第三十六話「はじめまして」
「――これが、私の真実だ」
アルクは自らの秘密をシレネに打ち明けた。母のこと、王子となったいきさつ、自らに流れる血、黎明の鷹の目的……アルクの話は事実のみを端的に伝えるもので、彼自身の心情は語られなかった。しかし話の途中に生まれる空白や、どこを見るでもなく彷徨う彼の視線は、その心の内を充分に物語っている。
「今の話は……本当ですか?」
シレネを一番驚愕させたのは、彼もまた夜族と陽族の混血であったということ。だが彼のその瞳が魔眼であるなら、様子がおかしかった牢番にも説明がつく。
「では、アルク様は最初から、わたしの正体に気付いていたってことですか? それで騙されたふりを? ……さぞ愉快だったでしょう。特に直近は迫真の演技でしたね」
騙されていたのは、彼ではなく自分の方だった。明かされた真実にシレネは苦い顔をする。
自分がこれまで彼にしてきた薄ら寒い言動を、彼はどんな思いで見ていたのか。嘲笑っていたのか、見下していたのか、冷静に観察していたのか――シレネは自分のことを棚に上げて、悪趣味だと思った。アルクは想定外のシレネの反応に視線を泳がせる。
「いや、先日は本当に……」
「なんですか?」
「私のことはもういい。次は君が話す番だ」
「わたしが持ち得る情報は全て手紙に認めました」
「いいや。この手紙には重要なことが何一つ書かれていない。君自身のことが、何も」
シレネは唇を噛む。アルクが先に話した以上、自分も話さなくてはならない気がした。それに、本音を言えば全てを打ち明けたい。知ってほしい。だが、何から話していいか分からない。
いつまでも口を開かないシレネを、それまで息を潜めていたサイラスが促した。
「隠さなくてもいいのですよ。あなたの生まれ、命の盟約に縛られていること、王族に近付いた理由は既に分かっていますから」
サイラスの言葉にアルクも頷く。アルクはシレネが眠っている間に、サイラスから既にその話を聞いていた。
「何故、それを……」
「あなたの“先生”と名乗る男が、頼んでもいないのに親切に教えてくれましてね。あなたは優しい子だから、目をかけてやって欲しいと」
「先生が? いつ? どこで?」
シレネは食い気味にサイラスに問う。急速に生気を取り戻した彼女にアルクは一瞬呆けた後、すぐに不機嫌そうに眉を顰めた。
「ドゥラザークの和平軍との会談で、ですよ」
(先生が和平軍に? ……思えばあの人から、戦争に肯定的な意見は聞かなかった。陽族に好意的だったし、あり得ない話ではないか)
「あなたのことを、随分心配しているようでした」
「……そうですか」
シレネの脳裏に、何を考えているか分からないヘラヘラ顔が浮かぶ。母の真相を知った時、彼もまた自分を騙し利用していたのだと失望したが、気にかけてくれていたということに胸が温かくなった。重ねてきた時間は、全てが嘘ではなかったのだろう。
自然に上がる口角。ここにはいない誰かを思うシレネに、アルクは咳ばらいをした。
「私は他の誰からでもなく、君の口から真実が聞きたい」
「……分かりました」
シレネは覚悟を決める。瞳を閉じ、深く呼吸をして、心を落ち着かせた。
そして、静かに紡ぐ。
自らの出自。ドゥラザークでのこと。課せられた任務。アビスとの諍いで知ってしまった、母の死についても。
シレネの過去はアルクの傷口を抉るものだったが、共感は不思議と彼の痛みを和らげた。
「母の死を自覚して、わたしを縛っていた命の盟約は消えました」
「成程。だから今のあなたには、呪印が無かったのですね」
シレネの傷の手当てをしたサイラスは、彼女の胸元にあった禍々しい印が消えていることに気付いていた。
また勝手に脱がせたのか、とアルクはサイラスを軽く睨む。シレネは一切動じずに、ただ「呪印のことを知っているなんて、博識ですね」と感心した。
「わたしが夜王に従い続ける理由は、なくなりました。だから任務を放棄したんです」
「……今の話だと、君の盟約が解かれたのは冬の祝祭の直後だ。だが、君はすぐには去らなかった」
「そうですね。夜王は裏切り者を許しませんから、逆らうことには躊躇いがありました」
「しかし、最終的に君は裏切った」
「自由になることを選んだまでです」
