第54話 僕は、人を嫌いになれないでいた。
リラが落ち着きを取り戻すまで、それなりに時間がかかった。
僕は水瓶から水を汲んで、魔術でお湯にして、紅茶を淹れる。給湯室まで行くのが面倒なのでつい横着してしまう。
落ち着きたい時は、温かい飲み物があった方がいい。
「すみません、取り乱してしまって……」
「いや、僕こそ急に重い話をしてごめんね」
休憩用の小さいテーブルに、紅茶のカップととっておきのクッキーを置いて、向い合せに座る。
カップを手に取ると、ひとさじだけ入れた蜂蜜のほんのりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「リラはずいぶんと優しくなったよね……いや、僕も丸くなったから、お互い様かな?」
「む、昔のことは言わないでください!」
恥ずかしそうに声を大きくした。
第十一師団に配属されたばかりの彼女は、もっと口調がとげとげしかった。いや、僕も大人気なかったからついついきつい口調で、お互いに距離があったのだろう。あの頃のことを思い出すと、今の関係がありがたく感じる。
「僕の両親は共に魔術師だったけど、決して優秀と言えるほどの力があったわけじゃない。僕が持つ膨大な魔力は、血統からすれば突然変異みたいなものでね」
両手で持ったカップから温かさが、手のひらにじんわりと伝わってきた。
ふぅーと、軽く冷ましてから一口飲む。今度は口の中にゆっくりと暖かさが広がっていく。
「その……ユキト様のお父様はお母様を疑ったりはしなかったのですか?」
同じようにカップを両手で持ったリラが遠慮がちに尋ねてくる。
言いにくいことを聞いてしまったという表情だ。もっといい話題もあっただろうにと。
「むしろ両親は、子供の僕が恥ずかしくなるくらい愛し合ってた」
懐かしい記憶がよみがえる。
父と母の笑顔。子供だった僕は、自分がどれほど恵まれていたかを知らなかった。
「父は、僕の異常さに気付いてすぐに封印を施して、王宮にも僕の力を隠したんだ。今だからこそ、父の正しさがわかるし、その決断に尊敬すらしてる」
「素敵なご両親だったんですね……」
リラの声に、羨望が混じっている。
彼女の家庭事情も、決して単純ではなかったのだろう。公爵家という立場は、想像以上に複雑なものがあるはずだ。
「オルディス公爵夫妻も素敵な方々だと思うけど」
「まぁ、自慢の両親とは言いにくいですが、……優しい両親ではあります」
リラは複雑な表情で答えた。
そして、紅茶を一口飲む。彼女の表情が和らいだ気がする。
「僕のこの力が、子どもに継がれるかどうかはわからない。けど、わずかでもその確率があるなら、子供なんかは欲しくない。むしろ、子供を作ることが想像できない。僕はひとりで生きて死のうと思ってた」
愚痴なのだろうか、僕の独白をリラは黙って聞いてくれる。
その瞳が不安そうに揺れているのもわかる。
「僕はあの戦争で、一度"心"を失くしたんだ。いや、失くしたんだと思い込んでいただけだったかな」
また紅茶を一口飲む。壁にかけられた時計が、静かに時を刻んでいる。
「ダメだよねぇ。僕は、人が嫌いじゃないんだ。フェリシアさんやミーナが来て、家にひとりじゃなくなって、余計に感じちゃってさ」
「私じゃ、ダメだったんですか?」
リラの声が、かすかに震えている。
その問いに、僕は正直に答えることにした。
「ううん、リラやガルム、妹や師匠、一応、レオン様がいてくれたから、僕は人を嫌いになりきれなかったんだと思う。その僕の歪みをフェリシアさんに指摘されちゃってね」
「フェリシアさんですか……」
リラの表情が複雑になる。
この間、ある意味で仲良く話をしていたようだけど、リラには何か思うところがあるのだろう。カップの水面を眺めながら、考え込んでいる様子だ。
「容赦ないよ。人が必死に目を背けていた事実をいきなり突きつけるんだ」
「なんて言われたんですか?」
「『リラ様は……お嫌いですか?』だってさ、とっさに言い返せなかった」
あの時のフェリシアの声が、耳の奥で響く。
淡々としていながら、どこか挑むような響きがあった。
「私の……ことを?」
彼女の視線が泳いだ。
戸惑いと期待、それから心配が入り混じった表情だ。紅茶のカップを持つ手に、力が入っている。
「嫌いじゃないよ。好きか嫌いかのどっちかなら、多分好き。けど、それが男女の愛かと問われれば、わからない……単純に自分が親になる自信がないだけなのかな」
嘘をついたり、誤魔化す気にはなれなかった。
「わかりました。じゃあ……」
リラが何かを言いかけた時、僕は口を開いた。
先に雰囲気を変えたかった。
「ただね、あんまり挑発されると……僕も我慢が効かなくなるというか、そういう欲がなくなったわけじゃないから……魔術で純粋に行為だけをすることができるから、気をつけてね?」
にっこりと口元を緩めて言う。
これはほとんど冗談、軽口のつもり。本気は少々だけ。
「? ……き、気を付けますっ!!」
一瞬キョトンとしたが、僕が言った言葉を理解すると、瞬時に顔が真っ赤になった。
耳まで熱くなっている。茶目っ気で言ったつもりだったが、効果がありすぎたかもしれない。
紅茶のカップを取り落としそうになって、あわてている。その動きがおかしくて、つい声が漏れてしまった。
「くっふふふ……」
「もうっ、ユキト様!」
「ごめんごめん」
重い話をした後だけど、こうして軽口を交わせるなら、悪くない。今日の午後の仕事は、少しだけ楽になりそうだ。




