第三十四話「アルク・ソルディウス(前)」
十八年前、王都の片隅にある塔で一人の男児が産み落とされた。産湯につけた老侍女はその子を待ち受ける険しい運命に、眉間に深く皺を刻む。
赤子の額に輝くは、太陽神の加護の徴。
それは王族の血の証だ。
国王と、彼が密かに囲った女との子供。
嫉妬深い王妃に知られれば二人の命の保証は無い。
だから母と侍女は決めた。この子が大人になるまでは、塔で静かに育てようと。
いつか立派に成長し、王が目をかけてくれる日が来るまで、せめて自分たちだけは愛情を惜しみなく注ごう、と。
そして五年の月日が流れる。
赤子――アルクはすくすくと元気に、優しい心を持つ聡明な少年に育っていた。
昼は母の花園で、共に花を育て愛でる。
夕方になると温かい匂いのするキッチンから、侍女の呼ぶ声が聞こえる。
夜は暖炉の前で、眠くなるまで三人でお喋りをする。
いつも額に布を巻いていなければならないこと、決して塔から出てはいけないことに疑問はあれど、不満はなかった。母と侍女との穏やかで静かな生活がアルクは好きだった。
だがそんな平穏で代わり映えの無い日常に変化が訪れる。
ある日突然やってきた訪問者。城から物資を運んできた荷車に紛れ込んでいたのは、アルクより二つ下の幼い少年だった。
「ここ、どこ?」
「きみはだれだ?」
「ぼく、セシル! おうじさま! すごいでしょ!」
えっへん、と小さな胸を張る幼い王子。その額の徴を見てアルクの母は顔を強張らせた。愛しい人と、他の女との間に生まれた子供。勿論それに複雑な気持ちはあれど、それ以上にセシルを通じてアルクの存在が露見することを恐れた。だが彼女は、自然と打ち解ける幼い子供達を止めることは出来なかった。
それから度々、大人の目を盗んでは塔にやってくるようになったセシル。
老侍女からの連絡でそれを知った王はセシルを止めようとした。だがどんなに大人が見張っていても、いつの間にかいなくなっているような子だ。隠れて危ないことをされる位ならば、いっそ許してしまった方がいい。
王はセシルの塔への出入りを許可し、護衛を同行させることにした。そして王妃に悟られぬよう、それらしい口実を立て隠し続けた。
「おばさんって、すごくキレイだよね。ぼくのおよめさんになってよ!」
「セシル! ははうえはダメだ!」
「どうして? アルクにいさん、やきもち?」
「あらあら、ふふ」
セシルはアルク達によく懐いた。美味しいお菓子を作ってくれる侍女。いつも笑顔で優しいアルクの母。何でも出来て、かっこよくて、たくさん遊んでくれるアルク。セシルは三人が大好きだった。アルク達もセシルを心から可愛がり、大切に思っていた。
それから半年は、賑やかなセシルを加えて以前にも増して楽しい日々が続いた。だがその幸福は長くは続かない。
ついに王妃がセシルの不在に疑問を抱き、アルク達の存在に辿り着いてしまったのだ。
*
その夜の出来事は、アルクに生涯消えない傷を残すこととなる。
夜中に目を覚ましてしまったアルクは、怖い夢を見た訳でもないのに何故か心細くなり、母の寝室に向かった。控えめにノックをするとすぐに扉が開き、少し眠そうな顔の母が出てきて、暖かい腕に抱いてくれる。
――筈だった。
「来ては駄目!」
扉の向こうから響く母の金切り声。立ち尽くすアルクの前で、扉は開かれた。
そこにいたのは、黒い装束を身に纏い顔を隠した二人の男。唯一露わになっている目がギョロリとアルクを見て、小さな頭を鷲掴みにした。
「やめて! その子には手を出さないで!」
「それは無理な注文だ。全員分の首を持ち帰らないと、俺らの首が飛ぶんでね」
男はギリギリと、アルクの頭を握り潰さんばかりに締め付ける。アルクは必死で抵抗した。その拍子に、額の布が落ちる。神々しく輝く太陽神の加護を目の当たりにした男は思わず手を放した。
