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第三十三話「知らない人」

 サイラスの動きは、シレネを抱えているとは思えないほど俊敏で無音だった。地下牢から出ると、サイラスは物陰にシレネを下ろす。そして――持っていた布で手足を拘束し、目隠しをした。


「ん、」

「お静かに。あなたはまだ信用できませんからね。ご容赦ください」

(……何が起きているんだ?)

 最初はアルクが復讐に来たのかと思ったが、これではまるで助けに来たみたいである。

 疑問符に埋め尽くされるシレネを、サイラスは再び抱え上げた。


 ビュンと耳を掠める風。

 ごつごつ硬い体。

 ガタゴト身体に伝わる振動……どうやら、馬車でどこかに連れていかれているようだ。しかし一体どこに?


 シレネは暫く周囲に耳を澄ましていたが、鎖から解放されたことで気が緩んだのか、知らぬ内に眠ってしまった。




 ――目を覚ますと、そこは柔らかなベッドの上だった。


 窓のない木造の部屋。橙色の照明が空気を温かく染めている。ベッドの横の椅子に腰かけているその人を、シレネはよく知っていた。だが、何故か初めて会うような気がした。


「ここは……どうして、あなたが……」

 シレネは起き上がろうとして、傷の痛みに顔を歪める。同時に、猿轡と拘束が解かれていることに気付いた。そっと背中に触れると包帯が巻かれている。


「傷口が開く。そのまま寝ていろ」

 これまでの彼より、数段ぶっきらぼうな声。冷たいのか優しいのか分からないが、優しいのだとしたら、何故優しくするのかが分からない。


「何故わたしを助けたのですか? ――アルク様」

「……私が君を愛しているからじゃないのか?」


 他人事のような口ぶり。やはりもう、彼は洗脳状態が解けている。

 シレネは答えを求めるように、アルクの後ろに控えているサイラスに目をやった。サイラスは少しばかり目を細め、肩を竦める。


(なんなんだ……訳が分からない。セシルに何か言われたか、リリアナに情でも移ったか?)

 情けをかけたつもりかもしれないが、かけすぎである。

 こんなことをしてしまったら、アルクは夜族との繋がりを疑われかねない。ただでさえ王宮に居場所が無さそうだった彼を、シレネはこれ以上苦しませたくなかった。


『……殺せ。陽族如き助けられるくらいなら、死んだほうがマシだ』


 シレネは自らの本性を突きつけるようにわざと冷たく、夜族語で話す。言葉が伝わらなくとも、別の言語を話す違う生物だと理解されればいい。同情に値しない存在だと。


 だが次の瞬間、シレネは耳を疑った。


『君は、本当はそのような喋り方なのか? 随分と印象が変わるな』

(……は?)


 アルクの口から飛び出したそれは、とても流暢な夜族語である。

 王族、もしくは聖騎士は、夜族語が必修だったりするのだろうか。


『何故、と言うなら私も訊きたいことがある。君は何故、身を賭してまでセシルを助けた? 何故、ノートン嬢にこのような手紙を託した?』

 アルクは懐から一枚の手紙を取り出した。

 シレネはますます分からなくなる。それを受け取り、中身を読んだ上で、どうすれば自分を助けようなどと思えるのか。


 何も答えないシレネに、アルクは苦しそうに眉を寄せ……一瞬だけシレネの唇を見た後、視線を逸らしながら言う。


『君は……何故、私にかけていた洗脳を解いたんだ?』


『それを聞いてどうする? どんな答えが望みだ? わたしに何かを期待しているのならお門違いだ』

 シレネは平然とアルクを突き放した。少なくとも、本人はそのつもりだった。アルクはシレネの顔を見て、苦しげな顔のまま笑う。


『君は恐らく、自分で思っているよりも嘘が下手だ』


 アルクは椅子から立ち上がり、ベッドの端に腰掛けた。ギッ、と軋む音。シレネに迫る、青い瞳。見つめるというよりは睨むに近いその視線に、思わず身を引くシレネの手を、アルクの手がベッドに押さえつけた。


『逃げないでくれ。私は、本当の君が知りたい』

「……今日は随分と大胆ですね? アルク様らしくないですよ」

 リリアナ・ローレンスらしく答えるシレネ。教える気が無い、という意思表明だ。


「そうだな。人に訊く前に、自分のことを話すのが先だな」

 アルクはそう言うと、シレネの顎を掴み、自分の方へと向けさせた。呼吸が融け合う距離。シレネは思わず目をぎゅっと瞑る。……その反応に、アルクの心臓が高鳴る。そうじゃない、そうじゃないのだが、いっそそうしてしまおうかと思ってしまう。


「……何もしないから、目を開けてくれ」


 そっと触れるような囁きに、シレネはゆっくり瞼を開いた。

 そこには若干、血色の良い顔。そして深い深い青色の瞳。シレネにはその瞳の光彩までもがはっきりと見えた。自分と同じ、その特殊な虹彩が。

 

「それ……どこで手に……」

「どこで? これは生まれ持ったものだ」

「あり得ない。魔眼は魔力を持つ夜族にのみ発現するものです」

「君は例外を知っているだろう?」


 夜族ではない魔眼持ち。それは、シレネ自身のことだ。夜族と陽族の血を半々に引き継ぐ混血。もしアルクがそれを理解した上で言っているのだとしたら、彼は――


「そうだ。私も君と同じ、二つの血を引く者だ」


 アルクがふっと微笑む。

 シレネは、今まで自分が見ていた彼を見失った。目の前の青年が知らない人に思える。


「君に、本当の私の話をしよう。アルク・ソルディウスが何者であるかを」


 アルクは話し始めた。




 *




 ソルヴィア王国第三王子、アルク・ソルディウス。

 王族に相応しい高潔さと溢れる才で人々を惹きつける青年。彼は自らの存在が争いの火種とならないよう、王位継承権を辞退し、騎士として国に身を捧げる道を選んだ。


 優しく誠実な王子。そんな彼の傍らには、美しき婚約者エレナ・アステリアの姿。

 アルクは国を、民を、エレナを、心から愛していた。


 しかし彼は身を焦がす“恋”を知ってしまった。

 外聞を捨て去ってでも、共にいたいと願う相手。

 洗練された世界で生きてきた彼に、社交界慣れしていない純朴な田舎令嬢は刺激的だった。


 女癖の悪い弟王子から守ったことをきっかけに始まった不思議な交友。アルクはリリアナ・ローレンスに惹かれていった。エレナに対する罪の意識に苛まれながらも、その想いを止めることは出来なかった。


 彼は唯一無二の“真実の愛”に気付いたのだ。




 ――なんて、そんな話ではない。これは。

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