「にも関わらず、自由よりもセシルを優先した」
『……しつこいな』
シレネは思わず夜族語でぼやく。
だが、しかし、にも。
アルクが何を引き出したいのかは分かっていた。彼自身はそこを丸っと省いていたくせに、卑怯である。
「そんなの、わたしが愚かだからですよ。感情に支配され、非合理的な選択をするようになってしまった。あなたの……あなた方の所為で」
可愛げのない台詞であることを、シレネは自覚していた。が、アルクはここにきて初めて優しい笑みを見せる。いつも学院で見せていた爽やかな王子の顔ではない、不器用な笑みを。
「どうしてそんなに優しい顔をするんですか? わたしのことが憎くないのですか? ずっと騙そうとしていて……昨日まで割と本気で、アルク様を連れ去る気だったのに」
「それは堂々と言うことなのか?」
「……あなたは、わたしを断罪すべきです。まさかこのまま逃がすつもりはないでしょう?」
「ああ、そのつもりはない。君は私が連れ去る」
「――は?」
何を言っているんだ? とアルクの頭を心配そうに見るシレネ。魔眼の術を長時間浴びると、脳に何かしら悪影響が出るのかもしれない。
「君の本性は、中々ふてぶてしいな。別に構わないだろう? 夜族を裏切った君に帰る場所など無いのだから」
「アルク様も中々辛辣ですね。連れ去るってどこにですか? 何のために?」
アルクは何かを確認するように、サイラスを見た。サイラスは難しい顔をしていたが、数秒後にはふうと溜息を吐き肩を竦める。言葉通り“お手上げ”をした。アルクは頷き、シレネに向き直る。
「君の身柄は、黎明の鷹が預かる。希少な魔眼と高い戦闘能力……いや、夜族語を扱えるというだけでも、君は貴重な人材だ。夜族語は習得に時間がかかるからな」
「つまり、利用したいってことですか?」
「……建前はそうだ」
それはつまり、本音は他にあるということ。
仲間でさえ全員が信用できない状況の中、敵であったシレネを傍に置くことは危険過ぎる。メリットよりデメリットが大きい。そんなことは重々承知で、それを超える理由がアルクにはあるのだ。
言葉の続きは、瞳で語られる。
その深い青色にシレネは溺れそうになった。
呼吸さえ忘れた。
互いの瞳の揺れに期待し、少しも見逃さないよう、見つめ合う二人。
――パン! とサイラスが手を叩いて、熱っぽい空気を霧散させる。
「はいはい、私の存在を忘れないでくださいね、全く。このままおっぱじめるのかと思いましたよ」
「っ……サイラス!」
バッとベッドから飛び退き、シレネと距離を取るアルク。その真っ赤な耳をぼーっとみているシレネの意識を、サイラスが呼び戻す。
「念のためお伝えしておきますが、私はあなたを信用していません。あなたには暫く見張りを付けます。少しでもおかしな動きをしたら、お望み通り即断罪してさしあげますから、そのおつもりで」
サイラスからは不本意と諦めが滲み出ていた。彼としては、シレネのような危険分子を組織に招き入れたくないのだ。しかし牢に囚われているシレネを助けに行ったアルクを、サイラスは止めることが出来なかった。ここまで来たらもう最後まで付き合うしかない。
「本当に、わたしを受け入れる気なんですか?」
それには、色々と問題がある気がした。だが具体的に口から出てこない。シレネは頭が上手く回らなかった。それが何故かは――腹の虫が教えてくれる。
ぐう~と間抜けなその音に、男二人は奇妙な顔で俯いた。
「ふ……食事にしましょうか。私達も、昨日から何も食べていませんからね」
サイラスは廊下に出て、夜食の用意を指示する。
食事を待つ間も、シレネは彼らと話し続けた。
シレネは彼らの説明で、自分が捕らえられてから既に丸一日が経っているということを知る。カーラとの一件は混乱を避けるため、生徒達には知らされていないらしい。今日の授業では、シレネは病欠扱いになっていたという。
魔眼から解放されたアルクが目を覚ましたのは昼前で、彼は真っ先にシレネのいる教室に向かったが、出迎えたのはシレネではなくレティシアだった。レティシアから手紙を受け取ったアルクはただならぬ事態を察し、シレネの行方を追う。自身の魔眼を使い情報を集め、昨晩の出来事とシレネの居場所を突き止めた。
そして、今に至る。
