第11話 その頃、僕は活躍していた。
王国西部。『草原と平穏の国』の西端は、豊かな農地となだらかな丘に広がる葡萄畑に恵まれた地域だ。
その地域の有力者の一人に名を連ねるバロイス侯爵家の屋敷で、僕は葡萄酒を楽しんでいた。
豪華な調度品に囲まれた客間。暖炉の火が、部屋全体を温かく照らしている。壁に大きな風景画が飾られ、床には希少な絨毯が敷かれていた。高価そうなものばかりだ。
僕の向かいには、この領地を治めるバロイス侯が座っている。恰幅の良い中年の男で、額には脂汗が浮かんでいた。
「ほうほう、この葡萄酒は美味しいですね」
僕はグラスを傾けながら言った。果実の香りが強いが、口当たりは滑らかだ。
「そ、そうでしょう。領内でも特に厳選された葡萄酒ですからね」
相手は愛想笑いを浮かべながら答える。その笑顔は、どこかぎこちない。
「ところで、もう一杯頂いてもいいです?」
「どうぞどうぞ!」
彼は勢いよくうなずいた。従者に合図を送ろうとする。
「グラスに注がなくても結構。そうですね、そちらのグラスのをもらえません?」
僕はバロイス侯の手元にあるグラスを指差した。
「は、いや、こちらはワタシの飲み掛けで??」
彼の顔が引きつる。脂汗が、さらに増えたように見えた。
「いえ、なに…………僕は混じり物がない方が良いので、特に"毒味"はあまり好きじゃないですし」
僕は穏やかに言った。まるで天気の話でもするかのように。
「なっ!?」
あからさまに焦ったバロイス侯の顔色が変わった。青ざめている。
「入っていたのは、黒鈴蘭の根あたりが妥当かな。お手軽で無味無臭の神経毒」
僕は淡々と続ける。黒鈴蘭は、実はこの地方では珍しくない植物だ。けれど、根に含まれる毒素は、少量でも人に死をもたらす。
「な、何を仰ってるのでしょう?」
笑顔を取り繕おうとするが、額の汗が止まらない。
「そんなに緊張してちゃ、奇襲は成功しませんね。大方、僕のグラスにだけ塗っていたんでしょう?」
「……ですから、ユキト殿は一体何を?」
頑張るなー。まだ白を切ろうとしている。しかし、声が震えているぞ。
「結論から言えば、僕に普通の毒は効きません。魔術によって中和できますから。いつまで待っても無駄ですよ」
僕は立ち上がりながら言った。グラスをテーブルに置く。紅玉色の液体が、わずかに揺れた。
「魔術!? 詠唱はいつの間に!?」
バロイス侯が叫ぶ。その声には、怯えの感情が混じっていた。
「さぁ、僕がその質問に答える必要はあります?」
僕は肩をすくめることで、その質問に答えた。
無詠唱での魔術行使。僕はそれができる。それこそ、ただの植物毒の中和程度であれば、詠唱なしでも問題なくできる。
「ぐっ……」
バロイス侯は言葉に詰まり、椅子の肘掛けを、強く握りしめている。
「今回の筋書きとしては、『監査担当の者は、領地に入る直前に不幸にも盗賊の餌食になった』とか?」
僕の言葉に、沈黙を返してくる。図星だったようだ。
実際、この領地に入ってから、何度か不審な人影に襲われかけた。あれは盗賊に扮した刺客でもあったのだろう。
「罪状については、とりあえず、殺人未遂で良しと。後は余罪で何回分の極刑になるやら」
バロイス侯は依然として黙ったままだ。その目には、絶望の色が浮かんでいる。
「大人しくなったな? 大体こういうときは命乞いをされるか…………っと」
空気を切る音がした。
僕は首を傾けて、飛来した短剣をかわす。短剣は背後の壁にぶつかって、乾いた音を立てた。
「くそっ…………」
舌打ちする。その手には、もう一本の短剣が握られていた。
「実力行使に出てこられると。まぁ、こっちの方が手っ取り早いけど」
僕は軽くため息をつく。話し合いで解決できれば、それに越したことはなかったのだが。
「いまだ、かかれっ!!」
バロイス侯が叫んだ。しかし、何も起こらない。
「…………どうした、早く出て来い!!」
バロイス侯が再び叫ぶ。壁の向こうや、天井裏に潜んでいたはずの兵士たちに向けて。
しかし、返事はない。
「まったく、どいつもこいつも典型的な悪役の言動すぎて、少し飽きてくるな」
僕は呆れたように言い放つ。
「何が起こってるっ!?」
彼の声が裏返る。
「僕がすでに制圧しているからだよ。ああ、そうだ…………命乞いや実力行使はあったけど、僕を抱き込もうとする人はいなかったっけ。試してみます?」
僕はにっこりと笑った。
相手の顔から、完全に血の気が引いていく。
外では、事前に打ち合わせていた王国軍の兵士たちが屋敷を包囲している頃だろう。
今回の任務は、これで終わりだ。はぁ、やっと家に帰れる。




