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第三十一話「セシルとカーラ」

 アルクに別れを告げた日の、宵の口。シレネはレティシアの部屋を訪ねていた。扉越しに声をかけると、レティシアは慌ただしい物音を立てて飛び出してくる。


「いたた……リリアナ様?」

「突然、ごめんなさい。今、少しだけ大丈夫ですか?」

「は、はい! 勿論です! えっと、中へどうぞ!」

 レティシアは嬉しそうな顔で、扉を大きく開く。だがシレネはその場から動かず「ここで大丈夫」と微笑んだ。


「レティシアさん。わたし、あなたに謝りたかったんです。最近ずっと冷たくしてしまっていたから」

「いえ、いいんですよ! リリアナ様も、色々大変だったと思いますし」

「……本当に、レティシアさんは優しいですね。わたし……レティシアさんとお友達になれて良かったです。ありがとう」


 シレネの言葉に、レティシアは瞳を熱く潤ませる。いつも何を考えているか分からない友人との関係は、どこか自分の一方通行のような気がしていたのだ。しかしそうではなかったと知り、レティシアの胸に喜びが満ちた。


「あたしもです! あたしも、リリアナ様とお友達になれて良かったです! ……リリアナ様はあたしが優しいと仰いましたけど、それはリリアナ様のおかげですよ?」

「わたしの?」

「はい。あたし、リリアナ様に助けられてからずっと、リリアナ様みたいに誰かを守れる人になりたいって思ってました。強く、優しい人に……。ふふ、最近のあたしは、中々のものだと思いませんか? あのエレナ様にも立ち向かえたんですから。あたし、今の自分が結構好きです」


 レティシアにとって、リリアナ・ローレンスは特別な友人だった。命を助けられた恩もあるが、それだけではない。彼女のよくも悪くも人の目を気にしないところ、儚く見えるが強かなところに、レティシアは憧れた。そして――他の女生徒達には一線を引いている彼女が、自分には心を開いてくれているようで、それが何より嬉しかった。


「あの、やっぱりお茶でもしませんか? それかご夕食がまだなら……」

「折角だけれど、ちょっと用事があるんです。……レティシアさん、一つだけ、お願いをしてもいいですか?」

 そう言って、シレネはポケットから何かを取り出す。


「これを、アルク様に渡して欲しいんです」

「……手紙、ですか?」

 シレネの手にあるのは、封筒に入れられた一通の手紙だ。中に認められているのは愛の言葉などではない。シレネがソルヴィア王国で何をしようとしていたのか。直に夜族が攻め込んでくること。その他、シレネが知る限りのドゥラザークの情報が淡々と綴られている。


 レティシアなら必ずアルクに渡してくれるだろうし、アルクならこの情報を活かしてくれるだろう、とシレネは信じた。


「お願い、できますか?」

「はい、勿論です。……でも、ご自分で渡さなくて大丈夫ですか?」

 丁寧に封筒を受け取り、少しだけ皺になった表面に視線を落とすレティシア。返事が返ってこないことに不思議そうに顔を上げると、そこにはもう誰も立っていなかった。


「リリアナ様……?」



 ――シレネは制服から動きやすい衣服に着替え、上からすっぽり黒い外套で覆うと、ひっそり寮を出た。


 肩にかけた大きな鞄には、少しの着替えと調理場からくすねた小麦粉が詰め込まれている。シレネにとって、小麦粉は魔法の粉だった。ソルヴィアで出会った美味しい食べ物は、殆どこの粉から出来ていたのだ。


(作り方は分からないが、水と混ぜて焼けばなんとかなるだろう。暫く食い繋げるといいんだが……)


 シレネにはこれから、裏切り者として夜族に追われる日々が待っている。美味しい食事や、温かいベッド、楽しい友人もそこには無い。けれどあのまま己を騙し続け、大切なものを永遠に失ってしまうくらいなら、こちらの方が遥かに気が楽だった。


 それでも、月光に白く輝く学舎が、シレネの後ろ髪を引く。

 このまま寮に戻って、眠って、朝になったら制服を着て授業に出て。リリアナ・ローレンスとしての日常に戻れたらどれだけいいだろう。また、あの花園に行けたら。花が咲き乱れるという春を迎えられたら、どれだけ幸せだろう。


