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第二十六話「悪魔の囁き」

『――はい。では、そのように』

 ドゥラザーク側との交渉が終わり、通信具となっていた姿見が普通の鏡に戻る。何とか話はまとまった……と、サイラスは安堵の息を吐いた。同席していた数名の志士達も、緊張の糸が切れた様子だ。


 黎明の鷹とドゥラザークの和平軍は、密かに接触を重ね関係を築いてきた。両者に共通するのは、現王政の打倒と戦の終結。そのため、互いの国情や軍事情報を共有しつつ、同時蜂起の計画や、両王失脚後に設立される“連合評議会”の構想を練っている。


(完全に信用できるとは言い難いが、信じなければ始まらない……)

 サイラスは自分に言い聞かせるようにして、鏡の中の疲れきった顔を見た。――そこに、知らない男が映っている。


『……どちら様でしょうか?』

「おお、凄いですね。もっと驚かれるかと思いました」


 鏡の向こうにいるのは、クレマチスの花のような青紫色の髪をした長身の男。言葉は流暢な陽族語だが、耳は夜族らしく尖っている。


「和平軍の方ですか?」

「いや~まあ、そろそろそっちに転身しようかな、と思っている身ではありますね、ハイ」

「……私に、何か?」

「おお、話が早い。そうです“あなたに”話があるのです」

 男はちら、とサイラスの後ろの志士達を見る。サイラスは目線だけで、彼らに下がるよう指示した。


「得体のしれない男と二人きりになるなんて、中々肝が据わっていますね」

「この鏡に空間転移の機能はないでしょう。私達は完全に隔たれている」

「それはそうですが。……さて、早速本題です。あなた方は禁じられた魔術“命の盟約”について調べていらっしゃるみたいですね。それに、ローレンス男爵領と我が国の繋がりも」

「……何のことですか?」


 リリアナの素性や目的を探っていることは極秘である。男がどの立場にいるかは分からないが、リリアナ当人やその背後にいる人物に警戒されると厄介だ。


「慎重な方ですね。俺には隠さなくていいですよ。自己紹介が遅れましたが、俺はドゥラザークで――“彼女”の教育係をしていた者です」

(……“彼女”)

 サイラスは確信した。この男はリリアナ・ローレンスの話をするために、自分に接触してきたのだと。


「それで、その教育係さんがなんのご用でしょうか」

「“先生”でもいいですよ。いやあ、彼女は元気にしているかと思いましてね。……まあ、無事ではあるんでしょうね。彼女が捕まったという話は聞きませんし、あなた方が調べているのは盟約の“解除方法”だ。……絆されましたか?」

「絆されるように見えますか?」

「ハハ、見えませんね。少なくとも“あなたは”」

 男は爽やかに、含みのある笑みを浮かべる。その二つが両立し得ることをサイラスは初めて知った。


「でもまあ、あなただって、彼女をよく知れば絆されますよ。俺の育て方が良かったのか、本当に根が優しい子でしてね」

 男はぽつり、ぽつりとリリアナの身の上を話し始める。彼女が夜王城に来たいきさつ、母親を人質にとられ、夜王の命令に逆らえないこと。――男は人質が既に無意味であることを知っていたが、その真相が少女を壊すことを恐れ、口にしなかった。


 アルクが巻き込まれている悍ましい計画を聞き、サイラスの無表情に怒りが滲む。


「何故そのようなことを、私に話したのですか?」

「あなたは冷徹なお方だと聞きましたから。彼女に少しでも同情してくださるように、ね。見逃してやれとまでは言えませんが」

 男から笑みが消え、視線が足元に落ちる。いや、足元よりもう少し上だ。彼の目は彼にしか見えない、小さな子供を見ている。


「……お話は覚えておきましょう。信じるか信じないかは別としても。ところで、あなたは夜王側だったのでしょう? 何故和平軍に?」

「教え子がいない今、残る理由もないんでね。そもそも俺は陽族マニアなんで、あなた方とは仲良くしたいんですよ」

 男はそう言って、また笑った。


「それでは。“王子様”にもよろしくお伝えください」

 男はサイラスに一礼する。その姿はぼんやりと消えていき、鏡は正しくサイラスだけを映すようになった。


(あの男、どこまで知っているんだ? 私がアルク様のお側にいることを知っているような口ぶりだったが……)


