第64話 ユキトは、噂されていた。
黒エルフの女性と、しばし睨み合いが続いた。
いつ攻撃をされても問題ないように魔術を事前構築を仕掛けておく。鉄火場特有の空気が寝室に流れる。窓から吹き込む夜風が、カーテンをかすかに揺らしていた。
「…………」
「…………」
さて、どうしたものかな。
相手は逃げ出す様子もなければ、すぐさま仕掛けてくる気配もない。暗殺者としては、ずいぶんとおとなしい態度だ。
漆黒の髪が月光を吸い込むような美しさがあった。その瞳は、こちらを警戒しつつも、探るような視線。どうもチグハグな気がする。
「……ひとつ訊きたい」
黒エルフが口を開いた。低く、落ち着いた声だ。
「こっちは、色々と訊きたいけどね。それで?」
「今、フェリシアは幸せか?」
予想外の言葉だった。
あれ?
「はっ? いや、ちょっと待って、君はフェリシアの関係者なのか?」
思わず聞き返してしまった。
暗殺者だと警戒していたのに、いきなりフェリシアのことを聞いてくる、え、暗殺者じゃない?
「答えろ。そうしたら、そっちの訊きたいことは一通り答えてやる」
彼女の声に、有無を言わせぬ迫力があった。見詰める瞳が、まっすぐに僕を射抜く。
その眼差しには、僕を脅すというよりも、切実ななにかが宿っているように感じられた。
「いや……まいったな、想定外の質問だ」
僕は頬を掻いた。
フェリシアが幸せかどうかなんて、正直わからない。そういうことを訊いたこともない。
「フェリシアが幸せかどうかなんて、本人以外にはわからないんじゃないか? 少なくとも不幸そうには見えないけどね」
「ふんっ、使えない」
黒エルフは鼻を鳴らす。なんで僕は、こんな真夜中に、見知らぬ美女から貶されているんだろうか?
その仕草は、どこかフェリシアに似ていた。
「ふっ、そのえぐるような言葉のナイフ」
苦笑が漏れた。
「君がフェリシアの関係者で間違いがなさそうだよな」
この容赦のない物言い。フェリシアの周りには、こういう類のエルフしかいないのか。
"棘の氏族"という名前は伊達ではないらしい。
「それで、何が訊きたい?」
黒エルフが、腕を組んで問いかけてきた。その姿勢からは、約束を守る意志が伺える。
「あー、まず、名前と所属。それと僕の寝室にフェリシアの振りをして潜り込んできた理由?」
「ベラシア、"棘の氏族"、フェリシアの主が色惚けという噂の真偽を確かめるため」
簡潔な答えが返ってきた。ベラシア。確か『黒いミミ』という意味があったはずだ。
フェリシアが『長ミミ』なら、彼女は『黒いミミ』。名前が似ているのも偶然ではないだろう。
「ふむ……つまり、フェリシアとは同郷ってことか」
僕が問いかけた訳ではないと受け取ったのか、彼女から正解はもらえなかったが、間違いではなさそうだ。
「というか、どんな噂を聞いてきたんだか」
「やはり噂とは当てにならんな」
ベラシアは訝しげに僕を見た。
その視線には、拍子抜けしたような色が混じっている。
「ま、そうだな」
「……色狂いの変態という噂だったが、ただのヘタレか」
容赦がない。
僕は胸を押さえた。心臓の辺りが斬る斬ると痛む。懐かしい、この感覚。
「いたたたっ! 僕のデリケートな部分がとっても傷ついた!?」
「ふんっ」
興味なさげな視線が返ってきた。
だが、その口元がわずかに緩んでいるのを、僕は見逃さなかった。
「結局、君は一体何のためにわざわざこの国までやってきたんだよっ!?」
声が荒くなった。
フェリシアの幸福を確認するためだけに、こんな危険な真似をするとは思えない。
「そう取り乱すな」
ベラシアは冷静に言った。腕を組んだまま、壁に背を預ける。
「アタシをしばらくこの家で雇って欲しい。フェリシアだったら、アタシの身元を保証してくれる。返事はそれからでも構わない」
なるほど。そういうことか。
彼女の本当の目的は、フェリシアの傍にいることなのだろう。
「わかった。雇おう」
「はっ!?」
今度はベラシアが驚いた様子を見せた。漆黒の瞳が大きく見開かれている。
よし。相手の意表を付けた。
「アタシが言うのもなんだが、オマエは底抜けのお人好しか馬鹿なのか?」
「フェリシアのことは信じている」
僕は静かに答えた。
「仮にフェリシアが何らかの魔術で操られたり、脅されていれば、すぐにわかるしな。そもそも、そんな方法で身元証明をしろ、と言っている時点で疑いはないさ」
「……屁理屈もいい所だな」
ベラシアは呆れたように言った。だが、その声にはどこか安堵の響きが混じっている気がした。
長い耳が、ほんの少しだけピコピコ動いている。警戒が解けたのだろうか。エルフの耳って、そういうとこある?
「とりあえず、また明日来てくれないか」
僕はあくびを噛み殺しながら言った。
「今日はもう眠い、詳しい話は今度だ」
僕は返事も聞かずに、布団にくるまった。とくに危険はないだろう。
ベラシアは無言のまま、窓辺へと歩み寄る。そこから去るつもりらしい。
しかし、なんで、エルフというのは奇襲するように登場をするんだろうか。エルフの文化だろうか?
そんなくだらないことを考えながら、僕は寝落ちた。