今日より以前の事も、双方の視点から事実を照らし合わせ、真実を形作っていった。
魔獣騒動が誰の仕業だったのか。
いつ命の盟約に気付いたのか。
アルクが夜襲を受けた夜のこと。
それはまるで、欠けたピースを集める作業だった。これまで謎だった部分が一つ一つ埋まっていく。互いの輪郭が明確になっていく。
だがシレネにはまだ、最大の疑問が残っていた。
「あの。エレナ様とは、何故……」
何故婚約を破棄したのか。これまで、そして今、彼女のことをどう思っているのか。
エレナの名が出た途端、アルクの表情は硬くなる。エレナを魔眼で洗脳し、婚約破棄の合意書に署名させたのは、紛れもない彼自身の意思による行動だ。
魔眼によってシレネを盲目的に愛したアルクは、婚約者の存在を邪魔に思った。――それだけでなく、あれはシレネを傷付けようとした彼女への復讐でもあった。自分との婚約がアステリア家に恩恵をもたらしている事を知っているアルクは、彼女の立場を貶めようとしたのだ。
……いくら正気で無かったとはいえ、そんな汚い手を使う男だということを、アルクはシレネに知られたくはない。
「君が気にすることは何もない」
「アルク様、その言い方では誤解されますよ。はっきりしておいた方がいいと思いますけどね」
「……あの時の私はどうかしていた。とはいえ撤回する気は毛頭ない。それだけだ」
「私としては、王宮ともアステリア家とも、不要な揉め事は避けたいんですが」
苦言を呈すサイラス。シレネはもっと追求したかったが、ドアをノックする音に妨げられた。部屋に入って来たのは、食事を乗せた盆を持つ女性と少年である。シレネはその二人に見覚えがあった。あの頃より血色も肉付きもよく一見すると別人のようだが、よく見れば街で出会った親子である。
「あ、あの時の姉ちゃん! 久しぶりだな!」
「こら、ちゃんとご挨拶なさい! すみませんね」
ハキハキと元気な声で息子を窘める母親。彼女達はパンが盛られた籠、湯気立つスープ、果物をテーブルに手際よく並べると、深々とお辞儀をして去っていった。どうやらあの二人の働き口は黎明の鷹だったらしい。現王政に反感を抱いていた少年なら、この場所で生き生きとしているのも頷ける。
ぐう、とまた腹の虫が鳴った。今度はシレネ以外のどちらかだった。
三人はすぐに食事を始める。バターを塗ったロールパンが口の中でほどけていくと、シレネはようやく肩の力が抜けた。アルクはそんな彼女に目を細める。
「食べ物を口にしている時の君は、幼い子供みたいだな」
「……ん」
ゆっくり咀嚼し、水を飲んでから、シレネは少し不満そうに言い返した。
「アルク様は、時々わたしのことを子ども扱いしますけど……わたし、アルク様より年上ですよ」
「何を言っている? 君は十六だろう?」
「それは詐称です。アルク様の年齢が十八歳で偽りないなら――わたしは、ちょうど倍になりますね」
「な……」
「夜族は長寿ですから、青年期が長いんです。わたしは純夜族ほどではないと思いますけど。アルク様も、実感することになると思いますよ。……大丈夫ですか?」
驚き固まったままのアルク。サイラスも目を瞠っていたが、驚きよりもアルクの反応に対する面白さが勝ったらしい。
「ふ、まだまだとんでも無い秘密が出てきそうですね。まさかあなたが、私と同い年だとは」
「サイラスと……同い年……?」
「年上は駄目ですか?」
「いや、そうではなく――」
否定するアルク。彼は、シレネが小さく笑っていることに気付いた。冗談を口にする姿は、これまでのリリアナ・ローレンスと似て異なるものである。
「……初めて君の嘘に本気で騙されたな。リリ――いや、これも偽名か」
アルクはうっかり出かけた名前に封をする。他に呼ぶ名を知らず、牢ではリリアナと呼び掛けてしまったが、以降は一度もその名を口にしていない。
アルクはもう、偽りの関係を続ける気は無いのだ。
「君の本当の名前は、なんというんだ?」
「……実は、アルク様はもう、口にしたことがある名前なんですよ」
シレネは指先のパンくずを払い、アルクに向き直る。
今夜は、シレネとして彼と会う、最初の夜だ。
「はじめまして、アルク様。わたしの名前は、」
シレネは名乗る。
アルクは、花を見つけた時のような顔をした。




