第5話 フェリシアさんが、ゼリーを作っていた。
「ん~♪ これ、美味しいね」
僕はスプーンでゼリーをすくいながら、その出来をほめる。銀のスプーンがガラスの器に当たり、涼やかな音を立てた。
透き通った桃色のゼリーは、照明の光を受けて、宝石のように輝いていた。
表面には細かな気泡が閉じ込められ、キラキラと光りを反射している。口に含むと、桃の甘さが優しく広がる。果肉も入っており、ただひたすらに美味しい。
「桃のゼリーです。ご主人様が甘いものもお好きと聞いたので用意してみました」
フェリシアが答える。相変わらずの無表情だが、どこか得意げな気配がある。彼女は僕の向かいに立っている。
「ゼリーか……そういえば、ゼラチンって、そこはかとなく卑猥な言葉な感じがしない?」
ふと思いついたままの言葉を口から出した。
我ながら唐突な話題だと思うが、もう今日は疲れていて、難しいことは考えたくない。
「いえ、まったく」
即答だった。予想通りの反応でもある。
「いや、だって、ゼラチンだよゼラチン! 是裸チンって書くともう超絶卑猥じゃない!?」
「あえて言わせてもらうなら、卑猥なのはご主人様の頭の中です」
「ふっ…………ところで、明日、僕は休日なんだけど、フェリシアも休みでいいよ?」
フェリシアは無表情のまま言い切った。その言葉は、鋭い剣のように僕の心を斬る斬るする〜。
だから、僕は話題を変えた。これは、戦略的転進だ。
「逃げましたね」
「戦略的転進と言ってもらいたい」
「まぁ、それで休日の話ですが……私は特に必要ありません」
「それだと身体が休まる時間がないんじゃない?」
フェリシアは毎日、朝早くから夜遅くまで働いている。
朝は僕より先に起きて朝食を準備し、夜は僕が寝た後も片付けをしているようだ。
厨房からは、夜遅くまで水の音や食器の触れ合う音が聞こえてくることがある。
休みなしでは体調を崩すかもしれない。
「いいえ、こう見えてもそれなりに自由な時間がありますので」
「そうなの?」
「はい。ご主人様は、食事の好き嫌いもなく、掃除もほどほどで文句は仰いませんので」
フェリシアは淡々と答えてくれる。その言葉には、嬉しさと親しさが混じっているように感じた。
「実際、フェリシアの出してくれる食事はどれも美味しいからね。一緒の食卓についてくれるともっと嬉しいけど」
「その件につきましては、『私流メイド道』に反するので申し訳ありませんが……」
「それについて無理強いをするつもりはないよ。こうして話し相手になってくれるだけでも十分だからね」
ひとりで食べる食事は味気ない。誰かと会話しながら食べると、同じ料理でも美味しく感じる。
食堂のテーブルは四人が同時に食事をできるほどの大きさだが、いつも僕ひとりしか座っていない。
当初は、食事中に声をかけても答えてくれなかったが、僕が誠心誠意お願いすることで、デザート中ならば答えてくれるようになった。小さな変化だが、偉大な一歩だ。
「恐れ入ります」
フェリシアは軽く頭を下げる。その動作は相変わらず洗練されたものだ。
「でもさ、実家とかに顔を見せなくて良いの?」
ふと気になって聞いてみた。
この家に来てから、フェリシアが買い物以外で出かけたりしている様子がなかった。
僕の家に勤めだしてから、ずっと屋敷にいる気がする。厨房で料理の仕込みをしたり、庭の手入れをしたりと。実家が恋しくないのだろうか。
「それこそ必要ありません。私の生家は『森林と調和の国』にありますが、両親は亡くなっておりますので」
「あー、ごめん、ちょっと考えなしだった」
僕は自分の軽率さを恥じる。スプーンを持つ手が、一瞬止まった。
こういうところがモテないのだと、悪友にもよく言われていた。相手の事情を考えずに、思いついたことをすぐ口にしてしまう。
「大丈夫です。もう七年も前の話ですので……」
フェリシアは相変わらず無表情だったが、その声にはわずかに悲しみが混じっている気がした。
「…………七年前?」
僕は思わず聞き返す。
七年前。あの戦争があった年だ。『草原と平穏の国』と周辺国を巻き込んだ、大きな戦争。
「ええ」
「それって」
「はい、ご想像のとおりかと」
フェリシアは静かに答えた。その声は、こころなしか低く沈んでいる。
九年前に始まり、七年前に終わった戦争があった。
多くの命が失われ、多くの家族が引き裂かれた。エルフの里も、いくつかが戦火に巻き込まれたと聞いている。森が焼け、村が消え、人々が故郷を追われた。
僕も、その戦争に参加していた。
「そっか……」
それ以上は何も言えなかった。言葉が見つからない。
軽々しく慰めの言葉を言うのは、かえって失礼な気がした。ガラスの器の中で、桃色のゼリーがふるふると揺れている。
「ご主人様、お気になさらずに。ゼリーのお代わりはいかがですか?」
フェリシアは話題を変えるように言ってくれる。その気遣いが、かえって胸に痛かった。
「まだあるの? じゃあ、もうちょっともらおうかな」
器に残っていたゼリーを口の中に放り込むと、空になった器をフェリシアに手渡す。
僕は彼女の気遣いに甘えることにした。ここで無理に話を続けても、お互いにとって良いことはないだろう。
「はい、しばしお待ちください」
フェリシアは立ち上がり、厨房へと向かう。
その背中を見送りながら、僕は過去に思いを馳せる。
七年前の戦争。フェリシアは、あの戦争で両親を失った。
エルフの里で、どんな光景を見たのだろうか。どんな思いで、この七年間を過ごしてきたのだろうか。
そして僕も、あの戦争に参加していた。もしかしたら、僕たちは同じ戦場にいたのかもしれない。
それを改めて確かめるつもりはなかった。
今、こうして穏やかな時間を過ごせていることが、何よりも大切だと思ったから。
僕はそう思うことで、自分の中にあるモヤモヤに、そっとふたをする。
明日もまた、同じような穏やかな日が続くといい。そう願いながら、僕はおかわりのゼリーを待った。




