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第八話「真夜中の遭遇(前編)」

 魔獣騒動から三日。

 授業は翌日には再開されたが、学院には未だ各所から人が出入りし、調査が続けられている。


「事件発生時、結界に損傷は見られなかったそうだ」

「それじゃあ、魔獣は最初から中にいたということか?」

「ああ。魔獣の痕跡を辿った先にあったのは何だと思う? 家畜小屋だ」

「……“また”なのか」

「……みたいだな。アレは夜族の血を使って魔獣化させられた、無害な家畜だ」


 深夜、学院礼拝堂の奥。神官らしき二人の男が話す内容に、リリアナは天井裏で耳をそばだてていた。


 魔力を持たない獣を、魔獣に変える方法。それはリリアナも聞いたことがあった。太陽神の加護を受け、魔に抗う陽力を持つのは陽族のみ。それ以外の魔力を持たない生物は、新鮮な夜族の血を用いることで魔獣化させることができる。魔力に適応できない体は、そう長くは持たないが。


「夜族が簡単に結界内へ潜り込めるとは思えない。となると、内部の犯行か?」

「夜族の血を持っていたんだ。夜族と繋がっているとしか思えないな」

「……まさか、殿下のあの噂は、」

「おい。軽々しく口にすることではないぞ」

「あ、ああ、そうだな」

「だが、疑心暗鬼になる気持ちは分かる。最近は不可解なことが多いからな」

「誰かが何かを企んでいると言う事か」

「……敵は、夜族とも陽族とも、限らないな」


 二人が場所を移動する。リリアナは彼らの気配が遠ざかるのを待ってから、静かに寮へと戻った。




 *




(一体、何が起きている?)

 リリアナはなまり始めた体を鍛えるため、壁に足をかけて逆立ちの体勢で肘を折り曲げしながら、情報を整理する。


 先程の二人の言うことが正しければ、今回の事件は学院内で夜族の血を持つ者が故意に起こしたもの。後ろ暗いところしかないリリアナからすれば、最悪の事態だ。もしかしたら自分が犯人なのではないか? と妄想を始めてしまうくらい、自分が怪しい。もし生徒達に調査の手が伸びれば、正体を隠しきれる確証はなかった。


 ソルヴィアの神殿には、魔力を検知する聖具があると聞いている。それに、そんなに本格的な調査が無かったとしても、あの日魔獣に負わせられた怪我を見られれば、すぐに気付かれてしまうだろう。夜族は怪我の治癒が早い。リリアナの背中に付けられた傷は完全に塞がり、もう薄っすらと痕を残すだけになっているのだから。


 何故、陽族の少女なんて助けてしまったのか。

 リリアナにはあの日の自分の行動が理解できないままだ。


(それにしても、奴らが“また”と言っていたことが気になる。今回みたいなことが他でも起きていたのだとすれば、一体誰の仕業だ? 夜王に与する者なら、わたしの任務の妨げになるようなことはしない筈だ)


 つまり、事件の犯人はリリアナにとって味方ではない。

 リリアナはこの件についてもう少し調べておくべきかと思ったが……今は下手に動くべきではない、と諦めた。できるだけ大人しくして目立たないことが賢い選択である。


(まあアルクに関わっている以上、悪目立ちは避けられない……か)


 目を閉じると、あの騒動に颯爽と駆け付けた男の顔が思い浮かぶ。彼は思ったより、愛しい後輩の怪我に動揺していなかった。いや、常とは違う表情は浮かべていたが、それが何か、リリアナには分かりかねた。


 ……アルクといえば。

 リリアナには先程の男達の会話の中で、もう一つ引っかかっていることがある。



 ――『……まさか、殿下のあの噂は、』


 あの言葉の意味するところは何だったのか。殿下がアルクを指しているとは限らないが、その呼称に相応しい学院内の人物は二人だけである。


(まさかアルクが疑われている? 清廉潔白を形にしたみたいなあの王子が?)

 とても考えられないが、自分にはまだ知らない彼の側面があるのかもしれない。


 リリアナは壁から足を下ろし、ふうと一息つく。水を飲もうとベッド横のサイドテーブルに近付くと、そこに置かれた一枚のカードが目に入った。リリアナはそっと、紙面に綴られた美しい文字を指先でなぞる。


『痛みが少しでも和らぐように祈っている。早く君の元気な笑顔を見せてくれ』


 それは、アルクからの見舞いのメッセージカードだ。瑞々しい果物の盛り籠と共に、寮の使用人によって運ばれてきた。

 しかしこの三日、彼自身は一度も顔を見せていない。


 アルクが事件の参考人として王城に呼び出されている、ということはリリアナも知ってはいるが、どうにも納得がいかなかった。


(いくら忙しいからと言って、出発前に一言くらいかける時間は無かったのだろうか? あんなにも“リリアナ・ローレンス”を大切にしていた彼が、怪我の様子も見に来ないなんて……)


 リリアナはカードを睨む。決して不満なのではない。不安なのだ。最後に見た彼の表情が引っかかっているし、離れている間に、魔眼の効果が切れてしまう可能性もある。


 今すぐアルクの心を確かめたい。

 あの夜と朝の間みたいな、濃い青の瞳に、自分がどう映っているのかを。



 ――ポツ、ポツ、と窓ガラスを叩く音がした。雨だ。

 それはあっという間に勢いを増し、ザアザア、ゴウゴウと豪雨になっていく。リリアナは『今晩は嵐になるから外出はしないように』という教師の忠告を思い出した。


 カーテンを開けると、外の木がひしゃげている。雨と風の音に混じり、何かがどこかにぶつかる音も聞こえる。


(……花は、大丈夫だろうか)

 荒れ狂う外の様子に、リリアナは花園のことが気になった。屋根のない花園は、この嵐に耐えられるのだろうか。


 母のぬくもりの宿るあの花達が、真っ暗な夜に風雨に曝されていると思うと――リリアナはいてもたってもいられず、部屋を飛び出していた。


(これはわたしの愚行ではない。心優しきリリアナとして、正しい行動だ)

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