 そんな感情に蓋をして、再び歩き出した、その時。


「……だ」

「……ふふ、……ね」


 旧講堂付近から、誰かの話し声がした。シレネは先日襲われかけた時のことを思い出し、すぐその場を離れようとしたが、どちらの声も聞き覚えのあるもので無視できなかった。木の上に飛び乗り、気配を消して様子を窺う。そして、そこにいる二人の姿に目を見開いた。


「びっくりだよ。君みたいに美しい人がいるなんて」

「そうでしょう? もっとよくご覧になって」


 それはセシルと……カーラだった。


 カーラは帽子を被り、夜族の特徴である尖った耳を隠している。シレネは彼女の流暢な陽族語に驚いた。潜入任務に関わる高位夜族には陽族語を操れる者が多いと聞いていたが、典型的な陽族嫌いのカーラが巧みに操っているのは意外だった。他人の空似かもしれないと思ったが、あの何とも艶っぽい声と表情は、やはりカーラである。


 何故この二人が共にいる?

 シレネは思考が停止した。




(……魔眼なんてなくとも、私にはこの美貌があるのよ)

 カーラは妖艶な笑みを浮かべ、セシルの首に腕を回ししだれかかる。


 彼女は自らの価値をアビスに認めさせようと、行動の遅いシレネに代わって王子を魅了しようとしていた。“結界の抜け道”はアビスから聞いており、難なく潜入に成功する。

 シレネに対抗するためにもアルクを探そうとしたが、最初に目についたのは一人でフラフラしていたセシルだった。近付いて声をかけると、あまりに容易く彼が引っ掛かり、カーラは笑いを堪えきれない。何故シレネがあんなにも苦戦していたのか理解ができなかった。


「本当に美人だなあ」

「ふふ。ねえ殿下。私に付いて来てくださったらもっと……そう、私の全てを見せて差し上げますわ。勿論、触れていただいても構いませんのよ」

「うわあ、とても魅力的なお誘い!」

 セシルの嬉しそうな声に、シレネは止めに入ろうとした。しかし。


「でも、それはできないんだ」

 セシルはカーラの腕をやんわりと解いた。そして困ったような、幸せそうな顔をする。


「ごめんね。君はとても魅力的だけど……僕の好きな人に、嫌な思いはさせたくないからさ」

「恋人ですか? そんな固いことを言う束縛女なんて、放っておきましょう?」

「ううん。僕は彼女に好きになってもらいたい。他のどんな女性より、彼女に好きになってもらいたいんだ。自分がこんなこと思うなんて、意外なんだけどさ」


 はは、と照れ笑いするセシル。シレネはふっと表情を緩める。彼の言う相手が誰であるかは考える必要も無い。

 出会った当初は誰彼構わず手を出していたセシル。彼は、レティシアとの出会いで変わったのだ。あれだけ素直で愛らしい少女を知ったら、そうならざるを得ないだろう。と、シレネは勝手に誇らしく思った。


「よくも私をコケにしたわね……」

 カーラは顔を引きつらせ、セシルの手をガッと掴むと態度を豹変させる。


「汚い手でベタベタ触らないでちょうだい! ああっ汚らわしい悍ましい! ……達磨にしてしまったら、多少は可愛げがあるかしらねえ?」

 カーラから溢れ出す殺気と魔力。セシルを掴んでいた腕に血管が浮かび上がり、引き抜かんばかりに――


「うっ!」

 カーラは突如自分に振りかかった粉末状の何かに、息を止めその場を飛び退いた。


 白い煙幕。何も見えない。


 夜風が視界を洗うと、そこには、セシルを庇うように立つ一人の少女がいた。



『何のつもりだ! これは……毒霧か!?』

「小麦粉」

 飄々と答えるシレネ。カーラは粉まみれになった白い顔を怒りで歪ませる。


「リ、リリアちゃん?」

 背後から聞こえる裏返った声に、シレネは小さく振り返った。

 丸く大きな青い瞳。ギラギラ派手な金髪。容姿はアルクと似ていないが、額の徴や纏う陽の力が、彼の温もりを思い出させる。

 シレネは柔らかく苦笑した。


「……惜しいです」

 結局この人は、一度も正しく名前を呼ばなかったな。


『よくも私の顔に……お前、やはり陽族に寝返ったのか!』

『陽族だとか夜族だとかは関係ない。この人は、あなたがどうこうしていい人じゃない。それだけだ』

 

