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第二十八話「罠」

「昨日の騒ぎ、驚いたわね。まさかアルク殿下がローレンス嬢の方を庇うなんて」

「でも……ローレンス嬢も、あんなに美しい陽力をお持ちだなんて。見た目通り、純粋な方だったのかしら」

「アルク殿下の隣に立っても、案外お似合いだったわよね」

「残念なのはエレナ様よ。もっと聡明な方かと思っていたわ。いくら気に食わなくても魔女だなんて言い出すのは、流石に無理があるわよ」

「だからアルク殿下の御心も離れたのではないかしら?」

「どうやら、それだけじゃないらしいわよ。私、この間見てしまったんだけど……」


(下らない! 下らない! 下らない!)

 エレナは聞こえてくる噂話に踵を返す。


 ――エレナがリリアナに魔女疑惑をかけた日の、翌日。

 噂は急速に広まり、放課後ともなると皆が知るところとなっていた。


 嫉妬に狂った公爵令嬢が、無実の男爵令嬢に罪を着せようとし、王子がそれを庇ったこと。この一件はアルクを挟んだ三角関係に対する認識を大きく変えた。パーティー以降広まりつつあった“アルクの本命がリリアナである説”も、信憑性を増すこととなった。



(あの娘が純粋ですって? あなた達は何を見ていたの? あんな知能の低そうな、か弱いふりをして男に縋るしかできない、下品な女……!)


 皆、騙されているのだ。

 アルクも騙されている。


『あなただけですよ、アルク殿下をお救い出来るのは』


 エレナの頭の中に、友人の囁きが繰り返し響き渡った。


(そうよ。アルク様の目を覚まさせることができるのは、私だけ)


 ……もう、手は選んでいられない。


 血の滲んだ唇をそっと舐めて、エレナは動き出す。

 中庭へ行き、いつも自分の傍に侍らせている女生徒達に声をかける。



「ねえ、あなた達は私の味方よね?」




 *




「……はあ」

 夕方、自室に戻ったリリアナはベッドの上で深い溜息を吐いた。心労の理由はレティシアである。


 彼女は今日はやけに大人しかった。昨日の一件でリリアナに嫌われてはいないと確信したのか、それとも傷付いているだろうリリアナを気遣っているのか、距離を置いて話しかけてくることもなかった。

 だがその瞳は言葉以上に雄弁で、リリアナに対して熱い想いを向け続ける。リリアナは罪悪感に心折れそうだった。


(本当におかしな子だ。いっそのこと、傷付けて遠ざけてしまおうか)


 なんて、できもしないことを考えてみる。そしてまた溜息を吐いた。


 レティシアと同じく、もしくはそれ以上に気になっているのはアルクである。アルクは今日は授業に出ていたようだが、放課後は用事があると言って寮に戻ってしまった。

 彼はいつも通りを装っているが、リリアナの目は誤魔化せない。僅かに体を庇うような動き方から、まだ傷が痛むのだということが窺えた。極力安静にしている必要があるのだろう。


(……怪我人なら、いざという時に抑え込みやすい。それは都合がいいが……困るのは、アルクの警備が厳重になるかもしれないということだ)


 なんて、やはり心とは裏腹なことばかり。

 リリアナは昨日の温もりを思い出し、意味も無くうつ伏せた。



 眠りに落ちたリリアナが目を覚ましたのは、夜のまだ早い時間。生徒達が食堂に向かうか戻ってくる足音が、部屋の外からしていた。自分も食事を取ろうと起き上がると、床に落ちている見覚えのない物体に気付く。

 それは封筒だった。恐らくは手紙。誰かが扉の隙間から滑り込ませたのだろう。“手紙”という存在に拒否反応を示しながら、リリアナは慎重に手に取って開いた。


 ――今夜九時、旧講堂にて待つ。来なければお前の正体をアルク殿下に明かす。


 筆跡を隠すような乱雑な文字。リリアナは怪訝な顔をする。


(誰だ? わたしの正体とは、どこまでのことを指している?)


 昨日の一件で、完全に疑いが晴らせた訳ではなかったらしい。

 しかし何故、呼び出しなどという回りくどい方法をとるのか。


 もしかすると単なる嫌がらせかもしれない。このまま無視をすべきかもしれないと思った。しかしリリアナは結局、呼び出しに応じることにする。


 まだ知られなくない――そんな臆病な気持ちを、自分のものと認めることもできないまま。



 夜の旧講堂付近は、学舎の灯りが僅かに届くばかりで暗く、人気も無く、不気味な雰囲気を醸し出している。


 リリアナは木陰に身を潜め、自分を呼び出した人物を窺った。そこに立っているのは、どう見ても知らない男である。生徒にしては年齢が行き過ぎているが、教師や使用人という風貌でもない。恰幅が良く、目立たない黒い服を着ていた。


 ……魔力は感じられない。リリアナは気配を隠すのをやめ、わざとらしくおずおずと、男に近付いていく。


「あの、わたしに何かご用ですか?」

 リリアナの登場に、男はにたりと粘着質な笑みを浮かべた。表情から滲み出るものはともかくとして中々の美丈夫である。が、アルクを見慣れたリリアナは、特に感じ入るものは無い。


