第39話 僕は、少し酔っていた。
リビングルームに移動して、僕はソファへと座る。
酔いは醒めてきたが、頭と身体は重たく、お酒の影響下にあった。
「ご主人様、どうぞ水です」
フェリシアが、グラスを差し出してくれた。
「ありがと……」
冷たい水が、喉を通っていく。頭がいくらかすっきりした。
「お代わりはいかがですか?」
「ん、もう十分」
「かしこまりました」
フェリシアがグラスを下げる。その動作は、相変わらず無駄がなかった。
ランプの灯りが、彼女の銀髪を柔らかく照らしている。
「…………あのさ、一つ聞いてもいいかな?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。酒場での会話が、まだ胸の奥に挟まっているせいかもしれない。
「なんでしょうか?」
「君は何者なのかな?」
フェリシアの長い耳が、ぴくりと動いた。
「……ご主人様、酔っていらっしゃるのですか? それとも若年性痴呆ですか?」
「別にボケてない……けど、やっぱりまだ酔ってるかもね」
酔っているから、こんな話をしているのかもしれない。
普段なら、僕からは踏み込まない場所だ。
「ふむ、私は私ですが、何を持って私と証明するのか……とても難しい命題ですね」
はぐらかそうとしている?
「別に哲学的な質問をしているわけじゃなくてね」
「私は、エルフ族のメイドのフェリシアです……では、いけませんか?」
その声には、かすかな緊張が混じっていた。
いつものもっと余裕がある喋り方なのに。ふと、彼女の本当の年齢が気になった。もしかして、そんなに年上でもない?
「いけない、って訳じゃないんだけどさ。僕のこと知らないわけじゃないんでしょ?」
「ええ、ご主人様のことならホクロの数まで……」
「それは嘘だよね? いや、嘘だと言ってくれる!?」
「では、嘘ということで」
フェリシアが、いつもの調子で返してきた。だけど、そこにどこか余所余所しさが交じる。
「フェリシアは、微妙に僕の不安を煽る天才だね!」
「と、このくらいにはご主人様のことを知っていると自負します」
「じゃあ、僕が大量殺人者であることも知っているんだよね?」
フェリシアの笑みが、ぴたりと止まった。
「ええ、一昼夜で敵軍の兵士一万とんで八十八人を殺した"救森の魔術師"様」
フェリシアの声は、淡々としていた。
一万と八十八人というのは、七年前の戦争を題材としたとある劇中で謳われる文句。
本当の死者数は不明だ。五千よりは多くて、二万より少ないだろうと推測される程度。
「怖くないのか?」
「何が怖いのでしょうか?」
「僕は簡単に人を殺すことができるんだよ?」
自嘲してしまう。
だが、彼女は首を横に振った。
「ご主人様、嘘は私の担当ではありませんでしたか?」
「嘘……? 別に嘘なんか言ってない」
「殺せるのは本当でも、"簡単に"だなんて、そんな悲しい嘘をご主人様の口から聞きたくありません」
フェリシアの声が、どこか切なげに僕の耳の奥に響く。
何も言えなかった。
彼女は何を知っているのだろう。僕自身が知らないことも知っていてくれるだろうか。




