第43話 女の戦いが、始まっていた。
食堂のテーブルには、三人分のグラスが並んでいた。
透明な氷が浮かんだ葡萄酒。氷の隙間から、深い赤紫色がのぞいている。氷は驚くほど澄んでいて、内部に気泡ひとつ見当たらない。
フェリシアのメイドとしての心意気が、そんなところにも表れていた。
「それじゃあ、まぁ、ユキトの健康とかを適当に願って、乾杯」
最初に口を開いたのはカリナだ。彼女がグラスを持ち上げ、僕のグラスと軽くぶつける。澄んだ音が食堂に響く。
「か、乾杯……」
リラの声は緊張で硬い。グラスを持つ手がわずかに震えていた。不安に思いながらも、続けて彼女と乾杯をする。
「一応、ありがと……」
そしてまっすぐ正面を見る。正直なところ、この場の空気は針のむしろだ。二人の間に挟まれて、どちらを見ても居心地が悪い。
「綺麗な氷だね。これは本当にあのメイドさんが作ってるかい?」
カリナが氷を傾けながらつぶやいた。グラスの中で、氷がカラリと音を立てる。
「いや……多分、フェリシアが作ったんじゃないかな」
僕の答えに、カリナの表情が引き締まった。
「エルフ族なら魔術を使えてもおかしくはないけど……それでメイドとは、随分と酔狂な話だね」
「え? なんでですの?」
リラが首を傾げる。カリナは呆れたような表情を浮かべた。グラスをテーブルに置き、腕を組む。
「……あんた、王国軍でのユキトの部下なんだろ?」
「そ、そうですが……」
「魔術を使える人は少なくはない。ただ、製氷を行えるほど精密な魔術を使える人、となると話は別だ」
カリナは指を立てながら説明を始めた。
「それほどの腕の立つ魔術師なら、王国軍に王立研究所、大商会のお抱え魔術師と引く手は数多さ。高い報酬を得られる道がいくらでもある。なのにメイドを選ぶなんて、普通は考えられないだろ?」
リラはきょとんとした顔をした。
「そのくらいの魔術なら、私も使えますけど……?」
カリナが無言のまま、その顔が「この子、本気で言ってるのか」と問いかけている。
「彼女、生粋の王国貴族の家柄でね。本来なら僕の部下に納まっているような子じゃないんだけど」
僕は苦笑しながら答えた。リラの実家は、王国でも有数の名門だ。彼女にとって、製氷程度の魔術は「誰でもできること」なのだろう。
「ユキト様、家は関係ありません! 私は自分の意志で第十一師団への配属を希望したんです!」
リラが力強く主張する。拳を握りしめ、真剣な表情だ。それから、声を潜めるようにして付け加えた。
「そりゃあ、配属の際にちょっとお父様にお願いしましたけど……」
もじもじと指を絡ませる仕草。カリナが小さく声を上げた。
「いいとこの嬢ちゃんってのは、間違ってないんだね」
その言葉に、リラの表情が変わった。柔らかさが消え、真剣な目つきになる。軍人でもなく、どちらかといえば有力貴族のご令嬢としての顔だ。
「……さっきから、黙って聞いていれば、そういう貴女はどちら様ですの?」
声のトーンが下がっている。リラが怒りを秘めているのがわかってしまう。
「おや、アタイはカリナっていうんだ。ユキトは、うちの娼館のお得意さまでね」
カリナが艶っぽく口元を緩める。その言葉に、リラの動きが止まった。
ちょ、ま、カリナ、おまえ!?
「娼館…………ということは、ユキト様と……!?」
また誤解されているような言い回しを使いやがって! 何度目だろう。顔から血の気が引いていくリラを見て、慌てて口を開いた。
「誤解されてるかもしれないから言っておくけど、僕は客として行っているわけじゃないからね」
されているかもというか、確実に誤解しているリラに慌てて弁明する。言い訳すると怪しい? 言わずにいられないだろ、この流れ。
実際、カリナとは仕事とでの付き合いしかない。今も昔も、それ以上でも以下でもない。
「失礼しました。ユキト様の言葉を信じます」
彼女は素直にうなずく。だが、その態度が、今度はカリナの琴線に触れたようだ。
「はんっ、あんたも娼婦を見下すような人種なのかい」
挑発的な言葉だ。テーブルの上の空気が、再び張り詰める。
「貴女がどこで何をしようと、別に……そういう職業が必要であることは習っていますし」
リラは冷静に返した。しかし、カリナは納得しない。
「その口調が見下してるってんだよ」
空気がバキバキと張り詰める。しかし、リラは怯まなかった。真っ直ぐにカリナと対峙して、言葉を返す。
「見下しているつもりも、見下しているとも言っていませんが? "私が貴女を見下している"と感じている貴女こそ、自分自身のことを見下しているんじゃありません?」
カリナの瞳が大きく見開かれた。
しばらくの沈黙。それから、口元に笑みが広がっていく。
「ほー、結構言うねぇ、お嬢ちゃん。ふふふ、気に入ったよ」
「あら嬉しいです。うふふ、私も貴女とは上手く付き合えそうです」
ふたりの間に、奇妙な連帯感が芽生えた気がした。
僕はただ、グラスの中の氷が溶けていくのを眺める。早く食事が来ないかな、と、半ば現実逃避を始めていた。