「素直に応じるなんて、よほどバラされたくないんだなあ」

「……何をですか?」

「アンタの本性を、だよ!」


 男はリリアナの腕を掴み、建物の裏へと引きずり込んだ。彼女より一回りも二回りも大柄な体が覆い被さるようにのしかかり、そのまま地面へ押し倒す。


(痛い……)

「なあアンタ。大人しい顔して、とんだアバズレなんだろう? アルク殿下の前は、セシル殿下にも色目を使っていたんだってな。弟のおさがりだなんて知ったら、アンタの王子サマはどう思うだろうなあ?」

 鼻息荒く、予想の斜め上のことを言う男。リリアナは、手紙に書かれていた“正体”が危惧していたものではないと知り、安堵する。


 しかしこの男、学院の生徒でもないのに、何故そんなことを知っているのか。


「さあ、二人の王子をたぶらかした手管で、俺の相手もしてもらおうか?」

(この男は何者だ? 一体、何が目的でこんなことを……)


 想定外の出来事にも、リリアナは冷静だった。周囲に意識を張り巡らせると、離れた場所に数人の気配を感知する。そこに居るのは気配を消すことも知らない、呼吸さえ漏れている陽族の女生徒達。目を凝らせばその手にあるものが目に入った。


 いつかレティシアが、父親からプレゼントされたのだと見せてくれたそれは、その場の光景を写し撮る映写機というもの。


 リリアナは悟った。これは、今までとは趣旨の違う嫌がらせなのだと。



 ――リリアナの考えは当たっている。

 これは、リリアナをよく思わない者が企てた罠だ。足が付かないよう外部から雇い入れた男にリリアナを襲わせ、心身共に傷物にする。“密会現場”の証拠をおさめ、ふしだらな女だと非難する。学外から男を招き入れ、風紀を著しく乱したとして、停学や退学に陥れることが目的だ。そして何より、彼女からアルクの心を引き離すために。



(はあ……面倒極まりないな)

 目の前の男の動きを見るに、素人に毛が生えたレベルだ。リリアナには簡単にひねり上げることが出来たが、目撃者がいるとなると話は別である。


 男をのして、この場の全員を捕らえて、洗脳で口封じが出来るだろうか? この場にいない協力者もいる可能性を考えると、皆殺しという手段も取れない。

 どうにか怪しまれない程度の動きで逃げ出すしかなかった。……男の隙を窺うリリアナは、自分を見下ろすその血走った目と視線が合い、ゾクリとする。


 ドロドロの欲に塗れた、暴力的な男の目。

 初めて感じる、性を押し付けられるような嫌悪感。


 男は慣れた様子で、リリアナの太腿を膝で押さえつける。ガサガサとした手に体をまさぐられ、リリアナはびくりと体を震えさせた。


「はっ、なんだその初心な反応は。こういうのは初めてか? 王子サマは、女の触り方もお上品なんだろうなあ」

 生臭い息が顔にかかる。汚らわしい言葉が耳を侵す。

 込み上げる吐き気。


 ……ああ。殺してやろう、と思ったその時、



 ガッと鈍い音が響く。


 軽くなる体。リリアナが目を開けるとそこには――



「……サイラスさん?」

「リリアナ様、ご無事ですか」

 月光の下、男の貼り付けたような笑みは、僅かに剣呑な気を孕んでいる。

 サイラスは長い脚で男を蹴り上げると、その鼻を容赦なく踏み潰した。聞くに堪えない音と叫びに、女生徒達は悲鳴を上げて逃げ出す。


 サイラスは男の前髪を引っ張り上げ、平常通り人あたりの良い声で尋ねた。


「どなたの差し金ですか?」

「うぐ……離せ、」

「どなたの差し金ですか?」

「誰が言うか、う……あああ!」

 サイラスは抵抗する男の腕を掴み、折った。そしてこれ以上騒ぎにならないよう、うるさく喚く喉を締める。


「いくら積まれたんですか? 口を割ったら殺されてしまいますか? 割らなければ、生きていることを後悔しますよ」

(喉を締めていたら、口を割るも何もないのでは……)


 嬉々として男を痛めつけるサイラスと、それを唖然と見ているリリアナ。サイラスはリリアナの視線に気付くと、「レディの前で失礼しました」と微笑み、男のみぞうちを蹴り上げ気絶させた。


「この男のことは、こちらで調べ処分しておきますので」

「……ありがとうございます。でも、どうしてサイラスさんがここに? お一人ですか?」

 そう言って、周囲に誰かの姿を探すリリアナ。

 サイラスは表情は変えないものの、どこか曇った声で答える。


「一人ですよ。アルク様に追い出されてしまったんです。少し、喧嘩をしてしまいまして」

「アルク様と……喧嘩?」

 リリアナは目を丸くする。


「はい。それで行くあてもなく、フラフラと。リリアナ様をお助けできたのは何よりです」

「すごい偶然ですね」

「そうですね。“尾行”などしておりませんから、ご心配なさらず」

 眼鏡の奥、弓なりになった瞳は、底が知れない。


(本当に食えない奴だな)


