表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

41/88

第41話 リラは、色々悩んでいた。

 午前の書類仕事が一段落した。

 積み上げられた書類の山が、いつもより高くなっている。普段は三人いる空間も、今日は妙に広い。

 ガルムの席が空いているせいだ。ひとりいないだけで、部屋が広く感じてしまう。普段は軽口を叩き合う相手がいないというのは、こう微妙に寂しいものだ。しかし、彼は尊い犠牲だった。


「きょ、今日はガルムが遅いですね。寝坊でしょうか」


 リラが書類から顔を上げて訊いてきた。真面目な彼女らしく、遅刻などの不真面目な行為に対しては表情が険しくなるらしい。


「ああ、今日は病欠で休むって連絡を事前に受けてるよ」

「事前に……それはズル休みというのでは?」


 リラの声に咎めるような響きが混じる。眉がわずかに寄せられ、彼女らしい反応だ。規律を重んじる性格は、軍人に適していると、心の中の評価シートに二重丸をつける。


「ほら、昨日突然来たお婆さんがいたでしょ? 僕の師匠で、ガルムの実祖母なんだけど」

「あ、そうだったのですか」


 彼女の表情がほんのりと和らいだ。例の乱入者が、我々に近しい人だと知れば、昨日の騒動も多めに見てもらえるようだ。


「でまぁ、なかなかの女傑(じょけつ)でね。その人との付き合いで、ちょっとね」


 ちょっと、というのは控えめな表現だ。師匠と過ごす時間は、戦場にいるのと同じ精神的消耗を伴う。ガルムが逃げ出したくなる気持ちは、痛いほどわかる。僕だって、できるだけ逃げたい。


「事情があるのでしたら、単純に責めるわけにはいきませんね」


 羽根ペンを置いて、椅子ごとこちらを向き、なんとか納得したように肯定してくれる。


「だから、ガルムはしばらく休むことになると思う」


 その言葉を聞いた瞬間、リラの表情が一瞬固まった。

 それから、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。まるで熟した林檎のように、耳の先まで紅潮している。


「そ、それは……数日間は部屋でふたりっきりなのですね……ふたりっきり、あうう」


 彼女の瞳がどこか遠くを泳いでいる。焦点が合っていない。口がぱくぱくと動いて、何か小さな声でつぶやいているようだった。

 あ、そうか、単純計算で仕事量が五割増しになるわけで、多忙になってしまうことに困惑しているのだろう。


「そうなっちゃうね。仕事が大変になるかもなんで、ごめんね」

「い、いえ、色々とがんばります!!」


 勢いよく立ち上がりかけて、慌てて座り直した。椅子が倒れそうだったが、座り直したことでなんとか倒れなかった。


「色々……?」


 色々とは何だろう。まぁ、やる気があるのは助かるけど。

 そこで、僕は大きく欠伸(あくび)をしてしまった。口元を隠す余裕もなかった。昨晩はほとんど眠れなかったのだ。フェリシアとの会話が頭の中でぐるぐると回って、目を閉じていてもなかなか寝付くことができなかった。


「な、なんだか、眠そうですね!?」


 リラが慌てたように話題を変えてくる。ばっちり見られてしまったらしい。


「うん、ちょっと昨晩は眠れなくてね」

「何かあったのですか?」


 心配そうな声だ。どことなく、彼女がぎくしゃくと細かく揺れている。


「いや、ちょっとフェリシア……あ、うちの使用人なんだけど、そのフェリシアのせいで眠れなくてね」


 リラの動きがぴたりと止まった。

 まるで時間が止まったかのように、彼女は微動だにしない。


「!!??」

「まったく、こっちが降参してるのに許してくれないんだから……」


 昨晩のことを思い出す。過去の約束を思い出せと言われても、何も出てこないのだ。僕の記憶力の問題なのか、それとも本当に忘れてしまったのか。

 フェリシアは「凹んでいない」と言っていたが、あの長い耳は正直に垂れ下がっていた。申し訳ない気持ちと、思い出せないもどかしさが、一晩中僕を悩ませた。


「明日も明後日も一年後でも、って言われてもなぁ……まったく参っちゃうよ」

「……ダメです!」


 再び、リラが立ち上がった。今度こそ、椅子が大きな音を立てて後ろに倒れる。その衝撃で、棚の上に置いてあった小物がいくつか転がった。

 それを気にもとめず、リラは僕の机の前まで詰め寄ってくる。


「ん?」

「ユキト様……今晩、お屋敷にお邪魔してもよろしいでしょうかっ!」


 その瞳には妙な決意が宿っていた。拳を握りしめ、真剣な表情でこちらを見据えている。


「い、いいけど、どうしたの?」


 予想外の申し出に、僕は面食らってしまう。彼女が僕の屋敷に来たいと言い出すなんて、初めてのことだ。


「私……がんばりますから!!」


 何をがんばるのだろう。リラから、熱意という名の炎が燃え盛っているのを感じ取れた。

 彼女は、なにかがんばるらしいが、なんのことかさっぱりわからない。

 小鳥たちが平和そうに歌う声が、窓の向こうから聞こえてくる。なんだか、世の中の流れに置いてけぼりにされているような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