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第1話 家に帰ったら、メイドさんがいた。

 僕が住んでいる屋敷は『草原と平穏の国』の王都郊外にある。

 まあ、屋敷と言えるギリギリの大きさで、高位貴族の住宅だと言われても、誰も信じないだろう。

 僕の爵位は伯爵になるのだが、高位貴族と言っても一代限りの名誉伯。国が褒美(ほうび)を出し渋ったときに渡してくる、それだ。

 住宅が屋敷と言えるギリギリなら、爵位も高位貴族と言えるギリギリなのだから、ぴったりなのかもしれない。

 夕暮れの光が窓から差し込み、使い込まれた木の床に長い影を落としている。

 仕事を終えて帰ってきた僕を待っていたのは、いつもの静かな屋敷のはずだった。玄関を開けた瞬間、かすかに花の香りがした。それは、今までになかった匂いだった。


 そして、今、屋敷のリビングルームを静かな緊張感が支配している。

 僕とエルフの女性が、互いに見つめ合ったまま動かない。

 彼女は長い耳をぴんと立てて、まるで彫像のように整った表情でこちらを見ている。銀色がかった長い髪が、夕日を受けてかすかに輝いていた。肌は透けるように白く、人間とは明らかに異なる美しさがある。

 僕の方はといえば、状況が飲み込めずに固まっていた。

 ここは僕の家だ。間違いない。鍵を開けて入ってきたのも僕だ。なのに、なぜ見知らぬエルフがリビングルームでソファに座っているのか。しかも、メイド服を着ている。

 白と黒を基調とした、どこかの名家に仕えていてもおかしくないような本格的なメイド服。エプロンには細かなレースの刺繍が施されており、一目で高級品とわかる。

 彼女が座っていたソファは、僕がこの家でひとり暮らしを始めたときに、中古で買ったふたり掛けのものだ。テーブルを挟んで、向かい合わせにふたつ設置してある。

 もとは立派な革張りだったのだろうが、あちこちに擦れた跡があり、手頃な値段で買うことができた。そんなソファにメイドさんが座っていた。

 彼女は、ソファから立ち上がり背筋を伸ばして、帰ってきた僕をこう言って出迎えたのだ。


「おかえりなさいませ。ご主人様。お初にお目にかかります。メイドのフェリシアと申します」

「えっと……もう一度、言ってくれる?」


 我ながら間の抜けた質問だと思ったが、思わずそう言っていた。

 頭の中では、不法侵入とか、それとも何かの手違いとか、様々な可能性がぐるぐると浮かんでくる。

 彼女は小さく咳払いをすると、ソファから立ち上がり背筋を伸ばして言った。

 その動作は流れるように滑らかで、長年の訓練を感じさせる。立ち上がると、思っていたより背が高いことに気づいた。僕より少し低いくらいだろうか。


「では、こほん……おかえりなさいませ。ご主人様。お初にお目にかかります。メイドのフェリシアと申します」


 彼女は小さく咳払いをし、再度繰り返された返事は、丁寧な口調だが、どこか抑揚に欠けていた。感情が読み取りにくい声だ。まるで朗読をしているかのような、淡々とした響き。

 フェリシア。確かエルフ独自の古い言葉で、『長ミミ』を意味する言葉だったはず。エルフにとって、一般的な名前なのだろうか? とりとめもない雑学が脳裏をよぎる。


「えっと、ご主人様? 誰が?」

「ユー」

「ミー?」


 フェリシアは、ためらうことなく僕を指差す。

 その指先は細く、白く、まるで磁器のようだ。爪は短く整えられており、メイドにふさわしい手つきだった。

 思わず僕も自分を指差し返してしまう。


「イエス」


 彼女はこくりとうなずいた。その動作は、どこか人形のような雰囲気すらある。


「なんで、古代帝国語?」

「ご主人様は、少々共用語が不自由なのかと思いまして」

「いや、古代帝国語よりは得意だけど……」

「冗談です」


 即答である。表情は変わらない。

 本当に冗談なのか、それとも本気で思っていたのか、語調からは区別がつかなかった。

 エルフは人間より長生きなのだから、その長い時間の中で、彼女はどんなジョークセンスを身につけてきたのだろうか。

 もっともフェリシアは見た目こそ、僕と同い年か年下くらいに見えるが……


「そう……えと、共用語お上手ですね」


 とりあえず無難なほめ言葉を返した。


「恐れ入ります」


 軽く頭を下げるフェリシア。

 やはりその動作は人形めいて洗練されている。頭を下げる角度、手の位置、何度繰り返しても同じ様になる訓練された、それ。

 彼女の長いスカートの!(すそ)がかすかに揺れ、また静止する。たぶん、以前はどこかの貴族家に仕えていたのだろう。彼女の仕草には、そうと感じさせるものがあった。


「…………なんで、僕の家にいるの?」

「メイドですから」

「僕は、フェリシアさんを雇った覚えはないんだけど」

「がーん、ひどい、あのときの言葉は嘘だったのですね」

「えええっ!?」


 棒読みだった。

 感情の起伏がまったく感じられない「がーん」という言葉に、僕は思わず戸惑う。ショックを受けているようには、とても見えないが。


「私を抱きしめながら、『一緒に来る? 僕が面倒を見てあげるよ』と優しい言葉をかけていただいたのに」

「え、それは誰!?」


 僕が、フェリシアにそんなことをした記憶は一切ない。というか、フェリシアだけでなく、過去にエルフの女性を抱きしめた記憶すらない。


「お酒とは怖いものですね……」

「いや、僕そんなに酔わないのに!? 嘘っ!」

「嘘です」


 また即答された。その顔には少しの罪悪感も見えない。


「なんで嘘をつくの!? だます必要がどこにっ!?」

「ふふふ……」

「いや、そんな無感動に笑われても、どうしていいかわからないし!!」


 フェリシアは口元に手を当てて笑った。

 いや、笑ったというより、笑う仕草をしたという方が正確かもしれない。表情筋がほとんど動いていないし、目が笑っていない。

 僕は頭を抱えたくなる。会話が成立しているようで、まったく新しい情報が出てきていない。このまま問答を続けても、堂々巡りになるだけだろう。


「私の真の雇い主であるアイネ様のご指示です」

「あーあー、納得。アイネに派遣されてきたのね」


 真の雇い主とか、謎の言葉が出てきたがスルーする。

 僕はソファに崩れ落ちるようにして座り込む。革張りのソファが、ぎしりと音を立てた。なんだ、そういうことか。最初から教えてくれても良かったのに。

 アイネ。僕の妹だ。

 美しくて賢くて、王国でも名の知れた才女である。社交界では誰もが彼女の美貌と知性をほめたたえる。

 僕からすれば、何故か兄である僕をからかうことが大好きな困った妹なのだが。幼い頃から、僕はどれだけ彼女のイタズラに振り回されてきたことか。


「末永くよろしく弄ばせて頂きます、ご主人様」


 フェリシアは深々と一礼した。

 その動作があまりにも流れるように美しくて、僕は思わず返事をしようとして……もてあそぶ?


「ああ、こちらこそよろしく……できるかぁ!!!」


 最後の抵抗として叫んでみたが、フェリシアの表情は微動だにしてくれなかった。

 夕暮れの赤い光が少しずつ薄れていき、夜になろうとしていた。窓の外では、鳥たちが山の寝床に戻る準備を始めていた。僕の平穏なひとり暮らし生活が終わってしまったような確信めいた予感がした。



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