 前々から気配を隠すのは上手いと思っていたが、身のこなしも中々だ。近接戦闘に自信のあるリリアナでも、敵にしたくないと思うほどである。もしかすると、一番警戒すべき相手なのかもしれない。


 リリアナがじっと見つめていると、サイラスは“その目”から逃れるように、さりげなく顔を逸らす。


「リリアナ様、私はこの男を連れて行かなければならないので、お部屋までお送りできませんが……大丈夫ですか?」

「はい。あの、このことはアルク様には、」


 ……言わないで欲しい。こんなこと、知られたくなかった。


 サイラスは返事の代わりにニコリと笑みを濃くすると、軽々と男を抱え、その場を颯爽と去って行った。




 ――リリアナは自室に戻り鍵を掛けると、扉を背にズルズルと座りこむ。どうやってここまで戻って来たのか、あまりよく覚えていなかった。今になって心臓がドクドクと騒ぎ立てる。


(気持ち悪い……)

 男に触れられた感覚が消えず、鳥肌の立つ体を抱きしめた。昨日アルクに触れられた時の温もりが、よく思い出せない。


 リリアナは自分にこのような繊細さがあったことに驚いた。否、かつての自分なら今宵の出来事など意に介さなかっただろう。何故、いつから、変わってしまったのか。


 いつから、こんなに感情的な生き物になってしまったのか。



 リリアナはその晩、いつまでも眠ることが出来なかった。




 *




 深夜、アルクが部屋で包帯を巻き直していると、扉がスッと開きサイラスが姿を現した。


「……誰が勝手に入っていいと言った?」

「確認したら、駄目だと言われると思いましたので」

「今はお前と話す気分じゃない。出て行け」


 過激派の襲撃を受けて以来、アルクのサイラスへの信頼は崩れていた。サイラスが過激派を処分したこと自体ではなく、それがアルクの意思に反することであると知りながら、アルクの考えに寄り添う素振りを見せながら、隠れて決行していたことが問題なのだ。


 サイラスは従順を装い、都合の良い無知な傀儡を作り上げようとしている――アルクには、そんな風にしか見えなくなっていた。


 サイラスは今回のことを、弁解することなく全て事実だと認めている。力を付けつつある過激派を残しておけば、必ずアルクに火の粉が降りかかる時が来る。アルクのためにも必要な制裁だった、と。


 アルクには伝わっていないが、サイラスは常に、何よりも彼の身を案じていた。アルクの甘さは嫌いではないが、彼を守るために、自分はそうあってはならないと考えている。だから後悔はしていなかった。これまでもアルクに知られないよう、アルクが嫌うような手をいくつも使ってきたのだ。

 後悔があるとすれば、過激派の残党と気付かずアルクの護衛に付けてしまったことである。


「出て行けと言っているのが聞こえないのか?」

「どうしても、あなた様のお耳に入れておきたいことがございまして」

 サイラスの真剣な顔に、アルクは仕方なく部屋に防音結界を張った。


「なんだ。簡潔に言え」

「リリアナ・ローレンスが、暴漢に襲われました」


 それを聞いた瞬間、アルクは椅子から立ち上がった。


「何だと? 下らない嘘なら、」

「私は下らない嘘はつきません」

「彼女は無事なのか」

「ご安心ください。特に怪我も無く……ああ、勿論“未遂”ですよ。抵抗できない様子でしたので、私が止めに入りましたから。男はどうやら、誰かに雇われていたようです。彼女を狙うように命じられた、と」

「その男は今どこにいる。誰が仕組んだ」

 低く唸り、殺気立つアルク。今にもどこかへ飛び出していきそうな様子だ。サイラスは宥めるように両手を上げ下げする。


「侵入者として警備隊に引き渡しましたよ。その前に聞き出すことが出来た情報によると、事の裏に居るのは……」

 サイラスは言い辛そうに、珍しく視線を泳がせた。


「言え」

「可能性として高いのは……エレナ様です」

「な……エレナが?」

「はい。男に依頼を持ちかけた人物は、容姿の特徴から恐らくエレナ様の使用人と思われます。現場付近に居た女生徒達も、エレナ様の親しいご友人達のようでした」

「まさか」


 エレナ・アステリア。学院の気高き花。

 アルクの中の彼女は、このような悪事に手を染めるような女ではなかった。もしそうだとしても、足がつくようなヘマをする愚鈍でもなかった。しかし昨日の放課後、リリアナを陥れようとしていた彼女の醜悪な顔を思い出し、腑に落ちる。


 彼女は嫉妬に狂ったのだ。

 彼女の叔母である王妃のように。


 アルクは王妃に嵌められた母を思い出した。裏切った王ではなく相手の女を陥れようとするところは、女特有の思考か、それとも血筋か。

 

 アルクには分かっている。エレナが狂ったのは自分の所為だと。エレナを傷付けたのは、敵であるリリアナに――惹かれてしまった自分であると。

 だが、感情はそこまで利口ではない。



 腹の底から、濁った熱がじわじわと湧き上がる。

 世界が闇に染まる。


 彼女の髪のような、瞳のような、夜の色に。

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