「本物か? まさか、徴まで付いてやがるとはな……」
「おい怯むな! あの方の命令は絶対だ」
二人の男は、王妃に仕える暗殺者。彼女の非業な性格を熟知している彼らは、心を捨て去り母と子へ剣を向ける。その剣は既に血で赤く染まっていた。アルクは階下にいる侍女が、母の大声に駆け付けない訳がないと気付く。つまり、その血は。
「恨まないでくれよ」
「やめて! アルク、逃げなさい!」
剣。母の声。鉄の匂い。
悪夢のような現実がアルクに迫りくる。幼い少年は、恐怖と怒りに支配された。
小さな体の中、眠っていた血が、沸く。
焼けつくような衝動が、理性の檻を打ち破る。
脈打つ鼓動。点滅する視界。
目覚め、弾けた。
「あ……ああ」
母は凄惨な光景に口元を抑える。
赤く染まった寝室。床では二人の男が、互いの胸に剣を突き刺し絶命していた。血溜まりの上に立つのは冷たい顔の少年。男達を見下ろすその瞳には、魔の力が渦巻いている。
「ははうえ?」
何が起きたか分からない様子のアルク。母は息子に駆け寄り抱きしめた。
――本来陽族に宿るはずのないアルクのその魔力は、母から継いだものである。
アルクの母はソルヴィアの辺境にある村で、陽族と夜族の間に生まれた混血子だ。その村では二つの種族が手を取り合い生きており、愛し愛され育った彼女は、大人になり村の外で続く戦を知ると心を痛めた。そして、争いの無い世界のために一歩踏み出すことを決意したのである。
村の人々の制止を振り切り、彼女はソルヴィアの王都へと向かった。人の上に立つ王なら、話せば理解を得られると信じたのだ。
平民が簡単に王に会える訳もなく門前払いを受けたが、彼女は諦めず宿をとり機会を待ち続けた。そうしている内に、王都で流行り病が広まる。彼女は村で教わった夜族に伝わる薬草学を用いて病を鎮めた。そしてその功績が讃えられ、遂に王に相まみえることが許されることとなった。
地上の太陽、陽王。
彼女はその眩しさに惹かれ、王は彼女の清らかな心に惹かれた。
彼女は素性を隠したくはなかったが、世間の夜族に対する憎悪は根深く、仕方なく純血の陽族を装うしかなかった。いずれは打ち明けようと思っていたが、王を愛してしまってからは嫌われることを恐れ、口にすることが出来なくなった。
彼女は王にも侍女にも正体を隠し続け、アルクの持つ高い魔力に気付いてからは制御する方法を教え込んだ。魔力を制御することは、感情を律することに繋がる。そのせいでアルクは感情表現に乏しくなってしまったが、背に腹は代えられない。
いつしか彼女は、誰もが自由に幸せでいられる世界という理想を忘れ、ただアルクと自身を守るために息を潜めるようになっていた。
だが、いつまでも隠しきれるものではないと、心のどこかでは理解していた。
そして今宵、命の危機が引き起こした魔力の暴走と魔眼の発現。
魔力に抵抗のない男達はアルクの魔眼に魅入られ、正気を失い、互いを刺し貫いた。
(魔力が高い子だとは思っていたけれど……まさか、魔眼の持ち主だったなんて)
加護の徴に、魔眼。
自分はこの子に、なんて運命を背負わせてしまったのだろう。
「ははうえ、わたしは……」
「アルク、よく聞いて。これは全てお母さんがしたことよ。アルクは何も悪くないの。いいわね?」
「でも、」
「大丈夫よ。あなたの寝室でご本を読んであげるわ。さあ、いらっしゃい」
母はアルクの頬の返り血を拭うと、優しく微笑む。
愛する息子との“最後の夜”は、いつも通り幸せに過ごしたかった。
*
翌日の昼、王城からやってきた騎士達がアルクの母を捕えた。
王妃が仕向けた暗殺者は三人おり、影に潜んで全てを見ていたもう一人が、王妃に一部始終を報せたのだ。王妃は自らの行いが明るみに出ぬよう生き残りの暗殺者を殺した後、使用人の一人を通して、匿名の密告文を出させた。“あの塔には魔女がいる”と。
