第58話 ミーナちゃんは、聞かないでいた。
「バルドさん、おまたせー」
ミーナが木製のお盆を持って戻ってきた。
素朴なスープと、硬そうなパン。決して豪華とは言えない食事だが、心は込められている。それに孤児院で出される食事としては上等な部類だろう。
「ん、ありがとう」
お盆を受け取り足の上に置くと、深皿を持ち上げてスープに顔を近づける。野菜の優しい香りが鼻をくすぐった。
一口すすった。塩気が足りない。肉の味もしない。だが、飢えた身体には、この温もりだけで十分だった。
「味……どうかな?」
ミーナが、顔を向けて、じっとこちらを見ている。
猫耳がぴくぴくと動いていた。尻尾も、だらんと下に垂れて不安そうにしている。
「う、ん……少し味が薄いかもしれないが、今のワタシにはちょうどいい」
パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶ。以前は、そうやってよく食べていた。
「つまり、美味しくない?」
猫耳がぺたんと伏せられた。
「いや、うまいよ、ほら……うっ!」
慌ててパンをほおばった。
喉に詰まりかけて、胸をどんどんと叩く。
「わわわ、急いで食べるから!」
ミーナが背中を叩いてくれる。小さな手のひらだが、見た目に反して力は強い。
「げほげほ……は、はぁ……」
「別に正直に言ってよかったのに。バルドさんって、本当はお金持ちとか貴族さんでしょ?」
隠すことなくまっすぐな指摘だった。
この子は見た目よりかしこい。幼気に見えるが、ハッとするような言動をすることもある。知り合って間もないが、そう感じていた。
「なんでそう思った?」
「生まれたときから、美味しそうな物だけを食べて育ってきましたよ、みたいなとことか? あと、雰囲気がちょっぴりご主人さまと似てるとこもかな?」
ご主人さま。
この少女が仕えている相手。先程の助けてもらったという相手だろうか。どんな人物だろう? とりとめもなく気になった。
「ん、ご主人様? ここは孤児院だと聞いたが、キミは誰かに仕えているのか?」
「うん、あたしはね。色々あってこの街に連れてこられた所を、ご主人さまとフェリシアさんに助けてもらったの。だから、いつもはお屋敷の方でメイドさんをしてるんだよ」
連れてこられた。
その言葉に含まれた意味を、ワタシは理解した。この少女も、この少女なりの苦労があったのだろう。
「で、バルドさんは何者なの?」
琥珀色の瞳が真っ直ぐに向けられる。
「死に掛けていたワタシを助けてくれたことは感謝している。しかし……」
「やっぱ、今の質問はナシ!」
ミーナが両手で大きくバッテンを作った。
「な、なし?」
「うん、だって、あたしのワガママだもんね。バルドさんは、バルドさんでいいよ」
笑顔だった。
無邪気で、純粋で、何の打算もない笑み。
「…………なんで、そこまでワタシのことを信じられる?」
声が震えていた。
ワタシは、自身が誰かに信じてもらえるような人間ではない、と理解している。自分勝手にやり、結果すべてが嫌になり、逃げ出してきた卑怯者だ。
「ん~、倒れていたバルドさんがね。あたしに言ってたんだ」
「何を? すまないが、記憶がおぼろげで……」
意識を失う直前のことは、ほとんど覚えていない。
逃げて、隠れて、潜んで、再び逃げて、気付いたら、この部屋のベッドで横たわっていた。
「『生きたい』って……」
ミーナの声が、静かに響いた。
「生きたい……」
思わず、その言葉を繰り返した。
「うん、『生きたい。このまま死ぬものか』って、そう悲しそうに言ってたよ」
「それを聞いて、あたし、放っておけなかったの。あたしもね、前の孤児院にいたとき、同じこと思ったことがあるから」
特段思い詰めたような表情も浮かべず、それが当たり前のような顔で、そう言い放つ。
この少女も死にたくなるような日があったのか、それでも生きたいと願ったのか。
「……そうか」
ワタシとミーナが、同じ思いを抱いているとは考えられなかった。
決してワタシは少女のように無力でもなかったし、善良な人間でもなかったから。
「だから、バルドさんが何者でも関係ないよ。生きたいって思ってる人を、見捨てたくないだけだから」
部屋の隅で、古い木の床がきしんだ。
——これからどうしようか。自問自答する。
ひとまず、今はただ、この温かな場所で生き残ったことを、受け入れようと思った。




