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第二話「サンクタ・ルミナ学院」

『ねえ、あなたの名前は、お母さんの大好きなお花からいただいたのよ』

『おはな!』

『そう、お花。とても綺麗で素敵なもの。ここには無いけれど……また見られたら、どんなに幸せかしら』

『おかあさん、ここがイヤ? どこかいっちゃう?』

『いいえ、どこにも行かないわ。お母さんはいつでも、あなたの傍に居るわ』


 柔らかな声。抱きしめられると温かくて、ほんのり甘い不思議な匂いがした。

 大きな手がそっと鼓動の上をなぞる。


『一緒にいられない時も“ここ”に居るからね』

『ずっといっしょに、いてほしい』

『……ごめんね、寂しい思いをさせて。でも、決して泣いてはだめよ。冷たくて強い夜族のふりをしていなさい。そうでなければ、意地悪をされてしまうから』

『なかないよ』

『ふふ、そうね。あなたはお父さんに似て強い子だものね。……そして優しい子。どうか、心だけは、あなたのままでいてね』


 静かに揺らめくその瞳は、少女の全てを包み込む。ただそこに存在しているだけで良いのだと、許しを与える。


『お母さんは、いつでもあなたを想っているわ。“  ”』




 ――思い出の中の母が呼ぶ名は、少女にとって特別なものだった。母が名付け、今や誰に呼ばれることも無くなってしまった名前。しかし少女にとっては、夜族から便宜的に与えられた名前や、新しく得たリリアナ・ローレンスの名前より、一番“自分”だと思えた。


 少女の母は、少女を利用するための人質として夜王城に囚われている。夜王は母を殺さない事を条件に、“命の盟約”で少女を支配下に置いたのだ。


 ただの人質と、ただの道具である母娘が会うことが出来たのは、数日に一度の僅かな時間だけ。少女にとってはその時間が全てだった。


 しかしそれさえ奪われた。


 少女が七歳になった時、流行り病に罹った母は城の奥深くに隔離され、外界との接触を禁じられたのだ。以降は月に一度の手紙のやりとりだけが許されている。


 母の手紙には、いつも少女の欲しい言葉ばかりが連ねられていた。変わらない愛が綴られていた。少女は常にそれを心の支えとし救われてきたが、同時に罪の意識も募らせている。


(今回の任務を成し遂げたとしても、お母さんが牢から出してもらえる訳じゃない。わたしに利用価値がある内は、殺されないというだけ。……わたしのエゴで、苦しませ続けているのかもしれない)


 母はどうして、夜族の父との間に自分をもうけたのだろう。


 父と出会わなければ。自分が生まれなければ。

 母は母の好きな花に囲まれて平穏に暮らしていたのではないだろうか。

 

 ちゃんとした陽族の家族と、幸せに。




 *




 少女は寝苦しさで目を覚ます。

 男爵の屋敷から出て馬車に揺られている内に、いつの間にか眠りについていたらしい。


 馬車の中は妙に熱気が籠っている。ソルヴィア王国はドゥラザークと比べて気温が高い。とはいえ、馬車に乗った時はそうでも無かった筈だ。少女は雑に服の前ボタンを外し、パタパタ扇ぐ。


 寝惚け眼をこすれば、ようやく焦点が合い始めた。分厚いベルベッドのカーテン。……その隙間から、見える何か。少女は警戒しながらカーテンを引いた。


「あ、」

 思わず声が出る。

 昨晩出発した時と、外の様子は全く異なっていた。


 空に輝く黄金色の光。常夜の国には存在しない光景。

 天には透けるような青が広がっていた。



(あれが、太陽……)

 夜族からは穢れた存在とされている太陽。ドゥラザークにも月はあったが、陽の光を直接浴びるのはこれが初めてだった。あまりの眩しさに思わず目を細める。少し沁みる――けれど、不思議と心地よい。


 ソルヴィア王国では、太陽が最も輝く夏の盛りを過ぎ、秋の気配が濃くなっていた。季節を送る風が、淡く色付き始めた木々の葉を揺らしている。


「お目覚めですか」

 馬車の御者席から、男が少女に声を掛ける。少女は窓からひょいと飛び出て、身軽にその御者の隣に腰かけた。

 帽子を深く被り、黒い外套で全身を覆った男は、ドゥラザークで少女の教育係を務めている人物である。少女はこの男から、夜族のこと、陽族のこと、あらゆることを学んだ。腹の内の知れない男だが、少女にとっては母を除き唯一、嫌ではない相手だった。


