第38話 フェリシアさんが、起きて待っていた。
玄関の扉を開けると、フェリシアが立っていた。
いつものメイド服姿で、手には小さな燭台を持っている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あ、まだ起きてたんだ……先に休んでいてよかったのに」
いつもと比べて、だいぶ遅い帰宅だった。こんな時間まで待っていてくれたのか。
「『べ、別にご主人様のために起きていたんじゃないんだからねっ!』」
突然、フェリシアが奇妙なことを言い出した。
「うぇい?」
僕の口からも変な声が出た。
「『勘違いしないでよね。私はご主人様のことなんて、好きじゃないもんっ!』」
フェリシアは無表情のまま、芝居がかったセリフを続ける。
いつもの淡々とした声で、まったく感情がこもっていない。抑揚のない棒読みが、どこか異様な迫力を生み出していた。
「…………」
これは、いったい何が始まったのか。あれ、僕、なにかやっちゃいました?
「ふぅ、ご主人様も思わず魅入ってしまう迫真の演技だったようですね。イチコロですか?」
「……呆気に取られたんだよ!!」
魅入ってなんかいない。ただ困惑があっただけだった。
「ちっ、ガセネタを掴まされましたか」
舌打ちをした。うちのメイドの態度が悪い!
「というか、どんなネタだったんだか」
「ご主人様は『表面的につれない態度で迫ればイチコロだねぇ』と、演技指導も頂きました」
黒幕が誰か判明した。師匠だ。あの人は、いったいフェリシアに何を吹き込んだの?
「演技指導した人はわかったけど……フェリシアは何がやりたかったの?」
「ご主人様をイチコロにして手玉に取る悪女になるためのステップ1?」
疑問形なんだ。自分でもわかっていないのか。
「なんで疑問形なのかは置いといて、ステップ2は実践しないように!!」
「ええ、ステップ2の担当はミーナちゃんらしいので」
僕の顔から血の気が引いた。
「ミーナに何を仕込んだっ!?」
「ご主人様、私はご主人様の自制心を信じております」
澄ました声で言われた。
「え、なにそれ、自制心が必要なの!? あ、酔いが急に醒めてきた」
嫌な予感しかしない。というか、自制心が必要な状況って何だ。背筋に冷たいものが走る。
「ヒントは『お風呂場でドッキドキ大作戦』とだけ、具体的な内容については秘密です」
「いや、もう、なんか、グレーゾーンどころじゃなくない!?」
お風呂場。ドッキドキ。ミーナ。組み合わせが最悪すぎる。
「ええ、エッチなのはいけません」
「だったら止めようよ!!」
僕の叫びに、フェリシアは首を横に振った。
「私にヴェルナさんとミーナちゃんのタッグを止められるでしょうか? いや、無理です」
「反語法を使ってまで否定しなくても、いや、僕も無理っぽいなぁ」
師匠とミーナの組み合わせ。確かに、止められる気がしない。片方だけならなんとかなりそうだけど、ふたりが組んだときの爆発力みたいなものが想像つかない。
「でしょう?」
「なんか君がそんなに満足げな顔をしているのか、とっても問い詰めたい気分だよ」
フェリシアの口元が、ほんの少し緩んでいた。
無表情のくせに、どこか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
……たぶん、気のせいじゃない。燭台の炎が、彼女の横顔を揺らめかせている。




