第40話 フェリシアさんと、約束を交わしていた。
しばらく、ふたりとも黙っていた。
時計の針が動く音だけが、かすかに聞こえる。
「…………」
「…………」
僕とフェリシアは、互いに言葉を探していた。僕はなにかを話そうとしていたし、彼女もそう見えた。
けど、さっきの会話が、言葉が、胸の中で渦巻いている。
「ありがとう、と言うべきなのかな?」
ようやく、そんな言葉が僕の口から漏れ出てきた。
「どういたしまして、と答えるべきでしょうか?」
フェリシアが、穏やかな声で返す。
いつもの皮肉めいた調子ではなかった。
「フェリシアは、偶然うちに雇われた、ってわけじゃないよね」
「ご主人様……セリフが疑問形ではなく、断定形になっております」
「うん、確信しちゃったから」
ずっと感じていた違和感。それが、今夜ようやく形になった。
「確信しちゃわれましたか」
フェリシアの声には、諦めとも喜びともつかない感情の色があった。
「妹か君か、どっちかはわからないけど……フェリシアは、僕を救いに来てくれたんだね?」
「あら、そこで疑問形なのですか?」
「外れてたら、ちょっと恥ずかしいし」
自信がないわけではない。ただ、確認したかった。
「では、思う存分恥ずかしがってください、"外れ"です」
「え、ほんと? うわ、なんか僕って自意識過剰っ!?」
僕は頭を抱えた。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「アイネ様の意図は別として、私はわざわざ外国までご主人様を救いに来たのではありません」
「うわー、恥ずっ! なに訳知り顔で語っちゃったの、数瞬前の僕っ!!」
顔が熱い。お酒のせいだけではないだろう。
「私は、……昔、ご主人様と交わした約束を果たしてもらいに来たのです」
彼女の強い言葉。
「……約束?」
「はい、ご主人様は綺麗すっぱり根こそぎに忘れられているようですが」
約束。フェリシアとの約束。
記憶を探っても、何も出てこない。
「ええっと、ごめん、僕とフェリシアって、以前に会ったことがあるの?」
「あるのです。もしかしたら忘れられてるかも、と予想していたので凹んだりはしていません」
そう言っているが、長い耳の先が下を向いていた。
凹んでいないと言いつつ、明らかに凹んでいる。耳は正直だ。
「うううっ……」
僕は唸った。必死に記憶を掘り起こすが、空っぽの桶のごとく何も出てこない。
フェリシアと会ったことがある? いつ? どこで?
まるで闇夜を明かりもなしにで進んでいるような、もどかしさだけが残る。
「この設問に時間切れはありません、明日でも明後日でも一年後でも回答をお待ちしています」
「……ヒ、ヒントは?」
「もちろんノーヒントです」
フェリシアが、きっぱりと言い切った。その無表情の奥に、どこか楽しんでいるような気配がある。
「すっごく気になるんだけど!!」
「ご主人様、どうぞ頑張って思い出してくださいませ」
メイド服のスカートの裾をつまみ、両手で軽く持ち上げ頭を下げる。普段はしない膝折礼。
僕は、綺麗な姿勢だなとか、話の流れを脱線した感想を抱いた。
同時に、彼女のことを、なにも聞いていなかったと、思い知らされる。
新しい日常は、僕にとって最初に思っていたよりも悪いものではなく、むしろ良い方の変化だった。だからこそ、改めて彼女のことを深く聞こうとしなかったのは、僕の弱さだろうか。
フェリシアとの約束。いったい、過去の僕はどんな約束をしたのだろう。
答えが見つからない。だけど、いつか必ず思い出さないといけない。
そんな予感がした。