「あちち……防護の術を使っていても、太陽がひりついて仕方ない。夏だったらひとたまりもなさそうだ。“リリアナお嬢様”は何とも無いですか?」

 男の問いに、少女は自分の体を見回す。太陽は夜族にとっては毒だが、陽族の血が流れる少女には影響がない。


『問題ない。暑いといえば暑いし、多少目に違和感はあるが』

「おっと。その言語は、ここでは相応しくありませんね。いくら周囲に人が居ないとはいえ、今の内から慣れておきましょう」

 真面目な顔で窘める男。少女は思い出したように陽族の言葉に切り替えた。母と直接話すことが無くなり、今では夜族語の方が馴染んでいる。

 

「こほん……これでいい? あと、そんなに辛いなら、御者を替わろうか?」

「う~ん。なんか、貴女の陽族語は拙いというか、響きが幼いんですよね。……まあ及第点でしょう。それから、陽族のご令嬢は馬車を走らせたりはしないので、ご注意を」

「先生の陽族語は、いつも通り胡散臭い。それで、あとどのくらいで王都に着くの?」

「あと五日はかかりそうです。ゆっくりしていてください」

「そんなに? 到着したら先生はどうするの?」

「お嬢様を送り届けた後は帰ります」

「……そう」

「不安ですか? 俺は、教えられることは全て教えましたよ。貴女ならきっと、立派にお役目を成し遂げるでしょう」

「……本当に、そう思ってる?」

「いや……実を言うと……貴女が男を手玉に取るところが想像できなくてね」


 男はくつくつと笑った。馬鹿にされた少女は、表情の乏しい顔を少しだけ膨れさせる。髪をかき上げ、足を組み、男の腕に触れるか触れないかの距離まで近付いて「これでも、想像できない?」と囁くが――男は耐えきれず、身を捩った。


「あっはっは! 駄目だ、やっぱり貴女には、そういう艶っぽいのは似合わない!」

 男は笑いながら手綱を片方の手にまとめて、もう一方の手で、少女の服の外しっ放しのボタンを器用に留めた。その手には一寸の戸惑いもない。


「……先生が“そういう事”を教えるの、怠ったからでしょ?」

「いや~まあ……ハハ。とにかく、貴女は別の路線で攻めるべきですよ。純真無垢でしおらしい乙女設定でいきましょう」

「つまり素でいいってこと?」

「あっはっは! 冗談は合格ですね」


 育ってきた環境にも関わらず、少女が多少のユーモアを身に着けることが出来たのは、この男の影響(と生来の強かさ故)である。“陽族マニア”と呼ばれるこの男は、混血の少女を差別することなく対等に接した、ただ一人の夜族だ。


 男とリリアナは互いに好き勝手喋っていたが、田舎道に少しずつ人の姿が見え始めると、少女は馬車の中に戻った。そして“しおらしい乙女って何だ?”と考えながら、また暫く眠りに付く。


 一人になった男は、やれやれと柔らかい溜息を吐いた。

 夜族の前では常に気を張り、冷徹で無感情な姿を装っている少女だが、実際は……まあ、聞こえの良い言葉で言えば純真。夜王が彼女を過大評価しすぎていることは否めない。


 彼女の標的である王子が、物好きであることを祈った。




 *




 王都にあるサンクタ・ルミナ学院。

 その学舎は太陽神の光を象徴する白色で、外界とは異なる不思議な雰囲気に包まれている。外と内を隔てるのは、薄っすらと輝く守護の結界だ。


 王城や学院など要所の周囲に張られたその結界は、陽力を持たぬ者を弾くもの。夜族のスパイ対策として施されたものである。夜族が容易に通り抜けることのできない結界だが、微弱ながら陽力も併せ持つ少女には効果が無かった。


 病弱な男爵令嬢の姿を誰も知らないこともあり、少女は難なくリリアナ・ローレンスとして潜り込むことに成功する。“年齢”について、少女には若干の危惧があったが、問題なく十六歳で通った。長寿の夜族の血を引く少女は、陽族より若干成長が遅いのだ。



 ――そして、入学してからはや三日。

 ……やや、浮いた存在になってしまっていた。


 少女は最低限の礼節を学んではいたが、物心つく前に攫われて以来、夜王城から出たことはなく、実践経験は乏しい。所作の一つ一つに粗が目立つのだろう。またドゥラザークでは混血故に冷ややかな視線を浴び、孤立していた彼女が、集団生活に馴染める筈も無かった。


 “世間知らずの鈍くさい田舎娘”

 それが周囲のリリアナ・ローレンスに対する評価だ。

 魔眼で印象操作をすることは不可能ではないが、魔力の消耗の激しさから乱用は現実的ではない。


 嘲るような視線、慣れない生活に、少女は心身共に疲労していた。そうでなくとも正体を隠し潜入しているというだけで、一瞬たりとも気が抜けないのである。夜族の手の者と知られれば即処刑されるだろう。