 サイラスは眼鏡をはずし、硬い眉間を揉み解す。


 突然押し付けられた重い真実。リリアナの事情を、アルクに話す気にはなれなかった。最近いよいよ本格的に彼女に入れ込んでいる様子のアルク。ただでさえお人好しの彼にこんな話をすれば、あの男の言ったように絆されるに決まっている。


 リリアナに出会ってから、アルクは随分と人間らしくなった。というより年相応の青年らしくなった。復讐やクーデターにばかりに囚われてきたアルクのその変化は、一個人としては喜ばしいこと。できるならその心を守ってやりたい。だが――。


(リリアナ・ローレンスは、いつか私が殺さなければならないのだろう)

 

 アルクに危険な存在は、排除するのみ。


 だというのに、サイラスはこんなにも躊躇っている自分に驚く。


(……主の甘さが移ったのかもしれないな)




 *




 外出から戻ったサイラスは、真っ直ぐアルクの部屋に向かった。時刻は既に日付を跨いでおり、アルクはもう寝ているかと思ったが、部屋には明かりがついている。ノックして声をかけると、応じたのはエレナの従者だった。

 アルクに何かがあったのだと悟り、サイラスは頭が真っ白になる。


「どうぞ、中へ」

 という言葉も待たずに部屋に飛び込んだサイラスが目にしたのは、ベッドに寝かせられている主と、その傍に寄り添う婚約者の姿だった。部屋には薬品のにおいが充満しており、テーブルには血だらけの衣服が置かれている。

 サイラスはアルクの元に駆け寄った。


「一体何があったんですか!」

「……お静かに。アルク様は大丈夫です、医者は命に別条はないと」

 エレナが青い顔で振り返り、知る限りのことをサイラスに話す。

 数時間前、傷付いたアルクを礼拝堂付近で見つけたこと。学院の外に、アルクを襲ったであろう賊の遺体があったこと。介抱を続けているが、アルクはまだ目を覚ましていないということ。


(警戒しろと言った矢先に勝手に外出か……困ったご主人様だ。側に付けていた護衛がいないのはどういうことだ?)


「アルク様……」

 気丈に振舞っていたエレナは、話をしていて感情がぶり返したのか、目に涙を浮かべた。


「サイラス、あなたはアルク様を狙った賊に、心当たりはありますか?」

 エレナが問う。サイラスは、恐らくは王妃の仕向けた暗殺者だろうと思ったが、それを口にすることは出来なかった。今回も証拠は残っていないだろうし、何よりエレナは王妃に従順な姪なのだ。


「申し訳ありません。思い当たる人物はおりませんが、殿下の身分を考えれば、狙われる可能性は常にございます」

「……もしかして、アルク様の“秘密”も関係しているのですか?」

「それも、なんとも」

 秘密とは、アルクの出生にまつわるものだ。婚約者であるエレナは特別にそれを知らされている。それが原因で、アルクが王族から嫌厭されていることも知っている。エレナ自身は、それによって彼への愛が変わることは無かったが。


「アルク様には何の非も無いというのに、いつもお辛い目に遭われて……。いくらアルク様が“私達より傷の治りが早い”といっても、傷ついた御心はそう簡単には癒えない筈です。……なんて可哀想なお方」

 エレナは、アルクの手をふわりと覆うように握った。彼女の瞳に輝くのは、美しい憐れみ。サイラスはその横顔に侮蔑の目を向ける。


 “可哀想”などという言葉は、相手を下に見ている証だ。

 その人は、お前如きの自己陶酔に消費されていい存在ではない、と。


 その時、アルクの手がピクリと動き、エレナの手を握り返した。エレナの頬に喜びが差す。しかしその顔はすぐに凍り付いた。彼の口が、自分ではない少女の名を呼んだことで。



 顔を伏せるエレナ。サイラスは気まずくて堪らない。いくら無意識とはいえ、婚約者の前で呼んでいい名前ではなかった。エレナの反応を確認することはとてもできない。


 エレナはアルクから、そっと手を放す。


(どうしてあの娘の名を呼ぶの……傷だらけのあなたを助けたのは私なのに……どうして、どうしてあんな……)




