第61話 バルドは、迷っていた。
「院長殿、薪割りは終わった」
「おお、ご苦労様」
「他に何か仕事はないか?」
困ったように、モルスが首を振る。
皺の刻まれた手が、杖の握りを撫でていた。
「いやいや、お客に雑用ばかりさせるのもなんじゃしの」
「ワタシは客人ではない。命を救ってもらい、その上、何も聞かずに置いてもらっている。正直な所、ただ何もしないでいると居心地が悪い。やれることがあれば、やらせて欲しい」
赤茶色の髭を蓄えたバルドは、淡々と言葉を紡いだ。
どこか声には疲労の色が見えて、くたびれた様子は変わらない。
数日前にここへ運び込まれたときと比べれば、身体は癒えてきている。だが、その目にはいまだ生気がなかった。
「……しかしの」
「何か問題が?」
「いや、儂らには問題はないが、子供達の遊びにも付き合ってくれとるし……生まれてこの方、子守りなぞ、したことなかったじゃろ?」
「確かに子守りの経験はないが……」
杖を持ち替え、モルスが真っ直ぐにバルドを見つめる。
長年の経験から培われた洞察が、その目には宿っていた。
「それにな。お主は、あまり目立たない方が良いんじゃないかの?」
「!?」
肩が僅かに強張る。
窓から差し込む陽光が、その顔に影を落とした。
「儂もまだまだもうろくしとらんでな。こう言っては悪いが、儂はお主が子供好きの善人だとは思っとらん。自身のためには、簡単に他人を利用する……そんな性分じゃろ?」
ふたりの間に沈黙が落ちる。
窓の外からは子供達の軽やかな笑い声が聞こえてくるが、室内の空気は重い。
バルドは何も言い返さなかった。否定できる材料を、持ち合わせていない。
「…………」
「そう怖い顔するな。老人の戯言じゃ。ただ、伊達に年を食ってないでな……お主は、まるで若い頃の自分を見ているようじゃ。何の因果か、この年になって孤児院のジジイなぞやっとるが」
「……ワタシと院長殿が似ている、というのか?」
「若い頃の、と言うたじゃろ。今の儂は子供達から好かれる素敵院長様じゃ」
シワの刻まれた顔に、好々爺の笑みが浮かぶ。
その笑みには、長い年月を経てきた者だけが持つ重みがあった。
「ワタシは……」
「無理に話さんでもええぞ。逆に話したいならいくらでも聞いてやるがの」
「そこまで……ワタシの危うさをわかっていて、ここに置いてくれる?」
眉が寄る。
悪性を見抜かれながら、なぜ追い出されないのか。その理由がわからなかった。
普通であれば、厄介事を持ち込む人間は遠ざけるものだ。ましてや、子供達を預かる孤児院であれば尚更。
「ミーナちゃんが頼んできたからじゃ」
「ミーナちゃんが?」
あの少女の顔が脳裏に浮かぶ。
瀕死の自分を見つけ、助けを呼んでくれた獣人の少女。
「あの子は面白いの。儂が出会った孤児の多くは、もっと独特な目付きをしておった。なにもかも諦めたような死んだ目か、憎悪から生まれたような暗くギラついた目……だけど、ミーナちゃんはすべてを許して、受け入れるような、そんな目をしておる」
「わからなくもない……」
バルドは静かに目を伏せた。
あの少女の瞳には、確かに他の孤児とは異なる物があった。確かな傷を負いながらも、世界を拒絶していない。それは貴重な資質とも言える。
「そのミーナちゃんがな、お主を助けて欲しいと、この孤児院に来て二度目のお願いをしたんじゃ。一度目は『また来てもいいですか?』じゃったしな。実質初めてのお願いと言えようか」
「なぜ、ワタシにそこまでしてくれる」
「さぁ、それは儂にもわからん」
窓の外に視線が向く。
庭では子供達が駆け回り、その中にミーナの姿もあった。猫耳がぴょこぴょこと揺れている。
鈴の音のような彼女の笑い声も風に乗って、ふたりの耳まで届いてくる。
「ただ、少なくとも……ここ数日、お主の事を見ておったらな。善人ではないが、根っからの悪党と言うわけでもないことがわかるしの」
杖で床を軽く叩き、言葉が継がれる。
「それに、居心地が悪いのはタダで飯を食らうことじゃなく、そんな自分の変化に戸惑っとるからじゃ。今のお主は人を害するほどの気概を持ち合わせてないじゃろ」
「ああ……その通りかもしれない」
深くため息をついた。
手のひらを見つめる。かつてそこには剣を握る力があり、人を斬ってもなんとも思わない心があった。
なにもない……空っぽの手のひらが、そのまま今の自分を表しているようだった。
「ワタシは、自分を見失っている……」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、認めざるを得ない事実として、静かに室内へ溶けていった。