 そうなる前に、目的を達成せねばならない。



(その為にも……まずは必要なことがある)


 昼時。少女は食堂の片隅で一人、皿に積まれたパンを頬張っていた。そう、何はともあれ腹ごしらえである。


 昼食のパンは取り放題で、種類も様々。ドゥラザークで与えられていた食事は、量は十分だったが味気なく、変化に乏しい“餌”だった。夜王は少女の道具としての価値を保ちつつ、それ以上の価値を持つことは許さなかったのだ。


(……陽族の食べ物は、実に複雑怪奇だな)


 甘いもの、しょっぱいもの、それから甘じょっぱいもの。外側がカリッとしているのに、中がフワフワだったり、いくら食べても飽きがこない。食感の違いを楽しんでいるだけで、山はどんどん平らになっていった。


 黙々とパンを堪能する少女を、周囲の女生徒達は白い目で見ながら「みっともないわ、乞食みたい」「ご実家ではろくな食事もできなかったのかしら?」「病弱だなんて、冗談ではなくて?」と囁く。耳の良い少女には全て聞こえているが、手を止めることは無かった。


 悪目立ちはしたくないが、食事をしない訳にはいかないからだ。陽族の女の異常な小食さに、少女も最初は付いて行こうと努力したが……体がもたなかった。


 その時、「あはは!」と明るい笑い声が、意地の悪い囁きを吹き飛ばす。

 少女は横目で、賑やかなそちらを見た。


 二列離れた席、食事もそっちのけで会話ばかりしている数人の女子生徒と、彼女達に囲まれた一人の男子生徒。


 その男子生徒こそが、少女の標的だ。

 同学年のセシル・ソルディウス――ソルヴィア王国の第四王子である。


 王位継承の見込みが薄いセシルは、王族の体面を顧みない奔放さで、昼夜問わず女遊びに精を出している。王も周囲も手を焼いてはいるが、末子の彼は特別に愛情をかけられ我儘が許されていた。とはいえ、学院を卒業すれば彼も遊んでばかりではいられない。それがまた彼の好き放題に拍車をかけているのだ。


 セシルは無類の女好きで、身分外見問わずどんな女でも相手にする。また、自由を好む彼はお付きの者を撒いてしまい、一人で行動することが多い。まさに、少女にとって格好の標的だった。


 少女がじっとセシルを観察していると、食堂の入り口が湧いた。セシルの周囲とは違う、静かなざわめきだ。何事かと目をやれば、そこには目立つ男女の二人組……第三王子アルクと公爵令嬢ユリアの姿があった。


 アルク・ソルディウス。王家の第三王子にして、学問・剣技ともに群を抜く才を誇り、学院では常に首席の座にあった。卒業後は聖騎士団へ入団し、国の為に身を捧げるという。彼はすでに王位継承権を辞退しており、その背景には“王の隠し子”という複雑な出生があると囁かれていた。だがそのような噂でさえ、彼の並外れた実力の前では影を潜めている。


 アルクの端正な顔立ちに、あちこちで女生徒がぽーっとしているのも、セシルの女遊びと同じく日常風景の一つだ。しかしセシルとは違い、彼がそれに応えることは決して無い。


 アルクには婚約者がいる。それが彼の隣に立つ、学院一の美女と名高いエレナ・アステリアだ。欠点など見当たらない彼女が相手では、どんなに恋に浮かれた女生徒も諦めるしかないだろう。リリアナやセシルより二学年上の彼らは、年が明ければ卒業し、正式に夫婦となるのだという。


 二人が歩くと、生徒達はサッと道を空けた。


(こんなに注目されて、食事なんて出来るのか? いや、わたしも人の事は言えないか)

 何となく二人を眺め続けていた少女。アルクの青い瞳が、少女の方に向く。


 視線が、ぶつかった。


 ――バチッと何かが弾ける感覚。睨むような鋭い視線に、少女は瞬きと呼吸を忘れる。


「アルク様、どうかされましたか?」

 立ち止まったアルクの腕に、エレナがそっと触れた。そして彼が見ていたものが何かを知ると、パンを持ったままの少女に笑みを浮かべる。上品に。冷ややかに。格の違いを見せつけるように。


「いや、なんでもない」

 アルクは少女から目を逸らし、そのまま二人は通り過ぎていった。


(なんなんだ……)

 あの二人も、大食らいの田舎者を冷やかしたかっただけか。

 どんなに気高く見えても人の本質は変わらないのだな、と、少女はクロワッサンに齧りつく。


(まあそれは夜族も同じか)

 夜王城で少女が関わってきた殆どの者も、似たようなものだった。暴力性が低いだけ陽族の方がマシかもしれないし、分かりにくいだけ性質が悪いかもしれない。

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