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第36話 僕は、心配されていた。

 王都の夜が深まってくる。

 大通りから一本入った路地にある酒場で、僕は師匠とガルムとまだテーブルを囲んでいた。

 日が完全に落ち、夜が深まるとともに店内はよりにぎやかになる。酔った客の大きな話し声と、負けず劣らず声で店員が注文を厨房に伝える。


「さてと……ステージ オン フェイク サウンド……《虚像世界(スモールワールド)》」


 師匠が短く詠唱(えいしょう)を終えると、僕たちの周囲の光景が、かすかに揺らいだ。

 薄暗い店内では見分けにくい光の膜が、テーブルを包み込むように広がっていく。


「これは《結界作成(リミテッドエリア)》系の魔術ですか?」


 ガルムが興味深そうに周囲を見回す。


「うん、このテーブルに座っている僕たち以外には、僕たちの姿が認識できなくなっているはず」


 僕が補足すると、師匠が肩をすくめた。


「あ、しまった。アンタたちに任せればよかったねぇ。無駄に疲れなくてすんだ」

「いやいや、オレは、そんな高等魔術は使えませんから」


 ガルムが慌てて首を横に振る。


「そうなのかい? 情けない。アタシの孫ならこのくらい代用詠唱(ボディラング)で使いな」


 師匠の言葉に、ガルムが苦い顔をした。

 代用詠唱。言葉の代わりに、身振り手振りで魔術を発動させる高等技術だ。僕でも使いこなせているとは言えない技だ。師匠は当たり前のように言うが、それができる魔術師は大陸でも両手で数えるほどしかいないはずだ。

 魔術の威力だけなら、僕も師匠に負けるつもりはないが、そういった技術についてはまだまだ経験が足りないことを自覚している。


「それ、むちゃくちゃ面倒で疲れるんですが。で、結界を張ったということは内緒の話ですか?」

「そうだねぇ。正直に答えてくれると嬉しいんだけどねぇ」


 師匠が老いてなお衰えぬ、歴戦の魔術師としての顔つきになる。


「何をですか?」

「アタシの力は必要かい?」


 その問いかけに、僕は一瞬迷って、質問に質問で返した


「…………何のために?」

「遅くても半年、早ければ来月には、戦争が始まるんだろ?」

「なっ! 何を言ってるんですかお祖母様!!」


 ガルムが声を上げる。

 その反応を見て、僕は深いため息をついた。否定でも肯定でもない、その焦り方が答えになってしまっている。


「はぁ……ガルム、語るに落ちてる」

「もうちょっと部下には心理戦の基礎を教え込んでおくんだねぇ」


 師匠が呆れたように肩を撫で下ろす。ガルムの表情がまた変わる。自分の失敗に気づいたのだろう。


「というか、勘弁してください師匠……どこに自分の弟子と孫に心理戦を仕掛ける人がいるって言うんですか」

「何事も経験じゃないかい」


 修行時代もよく言われたな。本当に色々なことをさせられた、おかげで度胸はついたと思うけど。師匠は、ほんとにもう。


「まぁ、いいです。師匠もある程度の情報は、すでに掴んでいるんでしょう?」

「そうだねぇ。こう見えても西の情勢には気を配っていたからねぇ」


 師匠が、手にしたカップを口元に運ぶ。シワが目立つようになった細い首をグビリと鳴らし、美味しそうに飲む。


「こっちは、武具と兵糧、それと傭兵の流れを追っていましたが、ほぼ確定ですね」

「七年前の戦争で消えずに(くすぶ)っていた火種がまた煙を上げだしたって所かねぇ」


 七年前。あの戦争の傷跡は、まだ癒えていない。王国の表面上は平和に見えても、その下では数多(あまた)の感情が渦巻いている。国境付近の村々では、今でも当時の恨みを語る老人たちがいる。


「付き合うほうは溜まったものじゃありませんけど……」

「アンタは、また"心"を削って削って削り減らすつもりかい?」


 師匠の声が、低く響いた。

 その問いかけには、心配の色がにじんでいる。弟子の行く末を案じる老婆の姿が、そこにあった。


「削るも何も、(うしな)った物は減らしようがありませんから」


 僕は、ただ事実を答える。

 ガルムがなにか言いたげに口を開きかけたが、言葉が出てこないようだった。彼の唇が強く噛み締められている。彼にも心配かけちゃったか。


「はぁ、やれやれ……難儀だねぇ」


 師匠が、肩を落とした。

 結界の外では、王都の住人たちの笑い声が続いている。僕たちの会話など知る由もなく、彼らは今宵の酒を楽しんでいる。

 その無邪気さが、どこか羨ましかった。

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