塔の中の遺体。魔力の残滓。
神殿の調査により、アルクと母の正体は暴かれた。遺体の男達は王妃の手回しにより、盗みに入った盗賊ということで片付けられた。
アルクの母は魔術で王を誑かし、国家転覆を企んだ罪で処刑されることとなる。王は最初こそ信じられない様子だったが、ドゥラザークとの戦況が悪化していたその時期、夜族の血を持つ者を庇うには限界があった。その上、王妃が巧みに彼女の悪事をでっち上げたことで、王の心は疑心の闇に堕ちたのだ。
だが、悪事の全てが嘘だったわけではない。アルクの母がソルヴィアの軍事情報を探っていたというのは事実である。まだ王城に出入りして間もない頃、彼女は手段を選ばず戦を止める手立てを探していたのだ。
――こうして、アルクは最愛の母を失った。
アルクもまた夜族の血を引いていたが、加護の証である徴を持っていたことで処刑されることなく、王子として認められる。年齢で順位が付けられる制度により、アルクは第三王子、セシルは第四王子となった。アルクの母親は表向きには、病でこの世を去った使用人の一人ということにされた。
まだ幼い少年に日々吹き込まれる、聞くに堪えない言葉の数々。事情を知る人々はアルクの母のことを、恐ろしい魔術で王を惑わした淫魔、陽族の皮を被った汚らわしい悪女、と口々に罵った。難しい言葉を知らない子供にも、それが何を意味するのかは顔や声色で充分想像できた。
アルクに教え込むように繰り返されるそれは、幼い子供の精神を歪めていく。突然変わってしまった世界にアルクの心は凍り付き、涙一つ流すこともできなかった。
悪女に騙されていた王は失った信用を取り戻すかのように、また悲しみから目を背けるように、戦に没頭する。愛しい女の面影のあるアルクを視界に入れようともしなかった。王妃は他の王子達とアルクを明確に差別し、彼を孤立させた。
王城にアルクの味方はいなかった。
ただ一人を除いては。
「アルクにいさん!」
母の処刑から一月が経った頃。自室で閉じ込められるように座学をさせられていたアルクの元にやって来たのは、セシルだ。アルクとセシルの接近は禁じられている。教師は慌ててセシルを部屋から連れ出そうとするが、セシルはその腕をすり抜け、アルクに駆け寄った。
アルクの腹違いの弟、セシル。穢れを知らない無垢な少年。王にも王妃にも愛されたその少年は、深い事情を何も知らされてはいなかった。ただ城に連れてこられたアルクが兄であると知らされ、無邪気に喜んでいたが、いつもアルクの傍にあった姿が無いことに不思議そうにする。
「ねえ、にいさん。またおばさんといっしょに、おはなのわっかつくろうよ」
「セシル殿下、お外で遊びましょうね、さあ」
「はなして! ねえ、ばあやは? ぼく、ばあやのクッキーたべたい」
「セシル殿下、」
「ねえ、にいさん! きいてる!?」
アルクが何も反応しないことに、セシルの晴天の笑顔が曇っていく。
アルクは机の上の教本に目をやったまま冷たく言い放った。
「あのひとたちは、もういない」
アルクは、この少年が悲劇の始まりであることに気付いていた。セシルさえ来なければ、あの箱庭での幸福な日々はまだ続いていたのだ。
「どうして?」
「……しんだんだよ! もうにどと、あえない!」
声を荒げるアルク。教師がセシルを庇うように間に入る。セシルは初めて見るアルクの様子に目をぱちくりさせ、やがて大粒の涙を浮かべた。
「もう、あえないの? ……いやだ、いやだ! いやだーっ!」
大声で泣きわめく。
周りの目など気にせず、自分の感情のままに振る舞う姿。
アルクはそれが出来るセシルを憎く思った。
そしてそれ以上に――救われた。
自分の中に蓋をしていた感情が許された気がして、彼は母の死後、初めて涙を流すのだった。