 シレネにとってはセシルも大切な人の一人だ。レティシア同様、洗脳されていなくても自分に優しく接してくれた少年。一癖も二癖もあるが、よくも悪くも真っ直ぐだった。そんな彼だからレティシアは惹かれ、アルクも大切に想っていたのだろう。


 カーラは顔を拭いながら、フーッと大きく息をつき、いくらか落ち着きを取り戻す。


『それで? だったら、どうするというのかしら?』

『立ち去れと言っている。そうでなければ、』

『フフ、私を殺すとでも? モドキの分際で、この私に敵うと思っているのが愉快……いえ、不愉快ね。私の美しい髪と顔を汚した罪、たっぷり償わせてあげるわ!』


 ギラ、とカーラの鋭い爪が光る。裂けた笑みの隙間から牙が見え隠れした。夜族語を知らないセシルは、それでも紛れもない殺意を感じ「ヒッ」と尻餅をつく。


「セシル様、大丈夫です」

 絶対に、あなたに手出しはさせない。


 その時、シレネは体が熱くなるのを感じた。まるで一気に炎が燃え上がったかのように、かつてないほど魔力が漲る。


 これまでのシレネはただ命令に従うだけの傀儡だった。戦いに自分自身の意思はなかった。存在しない母を言い訳に、生存本能のまま息をし続けていただけ。

 しかし今は違う。守りたい人が守れる場所にいるのだから、命を燃やし全力で戦うのみだ。


『なによその目……本当に、気に入らないわね!』


 カーラとシレネは同時に地を蹴る。


 先に攻撃を繰り出したのはカーラだった。彼女は己の爪に魔力を纏わせ、指より長く鋭い刃に変化させると、シレネの喉元を狙って一閃を放つ。しかしそれは、シレネの髪の一房を落としただけだった。

 シレネは空中で身を捻り躱すと、地面にしゃがみこみ、足をバネのようにして跳躍する。そして、一直線にカーラに向かい、肘で顎を突き上げた。


「ぐっ、」

 衝撃が脳を揺らし、カーラの視界が暗転しかける。しかしカーラは向かって来たシレネを抱き込むと、そのまま地面に押し潰した。あらぬ方向へと捩じ上げられたシレネの肩が、ミシミシと軋む。


(う……流石に、強いな)

『ハッ、なんて不細工な顔なのかしら! でもまあ、いつもの生意気な顔よりは愛嬌があるわね。さて、どう調理して……』

「リリアちゃん!」

 セシルの叫びと共に、周囲が昼間のように明るくなる。カーラとシレネの間には光の膜が出現していた。

 それはセシルの作り出した太陽神の結界だ。結界に触れたカーラの肌が、ジュッと音を立てて焼け焦げる。


『あ、あああ! 貴様あああ!』

「ひいっ」

 激怒するカーラ。彼女の標的が、自分の美しい肌を焼いた憎き少年に変わる。武術の鍛錬など嗜み程度で、戦場を知らないセシルは、すぐに気力負けした。結界が霧散する。


『死ね!』

 カーラは手を横一文字に払い、魔力で生成した爪を投げナイフのように飛ばす。

 両腕で頭を庇い、目をつむるセシル。

 しかし、いつまで経っても恐れていた衝撃は訪れない。


(う~ん……最後の一瞬って、長く感じるものだなあ)


「セシル様、下がってください」

「――え?」



 セシルが恐る恐る目を開けると、視界にカーラはいなかった。代わりに、少しだけ眉を顰めた少女が立っている。その体は僅かに震えていた。


「リリアちゃん……」

「セシル様、ここはわたしに任せて、学院の方へ戻って下さい」


 微笑み、カーラの方へと向き直るシレネ。バッと外套を脱ぐと、刺さったままの爪が落ちた。血の滲む痛々しい背中を見てセシルは息を呑む。


『邪魔するな!』

 吠えるカーラ。シレネは彼女の焼け爛れた腕に、スッと目を細める。


(そうか、陽力か)


 カーラの元へと走り出すシレネ。カーラの目は、怪我を負い鈍くなったシレネの動きを完全に捉えていた。しかし次の瞬間、視界が一瞬で真っ暗になる。シレネが持っていた外套でカーラの視界を奪ったのだ。