 *




 翌日、アルクは授業を欠席した。怪我の療養の為だが、表向きには私用での欠席となっている。最終学年ともなると家業や縁談で欠席する者も多く、誰も気に留めなかった。



 ――放課後。エレナは人気のない冬の裏庭で木の幹を睨んでいる。どんなに苛々しても、何かを蹴り飛ばすという発散方法を、淑女である彼女は知らなかった。


 昨晩、まだ空が白む前に自室に戻ったエレナ。仮眠をとる時間はあったが一睡もできなかった。その理由の半分は、アルクの容態への心配。もう半分は、リリアナへの嫉妬だった。


 意識を失ったまま、うわ言のようにリリアナの名を呼んだアルク。それは隠しきれない彼の本心のようで、エレナを悲しみに突き落とした。サイラスや自らの使用人にも聞かれたことで、プライドもズタズタだった。


「アルク様……」

「エレナ様、また何かあったんですか? そんなお顔も素敵ですけれど」

 すっと木陰から現れ、エレナに親し気に話しかける一人の生徒。エレナがこのところ仲良くしている友人だ。明るく聞き上手な友人は、エレナの心の壁をいともたやすく超えてきた。誰にも相談できないアルクとのことも、この友人にだけは打ち明けることができた。


 とはいえ、流石に一国の王子が狙われたことを話す訳にはいかない。エレナはただ、彼の気持ちが自分にあるのか不安だ、と零した。


「大丈夫ですよ。エレナ様がローレンス嬢に劣るところなど、あると思われますか? 誰の目から見ても、アルク殿下にお似合いなのはエレナ様ですよ」

「そうよね。でも……」

「まあ、いくら完璧なエレナ様が隣にいらしても、一時の気の迷いはあるかもしれませんね。浮気心は男の性といいますから」

「アルク様はそんなお方ではありません! 真面目で、誠実で、」

「ええ、そうですね。アルク殿下は悪くありませんよね。悪いのは、純粋な彼を誑かしたローレンス嬢です」

 

 エレナを肯定しながら、辛い現実を突きつける友人。

 その甘く毒々しい声が、エレナの耳元に、そっと囁きかけた。


「ローレンス嬢には、何か嫌なものを感じませんか? 例えば……魔力のような」

「何を言っているの!? 学院内に夜族が侵入することなんて、」

「夜族そのものでなくとも、夜族の力に魅入られ、魔道具や魔術を扱う者はいるでしょう。おかしいとは思いませんか? アルク殿下が突然ローレンス嬢に惹かれたこと。それに、ローレンス嬢が来たばかりの頃に起きた魔獣騒動も」

「……ローレンス嬢が妖しい魔術を使っているというの? けれど魔獣騒動の時は、彼女も怪我をしていたわ」

「善人を装うためのパフォーマンスかもしれません。それに……パーティーの夜、結界に乱れがあったことは、聖女であるあなたならご存知ですよね? あの晩、ローレンス嬢を外で見かけた者がおります。パーティーにも出ず、どこへ行っていたのやら」


 エレナの頭の中、リリアナの腹立たしいぼんやり顔が、ぐにゃりと醜悪な笑みに変わっていく。


「天才聖女と呼び声の高いエレナ様なら、気付ける筈ですよ。彼女の正体に」

「正体……」

「ええ。もし彼女が邪悪な存在だったなら、アルク殿下が危険かもしれません。……アルク殿下の怪我も、彼女の所為なのでは?」


 エレナの思考が黒に塗り潰される。何故この友人がアルクの怪我を知っているのか、疑問を抱くことも出来ない。


「あなただけですよ。アルク殿下をお救い出来るのは」

「私だけが、アルク様を……」

「そうです。さあエレナ様、一時の気の迷いが本気になってしまわない内に、手を打ちましょう」


 不思議な色の瞳が、獲物に迫る。

 エレナは虚ろに頷いた。


 リリアナは悪女で、アルクは抗えない魔の力で騙されている。

 リリアナの正体を明かし、引き離せば、アルクの目は覚める。また、元の彼に戻る。自分だけの婚約者に……。



 気付けば友人の姿は消えていた。

 求めている時に現れ、誰よりも自分を理解し、欲しい言葉をくれて、導いてくれる。そんな友人にエレナは心から感謝していた。


(もっと早くに出会いたかったわ)


 二人が仲良くなったのは、パーティーの少し前。エレナがドレスの仕上がりを見るため街へ出た時に――


(……どうやって、仲良くなったのだったかしら)


 あまりよく思い出せない。

 まあいいか、とエレナはそれ以上深く考えなかった。

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