第37話 ガルムは、決意していた。
ユキト様が酒場を出て行った後、祖母とオレだけがテーブルに残っていた。
結界はまだ維持されており、周囲の客たちは、ふたりの存在をいないものとして扱っている。
「えっと、師匠……すみませんけど、お先に失礼してもいいですか?」
「ふむ、アタシはちょいと孫と会話がしたいんで、先に帰ってくれるかい?」
ユキト様は小声で「健闘を祈る」と告げてきた。どこか冗談めかした言い方で。
オレも小声で「明日からは病欠でよろしくお願いします」と返したが、うまく言えただろうか。
去っていくユキト様に、それ以上の言葉はかけられなかった。
「さて、ありがたくご馳走に預からせてもらおうかねぇ」
ヴェルナが、ユキト様が置いていった金貨を手に取った。
「で、お祖母様、わざわざオレを残した理由ってのは?」
「アンタがユキトについて何を知ってて、どんな考えかを確認しとこうかと思ってねぇ」
祖母らしい単刀直入な物言いだった。
覚悟を決めて、彼女と向き合う。
「オレもお祖母様以上のことは知らないと思いますけど」
「アンタとユキトが出会ったのは、ユキトがアタシの弟子になった翌年だから……十二年も前かい」
十二年。長いようで、あっという間だった気もする。あの頃のオレは、まだ魔術の基礎すら満足に使えない子供だった。
「一応、ユキト様はオレの兄弟子ってことになりますね」
「そう言うなら、そうなるねぇ」
ヴェルナの目が、遠くを見ていた。過去を振り返っているのだろう。皺の刻まれた顔に、懐かしさと憂いが入り混じっている。
「七年前の『焦森戦争』では、ユキト様が小隊長、オレがその部下で……」
「ユキトが味方側には"救森の魔術師"、敵国にとっては"不死の魔人"と呼ばれる活躍を見せた」
救森の魔術師。その異名は、今でもユキト様の代名詞として知られている。
だが、その裏にある真実を知る者は少ない。あの戦場で何が起きたのか、ユキト様が何を背負ったのか。
「それだけだったら良かったんですが……」
「宮内で王子派と主権を争っていた王弟派には面白くない話だった」
「王子様と幼馴染で右腕と呼ばれるユキト様が"栄誉"と"権力"を手に入れてしまう可能性」
政治の世界は、戦場とは別の残酷さを持っている。剣や魔術では防げない刃が、そこにはある。
「そして、忌まわしい伯爵邸虐殺事件……生き残ったのはユキトと義理の妹だけ」
祖母の声が、低くなった。
あの事件のことは、今でもオレは口にすることすらできない。
「実行犯はユキト様によって殲滅されましたが……」
「主犯と思わしき貴族が次々と謎の死を遂げ、事実は闇の中に……」
そこでしばらく口を閉ざした。
カップの中で、酒が揺れている。テーブルの上のランプの炎が、小さく瞬いた。
「やったのはユキト様でしょうか?」
オレは、今まで聞くことをしなかった問いを祖母にぶつける。
「さてねぇ。アタシたち以外にも、そう考えた人は少なくはないだろうねぇ」
祖母は例えの話でも回答を避ける。
真実は、ひとりを除いて誰にもわからないだろう。
「あの時、オレはユキト様の力になれなかったこと、止められなかったことを悔やみます」
オレの拳が、テーブルの上で握りしめられた。
「しょうがないさ、ユキトが持つ膨大な魔力は、人が持つ能力としては異常過ぎる」
「だけど! ユキト様はオレらと同じ普通の人間です!!」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。結界があるから周囲には声は漏れないが、それは結果で、オレは思わず叫んでしまっていた。
「ああ、普通だからこそ、戦争で起こした自らの大量殺人について、心を痛めていたねぇ」
彼女はどこか悲しげだった。
弟子の苦しみを、ずっと見守ってきたのだろう。魔術師として、ユキト様と近い存在として、誰よりもふさわしい彼の導き手として。
「…………少なくともオレはユキト様について行きます」
オレは改めて揺るがないことを決意する。
「やれやれ、アタシもしばらくは寿命を迎えるわけにもいかないようだねぇ」
お祖母様が、肩の力を抜いた。難しい話はここまで、ということだろう。
オレたちは無言でカップを掲げ、残った酒を飲み干した。




