第44話 僕は、気が休まらないでいた。
舌の上でとろけるような肉の煮込み、グリルされて甘みが凝縮された野菜、焼きたての香ばしいパン。
湯気を立てる料理が、食欲をそそる香りを漂わせている。彩りも美しく、見た目にも楽しめる品々。
厨房からミーナも出てきて、給仕を手伝っていた。猫耳がぴょこぴょこと揺れ、尻尾は上機嫌に左右に振れている。
食事が一段落して、先程の怖いやり取りが夢だったかと思い始めた時、その一言が投下された。
「ねぇ、フェリシアさん、どっちがホンサイで、どっちがオメカケさん?」
背後から、ミーナの無邪気な声が響いた。
僕は飲んでいた水を噴き出しそうになって、慌てて口元を押さえる。
「ぶはっ……げほげほっ」
「あらあら……」
フェリシアが、何かを楽しんでいる気配がある。
「ななななっ!?」
リラが真っ赤になって慌てる様子がわかった。ガタガタと椅子が大きな音を立てる。
「ぷっ……ふふっ、ねぇユキト様、アタイがホンサイでお嬢ちゃんがオメカケさんでどうだい?」
隣りにいるカリナが悪戯っぽく提案してきた。その妖艶な目つきで流し目を送ってくる。
「いいっ!?」
思わず変な声が出た。なにを言い出すのだこの人は。
「そうかい、"イイ"かい」
カリナが、そんな僕の言葉尻を捉えてニヤリとする。
「冗談じゃありません! ど、どうしても、っていうなら私がホンサイなのが筋でしょう!?」
リラが食い下がる。顔は茹でたように赤い。湯気が立っているのではないかと思うほどだ。
「おやおや、アタイはユキト様に質問しているんだよ? そもそも何が筋なんだか」
「少なくとも貴女がホンサイって言うのは許せません!」
二人の間で火花が散る。さっきまでの連帯感はどこへ行ったのか。二人は睨み合っている。
「ミーナちゃん、おふたりともホンサイではありません。あえて言うならアイジンさんってところですね」
そこへ、さらなる火種が投げ込まれる。フェリシアの淡々とした声には、かすかな満足感が混じっている気がした。
「なるほど! じゃあ、あたしたちと一緒だね!!」
ミーナの琥珀色の瞳がキラキラと輝く。猫耳がぴんと立ち、尻尾がぶんぶんと振れている。
「そうなりますね」
フェリシアが間髪入れずに肯定した。
「えええええっ!!」
リラの悲鳴が食堂に響き渡る。グラスが倒れそうになるほどの声量だった。
「おやおや……どおりでアタイがいくら誘っても効かないわけだ」
カリナが納得したようにうなずいている。訳知り顔がまた腹立たしい。お前、わかってるな?
「いや、納得しないで欲しいんだけど……」
僕の言葉は虚しく宙に消えていく。誰も聞いていない。
「ユキト様っ!!」
リラが隣り合った狭い距離をさらに詰めてきた。その瞳には涙すら浮かんでいる。
「やっぱりそういうことなのですか!? 違いますよね! 違うと言ってください!!」
「リラ、落ち着けっ!! なにがどう違うかがわからない!」
彼女の妄想がどこまで膨らんでいるのか、まず底を聞かないことには下手に返答もできない。
「ミーナちゃん、ご主人様は大好き?」
フェリシアがミーナに問いかける。話題を変えて助けてくれるつもりなのか! いや、それにしては質問の仕方が……
「うん、大好き! だって、あたしのこと痛くしたりしないし、優しくしてくれるから!」
知ってた!
ミーナが嬉しそうに答える。無邪気な声なのだが、今は死刑宣告をする裁判官の一声にも思えた。
「痛くしないで……や、優しくっ!?」
リラの顔から血の気が引いていく。何を想像しているのか? 知りたくもないが、とんでもない誤解をしている。
「あああっ!! フェリシアも人に誤解されるような話題を振らないでくれ!!」
僕は振り向きながら、フェリシアに叫んだ。
「ご主人様はミーナちゃんがお嫌いなのですか?」
フェリシアが首を傾げる。その無表情の奥で、確実に楽しんでいる。
「えっ……ご主人さま、あたしのこと嫌いなの?」
ミーナの猫耳がぺたんと伏せられた。琥珀色の瞳が潤んでいる。尻尾も力なく垂れ下がった。
「いや好きだよ! うん、ミーナはちゃんと屋敷の仕事をしてくれるイイ子だからね!」
慌てて否定する。ミーナの耳がぴょこんと立ち直った。尻尾が再び揺れ始める。
「『ミーナだけ? ご主人様、フェリシアのこと嫌いなの?』」
フェリシアが棒読みで言った。嘘泣きの真似すらしていない。完全に演技だとわかる声色。
「とりあえず、今限定で大っ嫌いだ!!」
僕の声が虚しく響く。フェリシアの長い耳が、かすかに揺れた気がした。
今夜の食事も、いつも通り美味しかったはずだ。けど、料理の味など、ほとんど覚えていなかった。




