第53話 僕は、自分を恐れていた。
王宮の執務室に着くと、リラがすでに来ていた。
積み上げられた書類の山が、今日も変わらぬ日常を告げている。羽根ペンのインクの匂いが、かすかに漂っている。
「おはよう」
「……おはょぅ……ございます」
リラは視線を逸らした。
頬がほんのり赤い。昨日のことを思い出しているのだろう。
「…………うん、リラ、ちょっと話をしようか」
「あ、あの、申し訳ありません。昨日はちょっと、やりすぎたといいますかっ!!」
僕の言葉を遮るように、早口でまくし立てるリラ。
真面目な彼女らしい反応だ。両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。
「そのことで謝ろうと思ってね」
「えっと、それはつまり……お断りされたということです、よね?」
声が沈んでいく。
そう予想はしていたのだろうか。けれど、それでも辛い。肩が小さく落とした彼女の姿を見て、そう感じた。
「んー、結果としては断ることになるかもしれない、けど。あのさ、少し話をしようか?」
「は、はい」
僕は椅子に座り、リラにも一度座るよううながした。
執務机を挟んで向かい合う。いつもの業務中とは違う空気が流れる。
「僕が"救森の魔術師"と呼ばれる原因となった『焦森戦争』について、簡単に言える?」
唐突な質問に、リラはどこか驚いた顔をした。
けれど、すぐに副官らしい表情に切り替わる。背筋を伸ばし、説明をし始めた。
「発端は七年前、『鉱山と武勇の国』による『森林と調和の国』への侵略目的の進軍です。我が国から当時の第五師団が『森林と調和の国』への援軍として派遣されました。その時の第五師団の師団長がレオン様で、ユキト様は小隊長のひとりでした」
よどみない回答だ。
軍の記録に残っている公式な情報を、正確に述べている。
「それの結果は?」
「第五師団が用いた大規模な火計により、『鉱山と武勇の国』の軍が壊滅的な損害を受けて撤退。その火計の発案者がユキト様だった……えと、どこか間違えてましたか?」
リラは不安そうに僕を見つめている。
試験を受ける学生のような表情だ。
「いや、一般的にはそれで正解。けど、そこに一部の人しか知らない事実があってね」
「じじつ?」
僕は深く息を吸い込んだ。
これを話すのは、何度目だろう。そして、何度話しても慣れることはない。
「僕は発案者というだけでなく、火計の実行者であったこと……それもひとりだけの」
「えっ……?」
リラの目が大きく見開かれる。
まさか、という表情だ。
「詳しい説明ははぶくけど、僕が敵軍に潜り込み、敵の指揮官の一部を暗殺し、命令系統を乱す。その後、僕の魔術により、敵の駐屯地の三方から火を起こして…………森ひとつを焼き尽くした」
七年前の記憶が、脳裏によみがえる。燃え上がる炎、逃げ惑う人々、そして、死んでいく兵たちの姿。
「!!??」
リラは言葉を失っている。
無理もない。一介の小隊長が、単独で森ひとつを焼き尽くしたなどと、誰が信じるだろうか。
「戦時中に僕が直接手にかけた人数は二十人もいってないと思う。けど、その時の火計による死者は一万八十八人と公表されている。もちろん、それ以上の負傷者がいただろうね」
数字を口にすると、胸の奥が締めつけられる。
一万人以上の命。その重さを、僕は一生背負っていく。
「リラは、僕が怖い?」
静かに問いかけた。
リラの答えを待つ。執務室の時計が、規則正しく時を刻んでいる。
「…………怖く、ないです」
震える声だった。
けれど、視線は逸らさない。まっすぐに僕を見つめている。
「僕は怖かったよ。大量に人を殺せてしまう、自分の力が……」
窓の外に広がる空を見る。
その空の下には、平和な王都の風景が広がっているだろう。七年前の戦場とは、まるで違う世界のような。
「実際、人からバケモノと呼ばれたことも少なくない。敵軍が僕のことを"不死の魔人"と呼ぶのも理解はできる。殺そうと思っても殺せない、それどころか一方的に殺される側にとっては、まさに不死身のバケモノという呼称はぴったりだ」
自嘲気味に笑う。
バケモノ。その呼び名は、正しいと、僕自身が納得してしまっていた。
「私は、ユキト様が怖くもないし、ユキト様はバケモノでもありません!!」
リラが立ち上がった。
「人が人である以上、人を殺すのはいけないと思います。けど、人が人を殺すのを許容してしまう戦争は、実際にあって……、だから……、すみません、上手く言葉にできなくて」
リラは拳を握りしめている。
何かを必死に伝えようとしている。その目には、涙がにじんでいた。
「でも絶対何かが違うんです」
その言葉に、僕は小さく微笑んだ。
それだけでいい。彼女がそう思ってくれるだけで、十分だった。
遠くから、時計塔の鐘が正午を告げる音が聞こえてきた。




