の奥に困惑しているのが伝わってくる。
よし。彼女を手玉に取れている! なんか嬉しい!
「うっ、そこはそれ、話の間をくみ取ってほしいなー」
可愛らしく言ってみる。すみません、調子に乗りました、眼がちょっと怖い。
僕は目を逸らしながら、スープを一口すすった。玉ねぎの甘みが舌に広がる。
「…………」
沈黙。
フェリシアの緑色の瞳が、じっと僕を観察している。居心地の悪さに、気付いていませんよ、あ、このポーチドエッグ美味しーなー。
「フェリシア、その視線は何かな?」
「そういうご主人様こそ、先ほどから視線の向きがいつもと違った動きを見せているような気がいたします」
静かに指摘された。
「私と目を合わせないようにしていると言いますか……私を見ないようにしていませんか?」
「…………そんなこと、ないですよ?」
自分でも棒読みだとわかる返事だった。
昨晩の光景が脳裏をよぎる。月明かりに照らされた白い肌。あれは偽物だったとわかっていても、思い出すとどうにも落ち着かない。
このサラダが乗っている皿はいい皿だ!
「はっ、もしかして、ご主人様」
フェリシアの声が、どこか楽しげに響いた。
その口元が、ほんのわずかに緩んでいる。
「煩悩を抑えきれず、あんな小っ恥ずかしい過去を語っておきながら、目の前にある豊かな肉体に思わず飛び掛ってしまったのですね。まさに、ミツバチトラップ!」
「いやいや、飛び掛ってないし! 罠は回避したし! というか、ハニートラップって言いたかったのかな!?」
ツッコミが口をついて出た。
いや、ツッコむところはそこじゃない。
「……こほん」
フェリシアは小さく咳払いをした。長い耳がかすかに揺れている。
その仕草には、どこか照れたような気配があった。
「飛び掛っていませんよ?」
僕は念を押した。
ロールパンの残りを口に放り込む。
「むしろ、そこで飛び掛っていたら、ご主人様じゃありませんし、ニセモノを疑います」
「ぐっ……」
痛い所を突かれた。
確かにその通りなのだが、それはそれとして複雑な気分だ。ベラシアさんに続いて、僕の貞操観念が信頼されているのか、それとも甲斐性がないと思われているのか。
「ん?」
フェリシアが首をかしげた。僕の反応が予想と違ったのだろうか。
銀色の髪が、さらりと肩から流れ落ちる。
「…………」
僕は視線を逸らした。
テーブルの上のサラダが妙に気になる。レタスの緑が鮮やかだ。トマトの赤が目に沁みる。
「ご主人様、素直に話すか、誤魔化そうとして失敗するか、お選び下さい」
フェリシアの声が、淡々と選択肢を提示してくる。
その無表情の奥で、確実に楽しんでいる気配がした。
「それ、どっちもNGだよねっ!!」
僕は叫んだ。
スプーンを置き、両手をテーブルについた
「私的には、VGって感じですが」
フェリシアは涼しい顔で続けた。
長い耳が、ぴくぴくと小刻みに動いている。明らかに面白がっている証拠だ。
「ワガママなご主人様に第三の選択肢、誤魔化そうとして失敗して素直に話す、というのはいかがでしょう? ふたつの答えを合わせた欲張りな選択肢です」
「うん、最悪だっ! そこは訊かずにそっとしておいて欲しいっ!!」
僕の悲鳴が、朝の食堂に響き渡った。
今日も長い一日になりそうだ。なぜなら、新しいメイドさんが増えるらしいですよ。