『小癪な!』

 カーラの爪は外套を突き刺すが、その向こうに手応えはない。

 シレネは地面に擦れるくらい身を引くし、カーラの背後に回ると足を掴んで引き倒した。そのまま背中に馬乗りになり、後頭部を押さえつける。


『離せ! どけろ! この私に、よくも!』

 地面に顔を潰され、くぐもった声で抗うカーラ。


 シレネは瞳を閉じ、深く息を吐く。意識を内へと向け、眠っているそれを呼び起こした。

 魔女の疑いをかけられたあの日、アルクが教えてくれた温もり。冬を溶かし夜を払うあの輝きを、もう一度。


 ――シレネの手に集まる陽力。背後で輝くその光に、カーラは顔色を変えた。


『さようなら』

 シレネの腕がカーラの胸を貫く。


 響き渡る悲鳴。焼け焦げるにおい。しかし激しい断末魔からは想像もできないほど、終わりは静かだった。

 カーラの体は黒く炭化し、端から灰となってパラパラ冬の夜に混じって消えていく。これが夜族の最期だ。


 半夜族の自分は、こんなに綺麗な死に方ではないのだろうな……と、シレネは舞い上がる灰を眺めた。



「……セシル様、まだいらしたんですね。お怪我はありませんか?」

 出来るだけ怯えさせないよう、穏やかに声をかけるシレネ。先程まで恐怖に染まっていたセシルの瞳は、一人の女性の死に悲哀を浮かべていた。


「リリアちゃん。君は何者なの? 夜族? あれ、でも陽力も……」

 シレネは曖昧な表情だけを返す。だが、セシルは何故か腑に落ちた様子で頷いた。


「ああ、そっか。だから兄さんは」

「え?」

「ううん、何でもない。えっと、あの女の人はリリアちゃんの知り合いなんだよね? なんか“裏切り者!”って感じの顔してたけど……もしかしてリリアちゃん、夜族のスパイだったり? だったら、どうして僕を助けてくれたの?」

 恐ろしいほど勘が良い少年の、鋭い問い。

 シレネはその理由を説明するために、何から話せばいいか分からなかった。誤魔化すように、話題を逸らす。


「セシル様は、相変わらずわたしの名前を覚える気がありませんね」

「え……だって君の名前は、なんか君の名前っぽくないからさ。もしかして、いつものは偽名だった?」


(……参ったな)


 セシルには最初から驚かされてばかりだ。尾行に気付かれていたり、魔眼が効かなかったり、こうして正体がバレてもいつもと変わらず接してくれたり。誰からも愛される素質、太陽神の御子――セシルは別次元の存在に感じた。


(最後に話が出来て……この人を守ることが出来て、良かった)


 シレネはセシルに別れを告げようとする。

 だが、誰かの甲高い叫びがそれを邪魔した。


「誰か! 誰か来て! 魔女がいるわ! 魔女がセシル様を!」


 茂みの向こうから響く女の声。シレネはそれが誰の声であるか知っていた。急いでその場を離れようとしたが、カーラとの戦いで傷付いた体は思うように動かない。あの爪には毒が塗られていたらしい。

 ふらっとよろめいた瞬間、シレネの首に何かがかけられる。


 金色の、鉄の輪。

 “魔力探知と吸収の聖具”


 それはシレネの魔力に反応し、内側に棘を出現させた。そして、収縮して締め上げる。


「――ッ、」

 悲鳴さえ出せない。

 シレネは地面に崩れ落ち、苦しみ悶える。強制的に魔力が吸い上げられる感覚は、これまでに感じたことのない不快感だ。行き場のない吐き気、鳴り響く頭痛。口の端から泡を吹くシレネに、セシルが慌てて駆け寄る。


「セシル様、近付いては危険です」


 長い髪を遊ばせながら、優雅に現れる女。


「ふふ、ふふふ……やっぱり私は間違っていなかった……間違っていなかったのよ!」


 霞む視界。気を失う最後の一瞬に、シレネは見た。

 ようやく尻尾を掴んだと言わんばかりに、勝利の快楽に顔を歪ませるエレナを。




「ああ……僕の所為で、また兄さんの大切な人が……」

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