第14話 問題はないけど、書類が溜まっていた。
「久しぶり、ふたりとも。僕の留守中に問題なかった?」
王宮の執務室に入って席につき、僕は部下たちに声をかけた。
十日ぶりの執務室だ。窓から差し込む午後の光が、見慣れた樫の机を照らしている。机の上には、予想通り書類の山が築かれていた。
見なかったことにできないかな。無理だな。
「はい、何ら問題はありません!」
リラが背筋を伸ばして答える。いつもと変わらぬ生真面目さだ。優秀な副官で助かるよ、ほんと。
「オレの方も、急ぎ報告するようなことないです」
ガルムものんびりと応じた。椅子に深く腰掛けたまま、こちらに軽く手を挙げる。変わらない様子で安心した。
「あ、ただ、目を通していただきたい書類が結構溜まっています」
リラがそう言いながら、机の上の書類の山を示した。やはり見なかったことにはできなかった。
それは「結構」という言葉では済まない量に見える。塔だ。書類の塔。
「これ……全部……?」
僕は声を上げた。机の上だけでなく、よく見れば机の横の床にも書類が積まれている。十日でここまで溜まるものなのか。
「これでもできるだけ減らそうとはしたんですが……その……」
リラが申し訳なさそうに俯いた。まとめた髪が、肩口で揺れる。
「文官の連中が堅物でして、『この書類には、師団長の署名が必要です。ない場合は受け取れません』と」
ガルムが両手を広げながら説明する。その声には、あきらめに似た響きがあった。
「役人根性の石頭揃いだからなぁ……」
僕はため息をついた。融通が利かないのは、この国の役人の悪い癖だ。いや、全国のお役人共通かもしれない。規則は規則。例外は認めない。そういう姿勢は嫌いではないが、時と場合による。
「申し訳ありません……」
リラが深く頭を下げる。焦げ茶色の髪が、顔の横に垂れた。
「あ、いやいや、そんな硬くならないで。……そもそも、君が謝ることじゃないから」
僕は慌てて手を振った。リラは真面目すぎるところがある。本人は悪くないことでも自分の責任だと思い込んでしまう。まさに今のように。
「そうそう。まったく、カタイのは街壁とアレくらいで十分だってのに」
ガルムが軽口を叩いた。何か余計な言葉が混じっている気がしたが、聞かなかったことにしよう。
「何か言いました?」
僕は無視したけど、彼女は許してくれなかったようだ。
リラがキッとガルムを睨みつける。その目には、明らかな怒気をはらんでいた。軍服姿をしているので、なかなかの迫力がある。
「え~と~……あっ、ユキト様。その手に抱えてるブツは?」
ガルムが慌てて話題を変えた。賢明な判断だ。生き延びるための本能というやつだろう。
僕は、手に持っていた包みを掲げてみせる。布の隙間から、ワイン瓶の首がのぞいていた。
「これ? 頼まれてた土産物。向こうでご馳走になってね、美味しかったから土産にしてみた。はい」
「お、西部の高級葡萄酒じゃないですか! ありがとうございます!」
ガルムが嬉しそうに受け取る。瓶を持ち上げ、宝物でも眺めるように光にかざしていた。紅玉色の液体が、きらきらと輝く。
「え? あ、あの、私にもですか!?」
僕はもう一本の葡萄酒を、リラに手渡した。
リラが驚いた声を出す。先ほどまでの怒りっぷりはどこへやら、目を丸くしている。
「うん。片方だけってのも悪いしね。ふたりにはいつも頑張ってもらってるから、そのお礼」
「ありがとうございます! 今日の記念に一生大事にします!」
リラは両手で葡萄酒を抱きしめた。その瞳が、キラキラと輝いている。頬もほんのり赤い。そこまで喜んでもらえると、買ってきた甲斐があるというものだ。
「その葡萄酒は、今が飲み頃だから、早めに飲んだ方が美味しいと思うけど……」
「じゃあ、早めに大事にして飲みます!」
リラが力強く宣言する。その言葉は、どこか矛盾している気がしたが、まあいいか。お土産を喜んでくれているようだし、それだけでいい。
ガルムが、何とも言えない表情でリラを見ていた。口元が微妙に引きつっていない?
「まぁ、喜んでくれて嬉しいよ」
「またお願いしまーす」
ガルムがのんきな声で言った。
「はいはい。ところで、これから王子様のとこに今回の報告に行くけど?」
僕は話題を切り替えた。出張の報告は、早めに済ませておきたい。大量の書類を片付ける前に、上への報告が先だ。
「あ、じゃあ、オレも一緒に行きます。先に頼まれていた件と合わせて報告したいんで」
「そうだね。向こうで一緒に聞いた方が早いか、そうしよう」
「いってらっしゃいませ」
僕たちは執務室を出て、王子の執務室へと向かった。
廊下を歩きながら振り返ると、リラが葡萄酒の瓶を大事そうに抱えたまま、僕たちを見送ってくれていた。その表情は、とても幸せそうだった。




