第10話 扉を開けたら、王子様がいた。
五日目。
もうなのか、まだなのか。フェリシアは、ふとそんなことを考えていた。
ご主人様が王都から出かけて、五日が経った。早くても十日ということは、それ以上かかる可能性もある。
この家に来て、ここまで長くひとりになるのは、初めてだった。
屋敷の掃除も、洗濯も、いつも通りにこなしている。しかし、食事を作る相手がいないと、どうにも張り合いがない。
ひとり分の料理を作るのは、なんだか気が乗らず、ついつい屋台で買ってきた料理でお腹を膨らませていた。
コンコンコン。
玄関で、ノッカーが叩かれる音が響いた。
お客様が来たのだろうか。この屋敷に来て、初めてのお客様だ。普段は本当に誰も来ない。
それなのにご主人様のいないときに、ご主人様のタイミングが悪いのか、お客様の運が悪いのか。
フェリシアは、手にしていた箒を壁に立てかけて、玄関へ向かった。
扉を開ける。
「…………」
そこに立っていたのは、金髪の青年だった。
高価そうな衣服に、自信に満ちた笑顔。一目で上位者だとわかる風格がある。
フェリシアは、無言で扉を閉めた。
コンコンコンコンコンコン!!
今度は激しくノッカーが叩かれる音。
フェリシアは、もう一度扉を開けた。
「この家のメイドはどういう教育を受けているのかな? 普通、お客を無言で締め出す?」
言葉こそ苦言をていしているが、その表情には、怒りよりも面白がっているような色が浮かんでいる。
「夢か幻か妖精さんのイタズラなら良かったのに」
「はっはっは、相変わらずだね」
ほがらかに笑う。この程度のことでは、まったく動じないらしい。
「ええ、王子様も相変わらずのようで。では、お帰りください」
「ちょっ、待って!! なんで、そう人を締め出そうとするかな!」
王子様……レオン=ハルト・ロズウェル第一王子は、慌てて扉に手をかけた。
「誠に残念ながら、ご主人様は不在のため、怪しげな人間を屋敷に入れることはできません」
「怪しくないでしょ!? ボクほど身元のはっきりしている人間はいないでしょ!」
確かに、王位継承第一位の王子ほど身元がはっきりしている人物は、この国にはそうそういない。
しかし、フェリシアは首を横に振った。
「とりあえず、十割中十二割くらい怪しいです。もう、体からあふれんばかりに」
「まさかの全部以上否定!?」
レオンは大げさに驚いてみせる。その仕草は芝居がかっているが、どこか憎めない。
「まったく、無言で締め出すなというから、一言付けて締め出そうとしたのに、ワガママな」
「え、何かボクが悪い流れになってない!?」
レオンは困ったように頭をかいた。金髪がさらりと揺れる。
「ご主人様が不在なことは、ご承知でしょう? 何をしにいらしたのですか?」
フェリシアが単刀直入に訊く。
ユキト様が留守なのは、王子様が一番よく知っているはずだ。なにしろ、今回の出張を命じたのは王子様本人なのだから。
「いやー、ユキトがいなくてキミが寂しがっているんじゃないかなと」
「寂しがっている女性ならば、王宮にもいらっしゃるのでは? あまり奥様を放置するものじゃないですよ?」
フェリシアは淡々と返す。
王子様が結婚していることは、周知の事実だ。愛人の噂も絶えない男だが、きちんと正妻がいるのだ。
「そんな健気な子じゃないけどねぇ。それにキミとボクとの関係じゃないか」
「別に、私と王子様の間に特殊な関係があるとは記憶していませんが」
フェリシアは首をかしげる。普段の無表情はどこにやったのか、今はとてもわかりやすく、心底不思議そうな顔をしている。
「そこまでいくと、いっそ清々しいね!」
そう言って、レオンは笑う。爽やかな笑顔だが、その目の奥には何か別の光が宿っていた。
「その点については、ご主人様にも高く評価されておりますので」
「一応関係あると思うんだけど……」
レオンは、少し真剣な表情になった。
風が吹き、庭の木々がざわめく。どこかで鳥が鳴いた。
「…………ねぇ、婚約者殿?」
その言葉に、フェリシアの表情がわずかに動いた。
ほんの一瞬だけ。しかし、確かに動いた。
レオンは、それを見逃さなかった。
午後の日差しを雲が遮ったのか、ふたりの間に長い影を落とす。
玄関先での攻防は、まだ終わることはなさそうだった。




